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デラウェスの騎士たち(4)

 

 

 マイズの帰還の翌日、領主館は朝からどことなく騒がしかった。

 領主の三男が帰ってきたことはもちろん、一緒にやってきた彼の上司と同僚という四人の騎士たちのせいだろう。

 完全な休暇中ではあるが、マイズも他の騎士たちも王国軍の制服を着て、王国軍の紋章の入ったマントを身につけている。マイズも含めれば合計で五人もの王国軍の上級騎士が滞在していることになる。兵舎から少し離れている領主館までどこか興奮状態にあるようだった。


 そんな空気を感じながら、アデリアはいつもより少し早い時間に書物室へ足を踏み入れた。

 ここにはいつも通りの静かな空気が残っているようだ。それを心地よく思いながらエディークを探す。しかし、どうやら書物室も普段通りではないようで、いつもならアデリアが入室したらすぐに迎えに来てくれるのに、姿が見えない。

 どこかで作業をしているのかもしれない。

 そう考えたから、アデリアはずらりと並ぶ本を眺めながらゆっくりと歩いて回った。

 エディークの姿は思ったよりすぐに見つかった。明るい窓辺に立っていた。

 そちらへ足を踏み出すと、エディークが窓に背を向けて振り返る。よく晴れた朝の光に照らされて明るく輝く金髪が揺れた。


「エディーク、おはよう」

「おはようございます。お嬢様。今朝はずいぶんお早いのですね」

「昨日から領主館中が落ち着かないから、ここの静かな空気が恋しくなったのよ」


 アデリアはため息混じりにそう言ってから、はっとして侍女たちを振り返った。

 書物室の入り口に近いところにある椅子に座った侍女たちは、アデリアと目が合うと慌てて顔の表情を引き締める。でも口元にはまだ笑いが残っていて、アデリアは自分の言葉がなんだか危うかった気がして頬を赤くした。

 おそるおそるエディークに目を戻したが、金髪の司書の表情に変化はない。

 ほっとすると同時に、なんだか物足りない気がする。

 でもなぜ物足りなく思ったのかを考える前に、エディークが窓の外に目を向けていることに気がついた。アデリアがいるのに余所見をするなんて、エディークにしてはとても珍しい。

 改めてよく見ると、エディークは窓辺に立ったままだ。

 外に目を向けているというより、何かを聞いているようにも見えた。


「エディーク? 私、お邪魔をしてしまったのかしら?」

「……ああ、いいえ。失礼いたしました。せっかく来ていただいたのに、私も浮かれているようです」

「あなたが浮かれているの?」

「はい。音が聞こえていますので」

「音?」


 アデリアは首をかしげる。

 エディークはふと微笑みを浮かべ、窓から少し除けるように立ち位置を移動する。布製の手袋をはめた手に差し招かれ、アデリアは窓辺に立ってみた。

 外は草地が見えるだけだ。

 特に何もない。

 アデリアがエディークを見上げようとした時、かすかな音とどっと沸き立つ歓声が聞こえた。


「どこの音かしら?」

「兵舎です。かなり早い時間から聞こえていましたから、領軍の方々の鍛錬があっているのでしょう」

「でも、いつもはこんなに聞こえないわ」

「今日はマイズ様がいらっしゃいます。王国軍騎士もいるので、いつも以上に張り切っているのでしょう。見物者も多いようです」


 耳をすますと、硬いものをぶつけ合うような音がまた聞こえ始めた。

 思わず窓の外へ大きく身を乗り出すと、どこかへ足早に向かう警備兵たちを見つけた。職務中ではないようだが、目を輝かせて向かっている。


「あの人たちも、兵舎へ見に行くのかしら?」

「おそらくそうでしょう」


 エディークの声は、すぐ近くで聞こえた。

 頭のすぐ上で聞こえた気がして、アデリアは慌てて振り返る。エディークはアデリアのすぐ後ろにいた。目が合うと、エディークは手を差し出してきて、アデリアが窓から落ちないように気を配っていたのだと気がついた。

 そっと手を重ねると、エディークは軽く引く。それだけで小柄なアデリアは室内へと安全に戻っていた。


「ここは一階ですが、窓から落ちると怪我をしますよ」

「そ、そうね。ありがとう」


 アデリアは手を離して少し乱れた髪をそっと撫で付ける。

 しかしふと目をあげると、エディークがまた外を見ていることに気がついた。


「もしかして、エディークも見に行きたいのかしら?」

「……恐れながら、マイズ殿の腕は拝見したいですね。他の現役の王国軍騎士にも興味があります」

「それは、その」

「単純な好奇心です。私の見立て通りの腕かどうかが気になる、という方が正確かもしれません」


 エディークは苦笑を浮かべた。

 でもその顔は、照れているようにも見えた。まるで悪戯を見抜かれた子供のようだ。

 昨日から初めて見る顔ばかりだ。

 しかし、そういうエディークは嫌いではない。むしろなんだか楽しくなる。

 アデリアはこっそりと笑い、それから少しすました顔を作った。


「ねえ、エディーク。今日も普段行かない場所に散歩に行きましょう。例えば、兵舎の辺りとか。私、鍛錬場って行ったことがないのよ」

「それは、バラム様に禁じられているからですか?」

「来るなと言ったのはマイズお兄様よ。今思えば、妹に見られるのが恥ずかしかったり、照れくさかったりするお年頃だったのでしょうね。つまり、お父様にもバラムお兄様にも禁じられていないから、叱られることはないと思うのよ」

