第百六十一話 苔色の魔蟲戦士
ヴァレリアの研究所の入口前ではロックス、マーニ、ブライアンの三人が研究所の敷地内に入る為に入口の金属門を開けようとしていた。ロックスとマーニが周囲を警戒し、トラップブレイカーを職業にしているブライアンが鍵開けを行っている。
ブライアンは金属製の細長い道具、ピッキングに使う様な物を門の鍵穴に差し込み、上下に動かして鍵を開けようとする。しばらく道具を動かしていると鍵穴から金属音が聞こえ、それを聞いたブライアンは小さく笑いながら鍵穴から道具を抜いた。
「開いたよ」
「やっとか、お前にしては随分と時間が掛かったな?」
「いやぁ、恥ずかしい。思った以上に複雑な作りだったもんでね」
意外そうな顔をするロックスを見ながらブライアンは笑顔で後頭部を掻いた。
トラップブレイカーは罠解除や鍵開けを得意とする者が修める事ができる職業で鍵開けの技術は並の盗賊やレンジャーよりも高い。そんなトラップブレイカーであるブライアンが手間取る事からロックスとマーニは研究所の鍵がかなり優れた物だと感じた。
鍵を開けるとブライアンは音を立てないよにゆっくりと門をあける。そして敷地内に誰もいない事を確認すると静かに入った。ロックスとマーニも周囲を警戒しながら敷地内へ入り、ゆっくりと門を閉める。
敷地内に入ったロックス達は姿勢を低くしながら奥へ進み、三つ並んで建てられている建物の前までやって来る。三つの建物の内、真ん中に建物は少し大きめで、左右の建物は真ん中と比べると小さめの建物だった。
「まずか此処から調べるとしよう。重要な資料などが保管されてそうな雰囲気を出しているからね」
「確かにな。それで、三つの内のどれから調べるんだ?」
「やっぱり一番大きな建物だね」
ブライアンは中央に建物を指差しながら答え、ロックスとマーニもやっぱりな、と言いたそうな反応を見せて中央の建物を見つめる。探索する場所が決まると三人は真ん中の建物に近づいて行く。
建物の入口である扉の前までやって来ると敷地内に入った時と同じようにロックスとマーニは周囲の警戒をし、ブライアンは扉の開錠を始める。扉の鍵は門よりも簡単な作りだったのか、僅か十数秒で開いた。
入口の扉を開けるとロックス達は素早く建物の中へ入って行く。中は明かりが消えて薄暗くなっており、窓から差し込む月明りだけが部屋や廊下を照らしている。ロックス達はそんな不気味なくらい静かで薄暗い廊下を姿勢を低くしながら歩き、ポーションの調合表が保管されてある部屋を探す。歩く度に床がギシギシと音が立て、三人は警戒しながら慎重に先へ進む。
廊下をしばらく進むとロックス達の視界に調合実験室と書かれた部屋が入る。ロックス達は目の前の部屋に調合表があるかもしれないと感じ、その部屋に入ってみる事にした。幸いその部屋は鍵が掛かっておらず、開錠する事無く入る事ができた。
部屋は意外と広く、部屋の中央には調合を行う為の長方形の机が三つ、、隅には道具などが仕舞ってある棚や本棚が沢山置かれてあり、机の上には試験管や魔法薬の材料と思われる薬草などが置いてあった。部屋に入ったロックス達は姿勢を戻して部屋の中を細かく見回す。
「此処が調合実験室か。此処の何処かに例の調合表があるかもしれないな」
「それじゃあ、早速手分けして探しましょう」
マーニの方を向いてロックスとブライアンは頷き、三人はすぐに棚や本棚を調べ始める。調合表があるとしたら棚や本棚に仕舞ってあるはずだからだ。
部屋に入って探索を始めてから十分が経過し、ロックスとマーニは疲れたのか休憩を取る事にした。
「見つからないな」
「もしかすると此処には無いんじゃないの?」
