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12 同盟の発展(2)


 元騎士の司書は、何となくためらいがちな口調で言葉を続けた。


「その……二人の出会いからの過程は、ゆっくりだったのを覚えていますか?」


 絵物語『白百合に誓う愛』の後半は、そのタイトル通り百合の花が咲く野原から話が進んでいく。百合の香りの中で出会った二人がお互いの名前を知ったのは、何度も顔を合わせ会話を交わした後だった。イレーナが心癒され、さらにエディークが想いを告げるまでに、読み手たちはどれだけ焦らされたことか。

 そう考えれば、劇的な展開のないゆっくりとした過程だったのは間違いない。


「奥方様はあの話の大変な愛読者のようです。ですから……あの話になぞらえているのではないのでしょうか」

「なぞらえる?」

「まずは何もせず、ゆっくりと待っている、ということです」

「……あのお母様が?」


 アデリアは考え込む。

 母ポリアナは、娘が司書と話をするのを楽しみにしているのは間違いない。書物室に行くというと嬉しそうな顔をするし、先ほどもとても意味ありげな笑顔で手を振っていた。

 それなのに、思い込んだら突っ走るあの母親がおとなしくしているというのは、絵物語のように二人が距離を詰めるのを待っている、と考えると確かに納得できた。


「……ねえ、オリガ、ネリア。絵物語の中では、出会ってから結婚までどのくらいの時間があったかしら」


 壁際に控えている侍女たちを振り返ると、二人はにっこりと笑って力強くうなずいた。


「ちょうど一年でございます」

「プロポーズは、再び巡って来た百合の香りの中でしたわ」

「……そう言えばそうだったわね。では時間はゆっくりある、と考えるべきかしら」

「実は……それにも問題がありまして」


 エディークは目をそらして膝を撫でた。

 その表情はなんだか複雑そうで、アデリアは思わず背筋を伸ばした。もともと姿勢はいいのだが、必要以上にまっすぐに座ってしまった。

 あまりにも緊張した顔をしすぎたのだろう。エディークが表情を緩めて微笑んでいた。


「深刻な事態ではありません。ある意味、深刻と言えなくもないのですが。実は……一年では足りないでしょうが、それくらいの時間があれば、馬に乗れるようになるかもしれません」

「……えっ?」


 アデリアは思わず身を乗り出した。


「もしかして、足や体の調子がいいの?」

「はい」

「そうなのね! よかったわ!」


 喜びのまま声を上げ、アデリアは勢い良く立ち上がる。

 そしてとっさに立ち上がれず、まだ座っているエディークの手を取るとぎゅっと握りしめた。


「手はほとんど大丈夫なのでしょう? 馬に乗れるようになれば、前線の騎士は無理でも、もっといい仕事につけるわね!」

「それはそうかもしれませんが……」


 アデリアの勢いに押され、エディークはわずかに身を後ろにそらした。

 だがすぐに我に返ったようで、さりげなく手を抜き取ってゆっくりと立ち上がった。アデリアとの距離もとる。


「お忘れですか? 私との縁談を無理に進めないようにする口実がなくなるかもしれないのですよ。他の言い訳を考える必要も出てくるかもしれません」

「あ、そうね。そうよね。……でも、本当によかったわ。ご生家のお兄様にいい知らせができそうじゃない。絶対に喜んでいただけるわね。こういう場合は、最後まで内緒にしておくものなの? それとも、少しずつできるようになったことを報告する方がいいのかしら」


 自分や母親のことはひとまず完全に忘れることにして、アデリアは嬉しくて目を輝かせる。

 その顔を見つめたエディークは、まぶしそうな顔をしてわずかに目をそらした。


「エディーク?」

「……いえ、そうですね。兄にはいい知らせをしたいものです」

「ああ、そうだわ。司書の仕事だけでは、体を動かすのにも限度があるわよね? 少しずつでいいから、一緒に散歩をしましょう。私がどうしてもとわがままを言えば、立場上あなたは逆らえないでしょう? 仕事場から離れても何も言われないと思うのよ」

「それでは、奥方様の思う壺になってしまいますよ」

「お母様は思い込みが激しい方だから、一度決めたことは覆さないわ。一年待つと決めたのなら、必ず一年は放っておいてくれるはずよ。だからせっかく時間があるのなら、あなたがもっといいところへ行けるように全力を尽くす方がいいと思うのよ」


 アデリアは背の高いエディークとの距離を詰めて、間近から見上げる。エディークは非礼にならない程度の距離を保とうと下がりかけたが、アデリアはそれを拒否するように手を伸ばして高いところにある顔に触れた。

 正確には、頬から額まで続く傷跡へと手を伸ばしていた。


「あなたは国王陛下の覚えがめでたい方なのでしょう? 一年間の猶予を使って体をできる限り動けるようにして、また陛下のために働く。その方が、あなたのためにも陛下のためにも、それにあなたのお兄様のためにもなると思うわ」


 アデリアはふとそこで言葉を切り、顔を真っ赤にして手を離す。

 淑女らしくないとやっと気付いたのだ。そのことにエディークはほっとした表情を見せたが、アデリアはなおも彼との距離は変えなかった。

 できるだけ近くから左目を見上げる。

 下から見上げると、こめかみの傷跡が見えた。


「あなたは私の愚痴をたくさん聞いてくれたわ。私、何も感じないと思っていたけれど、四度目の婚約がダメになってけっこう落ち込んでいたみたいなのよね。でも愚痴を聞いてもらえたからすぐに元気になれたわ。だから今度は、私があなたのために時間を使う番よ」

