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紅旭の虹  作者: 宗篤
第三章 驚天の章
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長征(Ⅳ)

 諸侯たちには関東軍を撃破すると大言壮語して兵を東に向けたものの、正直なところステロベは正面きって関東の軍とは戦いたくは無かった。

 今、ステロベが掴んでいる情報では、関東軍は二万から四万でこちらに向かって西進しているという。

 数ならばこちらも三万。五分というわけだ。だが五分であっても、いやこちらの数が上回っていたとしても油断は出来ない。兵の質が違うのだ。

 それに問題は他にもある。

 向こうは王の命令で全ての軍が進退するが、こちらはそうはいかない。いかにステロベが鎮北将軍であり、先の黄門侍郎という高官であっても、諸侯に命令できる権限が無いのだ。諸侯に対してできることは要請だけなのである。

 戦闘前なら諸侯をじっくりと時間を掛けて説得することもできようが、戦闘中に細かな指示を出したとしても、それに従うか否かは諸侯次第と言うことになる。つまり戦闘中に細かく指示を出して対処するといった手段はむしろ考えないほうが良い。

 だが逆転できる方法が無いわけではない。敵にとってここは見知らぬ地であるが、ステロベたちにとっては自宅の庭も同然なのである。

 敵に意図を見抜かれぬようにして、どうにか有利な地形におびき寄せ、これを迎え撃つ。

 最初の段階で勝利が見える形に布陣してしまえばいいのだ。これだ。これしかない。これならば五分に戦えるはずだ。

 候補地ならすでに頭にあった。キュレーネだった。

 キュレーネは南に川を配した地形。西から進む我が軍は、防衛上の弱点である最右翼を川で守るような形に布陣することが出来る。

 左翼に北辺守備隊を中心とした騎兵を集め、左翼を大きく伸ばして片翼包囲を目指す。敵は王師でこちらは混成軍だ。長期戦になれば不利になるのは分かりきっている。初手を取り一気に攻勢をかけ、敵を川に押し付ける形に半包囲する。そうすれば敵は逃げ場を失うことを恐れ崩れ去るだろう。

 キュレーネまでの距離は幸い北辺軍のほうが近い。

 先に有利な地に布陣したいが、あまりに早く布陣してしまうと罠でもあるのでは、と敵の疑念を招きかねない。敵との距離を計りつつ、行軍速度を緩めて、さも偶然キュレーネに到ったように見せかけるのだ。幸いなことに敵もこちらを見つけたのであろう。急速に距離を縮めつつキュレーネに近づいて来ていた。

挿絵(By みてみん)

 ステロベは布陣する地点を、川が小さく弧を描いている場所で最右翼が河岸に接するような形になるところを選んだ。

 こちらは乾燥した平地であるが、相手の特に左翼が布陣するであろう一帯は(よし)が生い茂り、しかもあちこちに足を取られる沼沢あり小川ありで、進退をするのもままならないような地であった。弱点であるべき味方の最右翼に敵の左翼が回り込もうとしても、葦の草むらに隠れている川と共にその行く手を(はば)んでくれることだろう。

 やがて前方に待望の敵影が現れた。目を凝らすと確かに王旗が見える。

 向こうもこちらを確認したらしい。一定の距離まで近づくとそこで停止し、まず右に兵を広げ、次に中央、最後に左に広げ陣形を完成させる。

 ざっと見る限り二万ということはない。確かな数は分からないが三万、それよりは多いと見るべきだ。そこでしばらく動きが止まる。後備か予備兵力を配置しているのだ。ということは三万五千・・・といったところか。

 やがて兵の配置を終えたのか、大きな(とき)の声一閃、一斉に前進を開始する。

 ありがたい。距離を取ったまま対峙し続ける事が何よりも怖かった。今でこそ味方はステロベの立てた作戦に添って行動してくれているが、敵を眼前にし()れるような時間を過ごせば、緊張に耐え切れず勝手に突撃を開始する諸侯が出てもおかしくない。