「かもしれないな。もう少し調べて見つからなかったら別の部屋を調べに――」
「おい、これを見てくれ」
突然ブライアンが声を出し、ロックスとマーニはフッとブライアンの方を向く。ブライアンは一番奥にある本棚の前に立っており、手には数枚の羊皮紙を持っていた。
ロックスとマーニはブライアンのところへ移動し、彼が持っている羊皮紙を覗く。そこには細かい字がビッシリと書かれてあり、その中にはポーション、調合の順番などの文字があった。
「おい、これって……」
「ああ、例の新しいポーションの調合表だ」
「えっ、本当なの?」
「ああ、調合できるポーションの名前もその効力もペティシアとマーニが買って来た物と同じ物だ。間違いない」
手に入れた羊皮紙が探していたポーションの調合表である事を確認し、ブライアンは笑いながら二人の方を向く。ロックスとマーニも探していた物を見つけた事、そして短時間で見つける事ができた事に喜びと驚きを感じていた。
「やったぜ、まさか最初の建物に保管されてたなんてな」
「初めてじゃない? こんなに早く目的の物を見つける事ができたのって」
「ああ、間違いないだろうな」
あまりにも早く見つける事ができた事にロックスとマーニは少し興奮した様子で笑いながら話している。そんな二人の隣ではブライアンが目当ての調合表を丸めており、それを自分が腰に付けてあるポーチに入れた。
「二人とも、はしゃぐのはそれぐらいにして、まずは此処から脱出する事が先だよ」
「おっと、そうだったな。騒ぐのは宿屋に戻ってからにしよう」
まだ研究所内にいる事を思い出したロックスは安心したり騒いだりするのは拠点である宿屋の戻ってからの方がいいと感じ騒ぐのをやめる。マーニもまだ任務中である事を思い出し、少し反省した様子を見せながら黙った。
調合表を手に入れた三人は部屋を調べた痕跡を消し、静かに部屋を後にする。来る時に通った道を戻り、建物の入口に来たロックス達は静かに扉を開けて建物の外に出た。
「よし、あとは研究所から出て警備のモンスター達に見つからないように宿屋に戻るだけだな」
「残念だがもう見つかってるぞ?」
突然聞こえて来た若い女の声にロックス達は一斉に反応する。驚きの表情を浮かべながら三人は声のした方角を向く。そして数m先に自分達を見つめながら横に並んで立っているジェイクとヴァレリアの姿を見つけた。
ロックス達は目の前に立つ男女をジッと見つめながら警戒する。一体いつからいたのか、こんな所で何をしているのか、色んな疑問が頭に浮かんでいるがとりあえず一番気になる事から訊いてみる事にした。
「……アンタ達、何者だ?」
「それはこっちの台詞だ。こんな真夜中に研究所に忍び込んで、お前達こそ何者だ?」
ヴァレリアは質問してきたロックスを見つめながら訊き返す。既にヴァレリアとジェイクはロックス達の正体は知っているが、何も知らないフリをして相手がどんな出方をするのか確かめようとしてるのだ。
自分達の姿を街の住民に見られてしまった、ロックスとマーニはヴァレリアとジェイクを見ながらどう対処するか必死に考える。するとブライアンが笑顔を浮かべながら一歩前に出て静かに口を開いた。
「いやぁ、失礼しました。実は僕達はこの町の活動している冒険者なんです」
焦りなどを一切見せずにブライアンは落ち着いた様子で自分達の正体を話す。流石にデカンテス帝国の特殊部隊の隊員ですとは言えないので何処にいても不自然ではない冒険者であると嘘をついた。
「ほぉ、冒険者か……それでその冒険者がこんな夜遅くに研究所内で何をしているのだ?」
ヴァレリアはブライアンが正体を明かさずに嘘をつくのを見て、これからどんな言い訳をするのか興味が湧いたのか少し驚いたフリをしながら研究所にいる理由を尋ねた。
