第二十三章 巡り会う者達
アスモデウスが現れた後は何もなく、ただセイラと二人黙って塔を登って来た。
そして、ようやく頂上まで来た。
そこは雲と雲の間に存在した。ただ広いだけの空間の真ん中には、サッカーボールほどの水晶が飾ってある。
「ここがバベルの頂上………父上はここまで来たのかしら………?」
バベルには近づくなというのがセイラへの最後の言葉だった。
そして魔帝はセイラにバベル鍵を出せと言った。
自分がバベルに関係しているのは明白、緊張がセイラを襲う。
「すげぇ……上と下に雲があるぜ!」
そんなセイラの気も知れずに塔の窓から顔を出して感激している羽竜に溜め息が漏れる。
「あのね、観光に来てるんじゃないんだから少しは緊張感持ちなさいよ!」
「わかってるよ、だから空気を和ませようとしたんじゃねーか。」
「和みません!」
「んだとっ!この馬鹿姫!」
「ば、馬鹿!?無礼な!!主に向かってなんて口の聞き方!」
「誰が主だ!誰が!勝手に部下にするなよな!」
これが羽竜の計算だったかどうかは怪しいが、セイラの緊張が多少なりとも和らいだのは事実だ。
「はぁ……疲れるからもういいわ。」
「それはこっちのセリフだ。」
誰もいない空間に二人きりというのが羽竜もセイラも苦手だ。
「お前とじゃれてる場合じゃなない。とりあえずあの部屋の真ん中にある怪しげな水晶でも調べてみるか。」
いかにも何かありげな雰囲気が漂ってくる水晶に羽竜が近づき、占い師のような手つきでゴソゴソと球面を這わせる。
「どうせならこの世界の明日でも占ってよ。」
世界の大陸を見て回ったわけではないが、わざわざ見なくとも天使達によって『粛正』されているのは間違いない。
あれだけ戦況の均衡を保てていたのに、種族が違うだけであっという間に絶滅寸前まで人間は追い込まれた。
愚かな人間達に粛正を下したのならばそれも仕方ないとセイラは思っていた。
しかし、天使達の真の目的は人間達への粛正ではなく、あるかないかわからない魔導書を探す為。羽竜がそう言った。
「ダメだ、なんも映んねーよ。」
「あんたまさか本気で占いしてたの?」
「んなわけねーだろ。なんか仕掛けでもあんのかと思っただけだ。」
よく考えてみれば、バベルの塔へはかなり容易に入る事が出来た。
それに途中苦労した事なんて塔を登るのに疲れた事だけ。
天使や悪魔までもが欲しがる魔導書があるのなら、もっと試練の要素があっても不思議ではない。
「羽竜、ホントにここに魔導書があるのかしら?」
「どういう意味だ?」
「なんでも願いが叶うような代物を保管するには、足りない要素が多過ぎなのよ。」
「簡単過ぎるって事か?ここまで来るのに。」
「ええ。」
「でもアスモデウスがいたし、姿は見えないけどヴァルゼ・アーク達もきっとどっかに隠れてるはずだ。」
「でもそれが魔導書の有無を決定づける証拠にはならないわ。彼らも魔導書の在りかがわからないでいるのなら、間違った見解をしてもおかしくないんじゃないかしら?」
そう言われると一理ある。
ヴァルゼ・アーク達は千年前に魔導書を探し出す事は出来なかった。天使達も。
過去に戻って来たからと言って、魔導書を探し出せるとは言えない。
「だけど………」
羽竜が言いたいのは、羽竜達の知るヴァルゼ・アーク達は千年も先の未来から来ているのだから、過去で考えられなかった事を実行したのではないかという事。
だとすると、ヴァルゼ・アークに誘導された結果とは言え、バベルに来た事は間違いじゃない。
でも、あのヴァルゼ・アークは自分の知るヴァルゼ・アークとは違った。
ヴァルゼ・アークは自分の事を『俺』と表現するのに対し、あの時は『余』と表現した。
それに意味もなく『魔帝』の姿になるような人物でもない。
……なんとなくそう思う。
「魔帝は私にバベルの鍵の在りかを聞いて来たわ。最初は塔へ入る為の鍵なのかと思ってたけど、どうやら違うみたいね。」
そう言って水晶を見つめる。
「……………セイラ、まさか……?」
「…………そのまさかなんじゃない?父上がバベルへ近づくなと言ったのは、私自身がバベルの鍵だからよ。」
薄々感づいてはいたが、なかなか口には出来なかった。
バベル最後の部屋にあるのは水晶だけ。
『鍵』を必要とするのはその水晶だけだろう。
「待てよ、お前がバベルの鍵だなんてわかんないじゃないか?」
「触れてみればわかるわよ。」
「だから待てって言ってんだよ。もし触れた途端消えてしまうような事になったら……」
「私が?それはないと思うわ。」
「どうしてそんな事が言えるんだ?お前の親父はそれを知ってたから近づくなって言ったんじゃないのか?」
「違うわね。よく考えて!私が触れて私自身が消えてしまうのなら、私が鍵である必要はないわ。」
