第百一話 裁かれる異端審問官
静かな部屋の中に金属がぶつかる音や何かを弾く音などが響く。そんな中でダークはディバンと激しい戦いを繰り広げていた。
ディバンは走ってダークに近づき、彼の背後や側面に回り込んで短剣で攻撃を仕掛ける。ダークはディバンの攻撃を全て大剣で防ぎ、攻撃を防いだ直後に大剣で反撃した。しかしディバンも素早い身のこなしでダークの大剣を回避する。攻撃を回避するとすぐに次の攻撃に備えてダークから距離を取りディバンは体勢を直す。そんな攻防を数分間繰り返しているが、まだどちらも無傷の状態だった。
大剣を構えながらダークは数m先に立つディバンを見ていた。ディバンは自分の攻撃が一撃もダークに当たっていないにもかかわらず驚きの表情は一切見せていない。それどころか楽しそうな笑みを浮かべていた。
「いやぁ、驚きましたなぁ。まさかここまで私の攻撃を防ぎ切るとは、邪悪な力を得て異端者になっただけの事はありますね」
「フッ、そう言う事にしておいてやろう」
短剣の刃を見つめながら語るディバンを見てダークは静かに呟いた。
最初に言ったようにディバンはダークの強さを測っているのか無理な攻撃などはせずに慎重に攻撃して来ている。つまり、ディバンはまだ全力で攻撃をしていないという事だ。
一方でダークもディバンがどんな攻撃パターンを持っているのかを確かめる為に全力で戦わずにいた。だがダークの場合はディバンの動きを見極める為だけでなく、自分の力を過信するディバンと遊んでやろうと言う遊び心で手を抜いて戦っていたのだ。もしダークが本気で戦えばとっくにディバンを倒していただろう。最初はディバンに有利な戦いをさせてやろうと考えて手加減していた。
ダークに手加減されている事も知らずにディバンは自分の力がダークより上だと思い込み、余裕の笑みを浮かべていた。
「少しずつですが、貴方の動きが読めてきました。そろそろ貴方に一撃食らわせてあげる事ができそうです」
「ほう? では見せてもらおうか、お前が何処まで私の動きを読めたのかをな」
「ええ、すぐに見せてあげますよ」
笑いながらそう言ってディバンは姿勢を低くする。短剣を強く握り、両足に力を入れたディバンは勢いよく地を蹴りダークへ向かって走り出す。ダークは走って来るディバンに向かって大剣を振り下ろし応戦する。だがディバンは素早く右へ移動してダークの振り下ろしを回避し、ダークの側面へ回り込んだ。
ダークは側面へ移動したディバンを見ながら大剣を横に振り再びディバンに攻撃する。ディバンは横から迫って来る大剣をチラッと見るとジャンプしてダークの横切りを回避した。そしてジャンプしたままダークの頭部に向けて横切りを放つ。ダークは上半身を僅かに後ろへ倒してディバンの横切りをかわした。
自分の横切りをかわしたダークを見てディバンは小さく笑い、ダークの胸部を蹴って後ろへ跳び距離を取る。地面に足が付くとディバンは笑ったまま短剣を構え直してダークを見つめた。
ダークは自分を蹴って離れたディバンを見ながら小さく舌打ちをした。普段のダークならディバンに蹴られる事無く素早く反撃して倒す事ができるが、今は手加減をして戦っている為わざとディバンに蹴られたのだ。だが、それでもやはり自分より弱い者に蹴られるのは気分のいいものではなく、ダークは僅かに不機嫌になった。
「いかがですか? 貴方の動きを完全に見切り、貴方の攻撃を全て回避しましたよ」
「……確かに私の攻撃は全てかわされた。だが、お前も私に攻撃を当てる事ができていないぞ? これで私の動きを全て読んだと言えるのか?」
攻撃を命中させる事ができていない、ダークはディバンの唯一の失敗を指摘し挑発する様に尋ねる。するとディバンは笑ったまま短剣を指でクルクルと回して口を開いた。
「確かに攻撃はかわされてしまいました。ですが、それは私が全力で攻撃していなかったからですよ」
「フッ、言い訳か?」
「そう思ってくれても結構ですよ。ですが、貴方はすぐに理解する事になります。私がどれだけ手を抜いて戦っていたのかをね?」
ディバンは不敵な笑みを浮かべながら話し、ダークはそんなディバンを見て目を赤く光らせる。ダークはディバンが次の攻撃から本気を出して来ると予想した。
ダークを見つめながらディバンは右手に持っている短剣を逆手に持ち変え、しばらくその場を動かずにダークに意識を集中させた。ダークは攻撃してこないディバンを見ながら大剣を構えて動くのを待つ。するとディバンが素早く左手を動かし、何処からが小さなナイフを三本取り出す。そしてダークに向かって持っているナイフを投げて攻撃した。
ディバンが投げたナイフをダークは大剣で全て弾き落とす。ディバンの追撃が来る事を予測し、ダークはディバンの方に視線を向ける。すると、さっきまで数m前にいたはずのディバンがいつの間にかダークの目の前まで近づいて来ており、ダークはディバンの移動速度に一瞬驚きの反応を見せた。
