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6 令嬢と奥方(1)


 数日後、アデリアは朝から書物室を訪れた。

 目的は借りていた絵物語を返すためだ。

 しかしテーブルに置いた絵物語を見ながら、眉をひそめてずっと黙っている。やがて、ふうっとため息をついた。


「……やっぱり納得できないわ」

「完全なハッピーエンドだったと思いますが」


 今日もぼさぼさの髪の司書は、少し離れたところで立っていた。

 書物室にきたアデリアが黙り込んだままだったから、何か用があるのだろうと控えていたのだ。アデリアはそのことに気づいて、彼も座るように合図した。

 司書は体にあっていない大きめの制服姿で、ゆっくりと椅子に腰掛ける。それを確認してから、アデリアはまたため息をついて口を開いた。


「お話としては面白かったと思うのよ。でも、目と目があっただけで恋って生まれるの?」

「そういう人もいるのでしょう」

「私にはわからない感覚ね。……でもわからないと言うことは、私とあの人は運命の相手ではなかったのかしら。私も恋というものをしてみたいのに、残念ね」


 アデリアは冗談のように言って、軽く笑う。

 しかしすぐに笑みを消し、絵物語に目を落としながらぱらりと開いた。


「たぶんあなたも知っていると思うけれど、私は四回婚約しているわ。最初の婚約は生まれて間もない頃に。二回目は六歳、三回目は十三歳、そして四回目は昨年だから十六歳の時。死なれてしまったのは初めてだけど、いろいろあって結婚まで至らなかったのよね。……こうして並べてみると、私ってしみじみと婚約とか結婚に縁がないわね」


 アデリアはページをめくる手を止め、美しい男女が手と手を取り合う挿絵を眺めた。

 最初の婚約者とは、最後まで直接顔を合わせたことがない。絵姿の交換だけだった。

 二人目の婚約者とは、三回顔を合わせた。まだ子供だったからそれができたのだろう。でもお互いの性格を理解するまでにはいかなかった。

 三人目の婚約者は八歳年上で、ずいぶん大人だなとか、顔はいいけれど女にだらしないなとか、そう思う程度には頻繁に顔を合わせたし噂もたっぷりきいた。

 そして四人目の婚約者は、心構えもなく一回顔を見ただけ。絵姿も手元にはない。騎士だったという認識しかない。


 彼らの誰も、こんな絵物語のような恋の相手ではなかった。しかし、結婚するだろうと思っていた。そういう覚悟はあったし、婚礼支度も進んでいた。

 そう言えば、婚礼用の豪華なドレスはどうなるのだろう。まだ仮縫いまでいっていないものの、全体に施す刺繍はかなり出来上がっていた。持参するはずだった調度類などはかなり仕上がっていたはずだ。

 次の時に使えるとして、はたして次というのはあるのだろうか。四回も婚約をしてしまっては、五回目など望めないのではないか。

 そんな不吉な想像をしてしまって、アデリアはうんざりと重いため息をついた。

 その時、わずかに椅子が軋む音がした。

 この場にいるのが自分と侍女たちだけではないことを思い出すが、顔を上げる気にはなれなくて目だけを動かす。視線の先にあった足は姿勢を正すように動いていた。少しだけ目を上に向けると、布がたっぷりと余る制服を無理矢理に締めるベルトが見えた。


「……婚約だけのときでよかった、とも考えられますよ」

「え?」


 予想外の言葉に、アデリアは驚いて顔をあげる。

 ぼさぼさの髪の下で、司書は真面目な顔をしているようだった。


「同盟破棄も、女絡みの醜聞も、貴族の結婚では珍しいことではありません。騎士殿の戦死も、騎士である限りありうることです。結婚後にそういう目に遭う危機から逃れられた。幸いだった、とお考えになるべきでしょう」


 どうやら、デラウェスの領主館の使用人たちはアデリアの婚約歴について詳しいらしい。

 同盟破棄は一人目と二人目。これは仕方がない。

 女絡みの醜聞は三人目。この時は両家の間でかなり揉めた。

 しかもこの時は気がつくとなぜか兄たちが揉め事の中心にいて、一時は両家の関係が非常に緊迫した状況になったとも聞いている。


 もともとの当事者であるアデリアは、婚約破棄という事態には毎回困惑した。だが三度目も含めて、心が傷つくことはなかった。これが結婚した後だったら、傷つかずにはいられなかっただろう。政略結婚に対する冷めた心とは別にある、女としての誇り。そしてもちろん経歴も傷ついたはずだ。

