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19 令嬢の花飾り(2)

 


「お嬢様が身につけている物を、一ついただきたい」

「……まあ、戦場に赴く騎士のようなことを言うのね」


 アデリアは笑った。

 でも、その笑顔はきっと硬かっただろう。

 それを必死で隠そうと、明るく言葉を続けた。


「私の物でよければ、お好きなものを差し上げるわ。本当ならもっと価値のある宝石があればよかったのでしょうけれど、私はあまり持っていないのよ。特に今日は、お花が映えるように装飾品はほとんど身につけていないから……」

「宝石はいりません」

「そ、そうよね。国王様のお誘いを受ければ、私が身につける程度の宝石なんていくらでも手に入れられるわよね」

「そうではありません。別の物が欲しいのです」


 少し身を屈めて、エディークは微笑んだ。

 顔がいつもより近い。剣を下げていない右手がアデリアの顔の横を通り過ぎた。


「あなたの髪を飾る、この美しい花をいただけますか?」

「……花?」

「人生を半ば諦めていた私を救って下さったお嬢様の思い出に。そして、王都という戦場に踏み込む私のお守りとして」


 エディークは耳の横に飾っていた小さな花の束に触れていた。

 指先が触れているのは花だが、手のひらはアデリアの耳と頬のすぐ横にある。ほんのりとあたたかさが伝わるようだ。

 頬が熱い。

 肌寒いはずの朝の空気の中にいるのに、頬が熱かった。そして、胸が苦しい。

 早く離れて欲しい。離れてくれないと落ち着かない。

 アデリアは目をそらした。


「花でよければいくらでも差し上げるわ。花壇から、もっときれいな花を用意しましょうか?」

「いいえ、これをいただきたい」


 髪を飾っていた花飾りが、ゆっくりと外された。

 絡まっていた髪が少し引っ張られた。固定していたピンは頭皮をこすって抜けていき、頭から重みが消えた。

 同時に耳と頬のそばから体温が消えた。急に眩しくなって目を上げると、エディークは少し後ろへ下がっていた。

 いつのまにか進み出た侍女のネリアが、花飾りからピンを外している。

 再び花を受け取ったエディークは、目を伏せて花の香りを嗅いだ。


 半ば呆然とアデリアが見ていると、エディークと目があった。

 エディークは目を合わせたまま、手に持つ花に口付けた。

 ふいに指先に触れた唇の感触を思い出し、心臓が激しく打った。アデリアは動揺して一瞬目を泳がせたが、なんとか踏みとどまった。全てを見届けるように、まっすぐにエディークを見上げた。頬が熱くなっても、それを無視してにっこりと笑った。