驚くダークを見ながらディバンは逆手に持っている短剣でダークに攻撃する。ダークは大剣でディバンの攻撃をギリギリで防御する事ができた。ディバンは攻撃を防がれるとすぐに後ろへ跳んでダークから距離を取り、短剣に気力を送り込んで刀身を青く光らせる。
「疾風斬り!」
戦技を発動させたディバンは地を蹴り、ダークに向かって大きく跳ぶ。ダークの真横を通過する時に短剣で攻撃し、ダークの鎧の腕部分を掠める。刃と鎧が掠った事で高い金属音が周囲に響いた。
「チッ!」
ダークはディバンの攻撃を掠めた事で舌打ちをし、真横を通過するディバンの方を向きながら後ろへ跳んだ。攻撃は掠ったがダークの鎧には傷一つ付いていなかった。
「どうですか、攻撃を当てて見せましたよ? これで私が貴方の動きを完全に見切ったという事が証明されましたね」
攻撃が命中した事でディバンはダークの方を向いて楽しそうな笑みを浮かべた。今まで全ての攻撃を回避していたダークに掠っただけとは言え、攻撃を命中させたのだ。その行為がダークに屈辱を与えたとディバンは心の中で喜んでいた。
ダークは大剣を下ろし、短剣が掠った箇所を汚れを落とす様に軽く払う。それが終わると大剣を下ろしたままディバンの方を向く。ディバンは構えもせずに自分を見ているダークに少し不思議そうな反応を見せるが、深く考える事無くすぐに不敵な笑みを浮かべてダークを見た。
「私が貴方の動きを見切った事が証明された。それはつまり、私は貴方にこれから幾らでも攻撃を当てる事ができるという事です。それに比べて貴方は私の動きを見切っていない。つまり私に攻撃を当てる事はできないという事です」
「……何が言いたい?」
「攻撃を当てられる私と攻撃を当てられない貴方が戦っても結果は見えています。抵抗は止めて武器を捨てて頂けませんか? そうすれば情けとして楽に処刑して差し上げます」
ディバンの言葉はこのまま戦いを続けてもダークは自分には勝つ事はできないから負けを認めろと言うのを意味していた。ディバンは今までの戦いの流れと自分の攻撃がダークに当たった事で自分がダークよりも強く、このまま戦ってもダークには勝ち目は無いと考えている。だから最後に情けを掛けてやろうと考えたのだろう。
自分の方が強いと思い込んでいるディバンを見てダークはディバンに聞こえないくらい小さく溜め息を付く。一度攻撃を当てたくらいで自分の方が強いと思い込んでいるディバンに呆れたようだ。
ダークはこれ以上、ディバンと遊んでやる必要は無いと感じ、ディバンを見つめて目を赤く光らせた。
「……たった一撃当てたくらいで自分が勝ったと思い込むとは、とんでもなくおめでたい男だな?」
「おや、この期に及んで強がりですか? 見っともないですね」
「そう思うか? ならもう一度攻撃して来い。そして私を仕留めて見せろ」
そう言ってダークは左手をディバンに向けて、来いと人差し指を曲げる。ディバンはそんなダークを見てやれやれと言いたそうな表情を浮かべた。彼にはダークが自分の弱さを認められずに悪あがきをしている様に見えたのだろう。
ディバンは折角の自分の情けを棒に振ったダークを哀れに思いながら短剣を構え、再び左手でナイフを取り出す。ダークが攻撃を望んでいるのだからその望みを叶えてやろうと思っているようだ。
「いいでしょう、望み通り攻撃してあげましょう。ただし、決して楽には死ねませんので後悔しないでくだ――」
「分かったからさっさと来い。私はこんな戦い、早く終わらせたいのだ」
めんどくさそうな口調で大剣を肩に担ぎながらダークはディバンを挑発し、それを聞いたディバンは小さく溜め息を付いて短剣を構える。
「……分かりました。では殺して差し上げます。そして強がって私を挑発した己の愚かさを呪ってください」
ディバンは短剣に気力を送り込んで刀身を青く光らせる。ダークは肩に担いでいる大剣をゆっくりと下ろしてディバンを見つめていた。
「天風斬!」
短剣を強く握ってディバンは地を蹴り、ダークに向かって勢いよくと跳んだ。その速さはさっき使った疾風斬りと比べて明らかに速かった。
<天風斬>は疾風斬りの強化版である短剣系の中級戦技。モーションは疾風斬りと同じだが、速度や短剣の切れ味などは疾風斬りとは比べ物にならない。疾風斬りでは切れなかった物やモンスターがこの天風斬では簡単に切れてしまう。疾風斬りを完全に使いこなさなくては体得できない戦技だ。
ディバンはもの凄い速さでダークに向かって跳んで行き、持っている短剣の刃を光らせる。その間、ディバンは不敵な笑みを浮かべながらダークを見ていた。
(疾風斬りでは切れなかった鎧もこの天風斬であれば切り刻めます。少しずつ鎧を傷つけながら彼に恐怖を与え、錯乱したところで首を刎ねてあげましょう!)
