デラウェスの騎士たち(6)
ゆっくりと歩いてきたバラムに気付くと慌てて背筋を伸ばすが、その緊張も今日ばかりはすぐに途切れてしまい、視線はそろりとエディークへと戻っていく。
そんな妹の前に立ったバラムは、乱れた髪を指先で整えながら水色の目を楽しそうに輝かせていた。メイリックはいつもより機嫌の良さそうな兄をちらりと見てから、また言葉を続けた。
「アデリア。エディーク殿は現状でも槍は使えるようだな」
「槍、ですか?」
「カルバン殿は、そなたを押しのけながら槍で木剣を弾き落とした。いや、絡め落としたという方が近いか? 騎士が剣技に秀でているのは珍しくないが、他にも磨いておられるようだな」
妹にそう語るメイリックは、楽しそうだ。
もう一度エディークを見上げ、アデリアは兄の手を借りて立ち上がった。
先ほどはただ驚いただけだったが、今さら状況を悟ったせいか足に十分な力が入らない。ふらつきかけて支えられてしまった。そのことにまた動揺してしまう。しかしアデリアはできるだけ自然に見える笑顔を浮かべて、支えてくれたメイリックに礼を言う。それから大きく息を吐き、エディークの方へとゆっくりと歩いて行った。
まだ控えて立っている警備兵とその手にある槍とエディークを順番に見ていく。
なんと声をかけるべきかためらっていると、エディークは穏やかに微笑んた。
「お怪我はありませんか? アデリアお嬢様」
「ええ。えっと、エディークに助けてもらったのね。ありがとう」
「よく考えるとマイズ様がいましたから、私が出る幕ではありませんでした」
「そんなことはないわ。でもつまり、手の調子は元に戻っているのね?」
「肩の違和感は残っていますが、手はそれなりに動かせるようになっています」
「それはよかったわ。でも……」
アデリアはどう問えばいいかと言葉に迷う。
それを察し、わずかに苦笑したエディークは長い前髪を目から払った。
「体はあまり動かせませんが、筋力を戻すように努めています。軽い運動として棒術も試していました」
「そうだったのね。……では、剣も使えるようになっているの?」
「重い剣はまだしばらく無理でしょう。しかし試してはいませんが、軽いものなら少しは使えるかもしれません」
「少しとは謙虚すぎる。あの動きができるのなら、マイズの剣筋も見切ってしまうだろうに」
アデリアの背後で、メイリックがつぶやいている。
振り返るまでもなく、メイリックとマイズが興味を隠さずに目を輝かせていることは予想できた。しばらく考えていたアデリアは、わずかに背を丸めて立つエディークを見上げた。
「ねえ、今度から散策先は兵舎にしてもいいのかしら? たくさん歩いた後だから、私は少しゆっくり休憩していくかもしれないわ。その休憩時間中は暇でしょうから、エディークはお好きなことを……例えばもっと体を動かしたりしてもいいわよ」
「しかし、それは」
「ふむ、つまり、我らが王国軍の剣技を吸収することもあり得るということか。アデリアの提案は悪くないな。バラム兄上もそう思われるだろう?」
メイリックの楽しそうな声に、アデリアは慌てて振り返る。
無言で腕組みしていたバラムはエディークを見ていたが、アデリアに目を移すと小さく頷いた。
「散歩中のことはアデリアが望むようにすればいい。エディーク殿が領軍兵と剣の鍛錬をすることもあるかもしれないが、領主の娘ともなるとわがままの範囲が広いゆえ仕方がないだろう」
それだけ言うと、バラムは持っていた木剣を近くの兵士に渡して背を向けた。
その後を、脱いでいた上着を持った従者が追っていく。少し離れたところで控えていた文官が、さっそく何か報告しながら書類を手渡していた。
兄を見送ったアデリアは、エディークを見上げた。
「バラムお兄様にお許しを頂いたわ。エディークはおイヤだった?」
「……アデリアお嬢様は、私を厚遇し過ぎています」
