帝都出発
午前一時。雑音まじりのラジオから、皇帝トマスの声が響く。
「……既にヴィルド城塞は陥落し、敵は今にも帝都に迫らんとしている。忠実なる臣民諸君に対し、我は……」
「隊長……」
銃声を聞いた近衛隊員や使用人エミリが部屋に流れ込み、目を見開く。リューヌは叫ぼうとするエミリの口を手で押さえ、隊員に言った。
「いいか。誰にも見られぬように車に運べ」
「りょ、了解です」
「エミリ」
「はっはい」
エミリは体を震わせた。
「私は今シュクル殿下の補佐官だ。お前は急ぎ部屋を元通りにし、作戦通り殿下と共に行動してもらう。いいな」
「はっはい」
エミリは急ぎ、部屋に飛び散ったものを片付ける。
リューヌは卓上に置かれた、シュクルが書いた手紙を手に取り、エミリに見せた。
「これを誰宛の手紙だと考える?」
シュクルの書いた手紙には、宛先が書かれていなかった。
「はっはい……。状況からして遺書、なのだと思います。シュクル様はお心健やかではありませんでしたが、手紙の宛てを書き忘れるようなこと、絶対にありません。ですから、宛てが書かれていないのも、書く必要がなかったからかと……」
「そうか。ならば此処にあるのは相応しくないか」
そう言ってリューヌは手紙を他の機密書類と共に懐へ仕舞う。
「隊長、近衛師団長がこちらに……」
廊下で監視に立つ隊員が静かに叫んだ。
「今行く。エミリ、お前は殿下の荷造りをしている振りをしろ。いいな?」
「はい」
リューヌは部屋から出るとそっと扉を閉めた。
「ルミエール? 何かあったのか? 随分と騒がしかったが?」
「はい。殿下が暴れまして、今副隊長カロリア先導のもと、車へ運ばせております」
「お前は?」
「殿下の荷造りの手伝いをしております。最高機密文書をいくつか所持されていたご様子。幾ら殿下の専属使用人と言えども、見られるのは宜しくないと思いまして」
「そうか。殿下の子守も大変だろうが、どうか頼む。お前もリューヌを助けてやってくれ。武運を祈っている」
「はい。ありがとうございます」
隊員はレオに敬礼を送る。
リューヌはレオに手を差し伸べた。
「団長も……ご武運を」
「ああ」
リューヌとレオはお互い手を強く握り合った。これがリューヌとレオ、最後の会話だった。
午前二時過ぎ、ひっそりと集った帝都駐在の帝国軍部隊は臣民誘導に当たる警備隊を除き全員、宮廷広場に集結した。帝国、亡命全貴族は帝都中から掻き集められた馬車に乗り、シュクルの背後に集う。空を覆う雲は何時しか大粒の雨を降らし、遠くで光る音無き雷が、空を照らしていた。
「シュクル殿下に、敬礼」
銃剣を地に突き、升目状に整列した二十万の将兵がベルノルト大将の号令で一斉に胸に拳を当てる。シュクルを乗せた自動車は近衛隊自動車大隊を前衛、後宮護衛師団騎馬隊を後衛に広場を後にする。
「レオ……」
シュクルが乗る自動車の助手席に座るリリー隊員は、宮廷のバルコニーに立つレオの姿を認め、敬礼を返した。
軽武装の将兵の群れがシュクル一行に続く。幾ら帝国と言えども、機甲部隊は未だ少なく、多くは歩兵や軍馬が主体だった。幸い街道は敷石で舗装されており、雨の中でも泥濘に足を取られることはなかった。だが容赦なく降り注ぐ冷たい雨は、歩く将兵の体力を着実に奪っていった。
「雨、止みませんね……」
ルリエが呟く。
リューヌとルリエは軍馬に乗り、シュクルの自動車左右に並ぶように進んでいた。
シュクルの隣に座る使用人は、涙目でシュクルの手を握る。
振り止まぬ雨の行軍。目覚めぬシュクルは静かに眠り続ける。
閃光輝く漆黒の闇に、将兵の軍靴が木霊した。