心の中で楽しそうに呟きながらディバンは少しずつダークとの距離を縮めていく。ダークは未だに大剣を構えずに迫って来るディバンを見ている。そして、ディバンがダークの1m程前に近づいて来るとディバンは短剣を振ってダークに切り掛かった。
すると、ディバンの視界に入っていたダークが突然姿を消し、ディバンは驚きの表情を浮かべる。だがすぐにダークはディバンの真後ろに姿を現す。その時のダークは大剣を振っている体勢を取っていた。
ディバンは背後からの気配を感じ取り、ダークが一瞬で背後に回り込んだ事を知って心の中で驚くがすぐに気持ちを切り替えて次の攻撃に移ろうとする。ディバンがダークに攻撃する為に振り返ろうとした瞬間、ディバンの右脇腹に大きな切傷が生まれ、そこから大量に血が噴き出た。
「……なっ!?」
いつの間にか自分が切られていた事を知ったディバンは思わず声を漏らす。ディバンは振り返る事もできずにそのまま前に倒れてうつ伏せになった。
ダークはディバンの視界から消えた時に素早くディバンの横を通過して背後に移動した。その時にディバンの脇腹を大剣で切っていたのだ。
ディバンが倒れた音を聞いたダークはゆっくりと振り返って倒れているディバンを見下ろす。ディバンは小さく震えながら自分を見下ろしているダークを動揺した表情で見ている。
「ば、馬鹿な……貴方は、私の動きを……見切れていなかったはず……」
「馬鹿な事を言うな、私は最初からお前の動きが見えていた。ただ、自分の力にかなりの自信を持っているお前がどれ程強いのか確かめる為にわざと見切れていないフリをしていたんだ」
わざと弱いフリをしてディバンの強さを測っていた、それを聞いたディバンは目を見開きながらダークを見ている。たった一撃で自分を倒してしまう程の攻撃をするダークに声が出なかった。
ダークは驚いているディバンを見つめながら目を赤く光らせて声を出した。
「……ハッキリ言って、弱すぎる。その程度の力でよく英雄と言われている私達を殺そうなどと考えたものだ」
「ハ、ハハハ……言ってくれます……ね……」
ダークを見ながら掠れた声で笑うディバンはそのまま眠る様に意識を失い、二度と動く事は無かった。ダークは動かなくなった異端審問官の死体をただ黙って見つめている。
――――――
時間を少し遡ってダークがディバンと戦いを始めようとしていた時、アリシアはレオパルドと向かい合っている。お互いに自分の愛剣を握って相手が先に動くのを待っていた。
「聖騎士でありながら異端者となった騎士の恥さらしめ! 私がこの手でお前に裁きを下してくれる!」
レオパルドは騎士剣を上段構えに持ちながらアリシアを睨み付ける。アリシアはそんなレオパルドを見ながらエクスキャリバーを中段構えに持ってレオパルドが動くのを待っていた。すると、レオパルドは足に力を入れてアリシアに向かって走り出し、走りながら騎士剣に気力を送り込んで戦技を発動させる。
「剣王破砕斬!」
騎士剣を緑色に光らせながらレオパルドはアリシアに袈裟切りを放つ。アリシアは真正面から攻撃して来るレオパルドを見ながら目を鋭くし、エクスキャリバーで迫って来る騎士剣を止めた。
レオパルドは自分の戦技を簡単に止めたアリシアを見て少し驚きの表情を浮かべる。さっきダークに攻撃した時も彼は簡単に戦技を止めた。それに続いてアリシアも中級の戦技を止めたので流石に驚いたようだ。
戦技を止められてレオパルドは小さく舌打ちをし、すぐに次の攻撃に移る為に騎士剣を引き、少しだけ後退して体勢を直す。アリシアはレオパルドに反撃などはせずにエクスキャリバーを構えたままレオパルドを睨んでいる。
距離を取ったレオパルドは再び騎士剣に気力を送り込んで戦技を発動させた。騎士剣が緑色になったのを確認したレオパルドはアリシアに向かって大きく踏み込む。
「鋼刃連回斬!」
別の中級戦技を発動させたレオパルドは体を勢いよく横に回してアリシアに回転切りを放つ。今度は連続で攻撃する為、アリシアも攻撃に耐え切れず体勢を崩すとレオパルドは考えていたのだ。しかし、アリシアの強さはそんなレオパルドの期待を簡単に打ち砕いた。
アリシアはエクスキャリバーを縦に構えてレオパルドの回転切りを止めた。エクスキャリバーはレオパルドの騎士剣と何度もぶつかり、高い金属音と火花を周囲に広げる。響く音からレオパルドの攻撃は重く、回転する速度がとても速い事が分かった。だが、アリシアは表情を一切変えずにエクスキャリバーでレオパルドの戦技を難なく防いでいた。
しばらく回転切りを放ったレオパルドは回るのをやめて大きく後ろへ跳んで距離を取り、アリシアの状態を確認する。アリシアは体勢を崩すどころか顔色一つ変えていない。それを見たレオパルドは自分の戦技がまた通用しなかった事を知って目を見開いて驚く。
「馬鹿な、あの戦技を簡単に止めただと……」
「どうした、それで終わりか?」
「クッ、調子に乗るなぁ!」
余裕の表情を見せるアリシアにレオパルドは険しい表情を浮かべながら攻撃した。騎士剣を振り回して正面からアリシアに何度も切り掛かる。アリシアは慌てる事無く落ち着いて全ての攻撃をエクスキャリバーで防いだ。
正面から攻撃しても無駄だと感じたレオパルドは今度は側面から攻撃しようと素早くアリシアの左へ回り込んで攻撃する。だがアリシアはその攻撃も簡単に回避し、レオパルドの表情に少しずつ焦りが見え始めた。
(クソォ、なぜだ? なぜ神の加護を受けている私の攻撃が異端者に簡単に防がれてしまうのだ!?)
