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13 散歩の日和(1)


 明るい光とともに、風が窓から吹き込んでくる。

 風に髪を吹き乱されながら、アデリアは窓から身を乗り出すように外を見た。

 領主館のまわりの草地は、少しずつ緑の色合いを増している。一ヶ月近く続いた長雨によって、春の進みは一気に広がっていた。風はまだ冷たくて肌がぴりりとするが、空気は乾燥していた。日が高くなればきっと暖かくなるだろう。

 

「うん、やっと散歩日和になったわね」


 雨が上がればエディークを散歩に誘おうと待ち続け、やっと今日は朝から晴れてくれた。

 もうこれからは晴れる日が続く季節になる。

 ここ数日は来客が多く、書物室にいけない日が続いていた。その辺りの事情は、領主館の使用人はよく知っている。エディークにも伝わっていたはずだ。

 だから何も心配することはないと思うが、それでもあのぶかぶかの制服を着た大きな姿を見ないでいるのは、なんだか落ち着かない。

 久しぶりにエディークの穏やかな声を聞きたい気分にもなっている。

 まだ午前の早い時間だったが、アデリアは散歩向きの服装をして書物室へと出かけて行った。

 




 書物室を訪れたアデリアは、入り口の前で首を傾げた。

 普段はいない警備兵が立っている。

 来客中かと足を止めると、警備兵はどうぞと言って扉を開けてくれた。どうやらアデリアが入室しても問題はないらしい。

 アデリアは警備兵たちに礼を言って書物室へと入った。


「エディーク。今、時間はあるかしら?」


 室内に入り、アデリアはいつも通りに声をかける。

 誰かの気配がしたから、司書が掃除をしていると思ったのだ。しかし棚の向こうから出て来たのは、黒髪の長兄バラムだった。


「えっ? バ、バラムお兄様? ごめんなさい、エディークだとばかり……!」

「エディークなら、ここにはいないぞ」

「……いないのですか?」


 慌てていたアデリアは、兄の冷ややかな声を聞いてやっと落ち着いた。

 周囲を見たが、確かに室内には他には誰もいないようだ。

 どうやら、他の場所にいるようだ。アデリアが来客で忙しかったように、エディークも忙しいのだろう。

 そうわかっているのに、アデリアはなぜかひどくがっかりしてしまった。

 うつむいてしまった妹を見ていたバラムは、わずかに眉を動かした。


「……本を探すのなら、司書長を呼んでこようか?」

「いいえ、そんな、私はたいした用事ではありませんから出直してきます!」


 司書長がいるであろう奥の部屋を振り返る兄を、アデリアは慌てて止める。

 書物室に来たのはほとんど習慣的なもので、エディークを呼んだのはごくつまらない用事のためだ。久しぶりだったから会えないのが残念だっただけだ。

 多忙を極めるデラウェス家の後継者を使いにしたりするなんて、とんでもないことだ。それに司書長も祖父くらいの年配の人だ。気軽に暇つぶしの本を相談するのは申し訳ない。

 兄の前で萎縮してしまったアデリアを見下ろし、バラムは何か考えているようだ。やがて手にしていた書物を棚に置き、緊張している妹の前に立った。


「アデリアはエディーク殿とよく会っているそうだな」

「は、はい。その、えっと、気が合いますので!」

「……そういうことにしておこう。だが、エディーク殿とはかなり年が離れている。話し辛いなどはないのか?」

「それはありません。始めはお父様と同じくらいと思っていたから、気安く接していましたもの。本当はもっとお若いとわかっても、お人柄は知っていますし……」

「そう言えば、アデリアは家令たちに可愛がられてきたな。なるほど。……母上の妄言かと思っていたが、そうでもないのか」


 バラムは最後は独り言のようにつぶやく。

 それから、まっすぐに立つアデリアの頭に軽く手を置いた。


「お兄様?」

「エディークは外の水飲み場にいるはずだ。古い棚を洗うと言っていた」

「水飲み場ですか? 馬用の?」

「そうだ。あの馬用の水飲み場にいる。……実はな、しばらく一人で書物室を使いたいのだ。エディークにしばらく戻ってこないようにと伝えて欲しい」

「わかりました。お兄様はごゆっくりお使いください」

「アデリアもな」


 バラムはそう言って微笑んだ。

 アデリアが驚いて目を見開いている間に笑みは消えていたが、頭に乗っていた手は癖のある長い髪を軽くなでてから離れた。

 アデリアはその手を目で追いながら立ち尽くす。しかしバラムはそれ以上妹に目を向けず、また本棚に向き直った。どうやら本を探しているようだ。

 しばらくその後ろ姿を見ていたが、アデリアは一人で使いたいと言う兄の言葉を思い出す。邪魔をしないよう、足音を殺してそっと書物室を出て行った。






 広い水飲み場に近づくと、何やら賑やかな声が聞こえた。

 見えてきた感じでは、かなりの人数が集まっているようだ。思ったより大掛かりなことになっているらしい。

 よく考えてみれば、棚を移動させてきれいにするのだから、最低でも二人必要だ。どうやら棚は幾つもあるようで、体格のいい力自慢の使用人たちが持ち上げて位置を変えたり水を持ってきたりしている。

