第二百二十三話 支配者としての器
ベガンは遠くの海賊船を鋭い目で見つめている。セイレーンたちを捕らえ、奴隷として売り飛ばそうとした海賊たちをベガンはどうするつもりなのか、ダークはベガンの横顔を見つめながら気にしていた。
「海賊たちはどうする? 殺すのか?」
「そうだな……奴らが改心するのだったら、しばらくこの島で働かせ、いつかは大陸に帰してやろうと思っている。だが、もし改心しないというのなら……」
「……まあ、それは貴公らが自由に決めればいい。私たちは今回の一件には直接かかわっていないからな。海賊をどうするかを決める権利はない」
低い声を出しながらダークは持っている大剣を背負う。話を聞いていたアリシアたちも海賊たちをどうするかは被害を受けたセイレーンたちに決める権利があると考え、何も言わずにダークとベガンを見ていた。
ダークの答えを聞いたベガンは海賊の残党を捕らえるため、海賊船に向かって飛ぼうとした。だがその時、遠くで停泊している二隻の海賊船の方から大きな音が聞こえ、ダークたちは一斉に視線を海賊船の方に向ける。すると、遠くで二隻の海賊船が何か巨大な物に襲われている光景が視界に入った。
「な、何だ?」
ベガンは海賊船が襲われているのを見て目を大きく見開きながら驚く。ダークたちは何が海賊船を襲っているのか気になり、目を凝らして巨大な物の正体を確認する。
海賊船を襲っているのは、なんと巨大な白いイカの足だった。長さは10m近くはあり、二隻の海賊船に四本ずつ絡みついて揺らしている。海賊船が揺れることで番をしていた魔法使いの海賊たちは酷く慌てていた。
「あれは、まさかクラーケンか!?」
ベガンは海賊船を襲うイカの足を見て驚き、それを聞いた周りのセイレーンたちも驚きの反応を見せる。アリシアたちも目を見開きながらベガンに向くが、ダークとノワールは驚きの反応などは一斉見せずにベガンの方を見ていた。
「クラーケンって、あの海の悪魔って言われているモンスター?」
レジーナがまばたきをしながらベガンに尋ねると、ベガンはレジーナの方を向いて小さく頷いた。
「そのとおりだ。海に生息する上級モンスターの中でも獰猛な性格をしており、その巨大な足で船を破壊し、乗っている者を海に落として喰らうと言われている。レベルは75から80の間で、大きさも30mはあると聞いたことがある」
「さ、30m、結構大きいわね」
クラーケンの大きさを聞かされたレジーナは苦笑いを浮かべ、ジェイクもクラーケンの詳しい情報を聞いて真剣な表情を浮かべる。マティーリアはほほぉ、と興味のありそうな顔をしていた。
「……しかし変だな、クラーケンは島から遠く離れた海に現れるはずなのに、どうして島の近くに現れたんだ?」
レジーナたちが驚く中、アリシアはクラーケンが本来、姿を現さない場所に現れたことを疑問に思い、小さく俯きながら考え込む。アリシアの言葉を聞いてダークたちは一斉にアリシアの方を向いた。
「恐らく、餌を探している内にこんな所までやって来てしまったのだろう。そして、そんな時に海賊たちの船を見つけて襲い掛かったのだ」
ベガンはクラーケンが孤島の近くに現れた理由を口にすると、視線をアリシアから海賊船に向ける。既に海賊船はクラーケンの足でマストを折られ、船体も壊れ始めていた。
海賊船に乗る海賊たちは魔法でクラーケンの足を攻撃しているが、クラーケンの足は海賊船から離れない。どうやら海賊たちの魔法ではクラーケンに決定的なダメージを与えることができないようだ。
少しずつ破壊されていく海賊船を見た海賊たちはもうダメだと感じ、海賊船から脱出しようとするが、脱出に使う小船は全て使われている。かと言って、海に飛び込めばクラーケンの餌食になってしまう。つまり、海賊たちは脱出することができなくなっていたのだ。
逃げることができない状況に甲板の上の海賊たちが青ざめていると、海中から新たに二本のクラーケンの足が飛び出す。そして、一隻の海賊船に対して一本ずつ、勢いよく足が振り下ろされ、二隻の海賊船はほぼ同時に叩き潰された。
海賊船が破壊されて乗っていた海賊たちは叫び声を上げながら海に落ち、海賊船も周囲に残骸をまき散らしながら沈んでいく。クラーケンの足は海賊船を破壊すると静かに海の中へ消えていった。
「あ~あ、完全にぶっ壊されちまったな」