微量の汗を流しながらレオパルドは自分の攻撃を全て防いだアリシアを見て心の中で呟く。今まで自分の攻撃や戦技を簡単に防いだ者は一人もいなかった。それなのに目の前にいる女騎士は余裕の表情で攻撃をかわしており、レオパルドは焦るのと同時にアリシアに対して僅かに恐怖を感じる様になる。
いくら攻撃してもレオパルドの攻撃はアリシアに掠りもせず、レオパルドの表情にも疲れが見え始める。レオパルドは作戦を考える為に一度攻撃をやめて後方へ跳びアリシアから離れた。アリシアは距離を取ったレオパルドを見てエクスキャリバーを下ろす。
「……何と言うやつだ。私の攻撃を全て防ぐとは……一体どんな奴と契約を交わしてそんな力を得たのだ」
「私は異端者ではないと言ったはずだ……まぁ、いくら言っても信じてはもらえないだろうがな」
アリシアは目を閉じながら小さく俯いて呟く。レオパルドはそんなアリシアを見て表情を鋭くし、騎士剣を強く握って霞の構えを取る。足位置を僅かに変えて切っ先をアリシアに向けながらレオパルドは両足に力を入れた。アリシアも構えを変えたレオパルドを見てゆっくりと中段構えを取る。
レオパルドはアリシアを睨みながら騎士剣に気力を送り込む。アリシアはレオパルドの騎士剣が光るのを見てまた戦技かと考えながら意識を集中させる。その直後、レオパルドは勢いよく地を蹴り、アリシアに向かって跳んだ。
「霊槍突き!」
跳びながらレオパルドはアリシアの顔に向かって突きを放つ。斬撃系の戦技が通用しないのであれば刺突系の戦技は通用するかもしれないと思ったのだろう。騎士剣の切っ先がアリシアに迫っていく。
アリシアは近づいて来る騎士剣の切っ先に意識を集中させ、構えたまま切っ先を近づける。そして切っ先が30cmほど前まで近づいた瞬間、エクスキャリバーで素早く切っ先を払った。切っ先はアリシアに命中する事無く彼女の顔の真横を通過する。命中すると思っていた戦技が弾かれたのを見てレオパルドは更に驚いた表情を浮かべる。そんなレオパルドの顔面をアリシアはエクスキャリバーの柄頭で殴った。
「グウゥ!」
顔面の痛みにレオパルドは声を上がながら後ろへ倒れた。普通の人間から柄頭で殴られたのであればその場にうずくまるかよろける程度で済むが、高レベルのアリシアに殴られればその強い力で後ろに倒れてしまう。
倒れたレオパルドは騎士剣を離し、殴られた箇所を左手で押さえながらうめき声を上げて丸くなる。アリシアはそんなレオパルドを黙って見つめていた。
「ううぅ……な、何だ今のは? 柄頭で殴られただけなのに、まるでハンマーで殴られた様な衝撃が来たぞ……」
顔面を押さえながらレオパルドは自分を見下ろしているアリシアを睨む。押さえている手の下からは僅かに血が流れ出ていた。殴られた箇所から出血しているのだろう。
レオパルドは顔面を左手で押さえながら右手で落ちている騎士剣を拾って立ち上がろうとする。アリシアはそれを邪魔をする様な事は一切しない、ただ黙ってレオパルドを見つめていた。
立ち上がったレオパルドは顔面から左手をどかし、両手でしっかりと騎士剣を握る。柄頭が当たったと思われる箇所には痛々しい傷ができており、そこから血が流れ出ていた。
「これほどの力を持っているとは……お、お前化け物か?」
「失礼な事を言う。私はモンスターと戦い、レベルを上げてこの力を得たのだ」
アリシアは正直に自分が強くなった方法を口にする。だがレオパルドはそんな事を信じず、あくまでもアリシアが邪悪な者と契約を交わして力を得たと信じ込んでいた。この時、レオパルドはアリシアと契約を交わした邪悪な者が上級魔族の様なかなり危険な存在なのではと感じていたのだ。
動揺した様子を見せるレオパルドを見てアリシアは周りをチラチラと見回す。離れた所でダークやマティーリアが戦っている姿を見て、あまり時間を掛けるのはよくないと感じ、次の一撃で決着をつける事にした。
アリシアは騎士剣を両手で強く握りながら目の前に立っているレオパルドを睨む。するとエクスキャリバーの刀身が白く光り出し、それを見たレオパルドはアリシアが何か仕掛けてくると感じ、驚いて後ろへ下がる。だが、レオパルドが下がるのと同時にアリシアも仕掛けた。
「白銀剣!」
レオパルドに鋭い眼光で睨みながらアリシアはエクスキャリバーを振って攻撃した。レオパルドは咄嗟に騎士剣でアリシアの攻撃を防ごうとする。しかしエクスキャリバーはレオパルドの騎士剣を真っ二つにし、そのままレオパルドの体を鎧ごと切り捨てた。
