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紅旭の虹  作者: 宗篤
第三章 驚天の章
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長征(Ⅱ)

 関西には『七経無双』のバアルの他にも、アメイジア中にその名を知られた将軍がいる。

 長年王師右軍の将軍を勤め上げ、北辺において起きた大規模な馬賊の流入を食い止め、女王の即位時に起きたセルトリウスの反乱劇を打ち破るといったように、武功の枚挙(まいきょ)(いとま)がない存在。さらには廟堂(びょうどう)でも重きをなし、『鉄壁』という異名を持つ将軍、それがステロベだ。

 その彼が防衛線を突破されたとの一報を受け取ったのは、有斗らが見張り櫓を攻撃した後、わずか三時間後だった。

 といっても彼に入った第一報は東方の見張り台からの一本の狼煙、すなわち攻撃ありというだけの簡単なものだった。この程度のことは年に四、五回はある。

 だからこの時は、ステロベはいつもの馬賊の襲撃ででもあろうと(たか)(くく)っていた。

 それからさらに四時間後の第二報は東第三区第五櫓から隣の櫓が攻撃を受けた至急来援乞う、という少しは詳しいものだった。

 今度は逆に朱龍山脈のほうへと狼煙で命を下す。最東端の城砦に被害の報告を知らせることと、第三区に属する兵に東端の城砦に集まるようとの令だ。

 だがこれは過ちだったといってよい。

 狼煙では白、黒の二色、そして右、真ん中、左と燃やす場所の位置、そしてその数の組み合わせによって通信する。まずは最初に白の狼煙を上げる。次に情報を受けるほうが確認したことを示す黒の狼煙を上げる。それから第三区なら次の狼煙で中央に白煙、左右はなし。さらにその次は第五櫓なら中央と右に白煙、左はなし・・・というふうにである。

 つまり同時に左右から狼煙で連絡を受けた場合、下手をすると二つの狼煙が混雑してしまう可能性があるということだ。この為、東からの第三報はその混乱を受け大きく遅れることとなる。伝馬(てんま)と呼ばれる駅伝形式で情報が伝わるほうが早かった。

「関東の大軍だと!?」

 やっと眠りに付けたと思ったら、叩き起こされたステロベは頭が働いていなかったが、使者の言葉に一気に眠気が吹き飛んだ。

「は・・・はい」

 必死に駆けてきたのであろう。使者は両脇を兵に抱えてもらわねば満足に立つこともできず、息も絶え絶えだった。

「間違いないのか!?」

「王旗が・・・王旗がございました!」

 いかなる賊であろうとも、いかなる大豪族であろうとも王旗を掲げるという不敬を犯すほどの度胸はない。すなわち、それが関西の女王のものでは無い以上、関東の偽王のものであるに違いない。

 なんと驚くことに北回りで関西に攻め込んだということになる。

「数は!?」

「わかりません・・・! 突然地平線に真っ黒な影となってあらわれて・・・少なくとも二万は越えているかと・・・! 東第三区第五櫓より東の櫓はあっという間に陥落した様子です。私は櫓が攻撃を受ける前に伝馬として出立しましたが、おそらくはもう・・・」

 残された同僚の運命を思ってか、使者は涙ぐんだ。

 二万か・・・いや、それはありえぬ。二万の兵は大兵だが、関西を攻めるのには少なすぎる。

少なくとも王師四軍四万は連れて来ていると見るべきだ。

 ステロベは気を静めると、まずはさておいて各城砦に急ぎ使者を出す。兵力を東のノトス城に集め、そこで敵を防ぐことを伝達した。

 そして同じく近隣の諸侯にも使者を出す。敵は二万以上の大兵だ。ステロベの手持ちの一万の兵だけでは満足にも戦えない。緊急に兵を集めなければならない。

 北辺の城砦はつくりがそれほど堅牢ではない。とはいえ敵がどんなに大軍であっても、一城一城潰して行くならばそれなりに時間を消費するはずだ。こちらが時間を無駄にせず、一刻も早く兵力を集めることができれば、反撃することとて可能なはずだ。

 たとえ王師四軍四万であっても慣れぬ敵地での行動、付け入る隙はいつかどこかに必ず生まれる。


 夜を昼に継いでステロベが防衛線の東の要、ノトス城に辿り着いたころには、東側の城砦の兵はほぼ集結し三千を数えるまでになっていた。

 その中には関東軍に蹴散らされて逃げ延びてきた城砦や櫓の兵も数多くいた。

 彼らの口から実情を直接聞くことで、ステロベはやっと敵のおおよその動きを知ることが出来た。

 関東の軍は最東端の城砦を占拠し、そこに輜重と共に一部の部隊が留まると、残りの部隊を大きく二つに分けたという。防衛線上の城砦を片っ端から陥落し西進している部隊と、もう一つは一旦防衛線を突破した後、背後に回りこみ西京との連絡を絶つような動きをする部隊に分かれたらしい。