隣に立っているジェイクは満面の笑顔を見せるブライアンを見て目を細くする。建物の中から出て来たのを見られたにもかかわらず、嘘をついて逃れようとするブライアンを見て不快な気分なっていた。
ヴァレリアの反応を見たロックスとマーニは上手く誤魔化せたのかと少し意外そうな表情を浮かべた。ブライアンもヴァレリアを見て自分の嘘に上手く引っかかったと少し余裕を感じている。
このまま誤魔化す事ができれば正体に気付かれる事無く逃げられるかもしれないと感じたブライアンはヴァレリアの質問に答える為に再び口を動かす。
「実は最近、夜中にこの研究所に何者かが忍び込んでいるらしく、研究所に入って異常が無いか調査してほしいという依頼が来たんです。それで僕達がその依頼を受け、此処にいるという訳なんです」
「ほほぉ? 冒険者ギルドに依頼が来たのか……因みにその仕事の依頼主は誰だ?」
次から次へとブライアンの口から出て来る嘘を聞いてヴァレリアは小さく笑いながら質問を続ける。今の彼女はブライアンがどんな嘘を口にするのかを楽しんでいる様にしか見えなかった。
「それをお話しする前に、こちらの質問に答えてください。貴方達は何者なのですか?」
質問に答え続けていたブライアンが今度はヴァレリアとジェイクに質問をする。ヴァレリアは笑うのをやめてブライアン達を見ながら真剣な表情を浮かべた。
「私達もお前達と同じような存在だ。最近町で奇妙な事件が起きていると聞いてな、こうして夜の街を見回っているんだ」
「そうですか、貴方達も僕達と同じような……」
ヴァレリアの答えを聞き、ブライアンは目の前にいる二人が冒険者であると考える。同時に彼等が自分達を冒険者であると信じたと確信した。これでより誤魔化しやすい状況になったとブライアンは感じる。
「さあ、私達は質問に答えたぞ。今度はそっちの番だ……お前達に依頼をしたのは誰だ?」
研究所の調査を依頼したのは者は誰なのか、ヴァレリアはブライアンに問う。ブライアンは今の状況ならヴァレリアは自分の言葉を信じると思い、最も可能性としてあり得る答えを口にする事にした。
「この研究所の責任者さんですよ。名前まではお聞きしていませんでしたが、姿からしてこの町でかなり優れた魔法使いだと思われます」
「この研究所の責任者?」
ブライアンの出た言葉にヴァレリアは聞き返す。隣にいるジェイクはブライアンの答えを聞いてあ~あ、と言いたそうな表情を浮かべる。
ヴァレリアはブライアンの答えを聞いてしばらく黙っていたが、やがてクスクスと笑いながらブライアン達を見る。その顔を見たブライアン達は僅かに警戒心を強くした。
「それ、嘘だろう?」
笑いながらヴァレリアはブライアンが言った事を嘘だと指摘する。ブライアンは嘘を見破られた事に一瞬動揺するがすぐに落ち着きを取り戻して笑顔を浮かべた。
「嘘ではありません。確かに責任者の方から依頼を受けました」
「そんな事はあり得ない。なぜから……この研究所の責任者は私なのだからな」
悪戯っぽく笑いながら呟くヴァレリアを見てブライアン達は驚きの反応を見せる。目の前にいる女が自分が忍び込んだ研究所の責任者、それが本当だとすれば自分達が冒険者である事、依頼を受けて研究所に入っていた事など、全て嘘だという事がバレてしまう。事態はブライアン達にとって最悪とも言える状況に傾いていた。
「そんなまさか、貴女こそ嘘はいけませんよ。貴女がこの研究所の責任者だなんて……」
「……もう嘘をつかなてもいい。最初はどんな言い訳をするのが興味があって気付いていないフリをしていたが、お前が自分から嘘をついていた事を証明した時点でそれも意味が無くなったからな」
