2 令嬢と騎士(2)
アデリアの兄バラムは騎士ではない。
しかし剣は使える。いや使えるどころか、次兄メイリックや末兄マイズより強いらしい。それでも騎士ではない。バラム・デラウェスは次期領主であるからだ。
騎士領主の家であれば、領主は騎士でなければいけないが、デラウェス家は貴族領主。当主は前線に出ることはない。だから騎士とはならなかったが、剣の腕が本職の騎士を上回ることは有名だ。
デラウェス家の長男として生まれなかったら、バラムは間違いなく騎士となっていただろう。アデリアはあまり長兄のことは知らない。しかし、メイリックやマイズを羨ましそうに見ていたのを一度見てしまったことがあった。
今も胸中は複雑なのではないか。そう思ったのだが、バラムの横顔からはいかなる感情も読み取れなかった。
それでも、アデリアは首を傾げた。
騎士となった人々への羨望とか嫉妬などは読み取れなかったが、バラムの目はなぜかいつもより厳しい気がした。普段から相手の情報を全て記憶するようなところはあるが、騎士たちを見る目はそれが著しい気がした。
さすが、デラウェス家の次期当主だ。
アデリアは兄を見習おうと、騎士たちに改めて視線を向けた。
領主夫妻はやや年配の騎士と話をしていた。おそらくこの騎士隊の隊長なのだろう。そのすぐ近くに、末兄マイズとともに若い騎士たちがいた。
王国軍の騎士は、半分以上は騎士領主の一族出身だと聞いたことがある。残りのほぼ全てが貴族階級で、ごく稀に平民出身がいると言う。今日の騎士たちもだいたいその割合のようで、半数ほどの騎士の鎧の肩に紋章が彫り込まれていた。貴族階級出身の証だ。
見覚えのある家紋はないだろうかと目をこらしていると、奥方ポリアナが振り返った。バラムは目があったようだ。ポリアナの笑顔にバラムは小さく頷きを返す。
そしてアデリアの肩を押して、慌てて下がろうとしていた妹をぐいと前に出した。
「あなた、アデリアですわ」
ようやく会話に区切りがついたらしい。ポリアナが夫にそう言って、アデリアたちを手招きする。領主であるバッシュは長男をねぎらうように頷き、末娘には笑顔を向けた。
その流れで、騎士たちも自然と視線をバラムとアデリアへ向けた。
すでにバラムとは顔を合わせていたのだろう。バラムには目礼だけだったが、一緒にやってきた若い娘が侍女ではないことを見てとると、領主の身内と察して一斉に立ち上がった。
「娘のアデリアです」
父の言葉に合わせ、アデリアは騎士たちに淑女の礼をする。
頭を上げて長兄をこっそり見ると、まるで合格だというように小さな頷きが返ってきた。ほっとしながら姿勢を戻すと、バッシュは笑顔で続けた。
「少し幼く見えるかもしれないが、もう十六になっておりましてな。今回は手伝いをさせています。何か足りぬものがありましたら、娘に言ってください」
バッシュの言葉に、騎士たちが礼を返す。
隊長章をつけている年配の男だけは、意味ありげに若い騎士たちに目を向けた。
だがすぐに真顔に戻し、騎士たちを一人ずつ紹介し始めた。
その夜、アデリアは愕然としながら父の顔を見ていた。
「お父様……。パドーン家のご三男、とおっしゃいましたか?」
今日立ち寄った騎士の中に、確かにそういう家名の騎士がいた。二十歳ごろの若い騎士の一人で、背が低めの人だったからよく覚えている。
背が低いと言っても、大柄の男性が多い騎士の中だからそう思っただけで、たぶん平均的な身長だったはずだ。
顔立ちも思い出せる。精悍で嫌悪感を抱くような顔ではなかった。パドーン家のことはよく知らないが、貴族領主の三男というだけあって彼の身のこなしは悪くなかった。次兄メイリックより一歳年下らしいが、次兄より落ち着いているとも思ったものだ。
だが、覚えているのはその程度だ。
言葉は交わしていない。元々が無口な人なのか、彼の声を聞いたのは名乗ったときだけだった。
「どうだろう、彼と婚約してくれるだろうか? 後継者がいなくなった東の小領地をそなたの持参金として考えているのだが」
