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デラウェスの騎士たち(3)

 

 

 丘を駆け上がってくる騎士を、アデリアは笑顔で待っていた。

 軍馬は坂道をいとも簡単に登り切る。その脚がわずかに緩み、その背から長身の騎士がひらりと降り立った。


「お帰りなさい、マイズお兄様!」

「ただいま、アデリアっ!」


 飛び降りた勢いのまま駆け寄ったマイズは、愛馬が近くの草地で足を止める横で小柄な妹をひょいと抱き上げた。

 アデリアは意表を突かれたのだろう。目を大きく見開くが、すぐに笑顔で兄の肩を叩いた。


「もう、マイズお兄様、子供扱いなさらないでって、前も言ったのに」

「立ったままでは顔が見えないじゃないか。うん、顔色はいいな。元気だったか?」

「もちろん元気よ。マイズお兄様はお怪我などはしませんでしたか?」

「少しはしたが、この通り元気だ。それより……」


 マイズは妹を抱き上げたまま口を閉じ、アデリアがいた場所の後ろを見た。

 アデリアもつられて振り返る。侍女たちはもう少し離れたところに控えているから、マイズが見たのはぶかぶかの司書の制服を着たエディークだ。

 マイズの視線を受けて、エディークは丁寧な礼をしていた。


「アデリア。念のために聞くが、今日はあの司書と一緒に来たんだな?」

「はい。兵舎に私たちだけでは行きづらいから、お願いして一緒に来てもらったの」

「なるほど」


 それだけ言って、マイズはアデリアを地面に下ろした。

 何気なく真下から見上げると、マイズの目はとても鋭く冷たかった。そうしていると、マイズは驚くほどバラムと似ている。

 思わずひるむアデリアの背後で、新たに馬から降りる音が聞こえた。領軍の制服を着たメイリックは弟に苦笑を送った。


「マイズ。その男は……」

「わかっている。兄上」


 そう言うと、ゆっくりとエディークに近づく。

 顔を上げたエディークをにらむように見つめ、ざっと全身に目を向けた。

 その遠慮のない視線を、エディークは顔色を変えずに受け止めていた。しかしマイズが左手を剣の柄に置いた時だけは、その静かな眼差しを動した。マイズの剣と、王国軍の制服と、無造作なようで隙のない立ち方を見たようだった。

 マイズを見返す顔に、一瞬だけ薄い笑みが浮かんだ。

 群青色の目に浮かんだ光はどこか物騒で、アデリアは初めて見る表情に思わず見入っていた。だがその光はすぐに消えていた。目を伏せて礼をするエディークは、見慣れた穏やかな司書だった。

 黙って立っていたマイズは、ばさりとマントを背中に払った。


「こうしてお会いするのは初めてだな。私はマイズ・デラウェス。アデリアの兄だ。貴公の名を頂きたい」

「領主館で司書を務めているエディーク・カルバンと申します」

「……貴公のお噂は聞いている。長兄から手紙で釘も刺された。だが」


 マイズは言葉を切った。

 生まれた静寂は、刃と鞘が擦れる澄んだ音で破られた。アデリアが気付いた時には、エディークの喉元に剣先が突きつけられていた。


「お、お兄様!」

「アデリア。悪く思うな。母上が乗り気であろうと、バラム兄上が黙認していようと、デラウェスにはデラウェスの法があり、流儀があり、秩序がある。王国軍での経歴は存じ上げているが、己の目で見て納得できるものがなければ認めることはできない」

「マイズお兄様、失礼なことは止めてください! エディークはカルバン家のお方よ!」

「他家のご子息であろうと、ここはデラウェスだ。我らの正義が法となる」


 マイズは冷ややかに言い放った。

 青ざめたアデリアが助けを求めて振り返っても、メイリックは面白そうな顔をしていて、諦めろと言うように肩をすくめて見せた。

 もう一度マイズを見上げても、いつもは優しい末兄がちらりとも見てくれなかった。

 今ここで喉を突き裂こうとしているように、殺意を込めてエディークを睨んでいる。

 その視線を、しかしエディークは平然と受けていた。不揃いの金髪の下の群青色の目は、なぜか楽しそうに見えた。


 唐突に、マイズは剣を引いた。

 軽く剣を振ってから鞘に収め、何事もなかったようにアデリアに目を向けて青ざめた顔で身を固くしている妹に笑いかけた。つい先ほどまでの殺気が幻だったような、明るく屈託のない見慣れた末兄の笑顔だった。