「あら、わがままな領主の娘を甘えさせるのはエディークの役目でしょう? きっとこれからもたくさんわがままを言うから、覚悟してね」
アデリアは楽しそうに笑う。
左目にかかる金髪をもう一度かきあげたエディークは、ふと動きを止めてその笑顔を見つめた。しかしすぐに目をそらして、傷跡のある右の顔を押さえながら空を見上げた。
◇ ◇ ◇
歩きながら上着を羽織ったバラムは、背後から追ってくる足音と声に気づいて足を止めた。
追ってきたのはマイズだった。
武人らしい長身と頑強な体の弟は、追いつくと軽く息を吐いてから口を開いた。
「バラム兄上。さっきのあれは故意にやったのだろう? カルバン殿を試したんだな?」
「そろそろ不満が出てくる頃だからな。私としては実戦を知る熟練の元騎士というだけで悪くないと思っているが、それだけでは納得できない連中はいるようだ」
その筆頭であるマイズは、少し決まり悪そうに目をそらした。
だがすぐに気を取り直して、歩き始めた長兄の後を大股で歩いた。
「兄上は、カルバン殿を認めているのか?」
「悪くはないと思っている。家柄は確かで、経歴と知名度は一流だ。母上の暴走から始まったが、確かに好条件な人物だ。現役ではないゆえに見逃していた、いや正直に言えば、考えたこともない相手だったな」
「しかし、さすがに年が離れすぎていませんか? 馬に乗れないとも聞いています。いくら代理の騎士を立てる道があるとしても、馬にも乗れない男を騎士領主として認めることはできないでしょう。何より、アデリアの婿には相応しくないっ!」
「現状ではその通りだが、まだ回復していく可能性はある。馬にも乗れるようになるかもしれない。秘密ということになっているが、アデリアがあのように連れ回しているのは、体を十分に動かす口実らしい」
「……アデリアはあんなに楽しそうにしているのに、口実だと? 我が妹を軽んじているのか!」
「アデリアが言い始めたことだ。だが結果的にアデリアは楽しそうにしているし、他に絶対的な候補がいるわけでもない」
「しかし、兄上!」
「マイズとしても、年齢と馬に乗れないこと以外は反対する理由はないのだろう?」
マイズはうなりながら黙り込んだ。
そんな弟をちらりと見やり、バラムは薄く笑った。
「エディーク殿は思慮深い男だ。自分の立場もアデリアの状況も理解している。だから、もう少しアデリアの笑顔を見ていてもいいとは思わぬか?」
「……確かによく笑っていたな。それに、物怖じもあまりしなくなった」
マイズは背後を振り返る。
すでに兵舎は遠くなっていて木立のために見えない。だが鍛錬場にいるアデリアの笑顔は容易く思い描くことができた。
半年近く会っていなかった妹アデリアは、明るい笑顔をごく自然に浮かべた。それでいて年相応の柔らかさな空気もあった。
特にエディークを見上げる時は、領主の娘らしい凛とした顔が少し和らいで、ごく普通の若い娘のような顔をしている。
そこまで考えたマイズは顔をしかめて腕組みをし、また大きくうなった。
「……あの甘え顔は、幼い頃から年上に甘やかされてきた延長、ですよね?」
「さて、どうなのだろうな」
「どうだろうって、それでいいのですか! まさかとは思うが、兄上は本当にあの男にアデリアをくれてやるおつもりか!」
「先のことはわからない。だが、アデリアの泣き顔は見たくないのだよ」
バラムは肩越しに振り返る。
弟と目が合うと、バラムは微笑む。その顔がとても優しく見えて、マイズは思わず足を止めてしまった。
驚愕で目を見開いている弟にひらりと軽く手を振り、バラムは笑みを消してそのまま領主館へと歩み去った。
残されてしまったマイズは、バリバリと頭をかきむしった。
しばらくそうしていたが、やがて気を取り直して大股で鍛錬場に戻った。
まだアデリアは鍛錬場にいて、木製の模擬剣を指し示して何か話していた。もちろん、笑顔で見上げる相手は金髪の司書だ。作りのことを質問していたようだ。