ジェイクは海賊船が破壊された光景を見て呆れたような口調で呟く。ダークたちも無言でクラーケンに破壊された海賊船を見ている。金儲けのためにセイレーンたちを捕らえようとしていた海賊たちの船なので、クラーケンに襲われたのを見てもダークたちは気の毒とは思わなかった。
海賊船が破壊された場所には残骸が浮かんでおり、その近くでは海賊たちが海面から顔を出している姿があった。クラーケンが姿を消している内に安全な場所へ移動しようと思っているのか、海賊たちは孤島の方へ泳ごうとする。すると、水の中から大きな何かが現れ、それによって発生した波に海賊たちは巻き込まれてしまう。
波の呑まれた海賊たちは海面に顔を出し、水中から出てきた物を確認する。海賊たちの前には大きな黄色い目と胴体を持ったクラーケンの姿があり、それを目にした海賊たちは恐怖のあまり表情を固めてしまう。その直後、クラーケンは大きな口を開けて海水ごと、近くにいる海賊たちを飲み込み始めた。
海賊たちは逃れようと必死に泳ぐが、クラーケンが海水を飲み込む速さには勝てず、そのまま全員が飲み込まれてしまう。その様子はダークたちは浜辺から見つめていた。
「食われてしまったか……」
ダークは海賊たちがクラーケンに食われた光景を見ながら低い声で呟き、アリシアたちも黙ってクラーケンを見ている。
何もせずに黙って海賊たちがクラーケンに食われる光景を見ていたが、セイレーンたちを捕らえようとした悪党だったためか、ダークたちは海賊たちを見殺しにしても罪悪感などは一切感じなかった。勿論、ベガンやセイレーンたちも同じ気持ちだ。
クラーケンは海賊たちを飲み込ん後も海中には潜らずに顔と胴体を海面から出したまま動かずにいた。そんなクラーケンをダークたちはジッと見つめている。海賊がいなくなったことで、ダークたちの意識は海賊からクラーケンに向けられた。
「あのクラーケン、海賊どもを食ったのになぜいつまでもあそこにおるのじゃ?」
「分かんねぇ、近くに他に餌がないか探しているのかもしれねぇぞ」
ジェイクとマティーリアは自分たちの得物を肩に担ぎながらクラーケンを観察する。ダークたちも移動しないクラーケンを黙って見つめていた。
大きな目をギョロギョロと動かしてクラーケンは周囲を見回している。幸い、距離があるせいか、ダークたちの存在には気付いていない。
「……これはマズいな」
ダークたちがクラーケンに注目していると、ベガンが少し緊迫したような顔で呟き、彼の近くにいるセイレーンたちも複雑そうな顔でクラーケンを見ている。
「ベガン殿、マズいとはどういうことだ?」
ベガンの言葉を聞いたダークは視線をベガンに向けて尋ねる。ベガンはダークの方を向くと緊迫した表情のまま口を開く。
「クラーケンは主に魚や中型の水生族モンスターを主食としている。しかもその大きさから食べる量も半端ではない。もし、クラーケンがこのままあの場所を移動しなかったら奴はこの辺の魚やモンスターを食い荒らすだろう。そうなれば魚の数が減り、我々も食料である魚を獲ることができなくなくなる」
「魚の数が減る……となると、我が国が新しく造った港町でも海魚が獲れなくなる、ということか?」
「そのとおり。仮に魚やモンスターを食わなくても、クラーケンがこの辺りに現れたことを知った魚やモンスターはしばらくの間、この辺りには寄り付かなくなる」
クラーケンがダークの計画の妨げ、セイレーンたちの暮らしを乱す存在になると聞いたダークはクラーケンの方を向く。せっかく海賊を倒したのに今度はクラーケンが自分の計画の邪魔をしていると知り、ダークはクラーケンに対して小さな苛立ちを感じる。
「……クラーケンはあとどのくらいで移動するか分かるか?」
「いいや、こればかりは私にも分からない。魚たちがこの辺からいなくなる前に移動してくれることを祈るしかないな」
ベガンは小さく俯きながら首を横に振り、それを見たダークは再びクラーケンの方を向いて小さく舌打ちをする。そして、背負っている大剣を抜いて海の方へ歩き出した。
「どうしたんだ、ダーク?」
突然海に向かって歩き出したダークを見てアリシアは声をかける。レジーナたちもダークの姿を見て不思議そうな顔をしていた。
声をかけられたダークはゆっくりと立ち止まり、振り返ってアリシアたちを見つめながら目を赤く光らせる。