「エディーク。あなたのご武運をお祈りします」


 少し声が震えたが、たぶん気づかれない程度だろう。

 アデリアは笑顔のまま、長いドレスの裾をさばいて姿勢を正す。そして改めて、貴族の令嬢にふさわしい極めて優雅な礼をした。

 三日前から、何度も何度も鏡の前で練習してきた笑顔と挨拶だった。


 それを見つめていたエディークは、小さな花束をそっとハンカチに包んだ。大切そうに手に軽く握り込み、ゆっくりと土の上にひざまずいた。


「我が心は永遠にアデリアお嬢様の元にあるでしょう。……どうか、お元気で」

「あなたも」


 ひざまずくエディークは、騎士としては完璧な姿勢ではない。

 足は十分に曲がっていないし、体を支えるために左手の剣を杖のようについたままだった。

 だがアデリアは……とても美しいと思った。

 今日、初めて自然に微笑むことができた。

 涙は出てこなかった。見送りは笑顔で通したかったから、それだけはほっとした。




 再び立ち上がったエディークは、領主バッシュと奥方ポリアナのところへ行った。最後の挨拶を終えると、すぐに馬車に乗り込んでいく。

 近衛隊の騎士たちも騎乗した。

 領境まで同行するのだろう。メイリックをはじめとした領軍の騎士も騎乗して、馬に鞭を入れた。

 蹄が館の前の石畳を蹴り、馬車の車輪が回る。

 硬い音は、やがて土の上を進む音に変わる。その頃には一行はずいぶん遠くなっていた。


 じっと見送るアデリアの横に、衣擦れの音とともに母ポリアナが歩み寄った。


「ねえ、アデリア。本当は止めたかったのよ? でも陛下のお誘いですからね。無理強いはできないし……」

「わかっていますわ、お母様」


 アデリアはどんどん小さくなる馬車を見つめながら、微笑んだ。

 ポリアナの隣に立った領主バッシュは、娘から目をそらして重いため息をついて首を振った。


「籍だけでも残してはどうかと勧めたのだが、エディークは司書の職を完全に辞してしまった。だがアデリアよ。そなたのことは気にしていたぞ。……なぁ、ポリアナ?」

「そうですわね。ですからきっと戻ってきますよ。アデリアのために、陛下のお誘いをお断りしにいったのよ。きっとそうよ」

「陛下や名門貴族が相手だからな。断るにしろ簡単ではないのは間違いない。だから永の別れのようなことを言ったのだろう。なぁ、ポリアナよ!」

「もちろんですわ、あなた!」


 両親が一生懸命に話しかけてくるが、アデリアは微笑みを浮かべたまま黙っていた。

 その目は、遠くなっていく馬車を追っていた。

 馬車はやがて点のように小さくなる。そしていろいろなものが視界を遮った。人家が立ち並ぶ。道が曲がる。外壁が立ちふさがり、それを抜けると森が広がる。

 やがて、馬車は完全に見えなくなった。

 冷たい風が吹いて、髪飾りを失った髪を意地悪く乱した。それを片手でそっと撫でつけ、アデリアは両親に向き直った。


「エディークに提示されたのは武官待遇の上に、王太后様のご出身であるスタインシーズ家のご令嬢との縁談なのでしょう? 高位の武官なら上位貴族との縁組は重要になってくるはずです。大変な配慮をいただいているのですから、お断りはできないでしょう」

「アデリア! そんなに卑下するものではないぞ。そなたの持参金は別にしっかり用意しているし、東の小領地もそなたの婿に相続させるつもりでいると伝えている。確かに地位では太刀打ちできないが、アデリアという可愛い妻と小領主の財は悪いものではないぞ!」

「お父様の言う通りですよ。それに、私の持参金もアデリアに譲るつもりでいますからね。何より、アデリアはとても可愛いわ。エディークだってアデリアと話している時はとても楽しそうでしたわ!」

「……そうね。きっと大丈夫ね。ありがとうございます。お父様、お母様」


 アデリアは微笑んだ。

 本当は両親の言葉を信じてはいない。国王の誘いを断るはずがない。エディークは仕官を肯定した。だから両親の言葉は空々しく聞こえる。

 しかし、それをことさら言い立てる気にもなれなかった。

 両親はアデリアのことを本当に考えてくれている。それは間違いないことで、そんな気持ちは嬉しかった。うんざりするほどの熱意も、それなりに嬉しい。

 何の取り柄もない小娘を、ここまで愛してくれる人たちなのだと思うと居心地が悪くなるが、苛立つほどではない。ただ少し呆れるだけだ。

 もう一度にっこりと笑ったアデリアは、両親の顔を交互に見た。


「すっかり冷えてしまいましたわね。部屋へ戻ります」

「……やはり書物室には行かないのか?」

「お父様、私は最近は刺繍もしているんですよ。今日も続きをしようと思っています」


 アデリアは両親にそう言って、自室へと引き上げた。






 領主館の自室に入り、アデリアはそっとため息をついた。

 両親には刺繍をしていると言ったが、本当はエディークへの結婚の贈り物の準備のつもりでいる。領主の娘として、あるいは妹分として結婚のお祝いの品を準備してもいいはずだ。

 どちらかと言えば、アデリアは刺繍は得意ではない。しかし、ゆっくりなら歪みのない綺麗な模様を描くことができる。

 結婚の贈り物としてなら、幸いまだ時間はある。


 アデリアは図案を考えようとした。

 デラウェス伝統の模様は流行りから遠い。しかし怪我の養生中の思い出を語る糸口になるかもしれない。贈り物に添えるカードには「エディークお兄様へ」と書けば妹分らしく見えるだろうか。