「しかし……」

「心配しないで。お礼は出世払いでいいから。あなたが美談を広げてくれれば、私の縁談は絶えないかもしれないと思わない?」


 アデリアは笑顔のままそう言った。

 本当に心からそう思っている。エディークにもそれくらい分かるくらい、領主の末娘と顔を合わせていた。

 だからと言って戸惑わないわけでもなく、何か言おうとするが笑顔のアデリアに制された。

 

「奇跡の復活を遂げた騎士様が、国王陛下の前でこう言うの。今の私があるのはあるお嬢様のおかげです、って。行き遅れていても縁談が来そうじゃない? 結婚できなくても、騎士様に生涯を捧げた令嬢って言い張ってしまえばいいのよ。ちょっと物語みたいだわ」

「……お嬢様も絵物語に毒されてしまいましたね」

「だって、皆にたくさん読まされてしまったんですもの。でも考え方が変わるから面白いといえば面白いわね」


 アデリアはクスクスと笑う。

 それから、笑っていいのか気を揉んでいいのか、悩んでいるような侍女たちを振り返った。


「さて、もう部屋に戻ろうかしら。お母様がお帰りになる前に本を読んでおきたいから。昨日借りた古い時代の伝承の本、とても面白いわ。また面白そうなものを教えてね。でもエディーク、気候が良くなったら、私との散歩のことも考えていてちょうだい」


 アデリアは機嫌良く書物室を後にする。

 その後ろ姿を見送ったエディークは、天井を見上げるようにしてため息をついた。






「……奥方様。隠れ続けるのはかまいませんが、今日はお出掛けになるご予定があったのではありませんか?」


 天井を見上げたまま、エディークは独り言のようにつぶやく。

 しばらく音がしなかったが、やがて誰もいなくなったはずの棚の影から領主の奥方がそろりと出てきた。

 四十代前半とは思えないほど若々しく美しい奥方は、真冬の外出用の姿のままだった。暖炉のある室内だから、さすがに厚手の肩掛けは侍女に預けているようだが、暖かそうな外套を着込んだままの奥方は末娘が出て行った戸口を見ながらエディークに歩み寄る。そして少女のように首を傾げた。


「いつから気付いていたの?」

「奥方様が棚の影に入った時からです。現役を離れているとはいえ、私が騎士であったことをお忘れですか?」

「あら、そうだったわね。だからここへ来て座ったの? 近づけなくて会話がよく聞こえなかったわ」

「侍女がおりましたので、ご心配になるようなことはありません」

「そうなの? わざわざ用事を後日に回して戻って来たのに、残念だわ。ちょっとぐらいなら、夫が慌てるような進展があってもいいのよ?」

「……それで、何か御用でしょうか」

「そうだったわ。あなた……アデリアに見とれたでしょう?」


 着替えもせずに書物室へ忍び込んでいたポリアナは、ずいっと一歩近寄る。

 その姿は思わず笑いが込み上げるほどアデリアとそっくりで、真面目な顔を保つためにエディークは思わず目をそらした。しかしその目をそらした方向にわざわざ移動して、ポリアナは先ほどまでアデリアが座っていた椅子を指差した。


「二人で何を話していたかわからなかったけれど、あなたはアデリアに見とれていたわ。あの子が立ち上がって何か言っていた時よ。正直に言いなさい。見惚れてしまったのでしょう?」

「ご領主に似ておられると思っただけです」

「ふうん、そうなの? こう言う時は、慌てて嘘を付く方がそれらしくて面白いのに。後ろめたさがなくてつまらないけれど、あなたのそう言うところは嫌いではないわね」


 ポリアナはそう言うが、明らかに不満そうだ。

 絵物語の定番なら、見ていないとむきになって否定する。それを期待されたのだと悟り、エディークはため息を咳払いで隠した。

 

「私は硬い人間ですので、奥方様のご期待には添えないかと」

「そうかしら? それより、アデリアのことよ。あの子はまだ子供に見えるかもしれないけれど、一緒にいて楽しいと思わない?」

「……恐れ多いことでございます」

「うふふ。一年間の猶予をあげるから、その間にきちんと考えてね。実戦にはあまり出ない優秀な騎士なんて、最高の婿候補だわ。ああ、フェリックの時と違って、バラムも反対はしていないから安心していいのよ」


 にこやかに言い放ったポリアナは、言いたいことを言い尽くしたのだろう。侍女を引き連れて満足そうに書物室を出て行った。

 一人残されてしまったエディークは、ぼさぼさの前髪を乱暴にかき乱しながら深いため息をついた。


「十七歳のご令嬢を相手に……私にどうしろと……?」


 愚痴めいた独り言だった。

 それに応えてくれる存在は誰もいない。


 天井を見上げながらもう一度ため息をついたエディークは、やがてゆっくりと立ち上がった。暖炉の前まで行って、アデリアのために足していた薪を動かして火力を少し緩める。しかしエディークは、火かき棒を元の位置に戻す時にわずかに顔をしかめた。

 窓の外は冷たい風が吹いている。

 だが空は青く、光はずいぶん強くなっていた。光だけは春のようだ。このまま晴れた日が続くのではないかと思うほど、空は青かった。

 しかし、エディークは近いうちに天気が崩れるだろうと思っていた。


「……雨が近いか。春はもうすぐだな」


 窓を見ながら左肩を撫でる。

 それから使用した椅子をきれいに並べ直していくが、その動きはいつもより鈍かった。

 


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