それから急に目を輝かせてすました顔を作る。高圧的な顔を作ったらしいが、どう見ても可愛らしい。その顔で何を言われたのか、金髪の司書は困惑を見せていた。しかし笑顔で何かを請われ続けられ、ついに押し切られたように木剣を握った。
どうやら、アデリアが新しい「わがまま」を思いついて、強引に剣を持たせたらしい。
誰かの剣技の解説をしているのだろう。金髪の司書は苦笑を浮かべたまま木剣の剣先を指差し、それから軽く動かす。それほど早い動きではないし、若干剣先はぶれているが、それでも剣の覚えのあるものなら思わず目を止めてしまう動きだった。
その動きをアデリアは笑顔で見ている。若々しい柔らかな頬は、ほのかに赤く染まっていた。
マイズは低くうなりながら頭をかき乱し、手近にあった木箱にどさりと座った。
その様子を不審に思ったのか、軽く剣の鍛錬をしていたメイリックが汗を拭きながらそばに来た。
「どうした?」
「メイリック兄上は……本当にあの男でいいと思うか? バラム兄上はアデリアに甘すぎるのではないのか!」
「カルバン殿のことか」
「確かに、王都では悪い噂が全くない人物だった。しかしあの年齢だぞ? 俺より十歳以上も年上なんだぞ? アデリアはまだ若いのに、あんなジジイでいいのか!」
「それはなぁ……。私も同じように兄上に問いただそうとしたんだが、あの動きを見せられては何もいえない」
「なんだよそれ! 懐柔されるのが早すぎるぞ、メイリック兄上!」
「おまえだって、彼の体が回復したらどんな剣技を見せるか、気になるだろう?」
メイリックは顎を軽く動かして示す。
その先には、近くにいた兵士にゆっくり軽く切り込ませて、それを防ぐ型を説明しているエディークがいた。
その解説に目を輝かせているのは、アデリアだけではない。
周囲の兵士たちがなるほどと頷いている。領軍の騎士もちらちら見ながら、持っていた木剣を動かして型をなぞっていた。
「剣技もだが、あの男は武人を引きつけるものを持っている。悔しいがそれは我らを上回るな。アデリアが絡まぬのなら諸手を挙げて歓迎するのだが。……それで、兄上はおまえには何と答えた?」
「先のことはわからないが、アデリアの泣き顔を見るよりいい、と」
「……そうだな、それに尽きるな」
腕組みをしたメイリックはため息をついた。
マイズもため息をついて妹に目を戻す。
つい先ほどまで椅子に座っていたアデリアは、立ち上がっていた。
どうやらアデリアは領主館へ戻るらしい。兄たちに手を振ると、侍女たちに指示を出している。金髪の司書も一緒に戻るようだ。
男性にしてはゆっくりとした歩き方は、足をかなり引きずっていた。隣を歩きながらアデリアが心配そうにしているから、疲れが出ているのかもしれない。
歩調を確かめるように、アデリアは何度も司書を振り返っていた。
しかしそれをごまかすように、時々どこかを指差したりしながらずっと話しかけ続けている。エディークが何か答えると、ほっとしたように笑った。
かわいい。
アデリアがいつにも増して可愛らしく見える。
そう感じたのはマイズだけではない。さり気なく見守る領軍の騎士はもちろん、押しかけ中の王国軍の騎士たちも締まりのない顔になっていた。そんなだらしない男どもをにらみつけ、マイズは小さく舌打ちをした。
「……兄上。カルバン殿を型稽古にお誘いしてもいいと思うか?」
「無理は禁物だぞ。だが、アデリアが明日もここに来たら、型稽古に誘うくらいはいいだろうな」
「よし、俺が相手を努めよう」
「明後日は非番だから、その日は譲れよ」
「承知」
マイズは頷く。
メイリックも頷き返すと、マイズの肩に手を回してぐいぐいと押した。
「まずは今日だ。ちょうどいい具合に体がほぐれているから、しばらく付き合え」
「望むところです」
乱暴に押されながら、マイズはニヤリと笑った。
メイリックも笑い返し、さらに足を早めて二人で走るように鍛錬場の中央へと入っていった。
番外編 「デラウェスの騎士たち」 (終)