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紅旭の虹  作者: 宗篤
第三章 驚天の章
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闇に蠢くもの

 無事に王との対面を果たし、テイレイア一行は馬上の人となった。

「しかし非礼な男でしたね。御館様(おやかたさま)を侮辱するとは」

 そう文句を言う武者に軽く手を上げ、それ以上の発言を許さない。

「思ったままを言われただけであろうよ。きっと私を侮辱する意図ではなかったのだと思う。違う世界から来られた天与の人であられるからな。それに急に押しかけたのだ。非礼はむしろこちらにある」

 あれが王・・・か。どこから見ても、単なる気の良さそうな少年としか見えなかった。

 自身に子供がいたら、いや孫がいたらこれくらいかななどと思うくらいの少年。

 王だというのに、権謀術数の中に生きる人間が持つ独特の(とげ)のある雰囲気を微塵も感じさせない不思議な少年だった。しかし天与の人だというからには生半可な器量ではないのだろう。その外観で判断するのは早計というものだ。

 それにしても・・・とテイレシアは想う。

 美人だなどと最後に言われたのは少女時代のころだったかな、と記憶の糸を手繰り手繰り思い返す。

 なにせ十四で兄が死んでよりこのかた四十年、戦国の世をオーギューガという関東屈指の名家を守ることだけに心血を注いできた。内紛、反乱、諸侯との戦い、そしてカヒとの泥沼の消耗戦。戦に継ぐ戦で人生の一番輝いている時間は光速で彼女をすり抜けていった。

 その結果婚期も逃してしまい、未だ独り身だ。

 敵は悪鬼羅刹でもあるかのようにただ恐れ、家臣は(おそ)(うやま)い神の如く彼女を扱う。

 女どころか人間として扱われたことさえ遠い過去。ほろ苦い思い出だった。

 最後に女らしい扱いを受けたのはいつのころだったろう、などと(らち)もない考えに頬をゆるませた。


 闇の中である。

 ポタポタと水の垂れる音だけがどこからか聞こえてくる。

 そして闇につつまれた回廊をゆらゆらと揺れる小さな明かりが近づいてきた。近づくとそれはランタンの明かり。それを持っているのはローブを目深(まぶか)に被った人影である。

 一つの扉の前で立ち止まると、ノックもせずに扉を開いた。

 中には円形の卓、そこにはすでに先客がいた。同じようにローブを目深に被った人物が五名。

「遅れて申し訳ありません」

「何、我らもついさっき来たばかりさ」

 最後の影が席に着くと一番奥に座っていた影が口を開く。

「では定期会合を始める。今回の議題は関西を中心とした外周的な同盟が成立したことと、関東の王が兵を北に向けたことに関してだ」

「我らが手を汚さずに東西間で戦端が開かれたことは実に喜ばしい。これで平穏の地であった関西に戦国の世が広がることとなるであろう」

「特に最近勢力を増強してきた関東の王には苦々しく思っていたところだ。これで関東は東西で戦線が開かれる。ますます関東の地は戦乱で荒れ果てることになる」

「だが問題はある。カヒと関西併せた兵力と比べると関東は劣勢、滅亡は必死だ。もし関西かカヒが畿内を手に入れた場合、勢力は巨大になる。我々にとってはそれは望ましいことではない」

「特にカヒが畿内を手中にした場合が問題だ。超巨大諸候が生まれるだろう。大きく勢力状況が変わることになる。それだけは避けたい」

「カヒを牽制(けんせい)するためにオーギューガに接触してみるのはどうでしょう」

「それがいい」

 他の影からも同意の声が上がる。

「だがあの堅物はめったなことでは動くまい。鼻も利く。我らの野心を見抜かれては後々危険なことになりはすまいか?」

「あの者は金銭などで動きませぬからな」

「ならばカヒの足元を揺さぶってみてはどうでしょうか?」

「どういう意味だ?」

「カヒは例年のように出兵しています。それを不満に思っている部下や民も多いとか。その者たちに深く静かに浸透し、隙を見て一揆を引き起こしては?」

「坂東には我らの与党は少ないが・・・ま、後々のことを考えて勢力を拡大するのも悪くないか。では決を採ることにする。カヒに対する方針は以上のこととする。これに賛成する者は?」

 賛成の挙手が一斉に上がる。

「よし、ではこの方針を推し進めて行くことにしよう。河東担当はおまえだったな。よろしく頼むぞ」

「はい、おまかせください」

「さて、残るは関西に対する方針だが・・・これは次の議案にも関わってくることだ。そなたが詳しく説明せよ」

 指差した先にいる影が(うなず)いて語りだす。

「手に入れた情報によりますと、関東の軍五万は河北を通過し、朱龍山脈を北側から回り込み西京へ攻め込むとのこと」

「馬鹿な・・! ありえない!」

「補給線も延びきる。負けたら後退する地もない。誰が立てたかは知らぬがなんという無謀な策だ」

 低い笑い声が起こる。無理もない、誰がどう考えても無謀な策なのである。

「それは間違いなく事実なのか?」

 誤報ではないだろうか。リーダー格の影が問いただす。だがその影がさらに詳しく説明を始めるより早く、他の影から横槍が入る。

「河北に進入した王師に付けた我が配下からも同じ報告が上がっております。五日前に南下を始めたとのことです」

「とすると、間違いはないようだな」

 影たちはこの信じられない情報に、互いの顔色を(うかが)おうと顔を見合わせる。

「だとすると我々には極めて重要な選択肢が提示されたというわけだ。この情報を関西の宮廷に伝えるべきか、伝えないべきか、というな」

「おそらくはまだ関西の宮中はこの情報を知りえておりますまい。ここは進んで知らせて彼らに貸しをつくるべきでは?」

 その提案は魅惑的なものだった。関西の宮廷内の人物に大きな貸しを作ることができる。以降の活動もやりやすくなるはずだ。

「そうは思いません。関東の軍勢は朱龍山脈を越えて関西を討とうとするのです。移動距離はまさに筆舌に尽くしがたいほどの距離。これはいわゆる『強弩(きょうど)(すえ)魯縞(ろこう)に入る(あた)わず』というものでしょう。関東の敗北は決まったようなものです。もしこのうえ関西に万全の防備体勢を取らせてしまったら、どうなるでしょうか?関東軍は壊滅的な被害を受け、滅亡は必死です」

 反対の言を述べたのは、この重要な情報をこの場にて発表した影だった。

「それのどこが悪いというのだ?」

「悪いというよりも、もっといい手段があると申し上げているのです」

「知らせないことがより良い方法だと言うのか?」

「はい。我らが求めるものの為には両者とも勝ちすぎず、また負けすぎず、ほどよく傷つくことが望ましい。知らせなかった場合、奇襲を受けて最初のうちは関西が劣勢にたたされるはずです。その後、立ち直った関西軍に関東軍は敗れるでしょうから、結果として両者とも傷つくというわけです。いかかでしょうか?」

「なるほど・・・それも理のある意見だな。よし多数決を採る」

 リーダーの言葉に全員再び姿勢を直し、向き直った。

「関西に知らせるべきだと思う者」

 二人の影が手を上げた。

「知らせるべきでないと思う者」

 今度は四人の影が手を上げた。

「よし、これで決まりだ。このまま推移を見守ることとする。いいな」

「はい」

 全員が一斉に声を合わせ返事を返す。

「では我らの目的の為にも、引き続き鋭意努力してもらいたい」

 力強いながらも、冷たい、低いその声は暗闇の中に吸い込まれていくようであった。

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