「あのクラーケンを退治してくる。奴をこのままにしておくと色々と都合が悪いみたいだからな」
ダークの言葉を聞いてアリシアたちは意外そうな表情を浮かべる。ノワールはダークが何をしようとしていたのか分かっていたのか、ダークの答えを聞いて小さく笑う。
一方、ベガンたちはクラーケンを倒すと言いだしたダークを見ながら驚愕の表情を浮かべていた。当然だ、人間の英雄級の実力者でも倒すのはほぼ不可能と言われている海の悪魔を倒すと言いだしたのだから。
「確かに、いつ移動するか分からないクラーケンをあのままにし、この辺の海域から魚たちがいなくなってしまうと面倒だからな……それなら今の内に倒しておいた方がいいか」
アリシアが難しい顔をしながら呟き、レジーナたちも確かにそうだ、と言いたそうな顔で頷く。
ベガンたちはアリシアの言葉を聞くと更に驚いた表情を浮かべて彼女を見る。今の発言から、アリシアたちはダークがクラーケンに勝つと考えていると感じ、ベガンたちは衝撃を受けたようだ。
「そういうわけで、ちょっと行ってくる」
「マスター、僕も行きましょうか?」
「いや、私一人で十分だ」
そう言ってダークは再び海の方を向いて歩き出し、ノワールは歩いていくダークの背中を黙って見つめる。
ダークは歩きながら大剣を持っていない方の手を上げた。すると、逃げようとしていた海賊たちの小船を破壊したオールドシードラゴンがダークに気付き、彼の方に向かって移動する。どうやらダークはオールドシードラゴンに乗ってクラーケンのところまで移動するようだ。
浅瀬に到着したオールドシードラゴンはダークが乗りやすいように腹側部をダークに向ける。ダークはジャンプしてオールドシードラゴンの背中に飛び移るとクラーケンがいる方を向いて指を差した。
「あのクラーケンのところへ行け!」
ダークが命令すると、オールドシードラゴンは鳴き声を上げ、沖の方へ移動する。ダークは移動するオールドシードラゴンの背中の上に立ちながら、遠くにいるクラーケンを見つめていた。
浜辺ではアリシアたちがオールドシードラゴンに乗って沖へ向かうダークを黙って見送っていた。ダークならクラーケンなんて簡単に倒せると思っているのか、アリシアたちは誰一人として心配そうな顔はしていない。すると、ベガンが慌てた様子でアリシアの隣にやって来た。
「な、なぜ止めなかったのだ!?」
「え?」
取り乱すベガンの顔を見ながらアリシアは不思議そうな声を出す。
「クラーケンは人間では倒すことはできないと言われている怪物なのだ。そんな奴を相手にダーク殿を一人で行かせるなんて……いや、それ以前にダーク殿はどうして一人でクラーケンを倒すなどと言いだしたんだ!?」
ダークが何を考えてあんなことを言ったのか理解できないベガンは頭を掻きながら力の入った声を出す。セイレーンたちもアリシアたちを見ながら不安そうな顔をしていた。
確かにダークは百人近くの海賊を倒せるだけの力を持っている。だが、人間の海賊とクラーケンは力も大きさも全く違う。海賊たちを倒すことができるダークでもクラーケンには絶対に敵わないとベガンたちは考えていた。というよりも、そう考えるのが当たり前だ。
不安を見せるベガンたちをノワール、レジーナ、ジェイクは苦笑いを浮かべながら見ている。ダークの強さを知らないベガンたちなら今のような反応を見せるのは当たり前か、と三人は思っていた。マティーリアはやれやれ、と言いたそうな顔をしながら自分の髪を指で捩じっている。
「私が飛んでダーク殿を呼び戻してくる。今ならまだ間に合うはずだ」
「その必要はありません」
アリシアはダークを呼び戻そうとするベガンを止め、ベガンは目を見開きながらアリシアの方を向く。
「なにを呑気なことを! 貴女たちの王が死ぬかもしれないのだぞ!?」
「いいえ、彼は死にません」
やや興奮気味のベガンにアリシアは落ち着いた様子で応対する。冷静なアリシアを見てベガンは驚いたのか、まばたきをしながらアリシアを見つめた。
「な、なぜそこまで冷静でいられるのだ?」
「彼が強いからです」
「つ、強いから?」
「ええ、彼の力の前では、クラーケンもただのモンスターです」
遠くにいるクラーケンを見つめながらアリシアは小さく笑う。ノワールたちも同じよう小さく笑いながらクラーケンの方を見ていた。