<白銀剣>は神聖剣技の中では威力は弱く、一番最初に体得する技だ。下級モンスターなどなら簡単に倒せるが、中級以上のモンスターは一撃では倒せない。それでも中級のアンデッドや悪魔族の様な光属性に弱いモンスターであれば十分通用する。アリシアが使えば例え上級モンスターでも簡単に蹴散らす事が可能だ。
切られた箇所からは大量に出血し、自分が鎧ごと切られたのが信じられないのかレオパルドは驚愕の表情を浮かべていた。
(な、何だ、これは……鎧の上から、切られるなんて……どうなって、いるん……だ……)
薄れゆく意識のままレオパルドは持っている騎士剣を落とし、ゆっくりと仰向けに倒れてそのまま命を落とした。
アリシアは無言でエクスキャリバーを鞘に納め、レオパルドの死体を見つめながら小さく息を吐く。その表情からは自分達の言う事を信じずに異端者と決めつけて襲い掛かって来たレオパルドに対する哀れみが感じられた。
――――――
ダークとアリシアが異端審問官と戦いを始めようとしていた時、マティーリアもアーシュラと睨み合って戦いを始めようとしていた。ただ、マティーリアの相手であるアーシュラの後ろにはもう一人テルフィスが控えている。つまりマティーリアは二人の異端審問官を相手に戦おうとしていたのだ。
マティーリアは笑いながら黒い刀剣を構えてアーシュラを見つめいる。その表情は笑顔だがこめかみ部分には血管が浮かび上がっており、心の中は自分を小馬鹿にしたアーシュラに対する怒りで一杯だった。一方でアーシュラもクロスボウガンを構えながら離れた所で刀剣を構えているマティーリアを見て笑っている。彼女の場合は早くマティーリアを甚振って見たいと言う興奮から笑みを浮かべていた。その後ろに立つテルフィスはマティーリアの表情を見てロッドを構えながら警戒心を強くしている。
「覚悟しろ小娘? 妾は若殿やアリシアの様にお人好しではない。楽には死ねんぞ」
「なぁにそれ? あたしを殺すつもりでいるの? いくら竜人でもアンタは一人、こっちは二人いるのよ? アンタに勝ち目は無いわ」
「随分自信があるようじゃな。なら、お主達の力を見せてもらおうか」
「ええ、今すぐ見せてあげるわ」
アーシュラはマティーリアに狙いを付けてクロスボウガンに気力を送り込む。クロスボウガンが薄紫色の光るのを見てマティーリアはアーシュラが戦技を使おうとしている事に気付く。マティーリアは戦技を使われる前に攻撃しようと竜翼を広げ、低空飛行でアーシュラに突っ込んだ。
「鉄貫撃!」
飛んで来るマティーリアを狙ってアーシュラはクロスボウガンの引き金を引いて矢を放った。薄紫色に光る矢は勢いよくマティーリアの顔に向かって飛んで行く。マティーリアは迫って来る矢を見ても驚きの反応は見せず、飛んだまま体を反らして矢を回避した。
矢をかわすと一気に飛行速度を上げてアーシュラとの距離を縮めてアーシュラの目の前まで近づき刀剣を振り上げた。だが、アーシュラは距離を縮められて攻撃されそうな状況にもかかわらず驚きの表情を見せていない。それどころか不敵な笑顔のままマティーリアを見ていた。
マティーリアは余裕の表情を浮かべるアーシュラを見て心の中で疑問に思いながらも刀剣を振り下ろしアーシュラに攻撃する。するとアーシュラの後方に立っていたテルフィスがロッドを構えながら声を出した。
「剛力壁!」
テルフィスの叫ぶ様な声と同時にアーシュラの前に薄いオレンジ色の光の障壁が現れる。マティーリアの刀剣はその障壁によって止められてしまい、アーシュラに攻撃を当てる事はできなかった。
<剛力壁>は土属性の中級防御魔法の一つで敵の物理攻撃を防ぐ事ができる魔法だ。この魔法はレベルの差などに関係なく、一度だけあらゆる物理攻撃は完全に防ぐ事ができる。ただ、一度防げばその後にすぐ消えてしまうので攻撃を防いだらその場に留まらず、すぐに移動する事が重要だ。
攻撃を防がれたマティーリアは小さく舌打ちをしながら後ろへ飛んで距離を取り、その直後に障壁はガラスが割れた様な音を立てながら消滅する。障壁が消えるとアーシュラは新しい矢を装填したクロスボウガンを構え、マティーリアに狙いを付けながらニヤリと笑って引き金を引いた。
マティーリアは放たれた矢を素早く横に移動して回避し、再びアーシュラに向かって飛んで行く。距離が縮まるともう一度刀剣を振り下ろして攻撃する。アーシュラにクロスボウガンに矢を再装填しながら後ろへ跳んでマティーリアの振り下ろしをかわした。回避に成功したアーシュラは両足が床につくとまたマティーリアにクロスボウガンで攻撃する。マティーリアは飛んで来た矢を刀剣で簡単に弾き落とした。
