帝都宮廷にて
「陛下、リューヌ=ルミエールでございます」
「入れ」
第四近衛隊長のリューヌが副隊長ルリエを率いて執務室に入り、拳を胸に当て敬礼する。部屋には長机が置かれ、身の位順に皇帝トマス、皇太子シュクル、軍令本部長マサキリに加え、近衛師団長レオ、情報相ブノワが着座。背後にそれぞれの相談役が待機していた。
「全員そろったか」
トマスは集まった各々の顔を見た。
「……。今宵そなたらに集まってもらったのは他でもない、神聖義勇軍のヴィルド城塞突破についてだ。最終防衛ラインのヴィルドが陥落したということは、敵の帝都侵攻まで二日も掛からないだろう。今我らに残された兵力は後宮護衛師団、治安警備隊を根こそぎ動員したとて、総兵力は三十万を割る。一方で神聖義勇軍の軍勢は二百万。農奴出身者中心の素人軍であることを加味したとて、正直、勝機を見いだせない」
皇帝トマスの顔が陰る。銃火器が発達した現代戦では、兵力の多さが勝敗を分けた。
「故に我は……」
トマスはレオに一瞬目を遣る。
「我は、帝都を捨てる」
「陛下は何を」
「陛下」
トマスは片手を挙げ、喧騒を鎮める。
「シュクル。国が国であるためには何が必要か、お前には分かるか?」
「……。力、つまり軍隊でしょうか?」
「確かに力は必要だ。だがそれだけでは民を治めることはできない。国が国であるためには土地、民、軍、長が必要だ。そのいずれが欠けても国は滅ぶのだ。そして我は民を失った」
「違います」
シュクルは机を叩き叫ぶ。
「あの憎き大司卿が裏切ったからこそ。夕月の森から魔物を解き放ったのも」
「だが全ての民を失ったわけではないのだ。今もファリランダには五百万もの臣民が暮らし、リソレイユの流刑民や亡命軍まで含めればその数は三千万を超える。私には今、三千万の臣民を救う義務がある。リソレイユはエルフからの租界ではあるが、エルフは聡明で大局的だ。亡命軍同様、我らのリソレイユ亡命も認めて下さるだろう」
「亡命……。父上は一体何を考えておいでですか? 二日で五百万もの臣民を亡命させよと仰るおつもりですか? そんなことは不可能です。そのようなことより兵力を帝都に終結させ……」
「華々しく玉砕すべきと、そうお前は言うか……。それもまた、一つの選択であろうな。見栄えを飾るなら、亡命より玉砕のほうが響き美しく、英雄譚として不足はなかろう」
「では」
「だが我らが玉砕すれば、それは戦死したお前の兄や婚約者を含め、多くの英霊の思いを無駄にすると、そう思えないか? 戦場は非情だ。普段は犬猫も殺せぬような若者が幾人もの人間を殺し、血潮に塗れて死んで行くのだ。なぜそのようなことができる。それは自らの愛するものを守るためであろう? ならば皇帝として皆が守りたかったものを最期まで守り通すのが、責務であると考える」
「しかし五百万もの臣民をどのように亡命させようというのですか? 陸路は封鎖され、船は足らず、時間は無い。どう考えたところで、不可能です」
「シュクル。既に我の提案により作戦は立案済みだ。マサキリ、リソレイユの亡命艦隊到着まで、後何日かかる?」
「はい。あと三日程かと思われます」
「亡命艦隊を呼んだのですか?」
「ファリランダの戦略地図を見せろ」
「はい」
マサキリは卓上に地図を広げる。そこには地形図上に現在の詳細な軍団配置が書き込まれていた。
「敵の狙いは我とこの帝都だ。そこで我はこの帝都で、敵を迎え撃つ。幸いなことに開けた谷間に位置する帝都は地理的にも、敵が南下するには通らねばならぬ要所だ。そこで我は志願兵を募り、この帝都で敵を足止めする。守備隊は最低五万を要する。不足の場合は近衛隊から接収することになるが、その間にシュクル、お前は軍と引き連れてヨークスへ向かえ。そこへ亡命艦隊が」
「嫌です」
突如シュクルはそう呟くと、肩を震わせた。
「こんな、こんなこと……。このようなもの、作戦などではありません」
シュクルは立ち上がり、地図を強く叩いた。
「犠牲を前提とする撤退作戦など、作戦とは認めません。帝国は常に敵を蹴散らしてきました。此度の劣勢も一時的なもの、個々の強き心を持ち戦えば、運は必ずこちらに……」
「シュクル。我は精神論を支持するつもりは無い。現実を見ろ。帝国は今や最強ではないのだ」