ベガンはアリシアを呆然とした顔で見つめている。なぜ相手がクラーケンなのにこれほどまでダークを信用しているのか、全く理解できなかった。
「族長!」
アリシアたちを見ていると、何処からか少年の声が聞こえ、ベガンが声のした方を向く。集落がある岩山の方から弓矢を装備したカイルスが飛んでくる姿が見え、ベガンは意外そうな表情を浮かべる。カイルスは浜辺にやって来ると、ベガンの目の前に着地した。
「カイルス、どうして此処に? 集落の方はどうなった?」
「脱出の準備は全て終わりました。ですから、僕も族長たちの力になろうと思って来たんです……でも」
カイルスは周囲に転がっている海賊たちの死体を見て、自分が助けに来る必要は無かったと感じ、複雑そうな表情を浮かべた。アリシアやノワールもせっかく来たのに出番が無いカイルスを気の毒に思ったのか苦笑いを浮かべていた。
「まさか、本当に海賊に勝ってしまうなんて……族長、一体どんな作戦で戦ったんですか?」
海賊たちとの戦いがどんなものだったのか知らないカイルスはベガンにどのようにして海賊を倒したのか尋ねる。ベガンはカイルスを見た後に目を閉じて軽く息を吐いた。
「……それについては後で説明する。今は海賊とは別の問題が起きているんだ」
「別の問題?」
カイルスが小首を傾げると、ベガンは目を開けて沖の方を向く。カイルスは不思議に思いながらベガンが見ている方角を確認する。そして、遠くで顔を出しているクラーケンの姿を目にした。
「あ、あれはクラーケン!?」
「そうだ、海賊たちに勝利した直後に現れて海賊たちの船を沈めたんだ」
「ま、まさか、こんな所にクラーケンが現れるなんて……」
クラーケンの姿を見てカイルスは大きく目を見開く。彼も次の族長となる存在なので、世界や人間のこと以外にもモンスターのことをそれなりに勉強していた。そのため、クラーケンのことも知っており、本来現れないはずと場所に現れたことに驚いていた。
「このままだと、この辺りにいる魚が全てアイツに食べられちゃうんじゃないんですか?」
「ああ、そうだ。だからそれをなんとかするために、ダーク殿が一人でクラーケンを倒しに行ったんだ」
「ええぇっ!?」
ベガンからダークが一人でクラーケンと戦いに行ったことを聞かされ、カイルスは思わず声を上げる。彼もベガンと同じように人間が一人でクラーケンに挑むのは自殺行為だと思っていた。
「そんな、無茶ですよ!」
「ああ、私もそう思っている。しかし、彼女たちがダーク殿なら問題無いと言っているのだ……」
そう言ってベガンはチラッとアリシアの方を見た。アリシアたちは黙ってベガンとカイルスを見ており、カイルスは不安そうな顔でアリシアたちを見つめ、大丈夫なんですか、と目で尋ねる。するとアリシアはカイルスを見ながら微笑みを浮かべ、カイルスはアリシアの笑顔を見て目を見開いた。
「大丈夫だ、ダークは絶対に勝つ。信じて見ていてくれ」
アリシアは優しい声でカイルスに語りかけてから視線をクラーケンに戻し、ノワールたちも同じようにクラーケンの方を向いた。
カイルスはまだ若干不安そうな顔を見せながら、アリシアたちと同じようにクラーケンの方を向き、ベガンやセイレーンたちも黙ってクラーケンに注目した。
同時刻、ダークはオールドシードラゴンの背に乗りながら少しずつクラーケンに近づいていた。距離が縮むにつれて徐々にクラーケンも大きくなっていき、ダークはクラーケンの大きさを見て意外そうな反応を見せた。
「思ったよりもデカいな……ベガンが言ったとおり、30mはあるかもしれないな」
ダークは大剣を肩に担ぎながらクラーケンの大きさを想像する。30mと聞けば、普通の人間は衝撃を受けるが、ダークにとっては大した大きさではなかった。寧ろ、クラーケンならそれぐらいはあってもおかしくないと感じている。そんな中、オールドシードラゴンは更に速度を上げてクラーケンに近づいていく。
オールドシードラゴンがクラーケンの約300m前まで近づくと、クラーケンはオールドシードラゴンの存在に気付いた。大きな目でオールドシードラゴンを見つめながら、クラーケンは海中から四本の巨大な足を出す。どうやらオールドシードラゴンを餌と判断し、捕らえようとしているようだ。
