第百三話 新しい日常
いつもと何も変わらないセルメティア王国の正午。雲が殆どない青空を小さな鳥達が心地良い鳴き声を上げながら飛んでおり、その鳴き声は平和そのものを表していた。
青空の下にはセルメティア王国とエルギス教国の国境に最も近く、最も大きな町であるバーネストの町が広がっている。嘗てエルギス教国との戦争で侵攻して来るエルギス教国軍を迎え撃つ為の防衛拠点として使われ、防衛線を突破された後には敵の侵攻拠点として利用された。当時、占領されたセルメティア王国の町の中で最も被害が大きかった町だ。今でも町を囲む防壁の一部や民家の壁に穴が開いていたりなど戦争でできた爪痕が残っていた。
しかし、町の住民達が暗い顔を一切見せずに働きながら修繕作業を行っている。住民達の中にも戦争で家族を殺されてあり、財産を奪われたりした者達が大勢いた。だが彼等はその苦しみや悲しみを押し殺し、前を向いて生きている。住民達も少しでも早く昔の生活に戻れるように努力していた。
バーネストの町の中心にある町長の屋敷の一室では全身甲冑姿のダークが大きめの机の前に座っている姿があった。フルフェイスの兜を外して机の隅に置き、羊皮紙に羽ペンで何かを書いている。
羊皮紙の近くには山積みにされている大量の銅貨、銀貨、金貨があり、ダークはチラチラと目の前にある硬貨を見ると羊皮紙の上で羽ペンを走らせた。
「……え~っと、こっちが町の修繕作業の資金で、こっちが騎士団の武器や防具を整える為の分だろう。あとは……」
ダークは複雑そうな表情を浮かべながら山積みにされている硬貨を分け、その後に羊皮紙に数字や数式をカリカリと音を立てながら書いて計算する。羊皮紙に書かれてある数字はこの世界の物ではなくダークが住んでいた現実の世界の物だ。
「……ダメだ、何度計算しても残りの金が少なくなる。もう少し節約する方法がないもんかねぇ……あっ! モニカさんに渡す食費なんかも計算に入れないといけなかった」
重要な事を思い出したダークは目を見開きながら顔を上げて再び数式を書き計算を始める。計算が終わり、出た数字を見たダークは目を丸くした。
「……だぁ~っ! 余計に酷くなったぁ!」
抑え込んでいた何かに限界が来たのかダークは声を上げて持っていた羽ペンをインク瓶に刺す。ダークは不機嫌そうな顔で立ち上がり、後ろにある窓から外を眺める。しばらく外を見ていると落ち着いたのか表情が少しだけ和らぎ、疲れた様な表情で溜め息をついた。
「国から出される金だけを使うとやっぱりどうやっても苦しい結果になるな。やっぱ冒険者の依頼で得た報酬の金やマクルダム陛下から貰った金を使うしかねぇ……」
ダークは外で仕事をしている町の住民や町を巡回している兵士達を見ながら呟く。すると、出入口の扉をノックする音が聞こえ、ダークはゆっくりと扉の方を向いた。
「誰だ?」
「私だ、アリシアだ」
「入ってくれ」
部屋の外から聞こえて来たアリシアの声を聞いたダークは入室を許可する。扉が開き、異端審問官の一件の時と同じ格好をしたアリシアがゆっくりと部屋に入って来た。
アリシアは静かに扉を閉めてダークの方へ歩いて行き、机の前で立ち止まるとダークの顔を見て不思議そうにまばたきをする。
「どうしたんだ? さっき部屋の前に来たら中から大きな声が聞こえたが……」
「ああぁ、聞かれてたか……それだよ」
苦笑いを浮かべるダークは顎で机の上に山積みにされている硬貨を指す。硬貨を見たアリシアは成る程、という様な納得した反応を見せる。
「資金の振り分けが上手くいっていないのか?」
「ああ、国から出された金だけじゃどう計算しても苦しくなっちまう」
再び窓の方を向いてダークは深く溜め息をついた。アリシアは机の上の羊皮紙を手に取り、ダークが書いた数字や数式を見る。勿論、この世界の住人であるアリシアにはダークが書いた数式の意味など分からず、羊皮紙を見ながら目を丸くしていた。
