デラウェスの騎士たち(2)
領軍の兵舎に近づくと、すでに多くの男たちが集まっていた。
領軍の制服を着た騎士たちはもちろん、一般の兵士たちもいる。皆やや興奮気味だ。
だが、これはマイズの帰省のときはいつものことだ。
王国軍の騎士となっている領主の三男の帰省を迎えるために、誰に命じられた訳もないのに武人たちが集まっている。それだけマイズは兵士たちに慕われていて、領主の息子たちが揃うのを楽しみにしているのだ。
アデリアは、兵士たちの集まるこの空気は好きだった。
兵士たちはだいたいが大柄で、体つきもがっしりとしている。小柄なアデリアがそばに行くと埋もれてしまいそうだ。体の大きな男たちに囲まれると、少し怖いと思うこともある。でもそれ以上に、兄たちが慕われていると感じ取れるこの空気は好きだった。
だから、マイズのために兵舎まで出迎える。
マイズの帰省を心待ちにする兵士たちと一緒に出迎えて、マイズの笑顔を見たい。
それがアデリアのささやかで最高のわがままだった。
アデリアが兵舎の前まで来ると、集まっていた領軍の騎士たちは慌てて整列をした。隊長格の男や騎士も小走りに前に進み出た。
男たちは領主の令嬢に緊張と敬愛を込めて敬礼をし、それから一緒にいる背の高い司書を見て戸惑った顔をした。
アデリアが一人で来ることはないと考えていても、領主かバラムが一緒にいると思っていたのだろう。
エディークのことを知らないだろうから、きちんと紹介しておくべきかもしれない。
アデリアはそう思ったのだが、騎士たちは司書の制服を見て眉を動かして興味深そうな顔をしたものの、不審を口にすることはなかった。隊長格の男たちもお互いに目配せして何事か納得したように頷いている。
やや年配で、地位が最も高いであろう騎士が進み出て、アデリアに礼と笑顔を向けた。
「アデリアお嬢様。むさ苦しいところにようこそおいでくださいました」
「お邪魔するわ。マイズお兄様のお姿はもう見えたかしら?」
「はい。先ほど森の端あたりでしたから、もう間もなく丘にたどり着くでしょう」
「間に合ったのね、よかった。いつものように丘でお迎えできそうね。……エディーク、これから丘の上まで登って行くけれど、大丈夫かしら?」
「丘とは……あの丘ですか?」
「そうよ。子供の頃から、お兄様方をお迎えするのはあの場所なの」
「なるほど。アデリアお嬢様はなかなかお転婆なお方だったのですね」
エディークはかなり急な坂道のある丘を見上げて、苦笑した。
その額にはうっすらと汗が浮かんでいる。最近の歩調は以前より早くなったようだが、今日は少し距離が長すぎたのかもしれない。迷った時間が長かったせいで急ぐことになったから、早く歩き過ぎていたかもしれない。
いろいろ考えてアデリアは心配になったが、エディークは何事もないかのように微笑んだ。
「お嬢様からは少し遅れてしまうかもしれませんが、お供いたします」
「そ、そう? でも私も少し疲れたみたい。水も飲みたいわね。椅子の用意をお願いできる?」
「すぐに。……おい、椅子を一つ、いや皆さんの分を持ってきてくれ!」
騎士が振り返って指示を出すと、兵士たちは手近な部屋の中から投げ渡すように椅子を用意した。
その一つに座り、アデリアは侍女たちを振り返る。
バスケットを持っていた侍女は、心得たように銀杯と水差しを取り出してアデリアとエディークに手渡した。アデリアは形だけ銀杯の縁に口をつけ、もともとほとんど入っていなかった容器を返した。
少し離れて座るエディークの方は、水は一息に飲み干したようだ。さらにもう一杯注ぎ足されていた。
その様子を何となく見てると、まだアデリアの前で姿勢を正していた年配の騎士がエディークをちらちら見ながら口を開いた。
「お嬢様。あちらの司書殿が、エディーク・カルバン殿でしょうか?」
「あら、彼の名前を知っているの?」
「ご本人とは初めてお会いしましたが、昔の噂はかねがね。もちろん、最近のお立場も通達されております」
「通達?」
「恐れながら、ご領主様方の許可なくお嬢様のお近くにいる男など、我ら領軍は見逃しませんよ」
「……そうですか」
アデリアは落ち着きなくエディークから目をそらした。
