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紅旭の虹  作者: 宗篤
第三章 驚天の章
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包囲網を破れ!(Ⅶ)

 王が鹿沢城を出で、南部へと進軍したという知らせは、その日のうちにバアルの元にも届いていた。

 バアルは深く考える。

 おそらく鼓関(こかん)に出入りする商人から、鼓関には未だ援軍は来ず、一軍一万しかいないことは王もきっと知っていることだろう。

 だからこそ安心して南部を平定する為に兵を出したと考えるのが常識的だ。

 だがそれでもバアルは疑う。これは鼓関の軍をおびき寄せるための撒き餌ではないだろうか? 鹿沢城に兵はいないと見せかけて鼓関の兵を引きずり出し、鹿沢城で攻防している間に、王が兵を返す。そういった罠ではなかろうか?

 だがまもなくバアルの疑念は氷解した。鹿沢城に王師右軍が駐留していることが確認されたのである。

 それだけの兵を残しているのは関西の攻撃に備えていると見るのが正しい見解であろう。であるからには逆説的に王は南征を優先させたと見てよい。

 今の鼓関に備えるためには王師三旅もあれば充分であろう。それを一軍丸々残していくとは・・・どうやら王はどちらかというと慎重な性格であるらしい、とバアルは思った。


 充分な兵を鹿沢城に残しているのなら、バアルも無闇に動くことは出来ない。

 だがそんな中だからこそ、旅の商人たちから情報を集めることだけは(おこた)らなかった。

 それによると王は敵対した南部諸侯を順調に征討し、河北で起こった流賊の蜂起も王師に押さえ込まれているらしい。頼みの綱のカヒはまだ近畿東部に上陸しておらず、バアルにとって良い知らせは何一つもたらされることがなかった。

 だがそんなある日、関東と関西を行き来しているある商人から一つ気になる情報がバアルにもたらされた。

「三旅の部隊が鹿沢城を出、王に武器兵糧を運ぶそうで。我々も兵糧を調達するのに大忙しですよ」

「鹿沢城から武器兵糧を王に送り、不足した分を補うということか?」

 バアルの問いにその商人は笑いが止まりませんと腹を叩いた。

「ええ。南部の諸候征伐が思ったより順調に行き過ぎて、物資が返って足らないとか。いやあこんな有難い儲け話めったにありませんよ」

 興味深い話を聞いたとばかりに、にこやかに笑みを浮かべ、その商人と硬く握手する。

「ありがとう。面白い話を聞かせてもらった」

 バアルは褒賞を与え、恐れ多いと恐縮する商人を鼓関の門まで、顔に笑みを絶やさずに送り出した。


 執務室に帰り一人になると、バアルはいつもの顔に戻る。

 さて、これをどう考えるかだ。

 あの商人が王師に命じられてバアルにこれを告げたのか、それともあの商人も王師に利用されているだけなのかはわからないが、これは罠であることは確実だ。こんな重要な情報をあんな一端の商人に話すなどありえぬことだ。

 まもなく王師は南京に到着するのだ。南京はダルタロスの牙城、そこで補給を受ければよい。わざわざ遠く鹿沢城から兵糧も武具も運ぶ必要などないはず。つまり、鼓関から兵を引きずり出すのが狙いであろう。

 問題はその意図が誰から発せられているのかということだ。

 王か? 東京龍緑府にいると言う名高い女軍師からか? それとも右軍の将軍からか?

 王から、もしくは女軍師から発せられているとしたら、これは陽動だ。

 餌に喰いついた我等を鹿沢城の部隊と、南部から戻ってくるであろう王師中軍、南部諸侯とで挟みこむ。完璧な迎撃態勢だ。

 しかしそれはないだろう。あまりにも見え見えの罠だ。少し現実味が薄い。

 バアルは自己に絶対の自信を持つタイプの男ではあるが、王が南部中央まで動かした軍隊を一旦戻すという、時間と兵糧の無駄をしてまで(ほうむ)りたいと思うほどバアルを評価しているとは思えなかった。

 だが、それが右軍の将軍から発せられているとしたら・・・どうだ?

 我々が囮の王師三旅に喰いつくと、後ろから襲ってくるのは王師右軍の王師七旅と鹿沢城の駐留兵の一部。確かに有利な形にはなるだろうが、必勝の形とまでは言えない。

 とてもバアルには取れない作戦だ。もし連携が上手く行かなかったら、囮の三旅を壊滅した敵に返す刀で逆襲され各個撃破されかねない。

 それではこの前バルカに敗北した鹿沢城守備隊の二の舞ではないか。危うい。そんな危険な賭けをするのは武将ではない。博打打(ばくちう)ちと言ったほうが良い。

 王師右軍の将軍はそれほど自分の能力や部下の兵を過信している慢心家ということだろうか。

「王師右軍の将軍・・・たしかグルッサとかいう将だ。彼について知っていることはないか?」

 鼓関にもう二十年は勤めているという、関東に詳しい旅長にバアルは訊ねる。

「老獪ながらも地味。王師右軍に長く勤め兵士の信頼は得ているようです。だが特に目立った戦功もなければ、政権の端に連なる係累も持たぬが故に今まで出世できなかった。ところがそれがゆえに、朝臣の顔色を(うかが)うことなく仕えてくれようと王に見込まれて右軍の総帥に選ばれたとか。いやあ人生何が起こるかわからない。まさに禍福はあざなえる縄の如し、ですね」

