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17 回復と手紙(3)


 書物室は、少し薄暗かった。

 アデリアが見回すと、窓に近いテーブルに金色の髪が見えた。


「エディーク。少しいいかしら?」

「……これはお嬢様」


 近寄りながら声を掛けると、司書は珍しく驚いたように振り返ってから立ち上がった。

 どうやらぼんやりしていたらしい。テーブルには手紙らしい紙が広がっていた。

 それをできるだけ見ないようにしながら、アデリアはエディークの前に立って見上げる。束ねないままになっているから、以前のように髪が顔を半分隠していた。


「都から来た近衛隊の方々は、お父様へのお手紙と一緒に、あなたへのお手紙も持って来ていたそうね」

「はい。ご覧になりますか?」

「そ、それは結構よ。でも、もしかして、いいお話だったのではないかしら?」

「……陛下より、出仕のお誘いをいただきました」

「ああ、やっぱり! 体の回復のことが伝わったのね! よかったわね!」


 アデリアは思わずエディークの手を取って、ぎゅっと握りしめる。

 それから自分の行為に気づいて、慌てて手を離す。笑顔だけはそのままにエディークを見上げた。

 しかし片目の男に笑顔はない。アデリアは首を傾げた。


「どうしたの? もしかして、何か困るような条件がついていた?」

「いいえ、そういうことはありません。……いや、やはり困る条件と言えるかもしれませんね」

「デラウェス家でお役に立てることなら何でもしたいけれど、国王様がお相手となると、我が家では少し力が足りないでしょうね。ごめんなさい」

「いいえ、デラウェスの皆様にはこれ以上ないほど助けていただいています。それなのに、ご迷惑をかけてしまうというか……」


 エディークの言葉は、滅多にないほど歯切れが悪かった。

 よっぽどのことなのかと、ますます心配になっていると、アデリアの表情に気づいたエディークはやや慌てて笑顔を作って椅子を勧め、自分も座った。

 何度かため息をついて視線を彷徨わせていたが、やがて首をそっと振って口を開いた。


「これはまだ、ご領主様にも、奥方様にも申し上げていません。実は陛下から、王宮への出仕のお誘いとともに、縁談をいただいています」

「……まあ、もしかして良いお家柄の方と?」

「かなり良いと言えるでしょう。陛下の母君のご出身スタインシーズ家のご令嬢です」

「素晴らしいわ!」


 アデリアは笑顔でまた立ち上がった。

 しかし本当は、ほんの一瞬だけ言葉が出てこなかった。

 まつげが震えてしまった事に気付かれていないことを祈りながら、アデリアは勤めて明るい笑顔を作った。


「スタインシーズ家は何人も王妃を出している大貴族でしょう? そこのご令嬢とだなんて、国王様は本当にあなたを見込んでいらっしゃるのね。ぜひお受けするべきよ」

「しかし私は、お嬢様の婚約者の待遇をいただいている身です」

「あら、そんなものは正式なものではないわ。あなたの体の回復のための口実ですから。……あなたがいなくなると、その、少し寂しくなるでしょうけれど、でも王家とデラウェス家を繋いでくれる貴重な人脈ですものね。お父様もお母様も、それにバラムお兄様も、きっと喜んでくれるわよ」


 アデリアは髪を撫で付けるふりをしながら、自分の頬に触れる。

 笑顔はうまく作れているだろうか。

 もっと笑顔を。もっと嬉しそうな顔を。

 声が震えませんように。顔色が悪くなっていませんように。

 いろいろなことを祈りながら、アデリアは座ったままのエディークを見ていた。

 司書の姿に戻っているエディークは、テーブルの上に広がった手紙に目を落とした。やや角張った尊い人の文字を眺め、首を振る。眼帯をつけた右目を押さえるように、顔に手を当てた。


「……やはり、この話は断るべきだ。奥方様が新たな相手を探すならともかく、私にもっと良い縁談が来たから捨てられたなどと言われかねない。お嬢様に恥をかかせることはできません」