「な、何を仰って……」
「そろそろ本題に入ろうか、帝国特殊作戦部隊ファゾム?」
『!!』
ヴァレリアの口から出た予想外の言葉にブライアン達は驚愕する。自分達が帝国の人間、しかも特殊部隊の隊員である事がバレているのだから無理もない。
何故バレたのか、そしていつからバレていたのか、ブライアン達はヴァレリアとジェイクを見つめながら必死に考える。だが、バーネストに来てから正体がバレるような言動はした覚えがないので全く理由が分からなかった。
「その顔、どうして自分達の正体がバレたのか不思議そうだな」
「無理もねぇさ。潜入してから僅か二日で正体がバレちまったんだからな」
ジェイクはブライアン達を同情する様な目で見つめる。ブライアン達はジェイクの言葉を聞き、二日前に潜入している事もバレていると知って更に衝撃を受けた。
「……なぜ貴方がたは僕達の正体を知っているのですか?」
ブライアンは動揺しながらも再び笑顔を作ってヴァレリアとジェイクになぜ自分達の正体を知っているのか尋ねるとジェイクは目を細くしながらブライアンを見つめる。
「教えても構わねぇが、その前に投降してもらうぜ」
「投降?」
「お前達が新しいポーションの調合表を狙ってこの研究所に忍び込んだ事は分かっている。お前達のさっきの会話からして目当ての物は手に入れられたみたいだし、投降して盗んだ物を返してもらう」
「そこまでご存知でしたか……」
ジェイクの言葉を聞き、ブライアンは笑顔のまま呟く。表情こそ笑顔だが、自分達の目的まで見抜いているジェイクにブライアンは内心驚いている。目の前にいる男女は何処まで自分達の事を知っているのか、ブライアンはそう考えながら微量の汗を流す。
正体がバレて、不法侵入や窃盗をした事まで知られてしまった以上、普通なら潔く投降するべきだが、ブライアン達は特殊部隊の隊員として情報を帝国に持ち帰ると言う使命がある。存在や目的がバレたからと言って諦める訳にはいかなかった。
「悪いが、俺達も仕事なんでね。正体に気付いたんだから投降しろ、と言われて、ハイそうですかと言うつもりは無い」
ブライアンの後ろに立っていたロックスが腰に納めてある二本の剣を抜きながら投降する事を拒否する。マーニも持っている杖を構えながらヴァレリアとジェイクを睨む。ブライアンは自分の後ろで戦闘態勢に入ったロックスとマーニを見るとやれやれ、と言いたそうに苦笑いを浮かべ、ヴァレリアとジェイクの方を向きながら腰に納めてある短剣を抜いた。
投降せずにヴァレリアとジェイクを戦おうとするブライアン達を見て二人はを哀れむ様な目でブライアン達を見つめた。
「素直に投降していればいいのによぉ……どうなっても知らねぇからな」
ジェイクは小さく俯きながら首を横に振り、ゆっくりと左手を上げた。すると、空から何かがもの凄い勢いで降って来てヴァレリアとジェイクの前に落下する。落下した時の衝撃で砂煙が舞い、ブライアン達は驚きながら武器を構えた。
砂埃が消えると、落下して来た物が次第に見えるようになってくる。ブライアン達が目を凝らすと砂埃の中にモスグリーンの体をした人型のモンスターが両手、片膝を地面に付けて丸くなっている姿があった。
モンスターが降って来た事にブライアン達は驚いて目を見開く。そんな中、モンスターはゆっくりと立ち上がって驚くブライアン達を見つめた。そのモンスターは目つきの鋭いトノサマバッタの様な顔をしており、身長はジェイクよりも頭一個分ほど高く、ガッシリとした体に太くて長い腕と足を持っており、手には人間と同じような五本指が生えている。分かりやすく言えばボディビルダーの様な体格をした昆虫人間だ。肩や腰には濃緑色の大きな棘が付いており、背中にも小さな棘が無数に生えていた。
