第二十五章 蛇と魔導と引導と
エルハザードとの戦いは、一時中断を余儀なくされた。
もう再開する事はないだろう。
直径100メートル、高さは雲と雲の間までのバベルの塔を包み込んでしまうほどの巨大蛇が現れたのだ。
天使にはそれが何なのかわかっている。
だからこそ地上から撤退しなければならない。
神ですら勝てない生き物に、どうしてその配下である天使達が勝つ事が出来よう?
「あの生き物は一体……?」
遠く雲の上をメグは見て呟いた。とにかく巨大な蛇は、雲の上に頭があっても、瞳が光ってその存在を確認出来る。
光は四つ。少なくとも、ミドガルズオルムには瞳が四つある事が認識可能だ。
咆哮とはほど遠いミドガルズオルムの鳴き声が大気を震わせる。
「後少しでカタがつくところだったが、また中途半端で終わらねばならぬようだな。」
撤退していくエルハザード軍を眺めながらサマエルが呟く。
「サマエル、あの生き物は何?」
あかねが聞く。
「ミドガルズオルム……次元の管理者だ。レジェンダかヴァルゼ・アークあたりに聞かなかったか?」
「ミドガルズオルム…………あれが………」
「普段は次元の狭間というところに住んでいるのだが、何しにこんなところまで出て来やがったのか……」
バベルの塔が少しずつ崩れ落ちる。ミドガルズオルムの力なら、簡単に破壊出来るのだろうが、何故かそうしない。
あかねにはミドガルズオルムが意思を持って動いているようにも思えた。
「あかねちゃん!あれ見て!」
メグがバベルを指差す。
そこからいくつかのオーラが飛び出し、どこかへ消えて行く。
「千明さんと新井さん達だわ…………」
確かに彼女達のオーラは感じた。
「ヴァルゼ・アークもミドガルズオルムには勝てないようだな。まあいい。俺も一度出直すとしよう。」
イグジストを鞘に返し、立ち去ろうとするサマエルの背中越しにあかねが声をかける。
「サマエル、貴方の目的は何?」
「目的?………フッ、俺はただ誰よりも強くなりたいだけさ。それよりも、早く逃げた方がいい。ミドガルズオルムに喰われる前にな。」
それだけ答えてテレポートして行った。
「セイラ様達だわ!!」
メグが大きく手を振り、羽竜達を誘導する。
「無事だったか!吉澤!メグ!」
蕾斗の浮遊術に助けられた羽竜達があかねとメグの前まで来る。
「羽竜君達こそ無事…………蕾斗君!!」
「へへ…お久しぶり、吉澤さん。」
事態そっちのけで再会を喜ぶ。
「どうして羽竜君達と?」
「吉澤、なにもかも説明は後回しだ!とりあえずこの場から逃げるぞ!」
羽竜があかねと蕾斗の喜びを遮り、ミドガルズオルムを仰ぐ。
「やってくれるぜ。」
羽竜達が脱出するのを待っていたかのように、無人のバベルをその巨大な身体に力を入れ破壊した。
塔はまるでスナック菓子のように脆く崩れ落ちた。
……役目を終えたように。
「蛇を召喚したのがオノリウスだとすれば、それも魔導の成せる業なのでしょうか………?」
崩れ落ちるバベルを眺めながらアドラメレクがジャッジメンテスに聞く。
「蛇は何者にも縛られないのが原則。通常召喚では有り得ないわ……今の事態は。でも魔導が蛇を召喚出来る力かどうかは疑問ね。魔導自体が謎の多い力だし、私には返答しかねるわ。」
「もし、魔導に蛇を召喚出来るだけの力があるとしたら、まだ魔導を使いこなせていない藤木蕾斗は………」
「……………殺すべきでしょうね………迷わず。」
ジャッジメンテスの言葉にアドラメレクも頷く。
「いずれにせよ出直さなければならないわ。バベルに魔導書がなかったなんて………(一体どこにあるの……?)」
もはや記憶を辿っても魔導書の在りそうな場所はわからない。
過去に来る事で魔導書を手に入れなければならないのなら、まさか誰のともわからない民家なんて曖昧な場所には無いだろう。
オノリウスはダイダロスやレリウーリアが過去に来る事は想定していなかったはず、誰もが聞いてわかる場所でなければこんな回りくどい封印を施したりはしない。
でも、千年前の世界にはバベルの塔以外に魔導書を隠すに相応しい場所は無いのだが…。
「そもそもオノリウスは『いる』のでしょうか?」
「いるわ。バベルの中にいて私達のやり取りを見ていたはずよ。」
アドラメレクにはオノリウスの存在を感じ取れなかった。
「お話中失礼します。司令、参謀、総帥がお呼びです。」
ナヘマーから人間に戻った新井結衣が二人を呼びに来た。
「わかりました。今行来ますと伝えておいて。」
ジャッジメンテスに言われ、礼をするとヴァルゼ・アークの元へ急ぐ。
「アドラメレク、これだけは覚えておいて。」
「はい……?」
「引導は誰かが渡してやらなきゃならないのよ。」