そんな時、再び出入口の扉をノックする男が聞こえ、ダークとアリシアは扉の方を向いた。
「マスター、ただいま戻りました」
「ノワールか、入れ」
ノワールがやって来たのを知ったダークは部屋に入るよう伝える。扉がゆっくりと開いて少年の姿をしたノワールが部屋に入って来た。その後ろにはレジーナとジェイク、マティーリアの姿もあり、三人もノワールに続いて部屋へ入る。
マティーリアの格好は調和騎士団から支給された銀色のハーフアーマーを装備し、白い長袖と紺色のスカートの姿をしている。そして漆黒の刀剣ジャバウォックを肩に担いでいた。アリシアと同じで異端審問官の件の時と装備は変わってない。だがレジーナとジェイクは以前と装備が変わっていた。
レジーナは緑の長袖に飴色のショートパンツ、そして青い装飾が施された白い鎧を装備している。ジェイクは金色の装飾が施された黒い鎧を身に付け、同じような黒いガントレットを両腕に装備しており、茶色の長ズボンを履いているという格好だ。二人が身に付けている防具はどちらもエルギス教国との戦争後にダークから貰った物である。ただ、防具は変わっているが武器はエメラルドダガーとスレッジロックのままだった。
「お前達も一緒だったのか?」
「ああ、レジーナと町の見回りをしていた時に偶然ノワールと会ってな。兄貴に何の問題も無いって事を伝える為に一緒に来たんだよ」
アリシアの質問にジェイクがニッと笑いながら答えた。
「それで、その途中で町をブラブラしていたマティーリアと会ってこうして一緒に来たってわけ」
「ブラブラとは失礼な、妾はちゃんと町の見回りをしておったんじゃぞ」
ジェイクの隣でレジーナが笑いながらマティーリアが一緒にいる理由を話し、マティーリアはレジーナの説明の内容が気に入らず否定する。そんなマティーリアを見たレジーナはマティーリアを小馬鹿にする様に鼻で笑う。二人の姿を見てダーク達は心の中で毎日のように喧嘩して飽きないな、と呆れ果てるのだった。
「ハァ、それにしても、町長の仕事も結構大変なんだな……」
レジーナ達の姿を見ていたダークは溜め息をつきながら疲れた様な口調で呟く。ダークの言葉を聞いたアリシア達は一斉にダークに視線を向けた。
実はダークがバーネストの町にいるのはマクルダムに頼まれた町長を務める事になったからなのだ。エルギス教国との戦争でバーネストの町の町長は死んでしまい、町を管理する者がおらず、町の修繕作業なども滞ってしまっていた。そこでマクルダムは爵位を手に入れて貴族となったダークにバーネストの町の町長になってほしいと頼み、ダークはそれを受け入れたのだ。
「こんなに苦労する仕事だとは思わなかったからビックリしたぜ」
「ビックリしたのはあたし達よ。旅行から帰って来たらいきなりバーネストへ移住するなんて言い出したんだもの」
「そうだぜ。それでその後に俺達にいきなり『お前達はどうする?』なんて訊いて来るんだから余計に驚いたぜ」
レジーナとジェイクは呆れ顔で話を聞かされた時の事を思い出しながらダークに話す。アリシアはそんな二人を見て小さく苦笑いを浮かべていた。
二人はダークからバーネストの町へ移住すると聞かされた時にお前達はどうすると尋ねられる。それはお前達は首都に残るか、それとも自分と一緒にバーネストの町へ来るか、という質問だった。
質問の意味を理解したレジーナとジェイクはすぐに家族と長い時間を掛けて相談した。住み慣れた首都から離れていきなり遠くの町へ移住する事にレジーナとジェイク、二人の家族はかなり悩んだようだ。
「確かに俺はお前達にどうする、と訊いたけど、その後にちゃんとついて来るか残るかはお前達の自由だって言ったぜ? 屋敷もお前達で好きに使ってもいいって言ったんだ。それでもお前達は俺と一緒に来る事を選んだんじゃねぇか」
「それはそうだけど……」