 既に東方には騎影が見える。防衛線上の櫓や城砦を片付けている部隊であろう。ざっと見る限りこの部隊だけでも万はいる。しかもその距離は三里もないという近距離だ。

 さらに後ろに回りこむ動きを見せていた部隊もここノトス城目指して向かっていると聞き、ステロベは顔を青ざめさせた。

 まずい、このままでは挟まれる。

 どうやら敵は最初の目的地にここを選んだようだ。

 こちらの距離はざっと十里。今日明日にも辿り着きかけない距離だ。

 ノトス城には三千の兵がいる。城壁はあるものの水濠はなく防備は薄い。

 そもそも万の軍勢に囲まれた時に、包囲を突破して駆けつけてくれるような男気のある諸侯がいるとは思えない。すなわち篭城しても援軍は来ない。一日二日なら保つであろうが、両軍が合一した時にステロベらを待つ運命は討ち死にしかない。

 ステロベは迷わなかった。城砦を放棄することを決意する。今、ノトス城にいる兵は北辺防衛軍のわずか三割に過ぎない。

 しかしこの三千をここで失うようなことがあったら、どうなるだろうか? そう考えたときにステロベは深く戦慄する。

 敗北の報が駆け巡り、合力しようとした関西の諸侯は二の足を踏むだろう。中には裏切る者だって出かねない。諸侯の軍を当てにできなくなると、関西の北部の防備は破綻するのだ。

 だがまだ手段はある。少しでも戦力を保持したまま、残りの北辺防衛軍や諸侯の軍と合流することさえできれば、まだ挽回できるはずだ。武器や兵糧であろうと置いていく。個人の荷物を(まと)める時間すらも与えず、準備の整った部隊から兵を順次撤退させる。

 今の当面の敵は関東の軍ではない。真の敵は時間なのだ。とにかく急いでここを離れることだ。


 ノトス城に迫ったのは関東軍の主力である王師左軍と下軍の計二万の兵である。

 強襲に継ぐ強襲で櫓や城砦を片っ端から陥落させ、当面の目標であるノトス城目指して進軍してきたのだ。

 だがノトス城を間近にすると、外に出る敵影を確認し、一旦行軍を止めた。内と外から挟み撃ちにされてはたまらない。罠を警戒したのだ。そこでまずは偵騎を送り込む。だが残念なことに既に城内は空で、人っ子一人残っていなかった。

「こんなことなら罠を警戒なぞして時間を浪費すべきでなかった」

 と、ヒュベルが地団駄を踏んで悔しがる。もしあの時、追撃に移っていれば今頃敵と交戦中であっただろう。

「しっぽくらいは捕まえることができると思ったのだが」

 エテオクロスも自分のためらいで捕らえることが出来た敵兵を、みすみす逃がしてしまったことを悔やむ。

 その二人のところに城内を調べていたリュケネが近づいてくる。

 リュケネは天空を見上げた。大丈夫、まだ陽は高い。

「エテオクロス卿、日没までにはまだ時間がある。今から追撃し、敵の後備に食らいつくというのはどうでしょうか?」

「我らだけで敵を下そうというのか?」

「敵は我らを目にしたとたん、城砦を放棄して逃げました。恐らくは戦うには兵力が足りないのではないのでしょうか?」

「だが追いついたところで夕闇が近い。夜になれば自然と戦いはやむ。(とど)めを差すには時間が足らないのでは?」

 エテオクロスは浪費した時間で敵との距離をざっと検算した。一刻というところか。追って行けば届かない距離ではないが・・・

「そのかわり敵の実力を推し量ることが出来ます」

 なるほど、それが目的か。先のことを考えれば敵の兵力を削っておくのは悪くない選択肢である。それに小さな取るに足らない勝利でも勝利は勝利だ。喧伝すれば関西の諸侯の心理に影響を与えることだって出来るはず。エテオクロスは追撃を決意した。