「あら、そんなことなら慣れているわ。デラウェス家の末娘は、やはり結婚から縁遠いのだと言われるだけよ。それに私はまだ十八歳で、騎士領主の地位付きよ。あなたが王宮で妹分として私の名を出してくれれば、新しい誰かと縁を作れるわよ?」

「しかし」


 右目を押さえたまま、エディークが顔を上げる。

 それを手で制し、アデリアは笑顔を少し消して背筋を伸ばした。


「あなたも感じていると思うけれど、今のデラウェスはただの地方領主になってしまったわ。最近は名前すら忘れられがちになっているのでしょう? バラムお兄様は何もおっしゃらないけれど、メイリックお兄様がとても悔しそうにこぼしていたのを聞いたことがあるの。……私の婚約が何度も破談になっていたのは、そういう背景があるのでしょう? だからあなたが王都でデラウェスの話題を作ってくれて、家名を浮上させてくれるのなら本当にありがたいのよ」

「……私が陛下の元へ行くことで、本当にデラウェス家への恩を返せるのでしょうか?」

「ええ」

「アデリアお嬢様は、それでいいのですか?」

「もちろんよ」


 アデリアは笑顔でうなずいた。

 言葉を長く続けることはできなかったが、笑顔だけは途切れさせなかった。


 しばらくアデリアの笑顔を見つめていたエディークは、右目から手を外してゆっくりと立ち上がる。そして笑顔を貼り付けた顔に手を伸ばした。

 頬に手が触れた。

 その指や手のひらはとても硬くて、温かい。

 アデリアはようやく、エディークが手袋を外していたことに気づいた。直接頬に触れられていると思い当たり、急に頬が熱くなって目をそらした。


「……そろそろお食事の時間ね。部屋に戻ります」

「そうですね。それがよろしいでしょう」


 しかしエディークの手はまだ離れない。戸惑って目を上げると、青い左目に見つめられていることに気づいた。

 なぜ、手が離れないのだろう。

 エディークはなぜ、あんな目をしているのだろう。

 困惑していると、エディークの手がすっと動く。

 真っ赤になった頬に指先が触れる。頬から顎へ、そして一瞬だけ唇の上を滑って、離れていった。

 アデリアは驚いて目を見開くが、数歩退いたエディークは何事もなかったかのように、いつもの優しい微笑みを浮かべていた。


「廊下まででよろしければ、お見送りしましょう」

「い、いいえ! ここで結構よ!」


 アデリアはくるりと背を向けて、ほとんど走るように書物室を後にした。

 扉口で待っていた侍女たちは、その後を慌てて追って行った。






 その日の夜、薄い毛織物を肩に掛けたアデリアは兄の部屋を目指して早足で進んでいた。外はすでに暗く、じわじわと冷え込んでいる。

 バラムの部屋に着くと、すでに話が通っていたのだろう。すぐに部屋の中へと通された。


「アデリアか。こちらに来なさい」


 街中の行政館に出向いていたバラムは、日が暮れてから帰還している。それから少し時間が経っているからか、アデリアには見慣れないくつろいだ服装になっていた。

 癖のある黒髪は軽く乱れ気味だ。


「お疲れのところ、失礼します」

「構わない。アデリアがわざわざ来るほどだから、何かあったのだろう?」


 バラムは妹に椅子を進め、自分も座る。

 数えるくらいしか入ったことのない長兄の部屋だ。少し緊張しながら素直に椅子に座ったアデリアは、しかし今さらどう切り出せばいいかと、視線をさまよわせた。

 夜だから暖炉には火が入っている。

 ぼんやりとその炎を見ていたが、兄が疲れているであろうことを思い出し、慌てて背筋を伸ばした。しかし何度口を開こうとしても、言葉はなかなか出てこない。そのことに一人で焦り始めた。


