第十四章 涙
地獄絵図という言葉がある。誰も地獄になど行った事はないのに、何故か誰もがそれを地獄だと信じる。
きっと日常の中では有り得ない出来事であって、人々が想像する最低最悪の事態だと知っているからだ。
「酷い…………」
「これが戦争なのよ……」
無惨に横たわる死体を見て蕾斗が絶句する。
見ると言っても直視は出来ない。
あまりに凄惨な光景が胸を締め付ける。
「天使達はどこに行ったんでしょうか?」
「気配を感じないところをみると別の場所に行ったんじゃない?」
「随分軽い返事ですけど、胸が痛みませんか?」
絵里にも人の心はあるはず。なのに他人事のように目の前の光景に興味を示さない。
蕾斗には納得出来ない態度だ。
せめて一言あってもいいのではと苛立つ。
「痛まないわ。何をするにも犠牲は付き物、よく総帥がおっしゃってる事だけど、全てのものが満足する事なんて有り得ないんだって。平たく言えば、幸せってのは誰かの不幸の上に成り立っているのよ。天使が幸せになるには人間が犠牲になるしかないのよ。」
「そんなの屁理屈だ!こんな事が認められるわけがない!」
「あらあら、どうしたの?そんなにいきり立って。尻の青さが滲み出てるわよ?」
「なら貴女達の幸せには何の犠牲が必要なんだ?」
「私達?それはちょっと違うわね、ヴァルゼ・アーク様が幸せになるには……よ。ヴァルゼ・アーク様が幸せになるには私達の犠牲が必要よ。その為に私達は存在してるんだもの。」
「狂ってる………貴女達も、ヴァルゼ・アークもみんな狂ってるよ。」
「狂気ほど美しいものなんてないと思うけど?」
「狂気が……美しい?」
「自我を捨て、ただありのままの流れに乗せられ狂う様は何にも変え難い価値があると私は思うの。目黒羽竜同様、ボウヤの君にはわからない思想よ。」
わかりたくもない。狂気に価値があるなんて事は蕾斗には不可解な思想。
彼女がそれでいいのなら何も言う事はない。
「あれ?」
不愉快な気分も一転、蕾斗の視界に入って来たのはこの場には似合わない四人の女性。
「ん?………………あーーーっ!!!!」
蕾斗と絵里に気付き女性の中で一番若そうな女が叫びだす。
「どうしたの?葵?」
由利がまず葵を見て、それから葵の指差す方をゆっくりと見る。そこにいるのはてんで不釣り合いなツーショット。
「絵里!!」
「司令………」
絵里は表情を曇らせ由利達のいる方とは逆の方向へ走り出す。
「絵里!!待って!!」
由利の声を無視して逃げて行こうとしたが、自分達に備わっている能力を忘れていた。
「どちらに行かれるのかしら?」
純がフッといきなりテレポートしてきた。
「………くっ。」
「観念しろ!逃亡犯!」
悪ふざけ全開で葵が絵里を追い詰める。
そのやり取りをただア然と蕾斗は見てるだけ。
「何も逃げる事ないと思うけど?」
愛子がふて腐れた顔をする。
「心配したのよ、絵里………」
由利の優しい声が漂ってくる。
自分のした事を思えばみんなの顔をまともには見れない。
でも覚悟を決めてゆっくり振り返る。
「…………………………。」
家出した少女と、それを探しに来た母親…そのままだ。
絵里は何も言えない。
「さ、帰りましょう。仕事がたくさんあるのよ、悪魔に人手不足だなんて言わせないで。」
「司令………でも私はみんなが集めたフラグメントをダイダロスに奪われてしまいました。総帥にもみんなにも合わせる言葉がありません。」
「な〜に言ってんの!そういうのを思い上がりって言うのよ!」
「葵…………」
やれやれというジェスチャー混じりに葵が実に軽く諭してやる。
ジョークの言えない由利では、頑固な絵里を説得するのは難しい。
「総帥はフラグメントなんかより貴女の右目を気に病んでおられるわ。」
愛子が言ってる事に嘘はない。
「煮え切りませんわね、いい加減になさい。レリウーリアは14人いてレリウーリアなのよ?誰一人欠けてもならないって総帥もおっしゃってたの忘れまして?」
純も葵と同じく怒った口調をして見せるが、人差し指を振りながら説得する様はやはり絵里を案じているのだとわかる。
「フフ………結局は私の独りよがりだったのね。」
絵里の顔に薄いが、笑顔が戻る。
「わかりました。これ以上お手間を取らせるわけには参りませんし、戻りますみんなのところに。」
