旅路にて、チキルの町
「シュクル様」
不意にエミリが叫ぶ。シュクルはゆっくりと瞼を開いくと、ただ虚ろな瞳で窓を流れる雨粒を見つめた。
「私は……」
「陛下は起きられたか?」
「陛下?」
「今は帝都外だ」
「そうでした」
ルリエが答える。
「それでシュクル陛下は如何か?」
リューヌが問うが、エミリは首を横に振う。
「シュクル様はまだ、お眠りになられています」
エミリがシュクルの手を強く握る。
「隊長。ここは一度、休まれては如何でしょう。将兵も疲れ始めています」
リューヌは後ろに続く将兵に目を送った。
「ではチキルの町で休もう。それまで頼む」
「了解しました」
ルリエは、すぐ横で進む伝令兵に伝言を頼んだ。
「シュクル様、お目覚めでしょうか?」
生気が戻り、涙流す瞳を見てエミリが呟く。
シュクルはエミリの声に、ふと我に返り、車内を右左見渡す。自動車のソファーに横になっていたことに気付いたシュクルは、窓から車外の風景を眺める。そこは小さな町の広場と、疲れ切った将兵の倒れ込む姿だった。
「ここは?」
シュクルはエミリに聞く。
「チキルの町です。昨晩の雨で兵の体力消耗が激しく、早めの休憩をとルミエール様がお決めになられました」
「リューヌ……。そう。私は連れ出され、ヨークスに向かっているのね……」
シュクルは肩を落とした。再び眠りに就こうとするシュクルへ、エミリが言う。
「シュクル様はお出かけにならないのでしょうか? 滞在中、自由行動が許されております。気分転換に町を出歩いては如何でしょうか?」
「いい。エミリ、貴女が行きたいのなら、行ってもいいわ」
シュクルは毛布を被り呟いた。
「シュクル様……。お気を確かにお持ちください。今シュクル様には」
「そう言って貴女も私を責めるの? 何故。何故……。私は女。女は政治に口を出すな。女の言うことは聞けぬ。女は皇位を継げぬ。そう皆口を揃えて言ってきた。それが何故。今になってこんな……何故私を……私を祀り上げるの? もう訳が分からない」
「シュクル様」
エミリが語る。
「シュクル様は何故そのように考えるのですか? これはむしろ喜ばしいことではありませんか。シュクル様を女だと一蹴してきた者たちを見返せるのです。亡きノエル様と最も親交深く、民衆からの支持が厚いシュクル様以上に、今の帝国を支えられる者はございません。彼のルミエール様とて、シュクル様の後光を受けてこそ、この場で兵を纏められる。シュクル様の存在は、我ら身分低き女達の憧れ、英雄でございます」
エミリは目に力を込めて言った。
「エミリ……。ごめん」
シュクルは静かに、エミリの肩に枝垂れ掛かった。
「出発まで後どれ位だ?」
リューヌは隣を歩くルリエに問うた。
「はい。後1時間程かと」
「ルミエール隊長」
リリーがリューヌの元へ走り来る。
「偵察隊からの電文です」
「読め」
「はい。〝ロセーヌ川急流ノタメ 敵軍進攻ニ遅レアリ〟とのことです」
「了解した。偵察隊には引き続き監視を続けるよう打電しろ」
「了解です」
リリーはリューヌに敬礼すると、臨時連絡室が置かれた民家に走った。
「昨晩の雨の影響でしょうか?」
ルリエが問う。
「おそらくそうだろうな。ありがたいことだが、亡命艦隊の方に影響が出ていないか心配だ」
「はい。間もなく艦隊からの定時連絡が入ると思います」
「そうか……」
リューヌの視線がある一点で止まった。
「あれは……陛下?」
リューヌは広場の片隅にいるフードを被った二人組を見て、呟いた。
「そのようですね。立ち直られたのでしょうか?」
「だといいのだが……」
リューヌとルリエは、物陰から二人の様子を窺う。
「陛下は何時から精神不安定なのですか?」
チキルの町で象徴的な時計塔を見上げ微笑みあう二人を見ながら、ルリエはリューヌに問う。
「ああ。いつ頃からと聞かれるとはっきりと断言できないんだが、多分、ノエル殿下が戦死なさってからだろう」
「ノエル殿下は確か……ジャワ草原での攻防戦で第三近衛隊諸共、神聖義勇軍に包囲惨殺されたという……あの方ですか?」
「ああ……。ノエル殿下とシュクル陛下は同じ腹の生まれで、幼き頃から一緒に育てられた。二人は皇位継承で睨みあう他の兄妹と一線を画した関係だった」
「それで……あのように……」
「それだけじゃない。ノエル殿下を失ったシュクル陛下に最も寄り添い、支えたのは陛下の婚約者ニコラ様だった」
「ニコラ様も、戦死なさっていますね」
「ニコラ様はシュクル陛下の代役として前線指揮に当たられ、我ら第四近衛隊が護衛に当たっていた」
「えっ第四だったのですか?」
ルリエは驚きの声を上げる。
「でも隊長は生きていますよね」
「近衛隊は主を守ってこそ近衛だ。だがあのとき、神聖教会に誑かされた副長がニコラ様を暗殺した。おかげで第四近衛隊は帝都防衛に左遷。ニコラ様は戦死扱いとなり、護衛は同じ戦場で玉砕した第二近衛隊の分隊とされた」
「それでトマス陛下は我々に前線勤務を命ぜられなかったのですか。……。ですが結果として今、我らはシュクル陛下の護衛という大役を背負わせて頂いています」
「結果がどう転ぶかわからぬとは、まさにこの……」
不意に鳴り響くサイレン。遠くでベルノルト大将の声が響く。広場に寝転ぶ兵士が起き上がり、整列を始めた。
「連絡室へ行こう。今車に戻ったら陛下に悪い。亡命艦隊の情報も入っているかもしれない」
「了解です」
慌てふためくフードの二人組を置き去りに、リューヌとルリエはその場を離れた。
「全軍気をつけ。第一連隊、前へ」
ベルノルト大将の声が響く。シュクル一行は、再びヨークスへ向け動き出した。
「ヨークスまで、後どれくらいでしょうか?」
エミリがルリエに問う。
「できれば今晩にでも着きたいところです。幸い亡命艦隊は昨日の嵐にもかかわらず無事にヨークスへ向かっていますし、後ろに続く帝国兵の方々はヨークスで、今後続々と来る人々の為に居住用地を用意したり、炊事の準備をしなければなりませんから。ヨークスの駐屯兵だけでは、可哀想過ぎます」
「そうですか……。あの、後ろの車に使用人が詰め込まれているのも、ヨークスで働くためですか?」
「えっはい。そうです。帝都市内に非常徴集令が発令されまして、宮廷や帝都駐留軍勤めの料理人や使用人は全員、この行軍に参加しているはずです」
エミリは普段から大きな瞳をことさら大きくさせた。
「そう言えば、エミリさんはトマス陛下の布告をお聞きになる前に、車に乗り込んでいましたね。ですから聞き及んでいなかったのでしょう。大丈夫です。今こうして我々と行動を共にしているのですから、徴収逃れには当たりません」
「ありがとうございます」
エミリはほっと溜息をついた。