適格者
翌日、有斗は来るべきカヒや関西との決戦に備え、足元を安定させるために、河北に出兵し、流賊を一掃することを発表した。
同時に主だった諸侯へと参戦を求める使者が王都から一斉に派遣された。
今回の策は王の言葉から始まったものだが、細部を修正したのはアリアボネである。
それにこの策はちょっとしたことで大きく局面が変化する、その度に修正を図らなければならない。アエティウスは戦場では応変の才を示すし、大軍勢の指揮も見事にこなす王師の支柱だ。戦略や謀略もお手の物。だが、一度立てた戦略や謀略に固執するところがある。
想像と違う状況が起きたときに、急ぎ修正し対応するといったことは得手ではない。
ならば自分がついていき軍師の役目をするしかないであろう。言い出した責任もあることだ。
そうなった場合、問題なのは兵站だった。まもなく兵を動かすというのに、必要な物資を全て確保したわけではない。ということは後方でアリアボネに代わって一切を取り仕切る人物が必要だ。アリアボネはこの困難な任務を任せられるだけの信頼と才覚の持ち主を頭の中で探し始めた。
元から官僚にいる人材、求賢令で得た人材、前歴を問わずにだ。
ベッソスかマザイオスはどうだろうか? 一瞬二人の名前が脳裏に浮かんだが、能力的には問題ないが、今すぐに彼らを中書から離すのは辛い。アリアボネがいない間の中書の仕事は彼らに続けてもらわなければならないからだ。そう、中書は朝廷の要、動かすわけには行かない。
と、すると・・・他の適格者が思いつかない。
・・・
やっと一人、それに足る人物の顔を思い出す。自然溜め息が洩れた。
才覚のほうは問題が無い、けちのつけようが無い人物だ。だが信頼できるかといわれれば五分五分であると答えるしかない。だが背に腹は変えられぬ。その人物を王都に呼び出すために召喚状を溜め息をつきつき書き始めた。
「軍隊の規模はどれくらいになりそうかな?」
実際の目的は関西攻撃だ。どのくらいの規模で攻めかかるかは有斗でなくとも気にかかるところだろう。
「王師中軍、左軍、下軍、ザラルセン隊、河北と南部諸候の一部、全部あわせて五万を越える大兵です」
「王師右軍は連れて行かないんだ?」
正直なところやはり王師と諸候軍とでは、その質にかなりの差がある。それに諸侯はいつ裏切るかわからない。だからこういった大戦には、できることなら王師は全て連れて行きたいというのが有斗の本音だ。
「右軍は新兵を入れたばかり。調練もありますし、今回は王都に残ってもらって輜重を扱ってもらいます」
アリアボネは輜重の警護を任せるのに足る者が他にいないのです、と愚痴をこぼした。たしかにマシニッサあたりにそれを任せたら横領した挙句に背後から襲うとかしかねない。
「問題は我々が留守の間、鹿沢城を誰に守らすか、だな」
アエティウスは自身が負けただけあって、やはりバルカとかいう敵将が気にかかるのだろう。
「今回の作戦は壷関の兵を鹿沢城でくいとめることが第一条件です。人選をしっかりしないと後々窮地に陥るやも」
「リュケネはどうだろう?」
有斗はこういうときに頼りになりそうな将軍といえば真っ先に思いつくリュケネの名を出す。本人にしてみれば迷惑この上もない指名かもしれないが。
「リュケネ殿は下軍を統括するに必要不可欠なお方。下軍を外征に連れて行くのにあのお方だけ外すのは合理的ではありません。同じ理由でエテオクロス殿やアエティウス殿もやめていただきたい」
「え・・・それ以外の名前なんて思いつかないよ」
有斗が名前を覚えている将軍なんて一握りでしかない。たちまち答えに困り果てる。とはいってもベルビオやアエネアスみたいな猪武者は絶対に選んではいけない選択だしなぁ・・・
「アエティウス殿は各地から集められた兵とその将たちとしばらく行動を共にしましたよね? その中に鹿沢城を預けるに足るだけの人物は誰かいませんでしたか?」
「そうですね・・・ガニメデ卿という人物ならば、なんとかギリギリお勧めできるかもしれません。年齢も諸卿の中で上ですし、各所から寄せ集めた守備兵たちを纏めるだけの指導力を持っておりました。無難で手堅い考えを持つ人物です。それに彼は確か武挙の合格者で、中央の王師にいたこともあるらしいですよ」