「最初からそう言えばいいのに!頑固っていうか分からず屋っていうか、面倒くさい女。」
葵の皮肉も今だけは許してやる。心なしか、仲間の皮肉が嬉しく感じる。
「ところで絵里ちゃん、あそこのかわいい彼はもしかして………」
ニヤニヤしながら純が絵里を覗き込む。
「あ、忘れてた!途中て会ってここまで一緒に来たのよ!」
こう言われては蕾斗も立つ背が無い。
一人蚊帳の外の蕾斗に由利が話しかける。
「絵里が世話になったみたいね。」
「い、いえ、僕の方こそ……」
「お仲間は見つからない?」
「はい。まだ会えてません。」
近くで見ると驚くほど綺麗だ。いや、気高いと言った方が正しいか。よく、人を魅了する悪魔の存在は語られるが、それが由利ならば魅了されない男などいるわけがない。女でさえ彼女には魅了されてしまうだろう。
だがその美しさ故、彼女もまた苦悩して来た一人だということを蕾斗は知らない。
「………いいわ。一緒にいらっしゃい。私達といればそのうち目黒羽竜と吉澤あかねにも会えるでしょう。」
由利には確信があった。自分達の行くところには必ず羽竜の姿がある。それに加え、今回は魔導書という共通目的で譲れない目的があり、否が応でも巡り会い必至だからだ。
「僕が?でも、ヴァルゼ・アークさんもいるんですよね……?」
ヴァルゼ・アークが嫌いなわけでもましてや恐いわけでもない。
由利が人を魅了する気高さを持つのなら、彼は人に緊張を与える雰囲気を持っている。
魔帝故の雰囲気なのだろうが、あの瞳で見つめられると心を見透かされているようで苦手だ。
とは言っても、死体が転がるこの場所に置いていかれるのも気が引ける。
「あら、総帥が嫌いなのかしら?」
「そ、そういうわけでは……!」
「フフ……大丈夫よ。捕って食べようなんて真似はしないから。」
誰かにも同じ事を言われたような気がする。
「じゃあ……お言葉に甘えて。」
「総帥も女ばかりで気疲れしてるからお喜びになるわ。話し相手になってあげて。」
まさか悪魔から神の相手をしろなどと言われるとは夢にも思わなかった。
「それじゃみんな、帰るわよ!蕾斗君、貴方空は飛べる?」
「はい。」
蕾斗の返事に由利が微笑み返す。
「ひゅ〜〜さっすが魔導を持つ者。カックイイ!」
葵のテンションだけは蕾斗にも不可解なままだが、このまま着いて行くしか道はない。
そう思ってるうちに悪魔が飛び立つ。
それを見て慌てて蕾斗も続く。
空から見るフランシアは地上から見るのと変わらず酷い。
この時代に科学兵器はまさか無いだろうが、それを凌ぐ凄まじい光景はこれからも蕾斗の胸から離れる事はない。
「そういえばローサちゃんから伝言がありましたわ!」
純が絵里の横に来る。
「ローサから?」
「ええ。あの状況で窓ガラス割って飛び出すなんて探してくれって言ってるようなものね!………ですってよ。」
「あんのインチキイタリアン〜〜〜〜〜!!!」
伝言の真意は定かではないが、絵里が一人勢いを増して飛んで行く。
「絵里ちゃん!?んもう!どこに向かってるかわかってんの〜〜〜〜!?」
葵の叫びを無視して先頭を切る。
蕾斗には羽竜やあかね、レジェンダとの日々が頭を過ぎる。
「…?あれ?」
彼女達に自分達を重ねていると頬に冷たい何かが当たる。
「雨?」
上を見てみるが、雨ではない。
冷たい何かは前方から流れてくる。
(これって……………涙?)
蕾斗が絵里の後ろ姿を見る。
泣いている。きっと仲間達の元へ帰れるのが嬉しいに違いない。
さっきまで狂気は美しいなんて言ってた人には見えない。
彼女達には彼女達の想いがあると知る。
まだ若い蕾斗にはそれ以上はわからないけれど、正しいものと間違っているもの、どこに線引きが出来るのだろう?
心に違いはない。誰かを愛し、求め、苦しみ、嘆く。成すべき事が違うのは立場が違うから。だとしたら悪魔のしようとしている事もまた正しい。
羽竜が以前ヴァルゼ・アークに言われたと言っていた言葉、
「万物が満足する世界など存在しない」
悔しいけど蕾斗には理解出来る。
王道と呼ばれるファンタジーのラストボスの心情は語られる事はないが、主人公が常に正しいとは限らない。
何故なら、主人公は自分達に害を及ぼす害虫駆除をしているに過ぎないのだから………。