「……兄貴は俺達の人生を救ってくれた恩人だからついて行って手伝いをするのが当然だと思って俺もレジーナも兄貴について行く事にした訳だし、今更首都に戻りたいなんて言わねぇよ。モニカとアイリも兄貴と一緒にいたいって言ってたしな」
「ダンとレニーも似たようなこと言ってたわ。それにあの子達、首都では友達とか少なかったみたいだし、首都を出る事をそんなに嫌がってなかったわ」
レジーナとジェイクは首都に残らずにダークについて来た理由を話す。ダークは二人からついて行くという答えを聞いた時にちゃんとその理由も聞いている。恩人である自分の為について行く、ダークと一緒にいたからついて行く、それを聞いたダークはレジーナとジェイク、そして二人の家族は本当に恩義を忘れない人達だと思ったのだ。
「俺について来てくれた事には本当に感謝しているよ。だから俺も俺の為について来てくれたお前達をこれからも全力で手助けするつもりだ」
「兄貴……ワリィな」
「ハハハ、恩返しをする為について来たのに手助けしてもらうなんて、何だが複雑な気持ちね」
嬉しそうに小さく笑うジェイクと苦笑いを浮かべるレジーナ。ダークは二人を見て腕を組みながら笑い、ノワールもレジーナとジェイクを見て微笑みを浮かべている。
レジーナとジェイクの話を聞いていたアリシアも小さく笑って二人を見ている。アリシアがバーネストの町にいる理由もレジーナとジェイクと似たような理由なのだが、彼女の場合は少し違う。アリシアがバーネストの町にいるのはダークが連れて行きたいと言ったからなのだ。
――――――
時は遡り、一週間前。異端審問官の一件が解決した後、ダークとアリシアはマクルダムに王城へ呼び出された。理由は教会の管理をするドナルド・シャトロームをちゃんと監視できずに二人を異端者にしてしまい、危険な目に合わせた事への謝罪の為だ。
王城の謁見の間には玉座に座るマクルダムとその両脇に立っている王女コレット、マーディングとザムザスの姿があった。玉座の前にはダークとアリシアが並んで立っており、ダークの肩には子竜の姿をしたノワールが乗っている。そして部屋の隅には数人の衛兵が槍を持って控えていた。
「ダーク、アリシア・ファンリード、よく来てくれた」
「いえ、陛下に呼ばれれば私達はすぐにでもやってまいります」
「フフフ、流石はセルメティアの英雄達じゃの?」
玉座の隣に立っていたコレットが笑いながらダークに話しかける。そんなコレットを見てダークは無言で小さく頭を下げた。
コレットが笑っているとマクルダムがコレットの方を向き、静かにしろと目で注意をする。それを見てコレットはシュンとしながら目を閉じた。コレットが黙るとマクルダムはダークとアリシアの方を向き、改めて話を始める。
「今回の異端審問官の件ではお主達に迷惑を掛けてしまった。すまなかったな」
マクルダムは国王としてシャトロームの計画を止める事ができなかった事を詫び、ダークとアリシアに頭を下げる。その姿を見てアリシアやマーディング、ザムザスや謁見の間にいる衛兵達は目を見開く。
「へ、陛下、頭をお上げください! 私とダークはこの通り無事だったのですから」
「それに私達が襲われたのはシャトロームが原因です。陛下が頭を下げて謝罪する必要はありません」
「……お主達は寛大なのだな」
自分を一切責めないダークとアリシアの心の広さにマクルダムは感服する。ゆっくりと頭を上げて目の前に立っている黒騎士と聖騎士を見つめながらマクルダムはダークとアリシアは本当に素晴らしい騎士だと感じた。
「しかし、例え原因がシャトロームにあったとしても、私がそれを止められなかったのも事実。何か償いをさせてほしい」
「そんな、別に私達は……」
「いや、そうでもしないと私が納得できんのだ。それに国を救った英雄達を異端者にさせておいて何も償わずに話を終わらせてはいい笑い者になってしまう」
アリシアは償いをしたいというマクルダムを見て困り顔を浮かべる。ダークもマクルダムにも王族としてのプライドがある為、何かをして埋め合わせをしたいのだろうと感じ、しばらくマクルダムを黙って見つめていた。やがてダークは真剣な顔をしているマクルダムを見て静かに声を出す。