昆虫人間の様なモンスターは目の前で構えているブライアン達を見た後、チラッと後ろを向いてヴァレリアとジェイクの方を見る。
「……コノ者達ガ侵入者ナノカ?」
「ああ、素直に投降するつもりは無いみたいだから頼むぜ? あと、捕まえるのが無理なら倒してもいいとの事だ」
「承知シタ」
ジェイクの指示を聞いたモンスターは低い声で返事をしながら頷き、再びブライアン達の方を向いた。
「おいおいおい、何なんだよあのモンスターは?」
「知らないよ、あんなの今まで見た事が無いもん」
「ただ、彼と普通に会話をしている事から、彼等の仲間で僕達の敵、という事は間違いなさそうだね」
ブライアン達はジェイクと会話をするモンスターを見ながらそれぞれ足の位置や体勢を変える。ロックスとマーニは表情を鋭くしながら剣と杖を構え、ブライアンは小さく笑いながら短剣を強く握った。
「ああぁ、それと蝗武、奴等の後ろにある建物は破壊しないようにしてくれ? あと、奴等は新しいポーションの調合表も盗んでいるはずだ、それも傷つけないように頼む」
「分カッタ」
ヴァレリアから蝗武と呼ばれたモンスターは前を向きながら返事をし、ブライアン達を見て目を黄色く光らせた。
蝗武は監視室でダークが召喚した武人魔蟲と呼ばれる昆虫族の上級モンスターである。LMFのモンスターの中でも肉弾戦を得意としており、モンクと同じように格闘で敵と戦う。攻撃力が非常に高く、戦況によっては自分よりレベルの高いプレイヤーやNPCに大ダメージを与える事ができる程だ。因みに蝗武のレベルは78で亜人の英雄級がようやく互角に戦える程の強さである。
ブライアン達は目の前に立つ未知のモンスターが見つめながらどんな攻撃を繰り出してくるか警戒する。ブライアンとロックスは横に並びながら武器を構え、魔法使いであるマーニは二人の後ろに立って杖を両手でしっかりと握った。
「さてと、どうする?」
「とりあえず、いつも通りの攻め方で行ってみよう。僕とロックスが前衛、マーニは後方から魔法で援護を頼むよ」
「うん」
蝗武に聞こえないよう三人は小声で話し合い作戦を決める。蝗武はブライアン達の邪魔をする気は無いのか黙って話し合う三人を見ていた。ヴァレリアとジェイクもこれから始まる戦闘に巻き込まれないようにする為に安全な所へ移動する。
作戦が決まると三人は持っている武器を構えて蝗武の方を向き、足位置を少しだけ動かした。それを見た蝗武も相手の準備が整ったと感じて足の位置を僅かにずらす。その直後、前衛のロックスとブライアンが動いた。
ロックスとブライアンは勢いよく走り出し、それぞれ蝗武の左右に回り込む。ロックスは蝗武から見て左から両手に持っている剣で攻撃する。それに続くようにブライアンも右から短剣で切りかかった。
「……単純ナ攻撃ダナ」
蝗武はロックスとブライアンの攻撃を見ながら低い声で呟く。知らないとはいえ、上級モンスターである自分に普通の攻撃が通じると思っている二人に少しガッカリしたようだ。
失望しながらも蝗武はロックスとブライアンの攻撃を両腕の前腕部で止める。ロックスとブライアンの攻撃は鋼鉄の様に硬い蝗武の前腕部に傷一つ付ける事ができずに簡単に弾かれ、それを見た二人は目を見開いて驚く。
攻撃が終わるとロックスとブライアンは後ろへ跳んで蝗武から距離を取る。すると今度はマーニが動き出し、持っている杖の先を蝗武に向けた。
「水の矢!」
杖の先から水の矢を放ち蝗武に攻撃する。水の矢は勢いよく蝗武に飛んで行き、彼の胴体に命中する。だがロックスとブライアンの攻撃と同様、攻撃が当たった箇所に傷は付いていなかった。
「効いていない!?」
