水争い
戦国の世というのは、おそらく現代の人間からしてみると想像を絶する非情な世界であったであろう。
そして戦乱の世は最後に一人の勝者が現れることで必ずいつかは終結する。
だが、その事実があるからと言って、誰もが立身出世を望み、天下人を目指して、喰うか喰われるかのゼロサムゲームをしていたというのは大いなる勘違いだ。
どこまでいっても人間は人間、どんな時代にも他人を踏みつけることを何の呵責も無く行える人間がいるように、目の前の案件を処理するだけでようやく日々を過ごしていくだけの人間がおり、自身の境遇に満足し、それを保持することを生き甲斐とする人間もまたいるのだ。
そういう意味では、アエティウスは自己の功績や名声を得るためだけに、兵たちを死地に追いやることを厭わないといった非情な人間ではない。
それが嫌いであったわけではない。単にその必要がなかったからである。
武人として名が知られ、経略の才も南部にこの人ありと謳われていた。そして彼は若くしてダルタロスという南部屈指の一族の長である。だから何よりもそれを保つことを第一として考えねばならない立場にあった。彼についてきてくれる数多くの民の為にも、そうせねばならなかったのだ。
だからこそ、その考え方は、どちらかと言うと保守的な、マシニッサあたりの梟雄とは間逆に当たる思考をする男だった。
当然、アエティウスは王が彼に課した使命というものを充分に理解していた。
未だ王は四方に敵を抱え、身動きが取れない状態にある。連戦で将士は疲弊し、糧秣は乏しい。彼に与えられた役目は関西の牽制。無闇に出兵して軍資と兵を損じるつもりは毛頭無かった。
だが敵がわざわざ兵を出して鹿沢城に向かってきたならば、話は別だ。
彼の役目は関東の民を兵火にさらされないようにすることなのだから。
だが、それは当面ないであろう。関東も関西も両度の戦いで多数の将兵を無くし大いに傷ついた。
関東は王師右軍は七千、鹿沢城守備兵は四千の兵を無くした。
代わりとして王師中軍一万と各地から集めた三千の兵と鹿沢城守備兵の生存者一千を鹿沢城に駐屯させているが、攻め込めるほどの兵力ではない。
関西とて実情は変わらない。鼓関守備兵と関西の王師左軍の兵の残兵はあわせて一万五千である。それに王師左軍はバアルが預かる形にはなっているが、正式の将軍が任命されるまでは、めったなことでは動かさないほうがいいだろう。それに何より焼け落ちた鼓関の復旧作業に人手をとられることであろう。
しばらくは睨み合いが続くに違いない。そう両者とも思っていた。
それは些細な事件から始まった。
南部諸侯に広く信仰を集める南方刀美神社という社祠がある。軍神タケミナカタが主神とされるが、一説によると神事や祭祀はサキノーフ様御降臨前の古い形の土着の信仰形態を残しているといわれ、本来の主神は信徒の間に伝わるシャクチと呼ばれる名の神であったとされる。
さてその南方刀美神社は六十年に一度式年遷宮が行われる。ちなみに式年遷宮とは本殿が同じ境内で別の位置に新築移転することである。
南方刀美神社に伝わる伝説によると、かつて超巨大な磐座がこの地にあり、それが御神体であったという。だがある時、南部の神子以外が触れてはならないという禁忌を犯した不届き者が現れ、荒御霊となってしまう。
そこを偶然通りがかったタケミナカタがこれを砕き、その破片一つ一つを大地に埋め、その上に御神柱を立て、社をたてることで鎮めたという。
恐らくは遥か太古の昔、畿内から移住してきた一団と南部の先住民が衝突し、境界を定めたという事象を神事にしたのではと言われている。
割られた巨石は十六の破片となった。その中から四つの破片の上に主柱を立て、本殿を建設するのだ。十六個の石は四個ずつ東西南北に別れ、六十年ごとに時計回りに社を移していく。二百四十年で一回りする計算だ。
その時に行われる祭礼がある。氏子が四組に別れ、それぞれ一本ずつの巨木を切り出し神社まで運び、磐座の上に主柱として建てるという祭りだ。一週間に渡って各村落を回り、柱を運ぶ大層壮麗な祭りである。
この祭りがただの祭事より重要なのは、その時に主柱を立てた氏族は次の祭事まで優先的に水を使う権利が与えられることだ。
南部西部では水の豊富な南部東部と違い、古くから水争いが行われてきた。おそらくそれの解決案として取られているのであろう。先人の知恵と言うやつだ。
ただ祭事は六十年に一度。六十年といったら赤子も多くは墓場に入る。すなわち今度の柱を建てた四氏族はこれから死ぬまで水に困らないということであった。逆に言えば他の氏族からしてみると六十年間は水が不足する事態がままあるということだ。
だが今は戦国なのだ。実力の世界なのだ。それを気に入らぬ者も当然出てくる。
四本の支柱のうちの一本で、その出来事は起きた。
巨木は切り出されてから、一通り各氏族の村々を巡ってから神社に向かう。