「……分かりました。では、私とアリシアが陛下の力を必要とした時に陛下は無条件で力をお貸しする、という事でいかがでしょう?」
「ウム、それで構わない」
ダークの出した提案にマクルダムが納得してくれたのを見たアリシアはフゥ、と小さく息を吐く。マーディングとザムザスも大事になる事無く話が済んだのを見て安心の様子を見せる。
償いの話が終わると玉座の間の空気が少しだけ和らいだ。マーディングやザムザス、衛兵達はダークとアリシアが今回の一件でシャトロームの計画を止められなかったマクルダムに対して怒りを感じているのではと不安になっていた。しかし二人はマクルダムを責める事なく責任は無いとまで言う。マーディングとザムザスはマクルダムに怒りをぶつけなかったダークとアリシアに心の中で感謝した。
「陛下、謝罪の話が終わりましたのなら、次のお話を始めたいのですがよろしいでしょうか?」
マーディングがマクルダムに話題を変えていいか尋ね、マーディングの問いを聞いたマクルダムはマーディングの方を向いて頷く。
ダークとアリシアは謝罪の話が終わってすぐに別の話を始めようとするマーディングを見て不思議そうな反応を見せる。するとマーディングはダークとアリシアの方を向き、真剣な顔で口を開いた。
「実は今回お二人をお呼びしたのはシャトローム卿の一件の謝罪以外にもう一つ重要なお話があるからなのです」
「もう一つ重要な話、ですか?」
アリシアが尋ねるとマーディングはアリシアの方を向いて小さく頷く。するとマーディングは視線をアリシアからダークに向けて彼を見つめた。
「ダーク殿、貴方にバーネストの町の町長となり、町の管理をお願いしたいのです」
「町の管理?」
マーディングの口から予想外の言葉が出てダークは少し驚いた声を出す。隣に立っていたアリシアは驚きの表情を浮かべながらダークを見た。冒険者のダークが一つの町の管理を任されるとは想像もしていなかったのだろう。
驚くアリシアの顔を見てコレットはクスクスと笑う。ザムザスもアリシアの反応が面白かったのは長い白髭を整えながら笑っている。マーディングはアリシアを見ても殆ど表情を変えず、真剣な顔のまま話を続けた。
「ダーク殿、貴方はエルギス教国との戦いでこの国を勝利へ導きました。その功績から貴方には子爵の称号が与えられ、貴方は貴族となった。我々はそんな貴方にバーネストの町の管理をお任せしようと考えたのです。ダーク殿、引き受けてくれませんか?」
ダークのこれまでの功績とセルメティア王国への忠誠心を考え、マクルダム達はダークの一つの町の管理を任せてもいいのではと話し合い、ダークにバーネストの町の町長を頼んでみようという結果になったのだ。
普通の貴族なら町一つの管理を任されると言われれば光栄に思い、喜んで引き受けるだろう。しかしダークは違う世界から来た上に数日前に少し前に貴族になったばかりでどう反応したらいいのかピンと来なかった。
「……幾つか質問してもよろしいでしょうか?」
「どうぞ」
「まず一つ、どうして貴族になったばかりの私が町長を?」
「先程もお話ししたように、我々はダーク殿を高く評価しております。貴方なら町の住民達を守り、不自由無く生活させられる事ができると私達は判断しました」
「しかし、私には町の管理など経験はありませんし、町長の様な役職に就いた事はありません」
「その点でしたら安心してください。優秀な補佐をつけるつもりですのでその者から仕事内容を詳しく聞いてください」
マーディングの説明を聞いたダークは兜の下で難しそうな表情を浮かべていた。
「……もう一ついいですか?」
「ハイ」
「どうしてバーネストの町なのです?」
ダークの質問を聞いたマーディングは目元をピクリと動かす。マクルダムやザムザスもダークとアリシアの方を向いて真剣な表情を見せる。
