デラウェスの騎士たち(5)
「……何だが腹が立つな。あの男に笑顔を見せ過ぎている」
「全くだな」
独り言のつもりだったのに、背後から応じる声がした。
慌てて立ち上がって振り返ると、冷ややかな水色の目をした長兄バラムがいた。姿勢を正すメイリックには一瞥もくれずに、傍の男に何かにつけて声をかけているアデリアを見ていた。
「バラム兄上。いつから来ていたんだ?」
「今来たばかりだ。……マイズはいったい何をやっている?」
「アデリアに色目を使った不届き者に、軽い忠告をしている、というところかな」
「忠告か」
マイズはもはや一方的に模擬剣を振り回している。それをちらりと見やったバラムは、薄く笑った。
それから汗だくで座り込んでいる王国軍の騎士たちに目を向けていき、たった今打ち負けて、息を切らせている男に目を止めた。がっくりと座り込んでいるが、赤毛のその男は他の騎士より余裕がある。肩から羽織っただけの上着には、部隊長の階級章がついていた。
「あの部隊長殿、ビルムズ家の四男だったか。自分から売り込みに来ただけあって、腕はいいようだな。人当たりもいい。ビルムズ家は二番目が優秀と聞いていたが、四番目も悪くないな」
「そうだな、あの男が悪くないのは認める。だが兄上、あれはアデリアより九歳も年上の、根っからの武人だぞ」
「意外なようだが、アデリアは武人の方があっているようだ。それに……アデリアが連れ歩くあの司書殿はもっと年上だ」
「そう、それだよ。兄上。マイズが戻ってきたから、敢えて今聞かせてくれ。あの男のことは本気で認めるのか? アデリアが楽しそうにしているから黙認してきたが、本格的な結婚相手となると話は別だぞ!」
「そうだな」
バラムは短く答え、そのまま口を閉ざす。
だが冷ややかな目が何かを探るように動いているから、メイリックは兄の言葉の続きを待つことにした。
派手な音が響いた。
マイズが最後の王国軍騎士を打ち倒し、木剣が鍛錬場の端まで飛んでいた。
王国軍騎士を四人も続けて相手にしたため、マイズもさすがに息を切らしている。剣だけでなく、手も足も飛び交う実戦様式になっているので多少は打ち身もあるようだ。それでもマイズには周囲が歓声に笑顔で応じる余裕がある。そんな弟を見て、メイリックは舌打ちをした。
「マイズめ。私の分を残さなかったな」
「頭に血が上ったそなたから、同僚を守ろうというかわいい配慮だろう。マイズにはそういう所がある」
「気を使いすぎだ。私とて手加減も配慮も出来る」
「そうか、メイリックも大人になったな。ならば少し付き合ってもらおうか」
ポンとメイリックの肩を叩き、バラムは手早く上着を脱いで控えていた従者に投げ渡した。
「兄上?」
「久しぶりに手合わせをしよう。……試したいことがある」
そう言うと、バラムは近くにあったテーブル代わりの木箱の上から模擬剣を選ぶ。
メイリックが急いで自分の木剣を持って追っていくと、バラムはマイズを招き寄せていた。
「マイズ、そなたはアデリアのそばにいろ。アデリアには絶対に怪我をさせるな」
「え? それはもちろん、そばにいる間は必ず守ってやりますが……何かあるんですか?」
「少し試す。もう行け」
手早くささやいて、バラムは弟の背を押した。
首を傾げながらアデリアの所へ行くのを見送り、バラムはメイリックを振り返って薄く笑った。
珍しい長兄の表情に、メイリックは幼い頃を思い出した。
あの顔は、恐ろしく込み入った悪戯を仕掛けようとした時に見たことがある。今では冷静沈着な次期領主としての顔しか見せていないが、年が近かったメイリックは昔の兄がもっと血の気が多くて乱暴だったことを知っている。
「兄上。何を企んでおられるのだ?」
「すぐにわかる。だからそなたは、本気で打ち込んでこい」
「兄上がそう言うのなら。しかし久しぶりだな。現役騎士として、そろそろ兄上に勝たせてもらうぞ」
鍛錬用の広場に立つと、メイリックは木剣をブンと振ってニヤリと笑う。
端麗な容姿を裏切る、恐ろしく物騒な表情だ。木製の模擬剣の重さを確かめるように軽くうごかしていたバラムも、普段の冷ややかな表情を捨てて楽しそうな顔をしていた。
◇ ◇ ◇
「まあ、お嬢様! バラム様が試合をするようですわ!」
「……バラムお兄様が?」
年頃の近い侍女オルガが悲鳴のような声をあげ、何気なくそちらに目を向けたアデリアは目を見開いた。
長兄バラムが木剣を持って剣の鍛錬場所へと入っていくところだった。
重厚な飾りをつけた上着を脱いだ姿は、周囲の騎士や警備兵に比べれるとやや細身だ。しかし貧弱さはどこにもない。平均を上回る長身は、貴公子というには均整が取れすぎていた。
「バラムお兄様がメイリックお兄様と剣を合わせるなんて、久しぶりね」
「ああ、お嬢様。私は初めて拝見しますわ! なんて運がいいのでしょう!」
「オルガ、落ち着いて。あまり身を乗り出すとスカートの裾が汚れてしまうわよ」
「あ、あら」
アデリアがからかうと、侍女は真っ赤になって椅子に座りなおした。