「ほお、奴もこちらに気付いたか。オールドシードラゴンを食おうとしているようだが、そんなことはさせんぞ」
ダークはクラーケンを見つめながら目を赤く光らせ、両足を軽く曲げる。
「脚力強化!」
能力が発動し、ダークの体が薄っすらと水色の光る。脚力を強化したダークは大剣を構え、クラーケンをジッと見つめた。そして、クラーケンの100mほど前まで近づくと、オールドシードラゴンの上でジャンプし、クラーケンを見下ろせる高さまで跳び上がる。
ダークが跳び上がるとオールドシードラゴンは素早く右に曲がり、クラーケンに捕まらないように離れた。クラーケンは方向を変えたオールドシードラゴンを目で追い、捕らえるために足を動かそうとする。
すると、跳び上がったダークは大剣を両手で握り、ゆっくりと上段構えを取った。クラーケンはダークの存在に気付いて視線をオールドシードラゴンから空中のダークに向ける。クラーケンが視線を変えた直後、ダークが持つ大剣の剣身が紫色に光りだし、本来の大剣より二回りほど大きな光の剣身に変わった。そして、ダークはそのままクラーケンに向かって落下していく。
「この技で倒されることを光栄に思え、暗黒次元斬!」
ダークはクラーケンの目の前まで降下した瞬間、暗黒剣技の名を叫んで大剣を振り下ろす。その直後、クラーケンの頭と胴体は真ん中から切られ、巨大なクラーケンの体は真っ二つになった。クラーケンは何が起きたのか分からずにただ目の前にいるダークを見ている。
クラーケンが真っ二つになった光景を浜辺から見ていたアリシアたちはダークがクラーケンを切ったのだと知り、笑顔を浮かべた。一方でベガンとカイルス、そしてセイレーンたちはクラーケンが倒されたのを見て驚愕の表情を浮かべている。本当にダークが一人でクラーケンを倒してしまったのを見て、驚きを隠せずにいた。
「ば、馬鹿な……こんなことが……」
「クラーケンを、両断するなんて……」
目の前の光景が信じられず、ベガンとカイルスは震えた声を出す。セイレーンたちも目を見開きながら固まっており、レジーナとジェイクはダークの強さに驚いているベガンたちを見てクスクスと笑っていた。
真っ二つにされたクラーケンが倒れたことで水しぶきが上がり、波も発生する。ダークはそんな海に向かって真っすぐ落下していき、このままだと海に落ちてしまう状況だった。
ダークが真下の海を見ていると、離れていたオールドシードラゴンがダークの真下に移動し、ダークはオールドシードラゴンの背中の上に着地する。ダークが背中に乗ると、オールドシードラゴンは波に呑み込まれる前に素早くその場を離れた。
「これでこの辺りの魚が逃げ出すことはなくなったな……今度はお前が魚やモンスターたちの餌になれ」
大剣を背負いながらダークは沈んでいくクラーケンの死体を見て呟く。それが終わるとダークはオールドシードラゴンに孤島へ戻るよう指示を出し、指示を受けたオールドシードラゴンはアリシアたちが待つ孤島へ戻って行った。
孤島に戻ると、オールドシードラゴンは浜辺に上がり、ダークもオールドシードラゴンの背中から跳び下りて浜辺に下り立つ。そんなダークをアリシアたちが笑顔でダークを迎えた。
「お疲れ様です、マスター」
「ああ」
労いの言葉を口にするノワールを見下ろし、ダークは軽く返事をした。
「さすがのクラーケンもダーク兄さんの前では何もできなかったみたいね」
「当然だろう、海の悪魔如きか兄貴に勝てるはずもねぇよ」
「というより、奴が動く前に若殿が倒してしまったがな」
レジーナたちは笑いながら思い思いのことを口にし、それを聞いたアリシアとノワールは三人を見ながら笑みを浮かべている。ダークも自分の力に感心するレジーナたちを見て少し気分が良くなったのか小さく笑った。
ダークたちが笑っていると、ベガンとカイルスがダークたちの近くまで歩いて来た。セイレーンも地上にいた者たち、空を飛んでいた者たちが全員二人の後ろに集まり、ダークをたちを見ている。そして、ベガンたちは皆、目を見開いて驚きの表情を浮かべていた。
「ダーク殿、貴方は本当に人間なのか? クラーケンを真っ二つにするなど、人間、いや我々亜人の英雄級でも不可能だ。それを簡単にやってしまうなんて……」