「……お二人もご存知の通り、バーネストの町はエルギス教国との戦争でエルギス教国軍が侵攻して来た時には彼等を迎え撃つ防衛拠点となり、エルギス教国軍が国内に侵入してきた時は彼等の侵攻拠点となりました。あの町は戦争で最も被害が大きかった町です。バーネストの町長はエルギス教国軍が攻め込んできた時に処刑され、現在あの町には町長がいないのです。町の住民達を安心させ、町の修繕作業を効率よく進める為にも町長が必要なのです」
「この国をエルギス教国から守った英雄が町長となれば住民達の活力も高まり、彼等も安心して暮らす事ができる。それもお主を町長に選んだ理由の一つなのだ」
「成る程……」
マーディングとマクルダムの説明を聞いたダークは納得する。アリシアもダークが町長に選ばれた他の理由を聞いて納得の表情を浮かべていた。
(……陛下とマーディングさんはああ言ってるが、他にも何か別の理由がありそうだな)
心の中でマクルダム達は他にも狙いがあると感じるダークはマクルダムとマーディングをジッと見つめる。隣にいるアリシアは黙り込むダークを見ながらまばたきをしていた。
「それでダーク殿、バーネストの町長になるという件、引き受けてくださるのでしょうか?」
マーディングは黙っているダークに町長になってくれるのか尋ねる。ダークはすぐには答えず、しばらく間を空けて考える様な素振りを見せた。
既にダークは引き受けると断るかを決めていたのだが、アッサリと答えを出して考え方が甘いなどとマクルダム達に思われないようにする為に少し悩んでいるフリをしているのだ。やがてダークは答えが出た様な素振りをしながら顔を上げてマクルダムとマーディングの方を向く。
「……分かりました、お引き受けします」
「おおぉ、ありがとうございます」
ダークがバーネストの町の町長になる事を引き受けた事にマーディングは笑みを浮かべて感謝する。マクルダム達も小さく笑ってダークを見ていた。
これからこの世界で上手く生きていく為にも町長の様な人の上に立つ者の仕事を経験しておいた方がいいとダークは考え、町長の仕事を引き受ける事にしたのだ。
「その代わり、一つ条件がございます」
「条件? 何でしょうか?」
マーディング達はダークの言葉を聞き、一斉にダークに注目する。ダークには迷惑を掛けた上に町長になる事を頼んだので、ある程度の条件なら許可しようとマクルダムやマーディングは考えていた。
アリシアもダークがどんな条件を出すのか気になっている様子だった。するとダークはマクルダム達の方を向きながら隣に立っているアリシアを親指で指す。自分を指で指すダークにアリシアは意味が分からずにまばたきをした。
「彼女、アリシア・ファンリードとその家族をバーネストの町へ連れて行く事を許可してほしいのです」
「……はあぁ?」
しばらく黙っていた後にダークの言葉の意味を理解したアリシアは目を見開きながら驚く。マクルダム達も予想していた条件とは全く違う条件を出したダークに驚いていた。
バーネストの町の町長になるという事はダークは首都であるアルメニスからバーネストの町へ移り住むという事だ。アリシアと彼女の家族を連れて行くという事はアリシア達もバーネストに移り住む事になる。それに気づいていたからアリシアはダークの言葉を聞いて驚いたのだ。
「ちょ、ちょっと待ってくれ、ダーク! どういう事だ?」
「落ち着け、今から説明する」
取り乱すアリシアをダークは冷静に落ち着かせる。アリシアはダークに言葉でとりあえず落ち着きを取り戻した。そしてマクルダム達が見ている事を思い出し、王族達の前で見っともない姿を見せた事を恥ずかしく思い顔を赤くする。
アリシアが落ち着いたのを確認したダークはマクルダム達の方を向く。するとマクルダムが髭を整えながらダークに話しかけた。
「……ダークよ、ファンリードを連れて行くという事だが、一応理由を聞いてもよいか?」