「そんなはずはありません。帝国は……帝国は……」
「頭を冷やせ、これは帝国を守る作戦なのだ。お前は亡命政府に無くてはならぬ存在なのだ。お前は皇太子なのだ。自覚を持て」
「女は皇位を継げぬと言ったのは父上ではありませんか。何を今さら」
「シュクル様、どうかお気を確かに」
「私は正気だ」
シュクルは専属使用人レミリに怒鳴る。
「状況が変わったのだ。帝国が犯してきた全ての罪は、私が引き受けよう。お前にはルナミスト帝室の血を引く者として、帝国の再建を頼みたいのだ。今よりシュクル。帝都を我がトマスの所領とし、帝位をシュクルに譲る。尚、トマス領内には、当代領主死亡まで、シュクル皇帝の権限は及ばないこととする。以上だ」
「そんな勝手な。……失礼します」
シュクルはそう呟くと、淡々と部屋を飛び出した。
慌て後を追うレミリの退室を見計らい、トマスはリューヌに語りかける。
「ルミエール。我が娘はあのような愚か者だ。国を背負うものとしての自覚を持たず、怨念に溺れ、己を失っている。故にだ。我はお前に頼みたい。我が娘シュクルを、無事にリソレイユまで送り届けてほしい。逃げたり居残ろうとすれば、多少強引にしても構わぬ。そして帝国再建の際にシュクルが誤った判断を起こさぬよう、助言し、支え続けてほしい」
「しっしかし……」
「今より、そなたを永劫にシュクルの第四近衛隊長兼補佐官とする。必ずや任を全うせよ」
そう言ってトマスはリューヌに証明書と勲章を手渡した。
「はっ拝命いたしました。必ずや我が命に代えましても、姫殿下、帝国をお守りいたします」
「帝都守備隊はリスブルクが指揮を執る。ランディウム、聞いての通りだ。臣民にメッセージを送る。ラジオの準備を頼む。何時までに用意できるか?」
「既に準備を整えてございます」
「分かった。では臣民の避難は午前一時、我のラジオ放送を以て開始とする。それとランディウム。民政局に連絡〝全臣民は皆、午前一時の国営ラジオ放送を聞くように〟と。我からは以上だ」
そうして秘密会議はお開きとなった。
「団長。何故団長が守備隊の指揮を?」
リューヌは廊下でレオを呼びとめた。
「……ルミエール、忘れたか? 近衛は皇を守るのが務め。お前は姫殿下を、俺は皇帝陛下をお守りする。ただそれだけだ」
レオは振り返りもせず立ち去る。
「隊長……?」
リューヌの立ち竦む背中で、ルリエが声をかける。
「ああいや、何でもない。……行くぞ」
リューヌとルリエは、そのままシュクルの部屋へと向かった。
「シュクル殿下。リューヌ=ルミエールです」
「……。どうぞ入って」
「失礼します」
部屋にはリューヌ一人で入る。
香を焚いた部屋で、軍服のシュクルは手紙を書いていた。
「何かしら?」
「つい先ほど、トマス陛下より殿下の補佐官兼任を命じられました」
シュクルはリューヌの胸で光る階級章に一瞬目を向けた。
「……。それで?」
「陛下は午前一時のラジオ放送を以て避難を開始すると言っておられました。また陛下は私に、殿下が避難に抵抗すれば多少強引にでもリソレイユまで亡命させることも厳命されました」
「……。それで? 私が抵抗したら、どうするつもり?」
「誠に不本意ながら、我ら近衛隊を以て殿下を連れ出す所存でございます」
リューヌがそう告げると、シュクルは小さくため息を吐いた。
「男の人って、どうしてみんな勝手に決めてしまうのかしら。今の私にはもう、父上しか家族は居ないのに。なんで勝手に決めてしまうの?」
シュクルは叫ぶとペンを置き、手紙を封筒に入れると蝋を垂らした。そして鋭い目線でリューヌを見つめ、穏やかな口調で言った
「私は父上まで失い、一人きりになってまで生きなければいけないの? 私はもう嫌なの。大切な人が次々と消えてって、私だけが生き残る。私がずるく感じる。もう終わりにしたい。私は、ならば一層、最後に死に花咲かせ、この帝都で名誉の戦死を遂げるのが、帝室の一人として相応しき死に方ではないのかと、そう思っていたのだけれど」
そう言ってシュクルは引き出しから白い過装飾の拳銃を取り出し、微笑む。
「戦死かなわぬとも、長は都で死ぬのが通例。分かるでしょ。貴方には」
鳴り響く一発の銃声。シュクルはそのまま、床に倒れ込んだ。