目の前で起きた出来事、ダークの異常なまでの強さが信じられず、ベガンは思っていることを素直に口にする。海賊との戦いを見ていなかったカイルスもダークがクラーケンを両断する姿を見れば、ダークがどれだけ強いのか理解できた。だからこそ、驚きを隠せずにダークを見つめている。
「私の正体については事情があって話せないと言ったはずだ。それに、私が何者であれ、これまでの私の行動から、貴公らの敵ではないということは分かるのではないか?」
僅かに低い声を出しながらダークは語り、アリシアたちも真剣な表情を浮かべながらベガンたちを見つめる。ダークの話を聞いたベガンは小さく俯きながら黙り込み、カイルスやセイレーンたちはベガンをジッと見つめていた。
「……確かに、そうだったな。失礼した」
「まぁ、あれほどの力を見れば正体や力の秘密を知りたくなるのも当然だがな」
ダークは自分の言ったことを忘れたベガンを責めることもなく、クラーケンがいた方角を見ながら呟く。そんなダークを見てベガンは意外そうな顔を見せる。
強大な力を持ちながら、傲ることも、他人を見下すこともせず、約束を忘れたことを責めたりもしない。そんな心の広いダークの姿を目にしたベガンはある思いを抱くようになる。彼がいれば、自分たちは間違いなく、平和に暮らすことができると。
俯いていたベガンはゆっくりと顔を上げる。そしてダークを真剣な顔で見つめながら口を開いた。
「ダーク殿、あの時の話の返事なのだが……」
「あの時の話?」
「貴方が新たに造る港町で我々に海魚を獲らせたいという話だ」
「ああぁ、あれか……」
ダークはセイレーンの孤島にやって来た当初の目的を思い出す。海賊とクラーケンとの戦いに集中しており、彼はセイレーンたちを仲間にするという話自体をスッカリ忘れていた。
話を思い出したダークを見たベガンは表情を変えずにゆっくりとダークの前で跪く。
「あの時の申し入れ、喜んでお受けする」
ベガンの口から出た言葉を聞いて、ダークは反応し、アリシアたちは意外そうな表情を浮かべる。
一方、カイルスたちは驚きの表情を浮かべてベガンを見ていた。当然だ、申し出を受け入れる、それはつまり、自分たちセイレーンはダークの国、ビフレスト王国の民となるということなのだから。
「ぞ、族長、本気か?」
「私たちが、人間の国の民になるなんて……」
話を聞いていたセイレーンたちは動揺するような口調でベガンに声をかけた。確かにダークたちには大きな恩がある。だが、だからと言って、いきなり人間の支配下に入ると言われれば動揺するのは当たり前だ。
ざわつき出すセイレーンたちの姿をカイルスは複雑そうな表情で見ている。すると、ベガンは立ち上がり、セイレーンたちの方を向いた。ベガンが自分たちの方を向いたことでセイレーンたちはざわつくのをやめる。
「皆が不安を感じたりするのは分かる。だが、私は今回の一件で、私たちの力には限界があることを知った。もしまた、海賊のような輩に目を付けられ、襲われてしまったら我々の力だけでは勝つことは難しい。現に今回はダーク殿たちがいたおかげで勝つことができた。もし、ダーク殿たちがいなかったら、我々は奴らに捕まって奴隷にされていたか、この島から逃げ出していただろう」
ベガンが語る事実を聞いてカイルスは真剣な表情を浮かべており、セイレーンたちはなにも言い返せず、僅かに暗い表情を浮かべている。ダークたちはベガンたちの会話を黙って聞いていた。
「ダーク殿は強大な力を持ち、寛大な心を持っている。彼は海賊どものように我々を奴隷のように扱ったりせずに我々を守ってくれる。これから先、平和に暮らしていくためにも、ダーク殿の国の民になった方がいい、私はそう思っている」
セイレーンの未来のためにもビフレスト王国の民となり、ダークの加護を受けるべきだとベガンは語る。セイレーンたちはベガンの話を聞き、ダークたちのこれまでの言動を思い返す。すると、セイレーンたちは少しずつダークを信用し、彼の国の民になってもいいかもしれないと考えるようになっていった。
「族長、僕もダーク殿の国の民になるべきだと思います」
黙って話を聞いていたカイルスもベガンと同じ気持ちであることを伝え、セイレーンたちは次の族長であるカイルスもビフレスト王国の民になることに賛成したのを見て驚く。