「彼女が私の信頼できる仲間だからです」
ダークの口から出た単純な理由を聞き、マクルダムとマーディングは意外そうな顔をする。確かにアリシアはダークがセルメティア王国にやって来てからずっと行動を共にし、エルギス教国との戦争の時もダークと共にセルメティア王国を勝利へと導いた。その点から考えればダークがアリシアを強く信頼し、彼女と共にいる事を望んでいるのも分かる。
「ファンリードの家族を連れて行く事も信頼している仲間の家族だからなのか?」
「ハイ」
マクルダムはダークの答えを聞くと玉座に座りながらジッとダークを見つめており、しばらく黙り込んでからチラッとダークの隣で呆然と彼を見ているアリシアに視線を向けた。
「……ファンリード、お主はどう思う?」
「え?」
「ダークはお主とお主の家族をバーネストへ連れて行きたいと言っておる。もしダークと共に行く場合はお主達にはバーネストの町へ移り住んでもらう事になるが、どうだ?」
「え、え~っと……」
アリシア本人の意思が気になり、マクルダムは真剣な顔でアリシアに尋ねる。アリシアを連れて行く事を許可するにしてもまずはアリシアの考えを聞いておかなければならない。
いきなり質問されたアリシアは再び動揺をする。そんなアリシアを見てまだ彼女の中で決心がついていないと感じたマクルダムは小さく息を吐く。
「どうやらすぐには答えが出せぬようだな……では、今日一日ゆっくりと考えてから答えを聞かせてほしい。お主が首都に残るか、バーネストへ向かうのかを……」
「ハ、ハイ……」
「ダークよ、先に言っておくがもしファンリードが首都に残りたいと言った場合はファンリードの意思を優先する。その時は諦めてもらう事になるぞ? 私も行きたくない者に行けなどと命令したくないのでな」
「ええ、承知しております。私もアリシアを無理に連れて行く気はありません」
「ウム。では明日、改めてファンリードの答えを聞く事にする……下がってくれ」
マクルダムから退室するよう言われ、ダークとアリシアは一礼して玉座の間を後にする。マクルダム達は退室するダーク達の姿を黙って見ていた。
廊下に出るとダークは誰もいない静かな廊下の真ん中を歩いて王城の出口へ向かっていた。その隣をアリシアが複雑そうな表情を浮かべながら歩いてダークを見ている。
「ダーク、どういう事だ? どうして私とお母様達をバーネストの町へ連れて行くなんて……」
「……理由は二つだ。一つはさっきも言ったように君が私の信頼できる仲間で協力者だからだ」
「それは分かっているが……」
「もう一つは君と君の家族を守る為だ」
「え?」
アリシアの家族を守る為とダークが言い、それを聞いたアリシアは驚いて思わず声を出す。
「どういう事だ、それは?」
「今回のシャトロームの一件で強大な力を持つ私と君を異端者の様な危険な存在と見て命を狙る者がいる事が分かった。この首都にはまだシャトロームの様に私達を危険な存在だと見ている貴族や冒険者も少なからずいるはずだ」
「た、確かに……」
「そんな連中がまたいつ私と君を襲って来るか分からない。とは言っても私や君、ノワール達なら例え襲われたとしても問題無く蹴散らす事ができるだろう。だが、周りの人達はどうだ? 私達の身近にいる者達も異端者、犯罪者の仲間として命を狙われるような事になったら大変だろう」
ダークが話す真剣な話の内容にアリシアも表情を鋭くして息を飲む。確かにシャトロームの件では彼が送り込んだ異端審問官達はダークとアリシアだけでなく、アリシアの母親であるミリナや屋敷に仕えている者達も排除対象としていた。
もしまた自分が狙われたらまたミリナ達にも危険が及ぶ可能性が出てくる。それを考えたアリシアは微量の汗を流した。
「私はそんな輩から君の家族を守る為に君をバーネストの町へ連れて行く事を条件に出したんだ。君と一緒にバーネストの町へ行けば危険が及ぶ可能性も少しは低くなるだろうからな」
