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9 司書の過去(2)


 髪に隠れていた頬の傷が露わになった。

 傷は目元に近づくにつれて大きくなり、目の真ん中を通って額でようやく消えた。目は両側とも開いていたが、右目は虚ろになっていた。

 しかし目を引いたのは、その大きな傷跡だけではなかった。

 左側のこめかみにも傷跡があった。

 普通に考えて、頭部だけに傷を負うことはない。司書はいつも白い布製の手袋をしているが、もしかしたらその手袋も、貴重な書物を扱うために着けているのではないのかもしれない。

 領主の館で平和に過ごしているアデリアにとって、恐ろしい傷跡だった。

 背後では、壁際に控えていた侍女たちが息を飲む気配があった。アデリアも息を止めていた。だがやがて、ふうっと息をついて目を伏せた。


「思ったよりひどいし、見るのはとても怖いと思います。それは否定しません。でも私、ひどい跡が残るほどの怪我を負う人がいることを忘れていたわ。……フェリック様がお亡くなりになったばかりなのに」


 婚約者の死を忘れていた薄情な自分への嫌悪にかられ、アデリアは深い息をついた。少しの間、唇を噛み締めていたが、やがてまっすぐに司書を見上げた。

 さすがに怯むから、恐ろしい傷跡からは目を逸らして、できるだけ傷のない左目を見る。そこで初めて、彼の目が驚くほど濃い青色であることに気付いた。高い位置から見下ろしてくるせいか、目付きもかなり鋭く見えた。髪で隠れていた耳には、貴族階級特有の紋章入りの金の飾りがついている。

 刀傷を持つ貴族出身者となると、前職は簡単に推測できた。


「あなた、騎士だったのね?」

「……はい」

「体格がいいようだとは思っていたけれど、そうだったのね。でもそんな傷を負うということは、フェリック様のように前線に出ていた騎士だったのかしら?」

「一年ほど前まで、王国軍の騎士として東の国境にいました」

「東の国境? 大きな戦闘が何度もあっていたと聞いているわ。その傷のために騎士をやめたの?」

「はい」


 司書は髪から手を離した。再びぼさぼさの髪が顔を隠す。

 傷を露わにした時の威圧感が消え、穏やかな司書の姿に戻った。

 アデリアはしげしげと司書を見上げたが、この司書の姿では騎士だった頃を想像するのはとても難しい。

 思わず小さくうなっていると、ポリアナがにこやかに口を開いた。


「彼ね、頭部以外にも負傷していて、体と足の傷も重かったそうよ。それで怪我の療養を兼ねて当家に来てもらっているの。バッシュったら何も教えてくれなかったから、わたくしも知らなかったわ」

「お父様はご存知だったの?」

「何日もかけて問い詰めて、やっと白状したわ。王都に赴いていた時に国王陛下に受け入れを頼まれたってね」

「まあ」


 アデリアはそうつぶやいたが、自分でも何に対して「まあ」と言ったのかわからなくなった。

 全身に重傷を負ったという戦場に怯えたのか。

 領主館の中のことなら何でも知っていそうな母が知らなかったことに驚いたのか。

 父が全てを承知していたことを不満に思ったのかもしれないし、国王陛下のお声掛かりということに驚いたのかもしれない。

 たぶん、その全てだ。


 それにもう一つ。何も気づけなかった自分にあきれていた。

 いつものゆっくりとした歩き方や背中を丸めた姿勢は、怪我のせいだったのだ。そうわかると、なるほどと納得した。足を引きずるように見えたのは、足を引きずっていたから当然だ。

 そう言えば顔見知りになったばかりの頃は、本を持ち上げる時になんだか大きな動きをしていたと思う。おかしな癖だと思っていたら、いつの間にかそんな動きは見なくなっていた。だからすっかり忘れていた。あの動きも手に負った傷のせいだったのかもしれない。