マーニは自分の魔法をまともに受けたのに無傷の蝗武に驚く。蝗武は水の矢が当たった箇所を手で払い余裕の態度を取る。それを見たマーニは悔しそうな顔で蝗武を睨んだ。
蝗武が体を手で払っているとロックスが蝗武の背後に回り込み、右手の剣に気力を送り込む。普通に攻撃してもダメージを与えられないのなら戦技で攻めればいいと思ったようだ。
「気霊斬!」
戦技を発動させたロックスは刀が黄色く光る剣を振って蝗武の背中を攻撃した。戦技を発動させて切れ味と刀身の強度が高くなっている為、通常の攻撃よりも攻撃力は高い。ロックスはこの攻撃ならダメージは通ると思っていた。
ところが攻撃が命中した箇所には最初の攻撃と同じように傷一つ付いていない。蝗武は何事も無かったかのように振り返ってロックスを見つめる。通常の攻撃だけでなく、戦技まで通用しない事にロックスは更に驚きの反応を見せた。
「おいおい、戦技でも傷が付かないなんて、どんだけ頑丈な体してるんだよ」
「……成ル程、今ノガ戦技ト言ウモノカ」
蝗武はロックスが使った技が戦技だと知って興味のありそうな声を出す。ロックスは舌打ちをしながら再び後ろへ跳んで距離を取った。
「どうする、ブライアン? 戦技でも傷一つ付かねぇぞ?」
「……フッ、考え方が甘いねロックス? 下級戦技じゃなく中級戦技を使って一気に仕留めるぐらいで攻めないと」
そう言ってブライアンは短剣を構え直すと気力を短剣に送り込み、戦技を発動させる準備に入る。蝗武はブライアンが別の戦技を使ってくる事を知ると、その戦技を見る為に戦技発動の妨害などをする事無くブライアンの方を向いた。
蝗武が自分に視線を向けたのを見たブライアンは小さく笑い、蝗武に向かって走り出す。そして蝗武の真正面まで来るとブライアンは戦技を発動させた。
「覇獣爪斬!」
ブライアンは青く光る短剣を大きく振り下ろして蝗武に攻撃する。蝗武は頭上から迫って来る短剣を後ろに軽く跳んでかわした。
蝗武が攻撃をかわしたのを見たブライアンとロックスは意外そうな表情を浮かべる。これまで低級戦技は受けて来たのに中級戦技は回避した、その光景を見て二人は中級以上の戦技なら蝗武にダメージを与える事ができると感じたのだ。
攻撃を回避した蝗武はブライアンから少し離れた所で彼を見つめる。ブライアンも笑みを浮かべながら蝗武を見ていた。
「今の貴方の行動で中級戦技ならダメージを与える事ができるという事が証明されました。これからは中級以上の戦技や魔法でどんどん攻撃していきます。貴方が負けるのも時間の問題ですね」
勝利を確信したブライアンは満面の笑みを浮かべ、ロックスとマーニの顔にも少しだけ余裕が出て来た。最初は攻撃が通用しないと思って焦ったが、蝗武が中級戦技をかわした事で自分達が勝つと思っているようだ。
蝗武は目だけを動かしたブライアン達の立ち位置を確認すると正面に立っているブライアンに視線を戻して口を動かした。
「コノ世界ノ技ヤ魔法ガドンナモノナノカ興味ガアッテ少々遊ンデイタガ、モウ充分見セテモライ満足シタ……ソウイウ訳デ、ソロソロコチラモ攻撃サセテモラウ。アマリ時間ヲ掛ケルトダーク様ヤヴァレリア殿トジェイク殿ニ迷惑ガ掛カルカラナ」
蝗武は足の位置をずらし、空手の中段構えの様な体勢に入る。蝗武が構える姿を見てブライアン達も素早く構え直した。
「ようやくアイツも攻撃する気になったか。ブライアンの中級戦技を見て攻めないとマズいと感じたみたいだな」
「フッ、らしいね。僕としてもそろそろ攻撃してもらいたいなと思っていたところさ。このまま僕達だけが攻撃していたら弱い者いじめをしているみたいだからね」
「油断しちゃダメだよ、二人とも? まだ敵がどんな攻撃をして来るかとは分かってないんだから」