ベガンはカイルスの答えを聞くと小さく笑いながら彼の肩に手を置き、無言で同意してくれたことに感謝する。カイルスはベガンに笑顔を返すとゆっくりとセイレーンたちの方を向き、真剣な表情を浮かべた。
「皆、確かにセイレーンの誇りとかも大事だよ? だけど、今回のように誇りだけでは乗り越えられない困難にぶつかる時がこれからもあるかもしれない。それを乗り越えるためには、誇りにこだわらず、他人にすがることも必要なんじゃないかな?」
誇りを守るよりも、自分たちの命を守ることが重要、カイルスは力の入った声でセイレーンたちにそれを伝える。セイレーンたちはカイルスの言葉を聞いて何かを感じ取ったような反応を見せ、ベガンはカイルスの後ろ姿を見て、彼が少し成長したと感じて再び笑みを浮かべた。
セイレーンたちはベガンとカイルスの言葉を聞いて仲間同士で相談する。ダークたちはセイレーンたちがどんな答えを出すのか、気にしながら彼女たちを見守っていた。
しばらくして、話し合いを終えたセイレーンたちはベガンとカイルスの方を向き、真剣な表情で頷く。どうやら彼女たちもビフレスト王国の民になることを受け入れたようだ。ベガンとカイルスはセイレーンたちの反応を見てダークの支配下に入ることを決めたのだと知って笑みを浮かべる。そして、二人はダークの方を向いて跪いた。
「我々セイレーンは貴方の国の民となることを決意しました。貴方の計画に喜んでご協力します」
先程とは違い、敬語で話すベガンを見てアリシアたちは複雑な気分になったのか苦笑いを浮かべる。ダークは複雑そうな反応は見せず、跪くベガンとカイルスに近づいて二人を見下ろした。
「我が国の民となり、計画に協力する以上、貴公らセイレーンと、この島の安全は保障する。我が国のため、そして貴公ら自身のために力を尽くせ」
ダークの言葉にベガンたちは頭を下げ、その光景を見たアリシアたちは当初の目的が達成されたことを喜んで笑顔を浮かべた。
その後、ダークたちは海賊を倒したことを伝えるためにセイレーンの集落に戻る。そして、ベガンは集落にいたセイレーンたちにビフレスト王国の民となったことを伝えた。
話を聞いた集落のセイレーンたちは最初、自分たちの知らない所でビフレスト王国の民となったこと対して驚き、不満、動揺を見せたが、ベガンとカイルスが説得し、集落のセイレーンたちもビフレスト王国の民となることを受け入れる。ポリアとリシャーナは他のセイレーンたちのように不満などは一切見せずに受け入れた。
それからダークたちは今後のことを簡単に話し合い、話し合いが済むと海賊を倒したことを祝して宴を行った。
――――――
一ヶ月後、ビフレスト王国の王城にある執務室で、ダークは国王としての職務に励んでいた。兜を外し、机の上には大量の書類を見てダークは表情を歪ませている。
「……たく、片付けても片付けても切りがねぇ。いったい何時になったら終わるんだぁ?」
一つの仕事を終わらせてもすぐに次の仕事が入ってくる、終わりが見えない仕事量にダークは思わず愚痴をこぼす。ビフレスト王国が建国されて随分経つが、未だに国王としての苦労に慣れていなかった。
ダークが書類に目をとおしていると、執務室の扉をノックする音が聞こえ、ダークは視線を手元の書類から扉に向けた。
「誰だ?」
「私だ、アリシアだ」
「入ってくれ」
入室を許可すると扉が開き、アリシアが入ってきた。その手には書類の束が握られており、それを見たダークは目を丸くする。
「ダーク、この書類にも目をとおしておいてくれ」
「まだあるのかよぉ……」
「仕方ないだろう? 新しくできた港町や海魚の輸送について、決まってないことがまだ沢山あるんだからな」
呆れたような顔をしながらアリシアは持ってきた書類の束をダークの机の上に置く。それを見たダークは小さく溜め息をつきながら首を横に振った。
セイレーンの一件の後、ダークはすぐにカーペンアントのような拠点などを作ることができるモンスターを大量に集めて港町を造らせ、僅か十日で小さな港町を完成させた。現在、その港町には海魚を獲るセイレーンたちとビフレスト王国の民である人間、合計四十人が暮らしている。
新しくできた港町はラーンと名付けられ、そこでセイレーンたちが獲った海魚を人間たちが馬車などを使って各町や村へ輸送しているのだ。
「しかし、驚いたぞ? 本当に塩漬けなどをせずに新鮮な状態の海魚を届けてしまうんだからな」