しかしその間も、目はバラムの姿を追っている。その姿に小さく笑ったアデリアは、末兄マイズがこちらにやってくるのを見つけた。
「マイズお兄様は休憩なさるの?」
「十分過ぎるほど堪能したからな。……同席させていただくよ」
椅子を断ってアデリアの横に立ったマイズは、ちらりと目を動かす。すぐ横に位置に椅子を置いていたエディークは、立ち上がってやや離れた位置まで椅子を動かそうとした。
「ああ、カルバン殿はそのままで。どうせアデリアに質問攻めにあっていたのだろう?」
「そうよ。私、馬は乗ることができても、武器のことなんて全く知らないんですもの。さっきもね、マイズお兄様がどうして簡単に相手の剣を叩き飛ばせているかを教えてもらったのよ。力任せではなくて、ほんの少しタイミングをずらしているからなんですって?」
「……うん、そうだ。さすがによく見ておられる。さすが上級騎士隊長をしていた方だ」
「今は、ただの司書でしかありません。出すぎたことをしました」
エディークは軽く目を伏せるように礼をする。
それをじろりとみやり、マイズは首を解すようにゆっくりと動かした。
「それで、元上級騎士隊長として、我ら現役の騎士の腕をどう見たか教えていただけるか?」
「皆お若いが、なかなかに良い腕をお持ちです。特にマイズ様は実にお見事でした」
「光栄だな。だが実は、俺より兄上たちの方が強いんだ」
マイズはそう言って、相手の表情を探る。
目を伏せていたエディークは、木剣を打ち合わせ始めた領主の息子たちを見た。つられてアデリアも兄たちを見た。
周囲の注目を受けながら、二人は軽く剣を合わせるだけの動きをゆっくりと繰り返していた。実戦から離れているバラムへの配慮だろう。
型通りの打ち合いを一通り行い、一旦二人は離れた。
それから突然、二人は動きを早めた。
どちらからともなく一気に距離を詰め、ぶつかるほどの勢いのまま剣を打ち合わせる。硬い音が響いている間に離れ、再び打ち込む。剣を滑らせて流し、斬り払うように動かしたかと思えば鋭く突く。
素早い攻撃はお互いに全て阻む。二人は次々に位置を変えながら剣を合わせ続けた。
「……これは」
「デラウェスの剣技の型だ。ご覧になるのは初めてか?」
「これほど多用するのは初めて拝見しました。……実に見事だ」
低くつぶやいたエディークは、わずかに身を乗り出していた。
隣にいるアデリアがそっと顔を見上げても、二人に視線を向けたまま動きを目で追っている。表情は真摯で、しかし口元には楽しそうな笑みが浮かんでいた。
アデリアはこっそり笑った。
ひときわ大きな音が響いたのは、その時だった。
兵士たちが息をのみ、あるいは危ないと叫ぶ。
侍女たちが小さく悲鳴をあげ、ようやく何かあったと気づいたアデリアは前へと顔を動かす。
何かが飛んでくる。
わかったのはそれだけで、アデリアは身動きも取れずにそれを見ていた。
肩に大きな手が触れた。
次の瞬間には、ぐいっと押されていた。何の備えもしていなかったアデリアは、簡単に椅子から滑り落ちるように横へと体が流れた。落ちる、と思ったが地面に体が触れることはなかった。誰かに支えられていると気づいた時、視界を何かが過ぎって大きな音が響く。
少し離れた場所に、木剣が転がり落ちた。
「大丈夫か、アデリア」
「え、ええ」
すぐそばから聞こえたのは、末兄マイズの声だった。アデリアが呆然としながら答えると、マイズは妹をひょいと椅子に座り直させた。
椅子から落ちかけた体を支えてくれたのは、マイズだったらしい。
アデリアは落ち着くためにゆっくりと呼吸を繰り返して瞬きをする。向こうからメイリックが走ってきた。その後をバラムがゆっくりと追ってきていた。
目を動かすと、侍女たちが青ざめて座り込んでいる。
周囲の男たちは、ほっとしつつもなぜか興奮したように囁きあっていた。
さらに目を動かすと、少し離れた地面に、メイリックの手を離れて飛んできた木剣が落ちていた。思わずそれを見ていると、すぐ近くで土を踏む音がした。はっと目を向けると、立ち上がったエディークが手にしていた槍をそばに立つ警備兵に渡しているところだった。
槍は、領主館の警備兵が使うものだ。
デラウェス家の紋章を入れた飾り布が付いている。領主の令嬢がいるからと、警備兵もそばに控えていた。確か、エディークのすぐ横にいた。
だが、なぜエディークが警備兵の槍を持っていたのだろう。
もう一度瞬きした時、一気に駆けてきたメイリックがアデリアの前に片膝をついて手を取った。
「アデリア、すまなかった! 怪我はないか!」
「……え、ええ。大丈夫です。少し驚いただけですわ、メイリックお兄様。でも……いったい何が……?」
「私が飛ばしてしまった木剣を、カルバン殿が弾いてくれたのだよ。いや、驚いた。マイズが身を呈して守ることは想定していたが、カルバン殿が槍を使えるとは思っていなかった」
「エディークが?」
アデリアはエディークを見上げた。