 そんな中でも、エディークは目立っていた。

 まず他の使用人たちより背が高い。その上、よく晴れた屋外では金髪が目立つ。彼の金髪はとても明るい色だから、光を受けると眩しいほど輝いて見えた。

 アデリアはエディークのところへと歩いて行く。

 その途中で、一度首を傾げた。

 何だかいつもの彼と違って見えた。室内にいる時より金髪が華やかに見えるからだろうかと思ったが、すぐに間違いに気づいた。


「おや、アデリアお嬢様。何かありましたか?」


 近づくアデリアに気づいたエディークは、棚を拭いていた濡れ雑巾をバケツに戻して立ち上がる。アデリアがすぐ前に来るまでにまくりあげていた袖口を戻して、簡単に見じまいを整えた。

 こういうところは、他の使用人たちより律儀だ。

 エディークの姿を見て、他の使用人たちも気がついたようで、慌てて作業を止めたり衣服を整えようとする。

 そんな彼らには笑顔で仕事を続けるように言い、アデリアは改めてエディークを見上げた。

 今日のエディークはくつろいだシャツ姿だ。広い肩幅や太い腕回り、それに引き締まった腹部まで体型がよくわかる。この姿なら前職を迷うことはないだろう。


「珍しいわね。司書の制服は着ていないのね」

「作業中でしたので」

「それもそうね。でも驚いたわ。何だか……いつもと全然違う感じね」


 そう言いながら、アデリアはつい笑ってしまった。


「ねえ、あのぶかぶかの制服はやっぱりやめましょうよ。叔父様方のような中年太りを隠しているのかと思っていたけど、お兄様のような体型なのね。隠すのはもったいないわ」

「……上司と相談してみます。それより、何か御用があったのでは?」

「たいした用ではないのよ。書物室に行ったら、バラムお兄様があなたはここにいるっておっしゃったから来たの」


 笑いを収め、アデリアは改めて周りを見た。

 力仕事で水を使う作業のためか、エディークも使用人も上着を脱いでシャツ姿だ。来た時はもう少し露出度が高かった気がするが、領主令嬢に気を使って服を着たようだ。

 気を使うなと言っても、こればかりは無理だろう。そう気付いて、アデリアは自分の考えの足りなさが恥ずかしくて頬を染めた。


「ごめんなさい。私、お仕事の邪魔をしてしまったわね。出直します。あ、そうだわ。バラムお兄様が書物室を一人で使いたいんですって。しばらく戻らないようにお願いね」

「わかりました」


 エディークが頷くのを確かめてから、アデリアは水飲み場を離れようとした。


「お嬢様、お待ちください」


 呼び止めたのはエディークだった。

 振り返ると、エディークは近くにいた使用人の一人と一言二言、何か言葉を交わしている。そして脱いでいた司書の制服を手早く着て、立ち止まったアデリアのところまで歩いて来た。


「お嬢様は、私に何か御用があったのではありませんか?」

「ええ、でも、お仕事の邪魔はしたくないわ」

「大丈夫です。後は私がいない方がはかどる、片付け中心の作業だけですから」


 エディークは不揃いの髪を手早く結び直しながら微笑んだ。

 大きすぎる制服を着た今は、いつもの冴えない姿に戻っている。鮮やかな金髪の色は同じはずなのに不思議なほど目立たなくなっていた。


「それで、何かありましたか?」

「本当にたいしたことではないのよ。それより、あの棚はどうしたの?」

「書庫に保管されていたものです。絵物語が最近増えたようですから、新たに書架を増やそうと思いまして。あの棚は古い時代のものですから、雰囲気も合うと思います」

「それで、今日洗うことにしたの?」

「今日はこの通りよく晴れていますし、この先もしばらく雨にはならないようですから」

「先のことまでわかるの?」

「雨が近くなると、傷跡が痛みますので」


 エディークはなんでもないことのように答える。目元に薄くシワが入る微笑みは穏やかだ。

 だがアデリアは一瞬言葉を失った。

 昨日までずっと雨が続いていた。春を告げる雨だとアデリアはむしろ室内の生活を楽しんでいたが、エディークにとっては辛い日々だったのかもしれない。

 顔にも足にも背中にも傷跡があると言っていた。

 ならば、どれほどの痛みがあっただろう。しかし顔を合わせていたのにアデリアは全く気付かなかった。

 雨が上がった今日はもう大丈夫なのだろうか。

 心配になって目を凝らして見たが、穏やかな微笑みからは何も読み取れなかった。

 


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