攻撃を防いだマティーリアは竜翼を休ませる為かゆっくりと降下して飛ぶのをやめ、笑っているアーシュラを睨みつける。アーシュラは右手にクロスボウガンを握り、左手で新しい矢を持ち指でクルクルと回していた。
「流石は竜人、と言ったところかしら? 手を抜いてあげてるとは言え、あたしの攻撃を全てかわしたのはアンタが初めてよ。褒めてあげるわ」
「フン、何を言うかと思えば……最初の妾が攻撃した時、そこのシスターが防御魔法を張らなかったらお主は死んでおったのじゃぞ。偉そうに言うな!」
「フフフ、別にテルフィスの援護が無くてもアンタの攻撃なんて簡単にかわせたわよ? ただテルフィスの出番を作ってあげないといけないと思ってギリギリまで避けずにいたのよ」
矢を回すのをやめてクロスボウガンに矢を装填しながら楽しそうに語るアーシュラ。そんなアーシュラの話を聞いてテルフィスは呆れた様な表情で見つめている。
「なら今度はシスターの援護無しで妾を倒して見せろ」
「フフフ……ええ、いいわよ。お望み通り、見せてあげるわ」
クロスボウガンを握りながらアーシュラは両足の動かして構え直し、クロスボウガンに気力を送り込んだ。マティーリアも薄紫色に光るクロスボウガンを見て刀剣を構え直す。テルフィスは一人で突っ込むアーシュラの背中を見て困り顔になりながらロッドを構え、いつでも魔法がうてる状態にしておいた。
「空矢穿通弾!」
アーシュラは戦技を発動させてクロスボウガンの引き金を引く。すると装填されていた矢はさっきとは比べ物にならないくらいの速さで射出され、それを見たマティーリアは驚きの表情を見せる。
<空矢穿通弾>は弓・ボウガン系の中級戦技。この戦技の最大の特徴は放たれる矢の速さにあった。気力を送り込んで矢を軽くし、弓やボウガンも気力で強化して常人では捉える事ができないくらい速い矢を放つ事ができる。更に射程距離も伸び、遠くにいる敵も狙撃する事ができるようになるのだ。ただし、速さが増す分、貫通力と矢の強度は低下してしまう為、普通の盾でも防がれてしまうという欠点がある。
マティーリアは明らかに速さの違う矢に驚きながらも上半身を横へ反らしギリギリで矢を回避する。だが完璧に回避できた訳ではなく、マティーリアの頬に細い切傷が生まれ、そこから赤い血が滲み出た。
「……お主」
傷から出た血を手の甲で拭うマティーリアはキッと矢を放ったアーシュラを睨み付けた。
「アハハハッ、どう? 見下していた小娘に傷を付けられた気分は? 最高に不愉快でしょう。アハハハハ!」
アーシュラは自分を睨むマティーリアを見て愉快そうに笑う。偉そうな事を言っていたマティーリアを怒らせて気分が良くなっているようだ。
癇に障る笑い方をするアーシュラを見てマティーリアは両手で刀剣を握り構え直す。すると、さっきまで大笑いしていたアーシュラが突然笑うのをやめ、つまらなそうな表情でマティーリアを見つめる。
「……でもねぇ、あたしが見たいのはそんな悔しがる顔じゃないの。痛みで苦しみ、泣き叫ぶ姿が見たいのよ」
「本当に悪趣味な女じゃな、お主は?」
マティーリアはアーシュラの異常さを見て心の中で救えない女だと感じながら刀剣の柄を強く握る。アーシュラも新しい矢をクロスボウガンに装填してマティーリアに狙いを付けた。そして戦技を発動させる為にクロスボウガンに気力を送り込む。
「あたしはアンタの泣き叫ぶ顔を拝みたいの。だから、もうあたしの攻撃を避けないでよね?」
「それでハイ、と頷くと思っておるのか?」
「……全然」
低い声で尋ねるマティーリアを見てつまらなそうな顔をしていたアーシュラはニヤリと不敵な笑みを浮かべながら答えた。それを見たマティーリアはふざけた態度を取るアーシュラに更に腹を立てる。
「空矢穿通弾!」
さっきの戦技と同じものを発動させてアーシュラは引き金を引いた。もの凄い速さで放たれた矢はマティーリアに向かって飛んで行き、マティーリアは飛んで来る矢に意識を集中させて横に移動して矢を回避する。今度は矢に集中していたので掠る事もなかった。
矢を回避したマティーリアは竜翼を広げてアーシュラに向かって飛んで行く。アーシュラは飛んで来るマティーリアを見ると素早く新しい矢をクロスボウガンに装填してマティーリアに向かって矢を放つ。クロスボウガンを扱う自分が接近戦に持ち込まれるのは危険だとアーシュラは自身の弱点を理解していた。
マティーリアは飛んで来る矢を刀剣で弾き落とし、更に飛行速度を上げた。矢を弾き落としたマティーリアを見てアーシュラは舌打ちをしながら後ろへ移動してテルフィスと合流する。そして隣に立つテルフィスの方を向いて魔法を使えと目で合図を送った。