 だが敵が近づいてくることを目にすれば、眼前の戦いに集中しようと余計な考えは捨てて、当初の指示に従って戦ってくれることだろう。

「よし。それでは動くぞ。遅れるな!」

 陣を展開し終わるまで、諸侯が余計な色気を出して突撃のような陣形を乱すようなことだけはしないでくれよ、とステロベは祈るような気持ちだった。


 有斗は鶴翼に兵を配すると

「敵は数も少ないし混成軍で兵質も悪い。それにも関わらず、ありがたいことに戦う姿勢を見せている。ならば敵の気が変わるその前に戦いましょう。力押しで方を付けられます」

 とのアエティウスの言葉に(うなづ)き、陣形を保ったままゆっくりと前へ兵を進める。

 敵との距離が近づく中、有斗は敵陣が少し変化していることに気がついた。

 近づいているのだから敵は近づくにつれその姿を大きくしていくものだが、左翼の兵だけ大きくなる速度がわずかに違う。

「・・・なんか敵は変わった動きをしているね」

 有斗の言葉に横にいたアリアボネは手庇(てびさし)で覗き込むように敵の動きをじっと観察する。

「・・・本当だ。広がっているように見えるのは敵が近づいたからだとばかり思っていましたが、敵の左翼は他に比べて広がり方が速い。横に広がっているのかもしれません」

「・・・たしかにそうですね。でも横に広がるにしては少し変なような・・・」

 アエティウスも異変に気がついたようだ。

「いや、違う。わかった・・・! 敵は左翼の縦列を外へ向かうように斜めに前進させているようです」

「それに左翼だけ旗指物が多い。ということは左翼に主戦力を置いてるということになる」

 アリアボネの言葉を受けて、アエティウスも理由を把握する。

「ということは斜線陣か」

「斜線陣?」

 二人はもう状況を把握したようだ。有斗一人だけが蚊帳の外だった。

「敵の最弱点に相対することになる味方の左側に主戦力を配置し、戦力の弱い右側へ行くに従って突撃を遅らせ、左側から敵陣を崩壊させることです。我々が青野ヶ原で行った攻撃を思い出していただければ理解が早いかと思われます」

「ああ・・・あれか」

 あれは味方の数の少なさをカバーするために戦闘開始前に主戦力のほとんどを左翼に振り分け、敵軍を次々に撃破した戦いだったな。

 アリアボネが練りに練って立てた戦術だったが、本当に見事だった。数が多いうえに精鋭の王師三軍を見事に打ち破ったもんな。

 ん? でも今回は僕らが攻撃される側だぞ。これって不味いんじゃあ・・・

「僕らの右翼が敵に包囲されないようにしないと大変なことになるんじゃないかな?」

 敵の数は少なく質も悪い混成軍、だがあの時の有斗たちは同じ条件で優勢な敵を打ち破ったのだ。ならばまったく間逆の展開である今回、打ち破られるのは有斗のほうということになる。

「私たちが青野ヶ原で取った作戦は朝靄(あさもや)に紛れたからこそ成功したのです。横合いから襲われることがわかっているのに、攻撃されるまで対処しない将士などおりません。斜線陣だとわかった段階で取れる手はいくらでもあります」

「どうするの?」

「我らも敵に合わせるように戦列全体を右側に回転させます。さらに数で優勢な味方は兵力の余剰がありますから、両翼から騎兵隊を回りこませ、敵が我々の右翼を包む前に打ち崩せばよい。そうすればなんということのない戦になるでしょう」

 両翼包囲か。確かに味方が優勢ならそれが妥当なところだな。辺りを見回したところ伏兵できそうな森も山も存在しないし、僕らを引き込もうといった作為的な動きも見られない。ここは敵に策はないと考えていいのではないだろうか。