 アデリアの表情が少しも和らがないのに気付くと、困ったように風で乱れた髪をかきあげた。


「アデリア。今日はこれで終わりにするから、泣くなよ」

「泣いたりしていません! 怒っているだけです!」

「うん、ごめん。でも兄としてこれだけは言っておきたかったんだ。だから機嫌を直してくれよ。アデリアを泣かしたらバラム兄上に怒られるだろう?」

「マイズお兄様なんて怒られてしまえばいいのよ。エディークにあまりにも失礼だわ!」

「ああ、うん、そうだな。王国軍の騎士として白状すると、カルバン殿のことは個人的に尊敬しているんだ。つまり……若輩者の無礼をどうかお許し頂きたい」


 マイズはエディークに向き直り、数歩退いて武人らしい礼をした。

 その姿に、アデリアは混乱するばかりだ。

 いきなり睨みつけて剣を突きつけたかと思ったら、今度は尊敬していると言いだして非礼を詫びている。

 年齢が近くて一番馴染みのある兄だと思っていたのに、今日のマイズのことは全く理解できない。

 困惑のあまり、アデリアは兄への怒りを忘れてしまった。

 そんなアデリアにちらりと目を向け、エディークは領主の三男に向き直った。


「マイズ様のお言葉は当然の事かと。今の私はただの司書でしかありません」

「いやいや、ご謙遜を。帰省前、色々な方々からエディーク殿の様子を教えて欲しいと請われましたよ。おかげで思い掛けず顔を売れたし、繋がりができたかもしれない。……おっと。そろそろ行かねば父上や兄上を待たせてしまうな。アデリア、先に戻るぞ。お土産があるから楽しみにしておいてくれ。エディーク殿も、また今度ゆっくりお時間をいただきたい!」


 マイズはそう言うと、愛馬のところへ行ってひらりとまたがる。

 アデリアが道を開けるのを待って、軽く馬の腹を蹴って領主館へと走らせた。それに続くようにメイリックも馬にまたがるが、アデリアの前で馬を止めた。

 何事かと見上げるアデリアへと身を乗り出し、小声で囁いた。


「アデリア。マイズのことはあまり怒るなよ。おまえは領主の娘で、夫となる男には騎士領主の地位が約束されている。近付く男がいれば、牽制はそうそう手加減できないのだ。特に余計な客人がいる今回はな。だからマイズはあえて憎まれ役を買って出たのだぞ」

「……余計な、お客様?」


 首をかしげたアデリアに、メイリックは姿勢を戻しながら顎で示す。

 少し離れた場所に、領軍の制服ではない騎士たちがいた。距離があったし、マイズに気を取られていてアデリアは全く気づいていなかった。しかも彼らはマイズと同じ制服姿だった。


「まあ、あの方々は王国軍の騎士なの?」

「マイズの上官と、あとは同僚の騎士らしい。と言っても、ただの招かれざる客だな。あれらに近付くなよ。向こうから近寄ってくるようなら、直ちに近くの領軍兵に助けを求めろ。遠慮はいらん。即刻デラウェスから叩き出してやる」


 それだけを言うと、メイリックも馬を走らせていった。

 招かれざる客と言われたことに気付いているだろうに、王国軍の騎士たちは少し距離を置きつつもメイリックたちを追っていく。

 二十代半ばほどの男と、それより少し若くマイズと同年代ほどの男三人。耳飾りがあるから年長の騎士は貴族出身のようだ。四人とも王国軍の騎士の名に相応しくとても背が高かった。

 ただしアデリアの前を通り抜ける時には、どこかしまりのない笑顔で手を振っている。呆然と見送ったアデリアは、真っ赤になりながらエディークを振り返った。


「……私、お客様の前で見苦しいところを見せてしまったかしら」

「大丈夫ですよ。彼らの緩み切った顔を見たでしょう。あとは、殺気立ったマイズ様しか覚えていないでしょう」

「そうだったらいいのだけれど。……ああ、そうだった、マイズお兄様のこともあったわ! 本当にごめんなさい。私のせいで不快な思いをさせてしまいました」

「お嬢様は領主のご令嬢なのですから、不釣り合いな不届き者にはあのくらいは当然ですし、妬まれたり恨まれたりするのは役得のうちです」

「……本当にごめんなさい」

「お嬢様がお気になさることではありませんよ。それに切っ先を突きつけられるくらいは、王国軍で騎士をしていれば珍しいことではありません。騎士舎を思い出して懐かしいくらいです」

「懐かしいって、本当に?」

「騎士は血の気の多い男ばかりですからね。私も若い頃はバカ騒ぎをしていたものです。……それより、メイリック様はまだ兵舎の辺りにいるようですが、帰りはメイリック様をお待ちになりますか?」

「待っても一緒に戻ることは難しいでしょうね。マイズお兄様だけでなくお客様方もいらっしゃるのなら、メイリックお兄様は兵舎の準備などでお忙しいでしょう。……でも、そうね、せっかく気持ちのいい丘に来ているから、私は少し休憩しようかしら」

「それでしたら、あちらにちょうどいい木陰があります」


 エディークは道から少し離れた木を指差す。

 アデリアが頷くと、バスケットを持った侍女が一足先に向かって敷き布を広げて準備をする。それを見ながら、アデリアはゆっくりと歩く。すぐ後ろから聞こえるわずかに足を引きずる音をききながら、先ほどのマイズを思い出してため息をついた。

 

 

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