アエティウスは突き出た下腹部、その頭髪が後退したことを隠すように苦心した髪型、さらには冴えない顔といった特徴を思い出して少し笑みを浮かべた。
「ならば、その方でよろしいのではないでしょうか? 敵の誘いにのって、城を迂闊に出ないことを厳命すれば、敵の罠に引っかかることもないでしょう。手堅い戦をする人物こそ鹿沢城には必要なのですから」
アエティウスの言葉にアリアボネも同意をしたのなら、と有斗は了承代わりに頷いてみせた。
本当のことを言えば、アリアボネは本当はそれに相応しい人物に一人心当りがあった。
バルカ卿の上げた武功を吟味すれば空恐ろしいものを感じる。アリアボネも滅多なことでは他人に影も踏ませやしないだけの才覚を所持していると自負しているが、そのアリアボネとアエティウス二人掛かりで戦っても勝てると言い切れないだけの人物とさえ思っていた。ひょっとするとバルカ卿を上回る軍才の持ち主は関東の朝廷にはいないかもしれない、そうも思う。
しかし方法が無いわけではなかった。ようはその軍才を振るわれる心配の無い状況にしてしまえばいいのである。そういった権謀なら、アメイジアに冠する才を持つ人間にアリアボネは多いに心当たりがあったのだ。
だが、それをその場で口に出すことは差し控える。その者を重職に就けることに有斗の同意を得られないことがわかっていたからだ。
・・・ならば、アリアボネが自己の権限を使い、自己の責任において彼女一人の判断でやればいいだけのことだ。失敗した時の責任は全て彼女がとればいい。
「久々の王都。やっぱりここはいいねぇ」
彼女は久々の王都の空気を満喫していた。
「田舎と違って活気がある。郡司ってのはさ退屈で退屈で」
中書省のアエネアスを訪ねてきたのは地方に左遷されたラヴィーニアであった。
「で、あたしを赴任先から急遽呼び出したってのは何なのさ? あの王様のお許しでもでたかい?」
「いいえ」
「・・・なかなか許してもらえない・・・か。まぁ仕方がないわね。ところで結構な騒ぎだね。また出陣するとか」
王都の中は出陣に備えて軍事物資が集積されつつある。そのおこぼれに少しでも預かろうと商人たちが商魂逞しく駆けずり回っていた。
その混雑を細い体躯いっぱいに感じて王城に入ってきたのだ。ラヴィーニアにも心躍る光景だった。それに自分が関わってないことだけが残念だった。
「ええ。そのために滞りなく糧秣を手配できる人間が必要なのよ。あなたにそれをしてもらいたいの」
なんだ自分を呼び出したのはそんなチンケな用件だったのか、ラヴィーニアは不満げに鼻をならした。
「アリアボネがすればいいんじゃない? 得意でしょ? 計算は」
「私は今回は陛下のお供をします」
「女連れで出兵か・・・ずいぶん余裕じゃないのさ。それにしても補給程度の任務ができる官僚くらい宮中にいないわけじゃないだろ?」
「今回はちょっと事情が特殊なの。この任を任せられるのは商人に顔が広い貴女しかいない。それに陛下に貸しを作ることになるわ。貴女にとってもやりがいのある仕事よ」
「そう聞くとやってあげてもいい気はするな」
ラヴィーニアの言葉は何故か一段高いところから放たれた。
アリアボネは文机に積まれた書類の中から一枚の書類を探し出すと、ラヴィーニアに突きつける。
「そしてもうひとつ、ここへ行ってもらう」
「え? また移動かい? せっかく今の仕事になれたって言うのにさ」
「文句言わないの。はい、赴任の命令書」
尚書の署名と中書令の印が押された紙を一読して、フンと鼻をならした。
「また、めんどくさいところに行かせる。王の嫌がらせかな?」
「違う。私が選んだ。あなたの頭脳が必要になると思うわ」
「ハハン。そういうこと・・ね」
ラヴィーニアは命令書を小さく畳んで懐に入れた。
「鼓関を封じなきゃいけない事態が起こるというわけか。すると膨大な食料が必要になるな。保存食の塩、馬の飼葉、矢や予備の武具。立て続けの出兵で使ったから在庫は少ないだろ? 予算はある? 軍票を使う許可は最低限欲しいな」
するどい、とアリアボネは思った。そしてラヴィーニアの叡智に満足すると同時に、惜しいとも思った。
これだけのことで次の布石を見通せる才を辺境に追いやれるほど、今の政権に人材が豊富というわけではないのだ。一人の人間ができることなど限られている。ましてやアリアボネは体に病魔を住まわせているのだ、一人でも有為の人材は手元においておきたかった。