「左翼のエテオクロスと右翼のリュケネに通達! 左翼は前進、右翼の兵は回りこみを図る敵に対応して右側に槍を向けよ!」

 有斗はさっそく本陣より伝令を出す。

「陛下。両翼に騎兵を回すのをお忘れなき用」

 アリアボネの声に、そうだったすっかり忘れていたと有斗は慌てる。

「我が軍の騎兵は王師三軍、南部の騎兵とザラルセン隊がいる。どちらに主力となる王師三軍の騎兵を回すべきかな?」

「我が方は敵の斜線陣に対応し、右翼で敵の攻勢を受け止めている間に左翼から回り込んで敵の殲滅を狙うことになるでしょう。左翼に主力を集中させるべきです。右翼に向かう騎馬には敵の動きを牽制させるように動かされるとよいでしょう」

 アリアボネは両手を組んで頭を下げ、そう提言した。

 有斗は少し考えると、

「騎馬で弓を使うことを得意とするザラルセンたちなら、そういった動きも得意そうだな」と思ったことを口にする。

「そうですね。動きながら弓を射られると対応が難しい。放っておけば被害が広がるし、対応しようにも近づけば逃げて距離を取ってからまた弓を射られる、その繰り返しですからね」

「よし、そうしよう。ザラルセン隊を右翼に、王師の騎兵を左翼に回して、敵の側面を突き、さらには背後に回りこんで敵を両翼から包囲せよ」

挿絵(By みてみん)

 左翼に回ったベルビオらに率いられた王師の騎兵は、予期せぬ困難に足を踏み留めることとなる。

 王やアリアボネのいる位置からは分からなかったが、そこは(よし)が生え、沼沢あり、さらには幅こそ狭いものの、深さのある川が彼らの行く手を遮っていた。

 敵はこの沼沢地帯を自然の堀や茂垣(もがき)とし、防衛を計る気だ。

 この難所に騎馬隊自慢の高速移動は影を潜める。歩兵なら草むらを分け入ってでも歩み進めるが、騎馬ではとても無理だ。

 川を渡り向こう岸についても、敵の側面はこの川に守られている。敵を攻撃するには、対岸を大きく迂回して、後方に再渡河するしかない。

 渡河できる箇所を探すため川沿いに下る。一時的に戦場を後ろに向けて後退することにベルビオは焦りを覚える。

「ちきしょう。間に合ってくれよ」

 王の作戦は両翼から包囲することだ。王師の騎兵を特に選んで左翼に投入したからには、敵を打ち破る主戦場は左翼だと考えているに違いない。それが思わぬ事態に計画が狂うこととなった。

 王の期待を裏切るようなことがあっては若も俺も面目が立たない、ベルビオはそうした気持ちだった。


 一方、関東の右翼にあたる王師下軍は、既に敵との戦闘に入っていた。

 リュケネは正対する敵軍がこちらの移動にあわせるように前進すると見せながら、実は斜行していることに直ぐに気付いた。

 これをアリアボネやアエティウスは斜線陣と見たが、間近に正対することになったリュケネの考えは違う。

 斜線陣にしては敵の中軍の移動が遅い。それにいくら斜線陣と言っても敵の左翼の兵は多すぎるのだ。

 考えられる結論は一つ、敵戦列はリュケネらの右側面にまわりこみ、片翼包囲を行おうとしているのだ。

 リュケネは敵につけこまれないよう、下軍内の右翼に当たる戦列をゆっくりと回転させつつ後退し、側面を防衛する戦列を形成しようと試みた。

挿絵(By みてみん)

 だがその前に斜行を完了した敵は槍を揃えて襲い掛かってきた。

 それをなんとか押し留めたものの、敵の攻撃は激しさを増すばかりだ。

 特に右側面に急造した戦列は、陣を整える時間も与えられず敵と相対したこともあって著しく劣勢だった。

 平野での戦い。流れを押し留めるものなどない。攻撃を受けた王師下軍はずるずると後退する。

 さらに敵は三方から攻撃をしようと騎兵隊を背後に回した。それを見た下軍の兵士たちは一斉に浮き足立つ。

 王師下軍の戦列がゆっくりと(ゆが)み始めた。

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