「??」
「いい?生命体を鍵とするには理由があるのよ。例えばこの世で私しか持ってない力だからとか。でなければ、別に『物』でいいわけじゃない!消えて無くなる存在では困るのよ!」
「そうは言うけどよ……万が一って事もあるだろうよ?」
「触れてみればわかるわ。」
物おじしない彼女の性格が、無謀とも言える行動を取らせる。
「セイラ!!」
羽竜が止めるのも聞かず、両手で水晶に触れる。
沈黙があったのは一瞬。セイラが水晶に触れると、水晶の中で放電が始まり辺りの空間をさっきまで羽竜が見ていた景色、雲と雲の間にいるように変える。
「見て、羽竜。やっぱり私自身が鍵だったのよ。」
「そういう問題じゃないだろ。建物が消えちまったぞ……」
でも宙に立っている。床は存在しているのだ。
「千年前………何故気がつかなかったのだ………」
姿を隠していたヴァルゼ・アーク達が現れた。
「やっぱりいたんだな、ヴァルゼ・アーク…………」
「ヴァルゼ・アーク?この前の魔帝と雰囲気が随分違うけど?」
セイラの知らないヴァルゼ・アークがにこりと微笑み、彼女に語りかける。
「プリンセスセイラ…………世界再生の手段よ。」
「世界再生の……手段?」
バベルの鍵と呼ばれた次は、世界再生の手段。セイラはますます自分という存在がわからなくなる。
「君は知らないだろうが、天使達によって焼き尽くされた世界が、再びその姿を取り戻したのは君がいたからだ。」
「何を言ってるの……?」
ヴァルゼ・アークの言葉の意味を理解するには、ピースが足りな過ぎてセイラにはわからない。
「この世界は我々の記憶にある世界とは違う部分が多々ある。だからこそ、千年前に気付きもしなかった事に気付く事が出来た。そうだろう?…………出て来たらどうだ、ダイダロス。」
ヴァルゼ・アークにその名を呼ばれたダイダロスが現れた。
「気付かれてましたか。」
「お前は!!」
こっぴどくやられた相手の登場に羽竜の呼吸が荒くなる。
「終焉の源……貴方がここまで何事もなく来れたのは、私がバベルに仕掛けられたトラップを全て片付けたからです。感謝するのですね。」
「終焉がどうしたって?お前もヴァルゼ・アークも、意味不明な事ばっかり言いやがって!」
「誰なの?」
セイラもわけがわからない。
「ダイダロス………悪魔達と天使達に特殊な力のある武器を造った奴…………俺の持つトランスミグレーションもな。」
「そうだ、羽竜、お前に返さなければならない物がある。」
「俺に?」
ヴァルゼ・アークが顎で指示を出すと、バルムングが蕾斗を後ろから連れて来る。
「蕾斗!!?」
「羽竜君!!!」
「羽竜のもう一人の友達って………」
羽竜と蕾斗の驚き具合を見れば、セイラにも空気は読める。
「ああ。でもなんで悪魔なんかと?」
「そんなに恐い顔しないで、私達が保護してあげたのよ?」
ジャッジメンテスが羽竜の疑いを払ってやる。
「さあ、友人のところへ帰るがいい。」
ヴァルゼ・アークが蕾斗の背中を軽く押してやる。
「どうしたの?総帥が行けとおっしゃってるのだから遠慮はいらないのよ?」
バルムングが、自分より少しだけ背の小さい蕾斗を見つめる。
「まさか名残惜しいなんて言い出すんじゃありませんでしょうね?」
ルシファーが冷やかしを入れる。
「あの…………ほんの数日でしたが、ありがとうございました。なんて言うか………楽しかったです。」
突然の蕾斗の言葉にヴァルゼ・アークも含め、レリウーリア全員が目を丸くする。
「あ……あはは………ま、まあいいんじゃない?」
なんて表現していいかわからず、アシュタロトが愛想笑いをする。
「絵里さん……」
「え?わ、私?」
人間時の名前を呼ばれ、バルムングがうろたえる。
「絵里さん、二人で旅した事忘れません。とても楽しかったです。」
「な、何をくだらない事を。言っとくけど、私は清々するわ!子供のお守りは疲れるしね!」
蕾斗は何も言わず、爽やかな笑顔でバルムングに礼をし、ヴァルゼ・アーク達にも礼をすると羽竜の元へ走る。
「くす………ホントは名残惜しいのはバルムングじゃないかしら?くすくす。」
「ベルフェゴール!!」
茶化されてバルムングがベルフェゴールを睨みつける。
でもあながちベルフェゴールの言葉に間違いはない。
弟のように思えたのもまた事実。
「羽竜君、ただいま。」
「待ってたぜ!親友!」
腕をクロスさせて互いの無事を喜び合う。
「この人は?」
「セイラだ。」
「ちょっと!ちゃんと紹介しなさい!」
乱暴な羽竜の紹介にセイラが異議を唱える。
「蕾斗、詳しい事は後だ。吉澤も無事だから安心しろ。」
バベルの最後の空間に、戦うべき相手が全員揃った。
羽竜の胸には、不安や危機感とは違う鼓動が鳴り始めていた。