 だがまだ気になることがある。アデリアは首を傾げて聞いてみた。


「その体に合っていない制服は? やっぱり意味があるの?」

「これは、上司である司書長に言われまして。……体が大きいのが目立つと威圧感があるから、隠すように頼まれました」

「ああ、そうね。実戦に出ていた騎士ですものね。若いお嬢さんや子供には怖く見えるでしょうね」


 奥方ポリアナは柔らかく微笑む。

 アデリアも、そうかもしれないと司書の長身と肩幅を見ながら思った。

 ポリアナはアデリアに笑顔を向けた。


「さあ、これで謎は解けたでしょう? あとは二人でゆっくり話をしなさいね。あなたもいいですね、エディーク」

「……エディーク?」


 アデリアはまた首を傾げた。どこかで聞いた名前だ。

 その時、テーブルの上にある絵物語に目がいって、あれかと思い当たる。

 あの婚約者騎士に死なれた令嬢が美男貴族と結婚した、あの恋物語だ。確か……美男貴族の方の名前だった。

 しかしそのエディークと、今の話と、何の関係があるのだろう。

 ちらりと侍女たちに目をやると、若いアデリアの侍女たちが目を輝かせて司書を見ている。何かあったのかと司書を見上げると、司書は困ったように天井を見ている。

 もう一度侍女たちを見て、アデリアはやっと気がついた。


「もしかして、司書殿の名前がエディーク?」

「ええ、そうなのよ、アデリア。とても運命的でしょう?」

「……奥方様。エディークという名前は貴族の中ではありふれています」

「そうかもしれないけれど、アデリアのそばにいるなんて、これは絶対に運命ですからね!」


 ポリアナはきっぱりと言い放ち、コロコロと笑う。そして来た時と同様に、あっという間に書物室を出て行ってしまった。






 残されてしまったアデリアは、いつものこととはいえ、母親を理解できずにいた。


「ねえ、オリガ。お母様は何をおっしゃっていたのかしら?」


 アデリアは侍女を振り返る。

 声をかけられた若い侍女は困惑したようだ。すぐには返答できず、もう一人の侍女ネリアに助けを求めるように目を動かした。しかしネリアもどうすればいいか困っていて、二人は情けない顔で顔を見合わせただけだった。


「あの……本当におわかりならないのですか?」

「わからないわ。運命って何のことなの?」


 アデリアはどこまでも真剣だ。

 困り切った侍女たちは、司書へと視線を向ける。つられてアデリアもそちらを見ると、司書はポリアナを見送ったまま呆然としていた。

 しかしすぐにアデリアの視線に気付いたようだ。アデリアに向き直って言葉を待つ。その表情には困惑が隠せずにいた。


「あの、エディーク……いえ、司書殿」

「……構いません。エディークとお呼びください」

「では、エディーク。お母様がまたあなたに迷惑をかけているのはわかるけれど、一体どういうおつもりだと思う? お母様から何か言われていたのかしら?」

「それは……」


 エディークは一瞬口ごもる。それから近くにあった椅子を引き寄せた。


「失礼ながら、長く立っているのはまだ不自由があります。見苦しい姿を見せる前に、座ることをお許しいただきたい」

「どうぞ。気がつかなくてごめんなさい」


 アデリアは気が利かない自分を恥じ入りつつ頷く。

 ゆっくりとした動きで座ったエディークは、ふうっと大きく息を吐いた。

 そのため息で我に返ったように、二人の若い侍女たちは壁際へと移動する。ぎりぎり会話が聞こえない距離を作ったようだ。

 それを見送った司書は、白い布製の手袋をはめた手で髪を乱暴にかき乱した。


「それで、先ほどの話ですが。……つまり、その、奥方様は私に、あなたのエディークになれとおっしゃっているのです」

「あなたの名前は、もともとエディークなのでしょう?」

「そうではなく、絵物語のエディークということです」

「絵物語……というと、婚約者と死別したあの話のエディーク?」

「そうです」

「……つまり……?」

「つまり……あなたと結婚しろということです」

 


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