神木には夜も見張り番が付き、寝ずの番をするのだが、当日、番だった二人の男は眠りこけてしまい、その隙に焚き火が燃え移ったらしい。幸い大火事には至らなかったものの、柱は焦げた。さすがにこの柱をこのまま使うわけには行かない。
だがもう一度、村に戻って一から木を切り出して運んでは、とても祭礼には間に合わぬ。
困った彼らに近隣の村が手を差し伸べ、森から大木を切り出してくれた。その間の行程の遅れを取り戻すため、その村落からも人が駆り出された。木は無事に神事に間に合ったのである。
そうして神事は無事に終ったものの、新たな問題が発生した。
この御柱の担当だった氏族に対し木を提供した氏族が、木は我らの森から切り出された、運んだのも我々である。よって水を優先的に使える権利は我々にあると主張したのだ。
当然元々その権利を有していた氏族は反論した。「我々の木をどうぞ」と言われたから好意に甘えただけだ。そんなことを言うようなら手伝ってもらってなかった、と。
納得できるわけがない。それに考えればおかしなところがあった。何故二人とも眠り込んだのか、何故火事は広がらずに即時鎮火したのか、何故まるですでに決めて合ったのかと思うくらいすんなり、切り出す木を決めることが出来たのか。疑惑は黒い感情となり、怒りに変わる。
だがいつまでも互いを非難しても何もかわりはしない。二つの氏族は同じ諸侯に属していたため訴え出たところ、諸侯が調停に乗り出した。
水を支配するものは民をも支配すると言われる。本来なら諸候は慎重に慎重を重ねて判断しなければならない案件だったが、ものぐさで知られたその諸侯は、建ってる木を出した村落でいいのではないかと、あっさり結論をつけると、抗議の声に耳を塞いだ。
訴訟に敗れた氏族は業を煮やし、秘かに鼓関に使者を使わした。関西に援軍を頼んだ。
当初バアルは乗り気でなかった。
そこで気持ちだけは受け取るが、関東と戦い敗れたばかりだ、今はとてもそんな余裕はないとはねつけた。
それに対して、庇護を求めてきた我らを見捨てるつもりか、と使者は激高した。
そうではないと弁解をするバアルに、ならばいったいどうなったら立ち上がってくれるのか、と問いただす。そこで、さすがに蜂起でもした場合は兵を出すと、うっかり言質を与えてしまった。
そうは言ってもたかが一氏族、挙兵なんてするはずがないと高を括っていたのだが・・・
「まさか本当に蜂起するとは・・・」
バアルは蜂起の知らせに苦笑する。
だがこうなってはしかたがない。出兵するしかない。
南部諸侯の取り込みは関西の基本戦略なのである。もしここで彼らを見捨てれば、いずれ行う関東との決戦時に味方についてくれる南部諸侯などいなくなるに違いない。
勝利を得れなくても良い、関西は味方になれば必ず援けてくれるという評判さえ作られるのなら、それでいいのだ。
水の権利を取り上げられた村は一揆となり、取り上げた村に襲い掛かる。
鬱屈をぶつけるように村内を散々に打ち壊した後、一揆勢はようやく帰路に着く。
村を襲われた村民は一揆勢の非道を領主に訴えでた。自分が下した裁定が不服なのか、と不快に思った領主も敵に回る。そうなると蜂起した一揆勢はたちまち窮地に追いやられた。
深い森に逃げ込み、ひたすら関西の大部隊が来るのを待っていた。
やがて現れたバルカ隊は三百に足りないその諸侯の軍に攻めかかると、またたくまに蒸発させた。
このままこの場所に留まってくれと頭を下げる氏族の者たちをバアルはなだめすかし、なんとか関西に移住することを了承さしめた。急いで帰路に付くが、氏族を納得させるまで、思いもかけず日数を費やしてしまう。
さてもう一方のアエティウスはなにをしていたかと言うと、
鼓関から部隊が出たことは、即日のうちにアエティウスは掴んでいた。
敵が鼓関を出たからと言って、アエティウスたちも出る必要はない。どうせ敵の目標はここだろうという余裕もあった。
アエティウスは鹿沢城の警戒を厳にしたが、不思議なことに一向にその姿は現れない。首をひねりながら偵騎を走らせるが、西国道沿いに兵の影はどこにも無かった。
そこに当事者である諸侯から、関西の大軍来たり、と救援要請が鹿沢城に届く。意外なところからの知らせに大いに驚いたが、なんの為の出兵か、アエティウスはその時はまだ把握していなかった。
だがとにかくも、関西の軍が南部に侵入したことだけは確かである。
南部を荒らしまわることは、南部諸侯の一員としても王師としても見逃せるものではない。
アエティウスは急ぎ軍を率いて南へ移動する。
やがて双方共に前方に敵の姿があることを把握する。斥候を放ち、敵との距離を目算する。
少しでもいい位置に布陣しようと相手の移動速度も頭に入れながら行軍速度を調整した。相手に有利な布陣にならぬように慎重に調整した結果、双方は誘い込まれるように同じ地形を選んだ。障害物のまったく無い平地だった。
こうしてバアルとアエティウスは堂々の野戦をするはめになってしまったのだ。