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1 令嬢と騎士(1)


 二十騎をはるかに超える一団が、領主の館の前で馬を止めた。

 武装した騎士たちは、王国軍の紋章の入った華やかな大マントを翻しながら馬を降りる。先についていた従者たちが急いで駆け寄り、主人たちの馬を水飲み場へと連れて行った。

 蹄によって巻き上げられた土埃はまだ周囲を漂っていて、よく晴れた青空も霞んで見える。

 そんな中、アデリアは口元を布で覆った姿で水を飲む馬たちを見ていた。


 貴族領主デラウェス家の領主館には、昔風の広大な馬用水飲み場がある。

 かつてデラウェス領は王国の国境に接していた。だから領主の館は、戦時には多数の騎士が滞在できる作りになっていた。

 しかし激動の建国時代から時間が流れ、王国の領土は緩やかに広がった。デラウェス家は前線の領主ではなくなり、平和な農耕地帯の貴族領主となった。王国軍の騎士が立ち寄ることはほとんどない。昔の面影を残しているのはこの水飲み場だけだ。

 普段は洗濯物干し場とか薬草干し場とか子供の遊び場とか、そういう使われ方しかしていなかった水飲み場に、今日は久しぶりに軍馬が集っている。実に壮観だ。


 アデリアはデラウェスの末娘として、水飲み場の清掃を監督した。そして全てを見届けるという名目で軍馬たちを見ている。

 地味で面倒な仕事を押し付けられてしまったと思っていたが、アデリアは今はこの仕事を割り当ててくれた父親に感謝している。こうしてずっと馬を眺めていても、周囲から不審に思われないだけでも役得だ。

 馬ばかりに気を取られているから、アデリアは久しぶりに領主の娘らしい上質な衣装を着ているのに、それに頓着していない。ひたすら馬たちをうっとりと見つめていた。


「きれいだわ。軍馬ってとてもきれいね」


 口と鼻に当てた布の下で、アデリア・デラウェスはため息とともにつぶやいた。

 十六歳になったばかりの若い娘らしく、長い髪は背中に垂らしている。真っ黒な髪は癖が強く、風を受けるとすぐにふわふわと広がる。アデリアはそれを煩わしげに背中に払いのけ、また軍馬たちのたくましい筋肉や美しい毛並みを見ていた。


 デラウェス家は私軍を有する貴族領主だ。騎士はそれなりにいるし、軍用ではない馬も多数飼っている。

 しかし重武装をして戦場を駆け抜けるような騎士は、今の領主の館ではあまり見ない。領主館に常駐する騎士たちの任務は、移動中の領主の警護がほとんどになっている。軽武装だったり華やかな礼装だったりと、戦場へ赴く騎士とはかなり違う。

 デラウェス領はそのくらい平和ということだろう。そして純粋に戦うための軍馬は、目を見張る迫力があった。

 もう一度うっとりとため息をついた時、背後から足音が近づいた。


「アデリア」


 落ち着きのある声が聞こえた。

 よく知っている声だ。アデリアは慌てて背筋を伸ばして振り返る。予想通り、背の高い青年が歩いてくるところだった。

 今日訪れている騎士たちに見劣りしないほど背が高い。髪はアデリアと同じ少し癖のある黒色で、まだ二十代なのに見るものを圧倒する落ち着きがにじんでいる。

 デラウェス家当主の長男バラム・デラウェスだった。


「あ、バラムお兄様……!」

「馬を見ていたのか?」

「は、はい」


 八歳年上の長兄の前で、アデリアは緊張していた。

 年が離れている上に、兄弟というより領主の後継者としての姿しか知らないのだから仕方がない。口元を押さえていた布のことを思い出して下ろすが、急ごうとしたせいか地面に落としてしまう。慌てて拾い上げ、恐る恐る兄を見上げた。

