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3 悲劇と物語(1)


 それは秋らしくよく晴れた日のことだった。

 深刻そうな顔をした使者が、デラウェス家の領主館を訪れた。

 遠距離を馬で駆けてきたらしい使者は土埃で汚れている。しかし疲れを押して領主の執務室に通されていった。それを見送った使用人たちは、不安そうに顔を見合わせていた。そして領主が末娘を呼びに行くように命じたと知り、そっと首を振った。

 あんな顔をした使者が、いい話を持ってきたわけがない。

 そのくらいはわかるのだ。

 やがて執務室から出てきた家令が使用人たちを集めて、使者が伝えた内容を説明した。

 領主の末娘に不用意なことを言ったりしないようにという配慮のためだ。

 ちょうど一年前と同じように晴れた日に不幸を知る気の毒なご令嬢のことを思い、使用人たちは予想が当たってしまったことを嘆きあった。



 ◇ ◇ ◇



 使者が訪れて間もなく、アデリアは父の執務室に呼ばれた。

 少し冷たい心地よい風が吹き込む廊下を歩いている時から、なにやら不穏なものを感じ取っていた。すれ違う使用人たちは、一様に痛ましげに目を伏せるのも気になった。早足を緩めてする礼も、いつも以上に丁寧だった。

 よほどのことがあったのだろう。そう覚悟を決めて父の前に立つと、領主である父親は深いため息をついて娘に椅子を勧めた。


「アデリア。その、そうだな。まずは座りなさい」

「はい。お父様」


 私室ならともかく、執務室で椅子を用意されたことはない。

 アデリアはますます緊張し、膝の上で手を握りしめて父バッシュ・デラウェスの言葉を待った。

 バッシュの髪は近頃は白髪の割合が増えている。黒色というより灰色のようだ。そんな白髪混じりの髪を撫でつけ、執務机の上に広げた書状に目を落とし、額にシワを作りながら重い吐息をついた。


「アデリアよ。落ち着いて聞いて欲しい。先ほどパドーン家から使者が来た」

「はい」

「その使者によると、フェリック・パドーン殿が戦死されたようだ」

「フェリック様が、戦死……ですか?」

「一ヶ月前の戦闘中だったそうだ。あれからずっと前線に詰めているとは聞いていたが、残念だ」


 机上に目を落としたまま、バッシュはまた吐息をついた。

 アデリアはそんな父の顔を見ながら、一ヶ月前とはずいぶん前なのだなと考えた。

 しかしバッシュの補足によると、戦場はかなり混乱していたようだ。パドーン家が戦死の知らせを受けたのも二週間前だったらしい。デラウェス領とパドーン領の距離を考えると、対応を話し合ってすぐ知らせてくれたことになる。

 パドーン家としても、精一杯の誠意を示しているのだ。


 だからと言って、久しぶりに聞いた婚約者の消息が戦死の知らせと言うのは、あまりにも酷すぎるのではないか。まだ若い娘にとってどれほどの衝撃だろう。

 執務室にいる人々は皆、息を殺して年若い令嬢に同情している。

 そんな重苦しい空気の中、アデリアはしばらく無言でうつむいていた。領主の執務室は身じろぎもはばかられるような沈黙が流れていたが、それはアデリアのため息によって破られた。


「そうですか。フェリック様は……お亡くなりになりましたか」


 ため息に続いたのは、短い言葉だった。

 領主である父バッシュは、しばらく娘の言葉が続くのを待っていた。しかし何も続かない。困ったように妻に目を向けると、ポリアナは娘のそばに駆け寄って小柄な末娘を抱きしめた。

 控えている侍女たちも、そっと目をそらして涙を拭った。


 だがアデリアは、そんな周囲の同情を受けて居心地悪そうに視線をさまよわせた。

 アデリアは困っていた。いろいろな意味で困っていた。

 また漏れ出てしまいそうになるため息を押し殺しながら、頭を抱えてしまいたくなるほど困りきっていた。

 婚約者を失った貴族令嬢として困ったことに、アデリアは「そうですか」以上の言葉を見つけられなかった。

 動揺して言葉にならないとか、あふれそうになる涙をこらえるために言葉を短くしたとか、そういう悲劇的な理由はない。

 単純に、それ以外の言葉を思いつけなかったのだ。


 婚約からは一年経っているが、その間に顔を合わせたことはなかった。

 五歳年上のフェリックとの対面は、騎士隊の一員としての移動中に訪れたあの時だけ。直接言葉を交わしてもない。名乗りを受けて目礼を交わしただけだ。

 特に嫌悪感を招くような顔ではなかったのは覚えている。パドーン家とは家柄が釣り合っていた。デラウェス領の東の小領地が後継者不在のため余っていて、上級騎士である彼を新たな騎士領主に迎えるための婚約だった。

 かろうじて手紙のやりとりはあった。しかしそれは両親たちのついでに一筆書いただけだ。その程度の接触しかないから、顔を知っていても、出来のいい肖像画に対するより少しましな程度の関心しかない。