余裕を見せるロックスとブライアンを見てマーニは杖を構えながら忠告した。ブライアンはそんなマーニの方を向き、小さく笑いながら大丈夫、と目で伝える。マーニはブライアンの顔を見て絶対に油断していると思った。
蝗武はマーニの方を向いて余裕を見せるブライアンを見て周りに聞こえないくらい小さく鼻で笑う。その直後、蝗武は地を蹴り、一瞬にしてブライアンの目の前まで近づいた。
ブライアンはいつの間にか目の前まで来ている蝗武を見て驚愕の表情を浮かべており、ロックスとマーニも蝗武のもの凄い速さに目を見開いている。蝗武の移動速度が自分達が予想していた以上だった事を知り三人の表情は固まった。
蝗武は目の前で驚いているブライアンの額にデコピンを打ち込む。するとブライアンはまるで大型モンスターの攻撃を受けたかの様に後ろへ吹き飛び、地面で背中を擦りながら数m先で止まった。ロックスとマーニはブライアンが吹き飛ばされる光景を目し、何が起きたのか理解できずにいる。それはブライアンも同じだった。
「な、何が起きたんだ……」
ブライアンは背中と額の痛みに耐えながら起き上がり、離れた所で自分を見ている蝗武に視線を向けた。すると額から何かが垂れる様な感覚がし、ブライアンは不思議に思いながら額に手を当てる。手には血が付いており、蝗武にデコピンをされた箇所から流れていた。
「血? この僕が、血を流した……?」
自分の身に起きた事が信じられないのかブライアンは僅かに声を震わせながら呟く。ブライアンはしばらく手に付いた血を見つめていたが、やがて血の付いた手を強く握り、ゆっくりと立ち上がる。
「……よ、よくもやりやがったなぁ! 俺の血を流させやがってぇ!」
ブライアンは怒りに満ちた顔で蝗武を睨み付けながら怒鳴り声を上げた。先程と全く態度が違うブライアンを見てロックスとマーニは少し驚いた表情を見せている。長い事、共に任務を熟していたが今のようなブライアンは二人も始めて見た。
離れた所ではヴァレリアとジェイクが戦いを見守っており、ジェイクもブライアンの変わりようにまばたきをしている。
「何だアイツ? いきなりブチキレやがったぞ」
「あれがアイツの本性だろう。本性を隠す為に礼儀正しいお人好しを演じていたんだ。ああいう人間は自分の身に不都合な事が起きると取り乱して本性を露わにするものだ」
最初からブライアンの本性を見抜いていたのかヴァレリアは驚く事無く腕を組みながらブライアンを見つめている。ジェイクはそんなヴァレリアを見てへぇ~、と意外そうな顔をしていた。
ヴァレリアとジェイクが見物している中、ブライアンは自分の傷を負わせた蝗武を険しい顔で睨み付けている。一方で蝗武は興奮するブライアンを興味の無さそうな態度で見ていた。
「俺に傷を負わせたんだ、楽に死ねると思うなよぉ!」
「お、おいブライアン、少し落ち着けよ。戦闘中にキレるなんてお前らしくもない……」
「うるせぇ! お前は黙ってろ、コイツは俺がぶっ倒す。手ぇ出すんじゃねぇぞ!」
完全に冷静さを失ったブライアンは仲間であるロックスの制止も聞かずに短剣を構えて蝗武に突っ込んでいく。蝗武は猪の様に自分に向かってくるブライアンを哀れに思いながら見ている。
蝗武の目の前まで近づくとブライアンは短剣に気力を送り込んで刀身を青く光らせた。
「風神四連斬!」
中級戦技を発動させたブライアンは蝗武に四回連続で蝗武の頭部や胴体に切りかかった。中級戦技なので攻撃した瞬間、ブライアンは蝗武にダメージを与えたと確信する。
ところが切った箇所には掠り傷一つ付いておらず蝗武は無傷の状態だった。中級戦技なのにダメージを与えられていない、ブライアンの表情が怒りから驚きへと変わる。そんなブライアンの首を蝗武は鷲掴みにして持ち上げた。