エディークを婚約者候補という形にしたのは、アデリア自身だ。
なのに、なんだか頰が熱い。
ふわふわと広がる黒髪を撫で付けるついでのふりをして、頬を両手で挟んで隠した。
◇ ◇ ◇
王国軍の騎士は、半数以上が貴族領主階級の出身だ。
多くは貴族といっても傍流出身と言われているが、マイズ・デラウェスのように領主の子弟という直系の騎士も少なからず在籍する。
領主の子らが危険を伴う王国軍の騎士となることは、つまり大領主たちの国王への忠誠の証。
それと同時に、国王直属の軍の内部に入ることで国王を牽制する意味もある。他の貴族への牽制も含む。
だから大領主たちは一族の若者を騎士として王国軍に送り込む。
騎士となれば内部では実力がすべてとされている一方、生家の力の差が出世に影響するのも事実だった。
そんな王国軍の騎士には、年に数度の帰省が許されている。
貴族出身の騎士は生家に戻り、国王の意向を領主たちに伝える。もちろん、軍の内部の様子を伝えることも重要な任務だ。
休暇中のマイズは、約半年ぶりのデラウェス領の空気を堪能している。
王都とは異なる色合いの空を見上げ、歩き続ける馬の上でのんびりと伸びをした。
「やはりデラウェスの空気はいいな。生き返る」
「おい、マイズ。気を抜きすぎだ。周りをよく見ろ。領民たちが見ているのだから、少しは領主一族らしい威厳を見せたらどうだ?」
「威厳はバラム兄上とメイリック兄上が見せればいい。長男次男ならともかく、三男坊は民に親しまれてこその存在だろう?」
馬を並べている次兄を振り返り、マイズはにっと笑った。
しかし次兄メイリックはそれには答えず、ちらりと背後に目を向けた。
「それより、あれらは客人として扱うべきなのか?」
「……難しいところだな」
上機嫌そのものだったマイズが、初めて顔をしかめた。
馬上でいかにも嫌そうに振り返る。その視線の先の一行は、あからさまな感情を向けられても平気な顔をしていた。それどころか、その先頭で馬を進める男は笑顔で手を振ってきた。
ますます顔をしかめ、マイズはため息とともに前を向き直った。
「メイリック兄上にご相談したい。この後、あれらを闇討ちにする、というのはどうだろう?」
「バカか。そういう事は領軍騎士が出迎える前にやっておくべきことだ。我らが同行しているのに、デラウェス領内で物騒な事を許してたまるかっ!」
「……そうなんだよなぁ。その辺りは向こうが上手だった」
マイズはため息をついた。
後ろにいる一行の顔はよく知っている。
先頭にいるのが、王国軍上級騎士でマイズの上官にあたるビルムズ部隊長。貴族領主の四男に生まれた気のいい男だ。ただし王都にいる間から、アデリアのことを聞きつけて興味を隠さず、今回はとうとうデラウェスにまでやってきた。歓迎されていないとわかっていながら、笑顔で手を振ってくる図太さもある。
上官でなければ切り捨てているところだ。
その後ろに続いているのが、同じ部隊の同僚たち。年頃が近いからそれなりに親しくしている。だからと言ってアデリアの婿候補に推すほどでもない。格下の騎士領主出身だからではない。単純に腕と覇気が足りないのだ。
ビルムズ部隊長のように大っぴらにアデリアへの求婚を匂わすほどの覚悟はなく、しかしあわよくばと企んでビルムズに同行しているらしいのだ。
おそらく部隊長の方は、自分の盾にするために連れてきたのだろう。
姑息だ。だが悪い手ではない。それがわかっているから、余計に腹が立つ。
こんな連中に後をつけられ、デラウェス領にまで招き入れることになってしまった。次兄に言われるまでもなく不注意が過ぎる。
自嘲気味にまたため息をつくと、メイリックが鼻の先で笑った。
「どうせおまえは帰郷できると浮かれていたのだろう。バラム兄上に一言言われる覚悟をしておけ」
「……一言だったらいいんだが……」
「私としては、一言もない方が怖いと思うぞ」
メイリックは赤みの強い髪を乱暴にかき上げた。
外見だけを見れば、王都でも滅多に見ないほど美麗な貴公子だ。ただし表情と仕草が全てを裏切っていて、マイズ以上の血の気の多さをにじませている。
メイリックが王国軍の騎士にならなかったのは、領主の次男という生まれのためだ。しかし次男でも王国軍に所属することはある。メイリックの場合は「次男」という以上の理由があるのだ。