「ということはこれまで不遇を囲っていただけに、王の信頼に応えたいところだな・・・」

 バアルは急に何か見えない物体の尻尾を掴んだかのような錯覚に襲われた。

 頭の中で何かが、ちかちかする。

 グルッサという男は白髪が混じる年になってようやく一軍を任される大将にしてもらった。きっと王に対しては感謝する心が強いはず。

 ・・・と同時に不満も沢山抱いているはずだ。

 河北征伐に右軍は補給の任を与えられただけで参戦できなかった。

 しかも今回もまた鹿沢城の防衛だ。関西の押さえといえば聞こえはいいが、しばらくは関西からの出兵はありえない、つまり実際は単なる不遇を(かこ)つ留守番役なのだ。これを右軍の将士から考えると不満であろう。

 中軍を使うのは仕方がない。まず大将が王の信頼厚いアエティウスであるし、そもそも王師中軍は関東の朝廷最強の部隊なのである。使うなと言うほうが無理難題だ。

 だが左軍や下軍に二度も後れを取る(いわ)れは無い。

 もしかすると王は右軍を信頼してないのでは・・・とまで勘ぐってしまうのではなかろうか?

「報恩の思いから手柄を立てたい・・・それだけではなく王に右軍が他の三軍に劣らぬことを知らしめたいと考えるのはおかしなことではない」

 ひょっとしてら、この一見賭けに見える作戦は、グルッサという将軍と右軍の兵士たちの(あせ)りが、形となったものなのでは・・・?

 だとすると、例えこの餌に食いついても、王師中軍も南部諸侯も駆けつけないということになる。いわば王師右軍一万、いや鹿沢城守備兵も入れて多くて一万五千か、と鼓関の一万の兵との戦いになる。

 それにもし敵がバアルの若さを(あなど)っているとしたら、この作戦を取った事はさらに理解しやすい。

「『七経無双』などと言われても、所詮机上だけのこと。兵法書を丸暗記しているだけで、命のやり取りをする戦場での応変の才などあるものか。昔から言うではないか兵法書読みの兵法知らず、と。この前は偶然の戦いで勝機を拾ったに過ぎない。だが初めて得た勝利の味は忘れられぬものよ。その時と同じように一部の兵をわざと鹿沢城から出したら・・・夢よ再びというわけだ。バアルとか言う若造は、喜び勇んで必ず食いつくはずだ」

 そう言うグルッサの声がバアルの耳まで今にも届いてきそうであった。

 ならば、この罠に堂々と(はま)りに行くべきではないか? 敵は我等が罠にはまったと思って(おご)り高ぶっているはずだ。

 付け入る隙はありあまるほどある。

「軍監!」

 バアルは考えが(まと)まるや軍監を呼び出す。

「ここに!」

「三人・・・いや五人一組の偵察兵を三組出し、鹿沢城をずっと監察させろ。これは粗忽な兵を選べよ。わざと姿を見せ付けて、我々が敵の動静に関心があることを示すのが目的だ。次に慎重で南部の商人に化けられるだけの者を選べ。近々鹿沢城を出る三旅の兵に付かず離れず付いて行き、何日に鹿沢城を出て、何日の行程で反転し、何日頃鹿沢城に帰るか報告させるのだ」

「承知!」

「ああ、そうだ」

 出て行こうとする軍監に振り返り、指差して念を入れる。

「それに伏兵に使えそうな場所を探してくるのも忘れるなよ」

「はっ!」


 鹿沢城の狭い塔の窓から広々とした草原を見ている初老の武人がいた。王師右軍大将のグルッサである。

「将軍」

 グルッサに声をかけたのは王師右軍の旅長の一人だった。

「何かね?」

「どうやら敵が餌に食いついたようです。鹿沢城の周囲に敵の偵騎の影が見えるとのこと。それも昼夜分かたずです。数も複数とのこと。よほど我らの動きが気になるようですな」

「そうか、あのような軽騒な商人でも軍の役に立つこともあるな」

 グルッサは軽口が過ぎると噂の商人に、わざと鹿沢城から補給部隊を出すという偽情報を掴ませたのだ。

「勝利して帰った(あかつき)にはあの者にも多少いい思いをさせてやりましょう」

 笑う旅長に引き込まれる様にグルッサも笑みを浮かべる。

「そうしよう」

「では三旅の兵に荷車をつけて出発させましょう」

「そうだな。毎日の連絡は欠かさぬこと。忘れるなよ」

「はい」

 深々とお辞儀する旅長にグルッサは重々しく(うなず)く。

 やはり、な。

 若いだけあって功名心も盛んと見える。この餌に喰いつかぬという選択肢もあったはずだが喰いついた。王配に擬せられるくらいだから、それなりの人物であろうが、何にせよ若い。

 馬鹿の一つ覚えのような同じ戦法は戦場では通用せぬぞ、戦の厳しさを教えてやる。命が代償と言う高い授業料でな、とグルッサはまだ見ぬバルカという男を上から見下げるように一人ごちる。

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