「な、何で傷ついてねぇんだ……中級戦技を使ったのに……」
「……オ前ハ勘違イヲシテイル。我ニハ低級ダケデハナク、中級ノ戦技モ通用シナイ。オ前ノ最初ノ戦技ヲカワシタノハ中級戦技ナラ我ニ傷ヲ負ワセル事ガデキルトオ前達ニ思イ込マセル為ダ」
「お、俺達に攻撃をさせる為に……わざと避けたって言うのか? 本当は全く効かないのに……」
最初に覇獣爪斬をかわしたのもダメージを負わせる方法があるとブライアン達に思い込ませ、攻撃を誘う為の蝗武の罠だったと聞かされてブライアンは驚く。同時に中級戦技でもダメージを与える事ができない事を知って大きな衝撃を受けた。
「ソレニシテモ、傷ヲ負ワサレタグライデ冷静サヲ失イ、考エモ無シニ突ッ込ンデ来ルトハ……」
ブライアンの愚行に蝗武はガッカリした様な口調で語り、首を掴んでいない方の手で握り拳を作る。それを見たブライアンは蝗武がパンチを打ち込もうとしている事に気付き、殴られる前に離れようとするが蝗武の首を掴む力が異常なまでに強く逃げる事ができない。
「は、離せぇ……」
「オ前ハ戦士トシテ失格ダ」
そう言いながら蝗武はブライアンの顔に向けてパンチを打ち込んだ。蝗武の拳がブライアンの顔に触れた瞬間、ブライアンの頭部は水風船が破裂したかの様に粉砕され、地面に血が広がる。一撃でブライアンの頭部を粉砕した蝗武の攻撃にロックスとマーニは驚愕の表情を浮かべた。
頭部を失い、糸の切れた操り人形の様に両手両足をダランと下がるブライアンの体、蝗武はブライアンの体をしばらく見つめると興味が無くなったかのように死体を投げ捨てる。死体が地面に落ちると、それと同時に蝗武はもの凄い速さでロックスの目の前まで移動した。
目にも止まらぬ速さで自分の前まで来た蝗武にロックスは目を見開きながら驚いた。だがすぐに迎撃しなくてはいけないと考え、持っている剣に気力を送り込む。
「き、気霊ざ――」
「遅イ」
ロックスが戦技を発動させるよりも先に蝗武はロックスに貫手を放ちロックスの左胸を貫いた。心臓を貫かれたロックスは吐血し、両手に持っている剣を二本とも落とす。蝗武はロックスの胸から手を引き抜き、手が抜けるのと同時にロックスは倒れる。その後ロックスはピクリとも動かなかった。
二人目の敵を倒した蝗武は残ったマーニの方を向く。仲間があっという間に二人も倒された光景を見たマーニは杖を握りながら青ざめている。いくら特殊部隊ファゾムの隊員であっても、一瞬にして二人の仲間が殺されるのを目にすれば青ざめてもおかしくない。
蝗武はマーニを見つめながらロックスの血の付いた貫手を自分の顔の前まで持って来る。その光景を見たマーニは慌てて杖の先を蝗武に向けた。
「ウォ、水撃の矢!」
戦わないと殺される、そう思いながらマーニは中級魔法を発動させた。杖の先から大きめの水の矢が放たれて蝗武に向かって飛んで行く。蝗武は飛んで来た水の矢を片手で簡単に払い落し、その光景を見たマーニは驚きのあまり固まる。そんなマーニに蝗武は一気に距離を詰め、マーニに向かって手刀を放つ。蝗武の手刀はマーニの体に本物の刃物で切った様な切傷を生み出し、そこから大量の血が噴き出た。
「かはっ! う、嘘……」
素手で体を切り裂かれた事が信じられないマーニは吐血しながらゆっくりと前に倒れ、二度と動く事はなかった。
「愚カナ、攻撃ナドセズニ投降シテイレバ生キ残レタモノヲ……」
倒れているマーニを見下ろしながら蝗武は哀れむ様な口調で呟く。蝗武は倒れる死体に背を向けると戦いを見物していたヴァレリアとジェイクの下へ向かう。二人も戦いが終わったのを確認すると蝗武の下へ歩き出した。