「……あらかじめ伺ってれば、そういう目でお会いしましたけれど。どうかと言われても、悪い印象ではなかったとしか……」
どうやら、騎士領主の地位を一人娘の持参金がわりにするつもりらしい。
貴族の三男としてはかなりの好条件の結婚話だろう。いつの間にそういう話になっていたのかと驚きながら、アデリアは心の中で自分の不注意を嘆いた。
王国軍の騎士隊に会わせるためにわざわざ呼びつけられたりとか、あの隊長の意味ありげな表情とか、今となっては思い当たることばかりだ。
言葉を交わす機会がなくても、もっと気をつけていれば、あるいは家柄などに詳しければ、もっと気づくことはあったはずだ。これでは長兄に愚かな子供として冷たくあしらわれても仕方がない。
あの時、バラムはしっかりと観察していた。婚約者候補のことをどう思ったのかを知りたくて、アデリアは長兄にそっと目を向ける。
しかしバラムは、わずかに眉をひそめているだけだった。
その表情は何を意味しているのだろう。
バラムをよく知らないアデリアには、想像することしかできない。
たぶん、積極的な肯定はしていない。その一方で、完全に否定はしていないようにも見えた。
アデリアの想像が当たっていれば、デラウェス家にとっては悪い縁談ではないようだ。しかし、もしそうならなぜ不機嫌そうなのかがわからない。
娘が困惑しながら悩んでいる横で、ポリアナはとても嬉しそうに笑った。
「パドーン家は家格が同じくらいですし、女性を大切にする家風があることで有名よ。フェリック殿はお若いわりに落ち着いているし、浮気も軽々しくするタイプじゃないし、ね?」
ポリアナは時々、恐ろしいほどの推察力を披露する。だから軽い口調で断言した家風とか浮気云々なども、実際に会って言葉を交わした上での断言なのだろう。
しかし、アデリアとしてはどう反応すればいいのか。
嬉しいと喜べばいいのか、疑わしいと懐疑を見せるべきか。どちらにしろ、母ポリアナほど楽天的にはなれないのは性格だから仕方がない。
それに、浮かれるほど結婚したかったわけではないし、政略結婚は嫌だと悲観するほど夢を見てもいない。
母ポリアナのよくわからない自信に気圧され、アデリアはとっさに曖昧な笑顔を作る。するとポリアナの満面の笑顔を返されて、困惑から目をそらしてしまった。ついでに長兄を盗み見ると、不機嫌そうな兄は顔をそらしてため息をついていた。
もしかしたら、長兄も自分とと似たようなことを考えているのではないか。
ふとそう考え、年の離れた長兄に少し親近感を覚えた。
何にしろ、よい縁談であるのは間違いない。
断る口実は思いつかないし、断りたいと思う理由もない。騎士という存在はよくわからないが、兄たちと似ているのなら不快には思わない。
それに、日中の軍馬たちの様子を思い出すと心が踊る感じがあった。
騎士の妻になるのは、きっと悪いことではないだろう。
バッシュは娘の表情のわずかな変化に気づいたらしい。椅子の上でぐいと身を乗り出した。
「どうだろう。この話を進めてもいいか?」
「はい。よろしくお願いします」
「そうか、婚約してくれるか! これでアデリアは良き婚約者を得て、我がデラウェスはあたらしい小領主を得ることになるな。うむ、実にめでたい。よし、すぐにでもパドーンに使いを送ろう。ああ、その前に書状を書かねばならんな。誰か、紙の用意を!」
「父上。落ち着いてください。今日はもう遅いですよ。書状のことなどは、また明日改めてゆっくりと話し合いましょう」
アデリアが了承してくれたことに、領主バッシュはほっとしたようだ。いつになく浮かれていた。それを長男がため息まじりにたしなめる。
家令がさりげなく使用人たちに知らせに行くのを見送りながら、奥方ポリアナはとても嬉しそうに笑っていた。
こうして、デラウェス家令嬢アデリア・デラウェスは四度目の婚約に至った。
しばらくはお役目があるため、結婚はフェリック・パドーンが王国軍を退役する二年後と決まる。その間にアデリアは結婚の準備を進めることになった。
……しかし。
一年後、デラウェス家は再び落胆に沈むことになった。