でも陛下はまだお許しになってはいない。
王城で顔を会わせたりしたらどういうことがおこるか。アリアボネは一人ため息をついた。
「軍票は必要だと思う数だけ貴方が発行すればいい、後始末は私がやります」
「それはなにより」
その変事に満足そうに頷くと、ラヴィーニアは手をこすり合わせて笑みを見せる。
「そうだ」
「なに?」
「関西を攻めるのにどういう方策を使うんだ? 北から? 南から?」
アリアボネの返答を待たず、ラヴィーニアは言葉を続けた。
「そうだな・・・海路じゃ補給も難儀だし、補給線も伸びきるし、港湾を押さえる兵を残さねばならない、退却だって容易ではない・・・とすると、あの朽ちた桟道を修復するか北周りってことか。今の関東の力で関西を攻める・・・か。壷関が難攻不落の要塞とはいえ、それを無視して迂回するとはとんでもない代案を思いついたね。さすがはアリアボネ」
やはり、この策は上手く行くかもしれないと思った。ラヴィーニアですら考えてなかったというなら、関西にも我々の動きを察する人物はいないはずだ。
「関西を攻めるとは一言も言ってないわ」
「ふふん。わかったわかった、そういうことにしておいてやるよ」
一旦出て行こうとしたラヴィーニアだったが、出口付近で足を止める。
「そうだ。退屈している私の脳に暇つぶしを下さった美人軍師様に耳寄りな情報をおひとつ」
「何?」
「ステロベ卿を知っているね」
「関西の名将の一人ね、知らないほうがおかしい」
「アレは落ちる」
「・・・・・・どういうこと?」
ラヴィーニアの言葉に驚き、アリアボネは書きかけの書類から顔を上げた。
「ステロベ卿は関西の背骨とも言っていい忠義の士よ。たびたび女王にも諫言しているほどのお方。権に興味なく、真心忠心を持って女王に対しても正言をぶつける気骨のある人物として、その名は関西だけでなくアメイジア全域にその名が知られた武人よ。その御仁が裏切るとでも?」
「その諫言の内容を知っているかい?」
「いいえ」
知るわけが無い。そのような関西の機密情報を。
「あたしは知っている。一通残らずね」
アリアボネは驚きで目を見開いた。もしそれが本当だとすれば、彼女はいつか来る関西攻めのその日に備えて、ずっと関の向こうすらも監視していたということか? 生きているうちにその日が来るとは限らないのに・・・? 私すら陛下が攻めると言うまでは、関西のことなど考えてもいなかったというのに・・・! ・・・やはり・・・この才は必要だ、陛下が天下を手に入れるには・・・!!
「その諫言の内容を熟考すればわかる。ステロベ卿は女王、いや関西の朝廷の忠実たる臣として忠言しているんじゃない。あれは朝廷を支える社稷の臣として名を上げたいという表現の表れなのさ。功名心、歴史に自分の名を残さん・・・ってやつだな。何が何でも関西の朝廷に命を捧げるという、正確な意味での忠臣ではないのさ。すなわちステロベ卿に、もし陛下がこのアメイジアに必要な王だと認めさせれば・・・、いや思い込ませるだけでもいい、それに成功すれば」
「成功すれば?」
「やつは寝返る。すると関西に大きなダメージを与えることができるだろうな。それはステロベ一人に納まらない。関東の大軍を目の前にした関西の諸侯の心理に大きな影響があるはずさ。ステロベほどの忠臣が寝返ったのだ、自分が寝返ったとしてもなんら恥じることは無い、とね」
もし、とアリアボネは思う。もし、それに成功したら関西を半分手に入れたも同然だ。前代未聞の大功といえるだろう。
「だけどステロベ卿にも体面がある。面子ってやつがな」
「・・・」
見事にアリアボネが押し黙るのを見て、ラヴィーニアはにやつく。アリアボネほどの人を驚愕させることができたということは、彼女にとっても愉悦に値することだった。それにアリアボネに少しは貸しを返しておかないと寝覚めだって悪いというものだ。
「そこをうまくつつくんだね」
「あなたならどうするの?」
ラヴィーニアは心底楽しそうに笑った。
「全部教えたんじゃあ・・・さすがにおもしろくないだろ? 榜眼様なら探花の私なんかより、よほどいい策を思いつくはずさ」
もう一度ククク、と低い声で実に楽しそうに笑った。