「あの、バラムお兄様……その……」

「……今日はもう仕事はしない。あとは寝るだけのつもりだ」

「あ、ごめんなさい。やっぱり今日は失礼します!」

「最後まで聞きなさい。時間はあるから、ゆっくり話を聞けると言っている」


 慌てて立ち上がったアデリアに、バラムは再び座るように促す。デラウェスの次期領主は冷ややかな顔のままだった。

 しかしその目はどこか優しいとアデリアは思う。そう気づくくらいには、長兄のことをわかるようになっていた。

 だから、少し落ち着いてくる。

 深呼吸を何度か繰り返し、アデリアはまっすぐに長兄を見つめた。


「バラムお兄様に、お願いしたいことがあります」

「どんなことだ?」

「その……」


 アデリアはもう一度口ごもる。

 しかし手をぎゅっと握りしめて、再び口を開いた。


「……エディークに、国王様から出仕のお声がかかっているようです」

「ああ、都から使者が来た件か。やはり陛下からだったのか」

「おそらく、エディークは明日にはお父様方に話すと思います。だからお兄様には、その時に彼の後押しをしていただきたいのです」


 バラムは妹を無言で見つめる。

 その薄い水色の目からは優しい光は消えていた。冷ややかな目は完全に次期領主の目になっている。その目を真正面から受けて、アデリアは身がすくみそうになった。

 しかし唇を噛み締めてまっすぐに見返し、言葉を続けた。


「エディークに来ているお誘いには、縁談もついています」

「体が回復したと見て、陛下のお気に入りの取り込みに来たか。利に聡い貴族ならありそうなことだな。名前が挙がったのは、どこの貴族のご令嬢か聞いているか?」

「スタインシーズ家だそうです」


 緊張した面立ちの妹が口にした家名に、バラムは冷ややかな目をわずかに見開いた。

 しかし、その驚きの表情はすぐに消えた。ますます冷たくなった水色の目が暖炉の炎を見つめ、低くつぶやいた。


「……それは予想以上に名門だな。本家には未婚の娘はいないから、姪あたりだな」

「お父様はともかく、お母様は絶対に反対するでしょう。でも私はエディークには国王様のところへ行ってもらいたいと思っています」


 そう言い切ると、アデリアは兄の言葉を待った。

 バラムは無言だった。

 深く椅子に背を預けたまま、こめかみに指を当てる。その指がゆっくりとんとんと叩くように動き、やがて離れた。


「アデリア。エディークの後押しをすると言う意味はわかっているのか?」

「はい」

「エディークが他の女と結婚することになるのだぞ?」

「仕方がありません。その代わりに、王宮近辺に太い繋がりができると思います」

「そなたはもう十八歳だ」

「行き遅れの女が相手でも、騎士領主の地位が欲しい人はまだたくさんいるでしょう?」

「それはそうだが……」


 バラムは目をそらして、ふうっとため息をついた。

 その間もアデリアは笑顔を貼り付け続けていたが、心臓はうるさいほど早く打っていた。兄の反応を固唾を飲んで待っていると、バラムはまたため息をついて立ち上がった。


「エディークから話を直接聞いてから対応を決めよう。アデリアはもう部屋に戻りなさい」

「でも、バラムお兄様」

「前向きには考えておく。しかし、詳細がわからないうちは断言できない」


 バラムはそういい、アデリアの前に立って手を差し出す。

 本当は確約が欲しかったが、これ以上は無理だろう。諦めたアデリアは兄の手に手を重ねて立ち上がった。そのまま退室しようと扉まで進むが、扉の前に立つ前にバラムは足を止めた。

 手を預けているから、アデリアも足を止める。そっと見上げると、バラムは妹の手を軽く握った。

 驚くアデリアの頭を、もう一方の手が軽く撫でた。


「よく眠れる薬湯を準備させよう。お休み」

「……お休みなさい。お兄様」


 バラムはもう一度妹の頭を撫でる。

 大きな手は硬いが暖かい。でもエディークの手はもっと硬かった。アデリアは離れていく兄の手を見送り、丁寧な礼をして退室した。

 


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