第十七章 バベルへ
「ねえ、ほんとによかったの?」
キャンプを出てから何回聞いただろう。
まだそんなに歩いてないはずなのに妙に疲れてくる。
「しつけーなあ。言っただろ、蕾斗を探すのが優先だって。」
しつこいという言葉にあかねがムッとする。
「このまま行き先もわからないより、セイラ様やジョルジュさんといたほうがいいと思うけど!」
「あいつらは自分達の国の事しか考えてねーよ。一緒にいたって蕾斗も魔導書も見つかんねーって。」
反して羽竜はクールに対応する。
「どうしたの!?羽竜君、変だよ!」
「普通だよ。」
「普通じゃない!いつもの羽竜君なら絶対助けるよ!」
「だったら吉澤一人で戻れよ。俺は………」
言いかけた時、異変を感じる。
「こ………この気配は!」
「やだ……苦しい……」
羽竜とあかねを襲う気配。覚えのある気配だ。
だがこんなに重い気配ではなかったはず。
気配はキャンプの方から感じる。
「羽竜君………この重苦しい気配は…………」
「ああ………間違いない、ヴァルゼ・アークだ……」
それも普段の気配ではなく、覚醒した時のヴァルゼ・アークだ。
「行くぞ!」
「うん!」
二人共その手に武器を取りキャンプへ急ぐ。
まだ1キロも歩いてない。数百メートルの距離を全速力で突っ走る。
舗装されてない道を走るのは結構な労力が要求されるが、愚痴を零す余裕なんてない。
こんなに重い気配を漂わせるヴァルゼ・アークは初めてだからだ。
羽竜の中の何かが警告を促す。
危険だと。
「はあ…はあ…メグ!ジョルジュ!」
キャンプへ戻った羽竜とあかねが恐怖に見舞われる。
セイラや僅かな民を守るようにジョルジュとメグが剣を構えている。
その先には……ヴァルゼ・アーク、魔帝がいる。
「羽竜!!あかね!!来るな!!」
ジョルジュも危機を感じてるらしく、余裕のない表情をして羽竜達を制止する。
「ヴァルゼ・アーク………あんたも来たのか……」
「知ってるのか、羽竜?」
ジョルジュの焦りも理解出来る羽竜はその名を口にする。
「魔帝………ヴァルゼ・アーク、悪魔達を総括する神だ。」
「なんだと………!」
ヴァルゼ・アークだけではピンと来なかったジョルジュも、悪魔と聞いて相手が誰なのかわかったようだ。
「薄汚い人間が余の名を口にするな。」
トレードマークの真っ赤な髪、側頭から生える漆黒の角、そして見るもの全てを闇に葬るような真紅の瞳。
肌の色以外は全て赤と黒の存在に誰もが恐怖を抱かずにはいられない。
「何言ってんだよ……薄汚いって……」
いつもとは違う口調のヴァルゼ・アークを前に思わずたじろぐ。
「うるさい蝿め。黙ってろ!」
左手を羽竜に向け衝撃波をぶつける。
「羽竜君!!」
あかねの読みも間に合わないほどの速さで羽竜を吹き飛ばす。
「ぐはっ………」
岩に身体を打ち付けた羽竜にあかねが駆け寄る。
「さあ………答えろ、プリンセスセイラ。バベルの鍵はどこにある?」
「バベルの鍵なんて知らないわ!」
一人勇ましく魔帝に挑むも、その身体は震えている。
「一国の王として気丈なのは結構な事だが、使い方を間違えると国を滅ぼす羽目になるぞ。」
「とっくに滅んでるわ。それも天使によって……」
「滅んだ?フッ……国とは土地や建物ではない。国とは民よ。それを知らないようでは天使に滅ぼされなくとも、いずれ滅んでいただろうな。」
「悪魔が人間に説教なんて………聞いた事ないわ。」
「哀れな人間に説教をくれてやる慈悲くらい持ち合わせてるつもりだが?」
「なんにしてもバベルの鍵なんて知らない!立ち去りなさい!」
「……口の聞き方を知らないようだな、プリンセスよ。あの少年が言った事忘れたか?余は神だ。薄汚い人間が命令するなど、思い上がりも甚だしい!」
羽竜にやってのけたように衝撃波をセイラに向ける。
「セイラ様!!」
「おのれっ!!」
メグとジョルジュがセイラを守ろうと前に出るが、結果は羽竜と同じ。まるで綿のように軽く吹き飛ばされる。
「プリンセスよ、余は人間を殺して遊ぶような趣味は持っておらんが、あまり聞き分けのない事を言うようならお前の部下を皆殺しにするまでだ。」
魔帝が腰下げた剣を抜く。
「羽竜君……あれ!」
あかねが魔帝の剣を指差す。
「……どうやら別の方のヴァルゼ・アークみたいだな。」
そう。魔帝が握る剣は絶対支配ではない。漆黒の刃を持つロストソウルではなく、見た目は普通の剣と変わりなく見える。
「神様って案外しつこいのね。」
セイラの一言が魔帝に怒りを植え付けた。
「愚かな………神に歯向かうか。ならば望み通り消してやろう!」
セイラに向かって剣を振り抜き真空波で攻撃する。
メグもジョルジュも気絶している。セイラは全くの無防備。
「………!!」
プリンセスは目を閉じ、死を覚悟する…………そう思った瞬間弾けるような大きな音が鳴る。
セイラは恐る恐る目を開けて何が起きたのか確認する。
「……………羽竜!!」
そこにいたのはトランスミグレーションで真空波を打ち消した羽竜だった。
「くっ………なんて威力だ………手がイテーよ。」
「バカな……本気でないとはいえ、余の攻撃を打ち消すとは…」
互いの驚きはまるで意味が違うが、その度合いは同じものだ。
そして羽竜は魔帝への攻撃をいつでも行えるように、トランスミグレーションを……羽竜スタイルの頭の脇で抱え、切っ先を敵に向ける恰好で構える。