それが母譲りの美しい顔だ。あまりにも整い過ぎていて、不要な争いを避けたい王宮側ができる限り王都に近づけるなと釘を刺しているらしい。
しかしそもそもの話として、メイリックは気性が荒すぎて王国軍には向かないだろう、と言うのがデラウェスでの評判だ。
そして、そんな次兄と同じくらいに血の気の多いのが、長兄バラムである。
実は、マイズが五歳年上の長兄のその気質を知ったのは最近になってからだ。
誰よりも騎士に相応しいと言われつつ、冷静沈着な次期領主としてデラウェスを治めている長兄が、まさかあれほど血の気が多いとは思わなかった。
喧嘩を売ったり買ったりするのは、暴発しやすい次兄メイリックと、次兄を抑えるために敢えて先に手を出してきたマイズの役割のはずだった。
……二年ほど前の、アデリアの婚約が破棄された日。
アデリアには一点の瑕疵もなく、完全に相手側の度を過ぎた醜聞が原因で婚約が破棄されることになり、デラウェスの領主館にて正式な契約破棄の手続きが行われた。
その日のバラムは冷静だった。
お互いの目の前で覚書を破り捨てる前も後も、元婚約相手側の代表たちは言葉の端々にデラウェス家への嘲笑や侮辱をにじませていた。バラムはそれを冷笑で受け流し、痛烈な皮肉を返していた。怒りを歯を食いしばって抑えていたマイズは、さすが長兄だと尊敬の念を強くした。
しかし、その刃をすり合わせるような空気が一変した。
「軽々しい醜聞は褒められたものではないが、男の心もつかめない小娘が相手では同情したくもなる」
そう笑った男は、次の瞬間には鈍い音と共に壁まで飛んでいた。
バラムが殴ったようだ。
やっとそう理解したのは、壁で背を打った男が咳き込んでいるときだった。
その男は、大領主同士の紛争を避けるために選ばれた立会人だった、アデリアの元婚約者の従兄弟であると当時に、バラムの婚約者の兄でもあったが、デラウェスを下に見ていたらしい。
こうして、アデリアの三度目の婚約が破棄された日は、バラムの婚約が消滅した日にもなった。
あの時の光景や、凍りついたような場の空気は……その後に生じた紛争すれすれの事態を別にしても、マイズは一生忘れることはできないだろう。
だがバラムが手を出したことで、結果的にそれ以上の流血沙汰にまではいたらなかった。
剣の柄を握って足を踏み出しかけていたメイリックとマイズは、なおも男の胸倉を掴んで持ち上げた兄に気付くと止める側に回った。
さすがにこれ以上はまずい。そう判断できるほどには冷静になっていた。
すべてはデラウェス側の怒りをそらせるための、バラムの演技だったのかもしれない。
それでも、もっとも血の気の多い方法だったのは間違いないし、冷徹な次期領主が妹のことを大切にしているのも間違いない。
そんな長兄が、不純な動機の客人をどう扱うか。それを考えると頭が痛いどころではない。
いかにも武人らしい見かけより繊細な気遣いをするマイズは、ため息をつきながら前を見やる。
しかし、すぐにうんざりした表情が消えた。
丘を登りきった道の真ん中に、小柄な姿が見えた。
癖のある黒髪が波打ちながら肩から流れていた。上質な布地で仕立てた美しい服を着て、いかにも貴婦人然とした立ち姿だったのに、それを自ら壊すように両手を高々と伸ばして手を振ってきた。
若葉に覆われた草地の中で、降り注ぐ太陽の光そのもののように明るい笑顔だ。頬は若い娘らしく上気していて、きっと水色の目は空よりも輝いているだろう。
「……あの子を大事にしなかったあの男は馬鹿だし、バラム兄上を怒らせるほどあの子を侮辱した奴も馬鹿だ」
「いきなり何を言い出したんだ?」
「つまり、我らの妹はけっこうかわいいと言うことですよ」
「当たり前のことを言うな。だからこそ取るに足らない男どもを連れてくるなと言っているんだ!」
「すぐに叩き出してやるから見ていてくれ。それよりメイリック警備隊長殿、先に行くことをお許しいただきたい」
一瞬だけ真顔で敬礼したマイズは、すぐにへらりと顔を崩した。次兄に手を振りながら馬の腹を軽く蹴る。
心得た馬は、丘を登る坂道を一気に駆けた。