「よし、気に入った。それで行こう」


 関東の軍がステロベの兵に追いついた時には、日暮れまで一刻も無かった。

「やはり来たか」

 このまま楽には撤兵させてはくれないか、とステロベは溜め息をつく。

 だが仕方が無い。敵の指揮官であったならステロベとて同じように追撃しただろうから。

 辺りが暗闇に包まれるまでふんばればいいだけだ。と、ステロベは少し気を取り返す。なにしろ闇に包まれれば逃げることは容易だが、追撃することは困難を極めるのだから。闇に紛れて夜通し走り続ければ敵の視界から消え去ることが出来るであろう。

 味方は三千しかない。だがステロベにはそれで充分だった。

 この日の為に、古巣の王師右軍から三十人の百人隊長を引き抜いたのだ。

 幸いこの三千の中にも十二人の百人隊長がいた。ステロベはその者たちを集め細部の打ち合わせをすると、素早く陣を敷き敵を迎え撃った。


 両陣営双方、不思議な陣形となった。

 関東の軍は敵に追いつくため高速に移動したので、少数の兵が敵陣突破に使う縦列陣形になっていた。対する関西の軍は遠くから迫る敵を確認して、たっぷりの時間を使い布陣したのだが、こちらはなんと多数の兵が少数の敵を相手に使う鶴翼の陣形を取っていた。

 攻撃は関東側の、エテオクロス率いる兵が火蓋を切った。

 何も考えずにどん、という感じで鶴翼の胴に兵をぶつけた。そこは三方から攻撃が集まる危険な場所だ。

 だがエテオクロスは気にも留めなかった。なにせ数が違う。次々来る味方は左右に広がりつつ全面的な攻勢に出るだろう。

 ここはせっかく(つか)んだ敵の(すそ)をどんなことがあっても離さないことだ。距離が近ければ近いほど敵は撤退しにくくなる。やがて次々と関東側は新しい兵が戦場に駆けつけ、攻撃に加わる。それに比べて、関西には加わる兵がいない。

 ステロベはその勢いに押されてずるずると後退する

 有利に戦を進めているはずのエテオクロスだが苛立っていた。味方は全線で押しているのである。だが、この手ごたえの無さはどういことだ?

 布団に拳を叩きつける様なふにゃふにゃした感触だった。敵は後退している。味方は前進している。だが何故か敵の陣形は未だに鶴翼を保っているのである。これだけ兵がいるのに味方は敵陣を一箇所すら打ち破ることが出来ないでいた。エテオクロスにはさっぱり理由が分からない。味方は優勢を示しているのに、敵は崩れない。

 おかしなこともあるものだ、とエテオクロスはいぶかる。


 前線で直接指揮を取るエテオクロスには見えないものだったが、後方にいたリュケネにはその理由が見えていた。

 敵は戦いながら退いているのである。

 敵は関東の兵が攻撃するタイミングに合わせて、押されたかのように一気に退く。当然そこに出来た空間は攻撃した関東の兵が割り込む。だがその敵の左右の百人隊は退いていないため、そこは包囲されたような格好になり、一転してその関東の軍は苦境に立たされる。すると苦境に陥る味方を救おうと関東の兵は攻撃を加えざるをえない、そうするとまた、それに合わせて先ほど退いていなかった百人隊が退く・・・それの繰り返しなのである。

 敵は戦いながらもじりじりと後退をしているのだ。

「なんてやつだ」

 リュケネも似たような芸当をしたことがあるが、あれは全員が円と言う陣形のままで移動するという単調な動きだったのだ。

 対して眼前の敵はどうであろうか?

 百人隊単位で決められた動きをし、そして連動させる。まるで魔術ではないか。

 その狡知(こうち)に長けた動きに翻弄(ほんろう)されて、味方は押しているのに押し切れない。決定打となるべき攻撃を加えられないのだ。

 ならばとリュケネは迂回させる挟撃策を取ろうかと考えるが、西の空はすっかり赤く赤く染められていた。とても間に合わないだろう。

 そしてリュケネが危惧したように、やがて暗闇が両者の上に襲い掛かり、段々と干戈の音が静まってくる。味方同士の顔も分からぬほどだ。

 引き(がね)が戦場に木霊する。

「やれやれ、助かった」

 後は敵の呼吸に合わせて退きさえすればいい。ステロベはようやく安堵の溜め息を漏らした。

 とうとう最後まで陣形を保つことが出来た。被害は大きいが、わずか三千の兵で万の敵に敗れなかったことも大きい。

 これで諸侯も関西から離れるという考えを当面は捨ててくれるだろう。

 とりあえず疲れた。まる一日以上寝てないのである。疲労でまぶたが落ちそうになるのを辛うじて喰いとめる。

 そう、やるべきことがある。安全な場所まで逃げなくてはいけない・・・睡眠は、その後だ。

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