「だから言っただろう? 大丈夫だって」
微笑むアリシアを見て、ダークも小さな笑みを浮かべた。実はダークはLMFのマジックアイテムを使って海魚の腐敗問題を解決したのだ。
ダークが使ったマジックアイテムは<フィクストボックス>と呼ばれる箱型のマジックアイテムで、この中に入れられた物は箱の外の影響を受けないため、状態を変化させずに保存することができる。LMFでは食料アイテムのような時間が経過すると変化してしまうアイテムを保存するために使われていたが、持ち主や特定の人物しか開けることができないため、防犯用としても使われていた。
フィクストボックスはNPCショップでも購入することができるため、ダークはLMFにいた頃にフィクストボックスを大量に購入しており、それをヴァレリアに渡して同じ効力のある物を大量生産させ、ラーンで海魚の保存のために使わせたのだ。
最初は遠くの町や村になんの手も加えていない海魚を届けるなんて無理だと多くの民が疑ったが、フィクストボックスの中でなんの手も施されておらず、腐敗もしていない海魚を見た民たちは驚き、あっという間に信用し、今では国中から海魚の注文が入るようになっていた。
「この世界でも似たようなマジックアイテムは開発されているが、状態を保つことができる時間がとても短いんだ。あの箱のように永遠に状態を保つことはできない」
「ああ、ヴァレリアから聞いたよ。保存できる時間が短すぎて食材とかの保存には使えないんだろう?」
「そうだ……だが、あの箱があればどんな物でも長時間状態を保つことができるから、色んな所で役に立つだろう」
アリシアは新しいマジックアイテムの活用方法を楽しそうに口にし、ダークはそんなアリシアを見て笑った。因みにヴァレリアが大量生産したフィクストボックスはオリジナルと違って永遠に状態を保つことはできないが、それでも一週間は保つことができる。
ヴァレリアはいつか、オリジナルと同じ効力を持つアイテムを完成させるために現在、魔法薬の研究をしながらフィクストボックスの開発を続けている。
「今渡した書類の中にはその箱の存在を他国に教えるかどうかを確認する書類も入っている、しっかり目をとおしておいてくれ?」
「ハイハイ、分かりましたよ……そう言えば、ラーンの町は今どうなってる?」
ダークは新しくできた港町がどうなっているのかアリシアに尋ねる。セイレーンと民である人間たちが上手くやっているのか気になるようだ。
「問題無いみたいだぞ? 最初はお互いに戸惑っていたようだが、今では普通に助け合って働いているらしい。特にポリアは町のムードメーカーとして人気者だ」
「フッ、そうか」
アリシアからラーンの町のことを聞いて、ダークはおかしそうに笑い、アリシアも同じように笑った。
セイレーンの孤島からラーンの町に移住したセイレーンは数人おり、その中にはカイルスの幼馴染であるポリアがいた。彼女は人間の国を見てみたいという理由からラーンの町へ移住し、そこで海魚を獲る仕事をしている。その明るい性格のおかげなのか、セイレーンの中で最初に国民である人間たちと仲良くなり、それがきっかけで他のセイレーンたちも人間たちと打ち解け合うことができた。
ポリアが行くのなら自分も行くとカイルスは言ったのだが、次の族長が孤島を離れるのはダメだとベガンたちに反対され、カイルスは孤島に残った。
「そう言えば、セイレーンたちの島の防衛についてはどうなっているんだ?」
「あの島にはオールドシードラゴンを置いてきた。アイツなら海賊や凶暴なモンスターが現れても簡単に倒せるはずだ」
「成る程な、確かにアイツほど島の防衛に相応しい存在はいないな」
ダークの話を聞いたアリシアは納得の表情を浮かべる。そこそこレベルの高いオールドシードラゴンならクラーケンほどの敵が現れない限り大丈夫だろうとアリシアは感じていた。
「さてと、それじゃあ残りの仕事を片付けるとしますか」
知りたかった情報を全て得たダークは仕事を再開しようとする。しかし、目の前の書類の量を見ると先が長いと感じてしまうのかダークは再び表情を歪めてしまう。
アリシアはそんなダークを見て、苦笑いを浮かべていた。
今回で第十六章は終了です。次回はまだ接触していないあの国を舞台にするつもりです。またしばらくしてから投稿します。