「成る程」
「それに、一緒に連れていく理由は他にもある」
「……私一人をバーネストの町へ連れて行けば私はこの首都にいるお母様達と滅多に会えなくなる。貴方は私とお母様達を守るのと同時に私達に寂しい思いをさせない為にお母様達もバーネストの町へ連れて行くと言ったのか?」
「察しがいいな。その通りだ」
自分の目的に気付いたアリシアにダークは嬉しそうな声を出す。アリシアは自分の家族を守る為だけでなく、自分とミリナがいつでも会えるよう気遣って条件を出てくれた事を心の中で感謝していた。
「だが、陛下も仰ったようについて行くか残るかは君達が決める事だ。君達が首都に残りたいというのなら私は無理に連れて行く気は無い……アリシア、君はどうしたいんだ?」
ダークはアリシアと向かい合って本心を尋ねる。アリシアは自分を見つめるダークの顔を見ると小さく俯く。そしてしばらく俯いた後に静かに口を動かした。
「……ダーク、私は貴方と一緒に行ってもいいと思っている。だが、やはり一度お母様達と相談をしてから答えを出したい」
「……そうか。なら、屋敷に戻ってミリナさん達とゆっくり相談しろ」
「ああ、そうさせてもらう」
アリシアが静かに返事をして二人の会話は終わり、ダークとアリシアは再び廊下を歩きだして王城の出入口へ向かった。
廊下を歩いている間、アリシアはダークと会話した時の事を考えていた。ダークと共にバーネストの町へ行ってもいいと言ったのは自分がダークの協力者であり、仲間であり、ダークが自分の家族の事を考え、その優しさを無下にしたくないからだ。ただ、アリシアがついて行くと言った理由はそれ以外にもあった。ダークと一緒にいたい、その理由でついて行く事を決意したのだが、なぜ自分がそんな事を考えたのかアリシア自身、分からなかったのだ。
王城を出るとアリシアはその足で真っ直ぐ屋敷へ戻り、マティーリアやミリナ達にダークと共にバーネストの町へ移住しないかと相談を持ち掛ける。突然の相談にミリナ達は混乱していたが、アリシアが一から順に説明して理解した。屋敷の使用人達は住み慣れな首都を出てバーネストの町へ移住する事に抵抗を感じている様子を見せ、そんな使用人達を見たアリシアはミリナ達を連れて行くのは無理かと感じる。だが、マティーリアと母親のミリナはアリシアがバーネストの町へ行くのなら自分も行くと言い出し移住に賛成した。
アリシアと使用人達はミリナの答えを聞いて驚きの反応を見せた。マティーリアはともかく、ミリナはてっきりアリシアがバーネストに町へ移住する事に反対したり、首都に残ると言い出すとアリシア達は思っていたのだ。アリシアが賛成する理由を聞くとミリナは娘であるアリシアの好きなようにさせてあげたいという母親らしい答えを口にする。あと、ダークがアリシアが離ればなれにならないようにする為に一緒に連れて行くという優しさを知り、バーネストの町へ行ってもいいと考えたようだ。
ミリナがアリシアと共にバーネストの町へ移住する事を決め、それを知った使用人達はミリナが行くのであれば自分達もついて行くと移住を受け入れる。アリシアは少々不安を残している使用人達を見て僅かに罪悪感を感じた。
それからアリシアはダークの下へ向かい、マティーリアとミリナ、使用人達がバーネストの町へ移住する事に賛成した事を伝えに向かう。ダークもレジーナとジェイクが旅行から戻って来たらバーネストの町へ移住する事を伝えると話した。その翌日、ダークとアリシアは登城してマクルダムにバーネストの町へ移住する事を伝える。因みにこの時にマクルダムが用意しようとしていた補佐は不要と言って断った。
その後、旅行から帰って来たレジーナ達に移住の事を伝え、全員でバーネストの町へ移住し、現在に至った。
第十章開始しました。今度も正確な更新日は決まっていませんので、気長に投稿をお待ちください。
今回の物語も最後までどうかご覧になっていってください。