 今のように、あの人は女癖が悪かったからと笑うだけではすまなかった。

 司書が言うように、幸いと言えるのかもしれない。


「……確かにそうね。婚約だけだったら破棄できるけれど、結婚してしまったらそう簡単には離婚できないし、再婚も初婚より条件が悪くなるわね。お母様もそうおっしゃってくれればいいのに」


 アデリアは一人頷き、小さく笑った。

 そんな慰めの言葉も思いつかないほど、両親は動揺していたのだろう。そして冷めていると思っていたが、そんな簡単なことさえ思い至らなかったアデリアもやはり動揺しているのかもしれない。


「そういえばこの絵物語も、婚約者が戦死した後に新しい出会いがあったわね。ここまで出来過ぎた人なんて現実にはいないでしょうけれど、次はいい人とご縁があるかもしれないわね」

「その通りです。お嬢様はまだお若いし、ご領主様の愛情を受けた末娘であられます。周辺との同盟関係も順調のようですから、政略の絡まない相手を選べるかもしれませんよ」


 どこかで聞いたような慰めの言葉を、最も縁がないと思っていた相手からも聞いてしまった。それをなんとなく面白く感じたが、アデリアが表情に出したのは苦笑の方だった。


「政略が絡まない相手ね。それも問題だと思うわ」

「どうしてですか?」

「私は政略結婚しか考えた事がないのよ。急に政略度外視なんて言われても、絵物語のような恋愛なんて、私にできる気がしないのよね」

「……そうでしょうか?」

「私、たぶん恋愛には縁がないと思うわ。こういう絵物語だって興味なかったくらいだから、誰かに選んでもらう方が気が楽だと思うし。そういえばお母様は、次は本職の騎士はやめるとおっしゃっていたわ。でも騎士領主にはしたいから、代理で戦場にでられるような親族がいる人を探すんですって。難しい条件だと思わない?」


 昨日の朝、騎士の兄弟がいる貴族の子息を探し始めたと断言していたから、たぶん本気なのだろう。

 そんなことまで思い出して、アデリアはつい小さく笑った。しかし司書は笑わなかった。一瞬黙っていたが、やがてゆっくりと立ち上がった。


「そうですね。お嬢様のご身分なら、夫君に現役の騎士はおやめになった方がいいでしょう。戦死までいかなくても、職務柄、怪我は絶えることがない。騎士の妻たちは毎日夫の無事を祈り、あるいは夫の死による困窮を常に恐れると聞きます」


 窓の外に目を向けながら、淡々とそう語る。

 それから改めて向き直った司書は、アデリアに頭を垂れた。


「司書長に呼ばれていますので、しばらく席を外します。その前に何かお探しのものがあったらお手伝いしますが、どうしましょうか?」

「あら、引き止めてしまったかしら。一人で大丈夫だから、もう行っていいわよ」

「では」


 もう一度丁寧な礼をして、司書は背を向けた。

 背を丸めて少し腰を屈めた姿は、ぶかぶかの制服のせいで若いのか年取っているのかわからない。顔立ちがよくわからないくらいだらしなく伸びた髪型も、領主の館の、それももっとも権威を象徴する書物室に控える人物としては不釣合いのような気がする。

 身のこなしはなかなか洗練されている分、もったいない。


 そこまで考えて、アデリアは司書の名前を知らないことに気づいた。

 よく顔を合わせているのに、名前を呼んだことは一度もない。使用人の名前をすべて覚える必要はないだろうが、それにしてもよく顔を合わせ、つまらない愚痴も聞いてもらっているのに、彼の名前を知らないのは流石に薄情ではないか。

 アデリアは少し慌てて立ち上がった。


「司書殿」


 後姿に声を掛けると、司書はすぐに足を止めて振り返った。


「何かありましたか。アデリアお嬢様」

「あの……私、あなたの名前を知らないの。教えてもらえるかしら」


 散々言葉を交わして来たのに、今さら名前を知らないとは言いにくいものだ。アデリアはつい目をそらし気味に言った。

 そんなアデリアを見て司書はしばらく黙っていたが、ぼさぼさの髪の下で小さく笑ったようだった。


「今まで通り、司書とお呼びください。お嬢様に名を覚えていただくなど、恐れ多いことです」

「でも、何だか落ち着かないわ」

「お気になさいませぬよう」


 司書はそう言って、改めて丁寧な礼をした。

 何度見ても美しい礼で、丸めた背中や大きすぎる制服がもったいない。もちろんぼさぼさの髪が一番もったいない。いや、あの中途半端に伸びたヒゲだって問題だ。

 ゆっくりと隣室へと去る姿を見送りながら、アデリアはついため息をついていた。

 


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