テルフィスはさっきまでマティーリアを挑発して余裕を見せていたのに結局自分に助力を求めるアーシュラを見て溜め息を付く。だが、仲間がやられるのを黙って見ている気は無く、ロッドを握り魔法を発動させる準備に入った。
マティーリアはテルフィスと合流したアーシュラを鋭い目で見つめながら刀剣を右手だけで持ってゆっくりと引き、アーシュラに突きを放つ体勢を取る。その直後にテルフィスはマティーリアを真剣な表情で睨みながらロッドの先をマティーリアに向けた。
「剛力壁!」
テルフィスは再び剛力壁を発動させ、自分とアーシュラの前に薄いオレンジ色の障壁を張った。アーシュラは障壁が張られたのを見て、この障壁でマティーリアの攻撃を防いだ後に戦技を撃ち込んでやろうと思いながら笑っている。
「またあれか……」
マティーリアは再び張られた障壁を見て普通に攻撃してもアーシュラにダメージを与える事はできないと感じる。すると刀剣に視線を向けて柄を持っている右手に軽く力を入れた。その直後、刀剣の刃が黒い靄を纏い、それを確認したマティーリアは視線をアーシュラとテルフィスに戻す。そして黒い靄を纏った刀剣で障壁に突きを放つ。すると、刀剣に纏われていた黒い靄が真っ直ぐ伸びる様に動いて障壁を貫通する。障壁は貫通した箇所から罅が全体に広がり、やがてバラバラに砕け散った。
あらゆる物理攻撃を無効化する障壁を貫通した黒い靄にアーシュラとテルフィスは驚愕の表情を浮かべる。そんな驚く二人に向かって黒い靄は伸びて行き、アーシュラとテルフィスの腕や肩を掠めた。
黒い靄が掠った箇所には火傷をした様な傷ができており、アーシュラとテルフィスは傷から伝わる痛みで僅かに表情を歪ませる。二人は痛みに耐えながら目の前にいるマティーリアから離れて距離を取り体勢を直した。
マティーリアは飛んだまま距離を取るアーシュラとテルフィスを見ていた。しばらく見た後に視線を二人から自分が持っている刀剣へと向ける。
「……流石は若殿から授かったジャバウォック、とんでもない力を秘めておるな」
黒く光る刀剣を見つめながらマティーリアは小さく笑って呟いた。
マティーリアが持っている黒い刀剣はダークが戦いの前に渡した<凶竜剣ジャバウォック>と呼ばれているLMFの武器である。通常攻撃をするだけでなく、闇属性の属性攻撃をする事も可能。更に攻撃した相手を一定の確率で呪い状態にする事ができ、レベル60以上のプレイヤーでなければ装備する事ができない特殊な物だ。そしてこの武器はLMFのショップで購入したり、モンスタードロップで得られる武器ではない。LMFの鍛冶系の職業を持つプレイヤーが作った特別な武器だ。
ジャバウォックを作ったのはLMFでダークが所属していたギルドのメンバーである<釜茹でゴエモン>と言う男性プレイヤーで鍛冶系の上級職であるマスタースミスをメイン職業にしている。釜茹でゴエモンはアニメや漫画の出てくるような武器が好きで現実では自分が考えた武器のイラストを描いたりしていた。そして考えた武器をLMFで実際に作り、完成した物を同じギルドのメンバー達にプレゼントしたのだ。
彼が作る武器はどれも強力でダーク達は釜茹でゴエモンの武器を使って多くのクエストをクリアして来た。凶竜剣ジャバウォックはダークがレベル60になった時にお祝いとして釜茹でゴエモンから貰った物だったのだ。
攻撃を受けたアーシュラとテルフィスはマティーリアを警戒しながら彼女に付けられた傷を押さえている。掠っただけなのに予想以上に痛みを感じ、体も重くなったような感じがしていた。
「何なのよ今のは? 剣から黒い物体が出て来て障壁を簡単に壊したわよ。あれって物理攻撃じゃないの?」
「分かりません。ですが、一つだけ言えるのはあの黒い靄の様な物はパワーバリアでも止められない攻撃だという事です」
アーシュラはマティーリアが持つジャバウォックを睨みながら舌打ちをする。自分が見た事の無い攻撃をして来るマティーリアに対して不愉快な気分になったようだ。そして靄が掠ってできた傷から感じられる鈍い痛みが更に気分を悪くした。
テルフィスはとりあえず自分とアーシュラの受けた傷を治そうとロッドを握りながら回復魔法を発動させた。
「治癒拡散!」
回復魔法を使い、テルフィスは自分とアーシュラの傷を癒そうとした。ところ、どういう訳か二人の腕と肩についた傷は全然治らない。傷が治らないを見てテルフィスは驚きの反応を見せた。