「しかし」

「エディーク。私の散歩に付き合ってくれると約束してくれたわよね?」


 少し高圧的な言い方をして、それからにっこりと笑う。

 エディークは何か言おうと口を開きかけていたが、ふうっとため息をついて長めの金髪を乱暴にかき乱した。


「……アデリアお嬢様には勝てません。お願いですから、私を甘やかさないでください」

「あら、私がわがままを通しているだけよ。領主の娘ですもの。さあ、行きましょう」

「御心のままに」


 もう一度ため息をついたエディークは、丁寧な礼をする。

 しかし再びあげた顔は、楽しそうに笑っていた。



 ◇ ◇ ◇



 デラウェス領主の次男メイリックにとって、街道警備に出ていない日の鍛錬は義務でも苦行でもない。馬に乗ることも、重い防具をつけて走り込むことも、木製の模擬剣で打ち合うことも、己を鍛えるためというより純粋に楽しみのためにやっている。

 ある意味、貴族だからこそ許される楽しみだ。

 こういう気質はメイリックに限ったことではない。戦うための階級だった名残だから、貴族領主出身者は多かれ少なかれ似た気質を持っている。

 生活のためとか、地位を守るためとか、そういう切実な決意が背後にある騎士領主出身者との大きな違いの一つだろう。


 そういうメイリックだから、マイズの帰省は最高の楽しみだ。

 王国軍の騎士として、どれだけ腕を上げたか。

 好戦的という点では似ている弟マイズとの手合わせは、何度やっても楽しい。

 マイズと同じ王国軍の騎士とも、一度手合わせをしてみたいと思っていた。だから招かれざる客とはいえ、手合わせをしている瞬間はマイズの不注意を褒めたい気分になっている。

 だがそんな上機嫌は、領主館の方から小柄な令嬢がやってきて霧散してしまった。

 妹と目が合うと自然と笑顔になるが、招かれざる客たちが色めきだったのを見るのは極めて不愉快だった。


「メイリック兄上。あいつらを叩きのめしてこようか?」

「アデリアの前で派手に潰してやれ。いや、私もやろう。ただの手練れ程度では器不足と思い知らせてやる」

「はいはい。一応同僚だから、やりすぎないように頼みますよ」


 吐き捨てるような言葉に、木剣を肩に担いだマイズが大袈裟なため息をついてみせる。もちろんそれは上滑りする言葉で、同じ王国軍の騎士たちを見る目は物騒なほど楽しそうだ。

 さっそく同僚である王国軍騎士を剣の打ち合いに誘いに行った。

 メイリックが見たところでは、今回の客人の中に剣の腕でマイズを上回る男はいない。

 だからマイズが叩きのめすと宣言したのなら、散々な目に合うことになるだろう。

 彼らに同情するつもりはない。

 休暇による帰省にこっそり同行して、魅力的な持参金を持つ妹の婿の座を得ようと企んでいるのだ。身の程知らずな野望の代償は払うべきだろう。


 マイズがいつも以上に激しく打ち込み始め、その間にアデリアには少し離れたところに椅子が用意された。マイズを見ながら、若い侍女たちとなんだか楽しそうに話している。

 もうすぐ十八歳になる妹アデリアは、長身揃いの男兄弟とは対照的に小柄だ。パッと見た感じでは、昔の記憶とほとんど変わらない。

 だが背筋を伸ばして座る姿は、凛としたものを漂わせている。人にかしずかれることに慣れた立派な貴婦人だ。その一方で、相手を蹴り倒したマイズの満面の笑顔に、呆れたように笑い返す顔はとても明るくて屈託ない。


 もともと、アデリアは明るく笑う少女だった。

 しかし、昨秋婚約者が戦死した直後はしばらく笑顔が硬かった。その前の三人目の婚約者が派手な醜聞を起こした時は、呆れと困惑の混じった大人びた顔をしていた。

 今、アデリアは明るい顔で笑う。

 ただ明るいだけでなく、以前とは比べものにならないくらい優しい顔になった。

 特に、同行している背の高い司書を振り返る時は。

 メイリックは簡素な椅子に座りながら、小さく舌打ちをした。

 

 

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