 だから死んだと聞いても、何も感慨はわいてこない。

 婚約者の死を聞いたのだから、涙の一つも浮かべるべきだろう。

 そう思っているのに、目元は少しも潤んでこなかった。アデリアとしては、そのことに困惑していた。

 そしてもう一つ、年頃の貴族令嬢として困ってしまうことがあった。


「アデリア。気を落とさないでね」


 若々しくて美しい母ポリアナが、末娘の顔色を伺いながら声をかける。しかしアデリアとしては、気を落とす以前の問題があった。

 ポリアナは若々しいが、二十五歳の長男を筆頭に四人の子供がいる。結婚したのは十五歳の時で、十七歳の時に第一子を生んだ。

 アデリアはその十七歳になっていた。貴族の娘としては結婚適齢期の後期にあたる。その上、戦死したフェリックはアデリアにとって四人目の婚約者だった。


 つまり四度の婚約を経験しているのに、まだ結婚していない。

 貴族令嬢の中では、かなり切羽詰まった状況だ。

 その上、戦死したフェリックの代わりにパドーン家がデラウェス家に提案したのは、三十近くなった「行き遅れの令嬢」との縁談だった。

 もちろんアデリアの新たな婚約者を提案したのではない。同盟関係のための新たな縁組だった。

 貴族階級の政略結婚にはよくあることだ。

 アデリアはそう思ったのだが、父バッシュはそうではないようだ。額に深いしわを作りながら重々しく口を開いた。


「アデリアよ。パドーン家には若い独身の男はもういないらしいのだ。だから同盟を守るには、どうしても向こうが言ってきた令嬢との縁組となってしまうのだよ」

「かわいそうなアデリア……」


 ポリアナが嘆きながら顔を背け、そっと涙を拭った。

 それを視界の端に感じながら、アデリアは父親をまっすぐに見た。


「お父さま。叔父様は奥様を亡くして寂しそうにしていらっしゃったから、後妻を迎えるのは私も賛成です。お年頃は十歳近くの差があるとのことですが、叔父様は若々しい方ですから、ちょうどよろしいかと思います」

「う、うむ。わかってくれるか。……確かにな、弟には後妻を探してやりたいと思っていたところだった。件の令嬢は容姿と年齢はともかく、性格は非常にいい娘さんでな。そなたの婚約の折に何度かパドーン家に赴いた時には、いろいろ心配りをしてもらったぞ。どうしてこんな良いお嬢さんが行き遅れてしまうのかと……いや、その」


 妻に睨みつけられ、領主であるバッシュは慌てて口をつぐんだ。

 今は弟の後妻になるであろう令嬢をほめている場合ではない。そもそも、このままでは自分の娘が行き遅れになってしまうことを失念しただけでも大失態だ。

 頼りにならない夫に冷たい一瞥を向け、ポリアナはアデリアの顔をやわらかな両手でそっと挟み込んだ。


「ごめんなさいね、アデリア。わたくしたちも見通しが甘かったわ。フェリック殿は三男だから騎士として出征するのはわかっていたのに、あなたの相手に選んでしまったのだもの。次は、次こそは実戦に出る騎士は選ばないわ。ええ、絶対に戦死しないような、安定した殿方を絶対に探し出してあげますとも!」


 ポリアナは涙を浮かべながら、しかし強い語調で言い放った。頬を優しく撫でてから娘の細い手を握りしめる。柔らかくて女性らしい手につつまれ、アデリアはそっとため息をついた。

 父親も母親も、アデリアのことを大切にしてくれているのはわかる。

 だが少し過保護すぎる。

 政略結婚のことは理解しているし、貴族の娘として生まれたなら、家のためになる結婚をするのは当然だ。

 騎士が戦死することだって、仕方がないとわかっている。

 そういうことは全て理解できている。十七歳という年齢は、もう子供ではないのだ。

 内心の小さな苛立ちを押し殺し、アデリアはできるだけ自然に見える微笑みを作った。


「お母様。私は落ち込んでいません。フェリック様がどんな方だったか、お顔をよく思い出せなくて申し訳ないくらいです。それから新しい相手については、私はお母様ほど美人ではないのはよくわかっていますから贅沢は言いません。お父様とお母様の良いと思う方でいいですわ」

「まあアデリア。あなたはとてもかわいいわよ。どんなご令嬢より殿方の心をつかむことができると思うわ。それより、あなたにも好みはあるでしょう?」

「残念ですが、特にはありません」

「そうなの? でも少しでもアデリアの好みの相手がいいわね。幸いなことに、周辺との同盟はしっかりできているからこれ以上政略結婚する必要もないのよ。ご兄弟とかご親戚に騎士がいて、一緒に来ていただける方なら……」

「すべてお任せします」


 アデリアは立ち上がる。

 突然の動きに、ポリアナは慌てて追いすがった。


「アデリア、どこへいくの?」

「気分転換に書物室へ行ってみようと思います」

「ああ、そうだな。それで気分が晴れるのならゆっくりしてくるといい」

「いけませんわよ、あなた。アデリアとはもう少しお話を……」

「それは後にしよう。今は一人にさせてやろうじゃないか」


 こそこそと言い合う両親に笑顔を向けて、アデリアは足早に執務室を後にした。

 


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