実は今のアーシュラとテルフィスはマティーリアの攻撃を受けた時にジャバウォックに付いている呪いの付与効果で呪い状態になっていたのだ。LMFでは呪い状態になると全ステータスが低下し、魔法やアイテムでHPやMPを回復する事ができなくなってしまう。どうやらLMFでの呪いの効果はこの異世界でも同じようだ。
「そ、そんな、どうして傷が癒えないの?」
自分達が呪い状態になってる事に気付いていないテルフィスは傷を癒せない状況に動揺を見せる。そんなテルフィスを見てアーシュラは鋭い表情を浮かべた。
「ちょっと、何やってるの? ちゃんと回復しなさいよ!」
「分かってます! だけど、どういう訳か傷が癒えないんで……」
文句を言うアーシュラに言い返そうとした時、突然テルフィスは真横から攻撃を受けて大きく吹き飛んだ。飛ばされたテルフィスは数m先で横になって倒れ、それ以降ピクリとも動かなかった。
アーシュラは吹き飛んだテルフィスを見て呆然とする。視線を動かすと目の前にジャバウォックを振り上げる体勢を取っているマティーリアの姿があり、それを見たアーシュラはさっきテルフィスが吹っ飛んだのはマティーリアがジャバウォックで攻撃したからだと気付く。
マティーリアはジャバウォックを肩に担いで遠くで倒れているテルフィスをジッと見つめる。それからゆっくりとアーシュラの方を向きながら冷たい視線を向けた。その冷たい視線にアーシュラは思わず悪寒を走らせる。戦いが始まってから初めてアーシュラはマティーリアに対して恐怖を感じた。
「さあ、仲間のシスターは倒した。次はお主の番じゃ」
「グゥ!」
恐怖を感じながらアーシュラは大きく後ろへ跳び、マティーリアに向けてクロスボウガンを撃つ。マティーリアは飛んで来る矢を見て大きく息を吸い、口から炎を吐いて矢を一瞬で灰に変えた。
矢を燃やしたマティーリアを見てアーシュラはマティーリアに対して更に恐怖を感じた。アーシュラは新しい矢をクロスボウガンに再装填しながらこの後どうするか必死に考える。そんな時、背後から何かの気配を感じてアーシュラは振り返った。そこにはマティーリアが背後に回り込んでジャバウォックを振り上げている姿があり、アーシュラは目を見開いて固まる。
驚いているアーシュラを睨みながらマティーリアはジャバウォックを振り下ろしアーシュラの左腕を斬り落とす。アーシュラの左腕は矢を持ったまま床に落ち、切り口からは真っ赤な血が流れ出た。
「……うああああああぁっ!」
左腕を失った恐怖とその激痛にアーシュラは声を上げる。そんなアーシュラに構わず、マティーリアは続けてアーシュラの右足を切った。片足を失ったアーシュラはバランスを崩してその場に倒れる。
「ぐぎゃあああああぁ! 足がぁーーーっ!」
腕に続いて今度は足を失い、アーシュラは断末魔を上げる。持っていたクロスボウガンは手から離れ、ただ泣き叫ぶアーシュラ。今の彼女には少し前まで他人を甚振って快楽を得ようとした異常な表情は見られない。ただ恐怖に呑まれて泣き喚く一人の女でしなかった。
マティーリアは泣きながらもがいているアーシュラに近づき、倒れている彼女の顔の前に足を置く。視界に入ったマティーリアの足を見てアーシュラは恐怖で声が出なくなり、涙目で目の前に立っているマティーリアを見上げた。
「……妾は言ったな? 必ずお主を泣かすと?」
「あ、ああ、あああ……」
「これが今までお主が他人にやって来た事、そしてそれが今までお主に苦しめられて来た者達の気持ちじゃ」
「……た、たず……げて……」
「おいおい、あれだけ偉そうなことを言っておいて今更命乞いか?」
泣きながら命乞いをするアーシュラを見てマティーリアは笑い出す。アーシュラは潤んだ目でマティーリアを見上げ、心の中で必死に助けてほしいと願う。今の彼女には異端審問官としての任務も、誇りもどうでもいい。ただ自分が助かる事だけを考えていた。
助けを乞うアーシュラを見てマティーリアはしばらく笑っていたが、やがて笑うのをやめて倒れているアーシュラを見下ろしながら肩に担いでいるジャバウォックを振り上げる。その姿を見てアーシュラの顔から血の気が引いた。
「……他人を無慈悲に殺して来たくせに自分が殺されそうになったら命乞いをする、そんな都合のいい奴を見逃すほど……妾は心の広い女ではない」
そうアーシュラに死刑宣告をしたマティーリアはジャバウォックを振り下ろしてアーシュラに止めを刺した。攻撃を受けたアーシュラは涙を流しながらガクッと命を落とす。
地下二階で開始された異端審問官達との戦いはダーク達の勝利に終わった。