 王太后の実家スタインシーズ家は、歴代の王妃を何人も出している大貴族だ。エディークと釣り合う大人の女性か、あるいはアデリアと同じくらいの若い少女か。どちらにしろ、きっと美しい人だろう。

 大貴族の令嬢なら、普通は立ち居振る舞いは洗練されている。

 軍馬に乗って浮かれるような、そんなおかしな令嬢ではないはずだ。

 アデリアはため息をついた。


「お嬢様。……大丈夫ですか?」

「え? 私は元気よ」

「でもお嬢様、ここ数日はずっとお部屋で過ごしていらっしゃいますわ」

「それは、刺繍を始めているからよ。もともとあまり得意ではないし久しぶりだから、針の持ち方を忘れていたわ。それに図案から描くのは初めてだから、緊張するわね」


 できるだけ明るく、少し子供っぽく言って、困ったような顔をして見せる。

 若い侍女たちは顔を見合わせ、何度か口ごもっていたが、やがて意を決したように顔を上げた。


「私たちがいると気が休まらないのでしたら、外に出ていましょうか? ……その、お嬢様がお泣きになっても誰も笑いませんわ」

「そうですわ、お嬢様。皆はとても心配しています」

「ネリアもオリガも、心配しすぎよ」


 アデリアは笑ってみせた。

 そして気を揉む侍女たちを安心させるために、集中できないのを隠して刺繍の模様の下絵を描き始めたが、図案を描く手はすぐに鈍ってしまう。


 手が止まると、軍馬に乗せてくれた時のエディークの笑顔とか、抱き上げられた時の浮遊感とか、そういうものを思い出していた。

 花束の香りを嗅いでいた姿や、初めてひざまずいてくれた姿も思い出す。

 それからふと、書物室にならぶ絵物語の中に、政略のために愛する婚約者と別れた悲恋ものがあったことを思い出した。

 アデリアは百合の花を表す模様を描きながら、ぼんやりと記憶をたどる。

 よく覚えていないが、その恋物語の令嬢は、かつて贈られた品を手に、愛しい人の笑顔を思い出して涙を流していた。


「……ああ、また足りないのね」

「お嬢様?」

「いいえ、なんでもないわ」


 心配そうに声をかける侍女たちににっこり笑い、アデリアは描いたばかりの百合の模様を見つめた。

 また恋物語のような境遇になったのに、悲劇のヒロインになりきれていない。涙は出ないし、エディークの笑顔を思い出すような品は手元にない。あえて言えば絵物語だろうか。

 そう言えば絵物語を探してもらった頃のエディークは、不思議な風体の司書だった。髪はぼさぼさでヒゲも伸びていた。ぶかぶかの制服は風をはらんだカーテンのようだった。

 今日見送った騎士らしいエディークとは別人のようだった。


 アデリアは笑おうとした。

 だがうまく笑えない。ため息になる。

 窓の外は明るく、空にも雲は少ない。だが先ほど外で感じた冷たい風はほのかに湿り気を帯びていた。冬の前触れの長雨が近いのだろう。秋の終わりの長雨が終われば、本格的な冬になる。


 エディークは雨が降る前に王都に辿り着けるだろうか。

 雨の前には痛みが生じると言っていた。

 もしかしたら、今日も痛みを隠していたのだろうか。長時間の乗馬を避けなければいけない体調なら、馬車の旅も辛いのではないだろうか。今日の顔色はどうだっただろうか。そこまでよく見ていなかった。

 いつもそうだ。いつも気づくのが遅い。気が利かない。

 自己嫌悪で頭まで重く感じたが、アデリアは深呼吸をしてそれを振り払った。


「この色、とてもきれいね。これの濃い糸と薄い糸を使ってみたいわ。どうかしら」

「は、はい。それならばこの赤い色も一緒に使うと映えるのではないでしょうか」


 アデリアは心配そうな顔を隠せない侍女たちをふりかえる。

 その明るい声に押されるように、若い侍女たちは用意していた刺繍用の糸を並べていった。

 


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