「まさか余とやり合う気でなかろうな?」
「そのまさかだ……」
「フッ………万に一つも勝てる可能性などないぞ?」
「………例え1パーセントでも、可能性があるのならそこに望みを賭ける。それが人間だ。その勇気は秘めた以上の力を呼び起こす。神と呼ばれる者達が人間に与えた………奇跡ってやつだ!!千年後のあんたの言葉だぜ!」
「何っ!?」
「もしかしたら、魔帝じゃなく人としてのあんたの言葉かもしれないがな。」
「よまい言を……人としてだと?気でも触れたか?」
「………来いよ。」
無謀にも魔帝を挑発する。
ベルフェゴール(千明)との戦い以来、自分の力に自信を持つ者には、この手の作戦がよく効果がある事を学んだ。
挑発して冷静さを失わせ、隙を見出だす。だがそれは過信してる場合だけだ。
「フフ………長い年月を生きて来たが、神を挑発する人間など初めて見た。」
剣を鞘に収め、ニヤリと笑う。
その表情は羽竜の知るヴァルゼ・アークとそっくりだ。
「プリンセスセイラ、今日のところは退いてやろう。そこの少年に免じてな。」
「……………………。」
いやにすんなり引き上げる魔帝に疑惑を募らせるも、勝算のない戦いは避けたい。
羽竜の背中を汗が伝う。
「また会おう!」
マントを翻し羽竜達に背を向けると、そのまま消えて行った。
緊張感が解け、羽竜が膝をつく。
「あれが…………魔帝………あいつも本気を出せばあのくらいのオーラを纏うのか……?」
ヴァルゼ・アークに初めて会った夜、あの時も姿は見えずともその存在から恐怖を感じた。
「大丈夫か、セイラ?」
「ええ、私はなんともないわ。」
「それよりバベルの鍵って?」
「わからないわ。なんの事なのか………」
「でも魔帝が自ら来るくらいなんだからかなり重要なモンなんだろ?」
「だから知らないって………」
何かを思い出したらしく、言葉を切る。
「どうした?」
「そういえば………父が生きていた頃、バベルの塔へ調査に行って戻って来た時、『これから先何があってもバベルの塔へは近づくな』って。なんだか鬼気迫る感じで言ってたわ。何を言ってるのかわからなかったから忘れてたけど………」
バベルの塔は聞いた事がある。確か人間達が神になろうとして建てた建造物だ。
実際に存在してたとは驚いたが、何故かそこへ行かねばなりない気がする。
「セイラ、バベルの塔へ行くにはどうすればいい?」
「羽竜………貴方……バベルに行くつもりなの?」
「ああ。魔帝自らが出向く程のものがバベルにはあるんだよ。もしかしたら魔導書があるのかもしれない。」
「魔導書……………」
羽竜にとって魔導書はインフィニティ・ドライブを手に入れる為の手段でしかない。
しかしセイラにとっては世界に混乱を招いた憎き存在。
「わかったわ。バベルへの道を教えましょう。」
「ホントか!?」
「ただし、私も行きます。」
「何?」
「魔帝は私がバベルの鍵を持っていると言ってた………だったら私が行かなきゃ意味が無いじゃない。」
「……………いいのか?」
「何が?」
「何がって……お前この国の姫様だろ?お前がいなきゃ残った奴らどうすんだよ?」
「心配には及ばん。」
羽竜とセイラのやり取りに割って入って来たのは大臣だった。
「セイラ様が何を考えているかくらい、わしには手に取るようにわかりますぞ。どうせ止めても無駄なのでしょうから、お好きになさい。後の事はわしが引き受けましょう。」
「大臣……………」
本当は大臣には内緒で羽竜に着いて行くつもりだった。反対するに決まっているからだ。
なのに………。
「セイラ様、私も一緒に行かせてもらいます。」
目を覚ましたらしく、メグがふらつきながらセイラの前に来る。
そしてジョルジュも。
「話は聞かせてもらいました。バベルの塔に何があるかわかりませんが、羽竜の言う通り魔帝自らが出向いて来たのです。おそらく魔導書はそこにあるのでしょう。ならば私もお供します。そして、世界を戦乱から救いましょう。」
「メグ……ジョルジュ……」
国が壊滅した今も、自分を慕ってくれる事に胸が熱くなる。
ジョルジュやメグだけではない、セイラと共に逃れて来た民や兵士までもが力強い眼差しでセイラを見ている。
「羽竜、ジョルジュ、メグ、あかね、セイラ様を頼むぞ。わしにとっては孫のようなもの。何かあったらただでは済まさぬ!………よいな!」
大臣の馬鹿でかい声は涙を堪える為。
「任せて下さい。このカルブリヌスに誓ってセイラ様をお守りします!」
メグが決意をする。
「ジョルジュ・シャリアン……大臣の熱い想い、確かに受け取りました。」
「あの、私も精一杯頑張ります!」
こういう挨拶は苦手のあかねも、二人に負けじと彼女なりの決意を口にする。
「へっ………何だよ、涙目になってるぜ?あんたに言われなくてもセイラは守る!」
実に羽竜らしく決める。
目指すは伝説の塔…バベル。
「人間とはなんと未熟で単純な生き物よ…………」
盛り上がる羽竜を見下ろし、魔帝は言った。
「出来過ぎた話だと気付かぬとは。」
もう少し苦労してもよかった。そうでなければ楽しめない。
「羽竜、バベルで待っているぞ。」
腰にある剣を鞘に収めたまま地上に落とす。
意味は無い。ただ不要になっただけ。
そして魔帝は絶対支配を具現化した。