 バラムは妹を黙って見ていたが、やがて軽くため息をつく。

 もしかして、気づかないうちに長兄の気に障ることをしてしまったのだろうか。そう思うと、アデリアはますます身を固くしてしまう。

 しかしバラムは表情を変えず、淡々と口を開いた。


「アデリアは、軍馬が好きなのか?」

「はい」

「そなたの乗馬用の馬ほど美しくはないし、大きくて気も荒いぞ」

「確かに毛並みは劣るかもしれません。でも見るからにたくましくて、とても頼りになりそうです。乗り手を守ってくれそうですし、生命力にあふれているというか、とにかくとても美しいと思います」

「なるほど。軍馬を美しいというか。……ならば、騎士のことも怖いとは思わないのだろうな」

「怖くはない、と思います」

「そうか」


 バラムは黙り込んだ。

 普段は萎縮するのに、軍馬について問われてつい語り過ぎてしまったかもしれない。我に返ったアデリアは、兄の不興を買ったのかと身を縮めて続く言葉を待つ。

 しかし叱責や侮蔑の言葉は降ってこなかった。

 そっと目を上げると、アデリアと同じ水色の目はそれほど冷たくは見えなかった。それが優しさに見えて一瞬期待したが、続いた声はいつも通り冷ややかだった。


「アデリア。母上がお呼びだ」

「お母様がですか? あの、何かあったのでしょうか」

「すぐにわかる。一緒に来なさい」


 デラウェスの後継者は、妹の返事を待たずに背を向けた。アデリアは風で絡まった癖のある黒髪を手櫛で整えると、慌てて後を追う。アデリアの後には、若い侍女たちが早足で続いて行った。



 バラムが向かったのは、風通しのいい領主館の前庭だった。

 普段は何もない静かな場所だが、今日は大きな白い布が日陰を作っていた。椅子やテーブルも持ち込まれている。王国軍の騎士たちの休憩所だ。

 領主の奥方であるポリアナは、そこで騎士たちへのもてなしの采配をふるっている。手が足りなくなったのか、あるいは準備が不足していたのかと案じていたアデリアは、騎士たちとゆったりと談笑する両親の姿にほっと息をついた。問題があったわけではないようだ。

 ではなぜ呼び出されたのかと首を傾げる。そっと斜め前に立つバラムの横顔を伺ったが、厳格な長兄からは何も探れない。ならば少しでも様子を把握しようと、こっそり周囲を見回した。


 他領からやって来た騎士たちは、思い思いにくつろいでいた。

 兜をはずし、水を含んだ布で顔を拭いたり水を飲んだりしている。これから戦場へと赴くだけあり、年齢は中堅級がほとんどを占めているようだ。若すぎず年を取りすぎてもいない。

 王国軍の騎士は精鋭中の精鋭だ。実力さえあれば、高い生まれでなくても騎士として取り立てられると言われている。

 とはいえ幼い時から剣を学ぶのだから、実際には貴族や世襲騎士の子弟が多くなる。身近な例で言えば、アデリアの三人の兄のうち、長兄バラム以外は二人とも騎士だ。次兄メイリックはデラウェス領に残って東側の街道の警備に当たっているが、一番下の兄マイズは近いうちに王国軍の騎士として出仕することが決まっていた。


 アデリアはそのマイズを探す。

 予想通りと言うべきか、三歳違いの兄は騎士たちの中にいた。

 中堅級の騎士の中で、平均より少し若い二十歳前後と思われる騎士が三人いた。その若い騎士たちのところに兄マイズはいる。年が同じくらいだから、話が合うのだろう。

 末兄はとても楽しそうだった。

 しかし、それを見たアデリアは困っていた。

 兄妹の中で、アデリアは年が一番近いマイズと仲がいい。一番遊んでもらったし、マイズが騎士になるまでは毎日顔を合わせる生活だった。騎士になってからも、帰宅するたびに楽しく話していた。

 だから気をつかわずにいられる末兄のところに行こうと思ったのは自然なことだ。しかし騎士たちの中にいるのでは、未婚の若い令嬢が気軽に分け入っていけるところではない。

 両親も騎士たちと歓談中だ。

 呼ばれた用件が急ぎでないのなら、しばらく待つしかない。長兄と一緒にいるとどうしても緊張してしまうから逃げ出したかったのに、これではこのままここにいるしかないようだ。

 心の中でため息をつき、アデリアは長兄を盗み見た。

 


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