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紅旭の虹  作者: 宗篤
第三章 驚天の章
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包囲網を破れ!(Ⅵ)

 南部、河北と順調に南北で敵を倒し、敵の意図を(くじ)くかに見える王師であったが、東西の戦線では同じようにはいかなかった。


 少し時間を(さかのぼ)ることになる。

 アリアボネの予想に反し、関西は一向に兵を出す気配が無かった。

 河北もあらかた片がつき、いざとなれば河北から王師下軍を移動させることも出来るだろうと一息つく思いであったが、問題は東、大河の東岸に集結しつつあるカヒだった。

 遠いとはいえ、未だオーギューガから良き知らせが来ない。

 それが悩みの種だった。

 このままカヒと全面戦争になったら、今のこの朝廷の力では正面切って五分の勝負はできないだろう。しかし無策でやり過ごすわけにもいかない。今現在、王都にて兵権を預かるのはアリアボネの責務なのだから。

 王師左軍が王都を出立したのは、有斗らが南京から出兵する一週間前のことであった。

 首都に駐留している王師左軍を近畿の東端に派兵し、大河を渡ってくるカヒの軍とまずは一戦して出鼻を(くじ)く。緒戦の勝利は意外と引きずるもの、一旦、苦手意識を叩き込むことが出来れば、しばらくはそれが抜け切れない。抜け切るまでの間、城に篭り時間を稼ぎ、河北や南部で余剰になった戦力を投入してからが本当の勝負だろう。

 左軍だけでカヒ全軍を相手にするのは無理だが、大河を渡河中ならば王師一軍でも充分に勝機はある。アリアボネとしてはできれば上陸を阻止して欲しいところであったが、そこまではさすがに望めない。

 とにかく関西と河東との挟撃を阻むことさえ出来れば、勝機は十分にある。


 畿内と河東を別け隔てる大河は下流に行くにしたがって川幅を増し、東山道の渡し付近では幅五キロメートルを越え、対岸がかすんで見えるほどである。

 広く接している畿内と河東だが、畿内は南部との間に高山を抱え、河東は越と係争の地になっている険しい山岳地帯である芳野(よしの)を抱えているため、実際に大河を渡る場所として使えるのはそう広いわけではない。

 だがそれが故に防衛もしやすく、畿内側には一里間隔で見張り台が立ち、東山道を守る形でベネクス城があり、渡ってきた河東の前に立ち塞がることになっていた。


 エテオクロスと王師左軍がベネクス城に入ったのは一週間後である。

 それに呼応したわけでもあるまいが、カヒの軍を満載した船が一斉に大河を渡りだした。一度にカヒの大軍全てを乗せるだけの船は例え大河全域を探しても集まるわけもなく、すなわちそれはあくまで橋頭堡を築くための先遣部隊だと考えたほうが無難であろう。


 その知らせを聞くや、左軍は旅装を解きもせず、それぞれの手に得物を握り締めるや、河岸に急行した。

 敵は先遣隊だけであり、さらには河岸から離れていない。それどころかまだ半数の兵は船上にいて渡河を終えてすらいなかった。

「勝った」とエテオクロスは思った。

 "客の水を絶えて来たらば、之を水の内に迎うる勿く、半ば(わた)らしめて之を撃つは利なり、戦わんと欲する者は、水に附きて客を迎うること勿れ。"

 水側の布陣は兵家の忌むべきところ。逃げ道がないと兵は本能的に不安を感じ、戦うことよりも逃げることだけを考えてしまうものだ。そして敵が川を越えて来る場合は、川の中で迎え撃つことはせず、半分ほど渡らせてから攻撃するのが圧倒的に有利なのだ。

 すなわち教科書のお手本どおりの現状なのである。

 エテオクロスは左右にさっと陣を展開すると、隊列もそこそこに騎馬で駆け出した。

「このままカヒの山猿を河の中にたたき返してやるぞ!!」

 吶喊(とっかん)の声をあげ、兵士たちは上陸まもなく隊伍も組んでいないカヒの兵に殺到した。

 必要なのは勢いだ。敵も陣を築いておらず、隊列も組んでない以上、勢いで上回ったほうが勝つ。エテオクロスの武将としての勘がそう(ささや)いていた。

 当然、先手を取った王師のほうが有利なはずだ。それに敵は半数がまだ船の上だ。流れは完全に王師にある。

 騎馬と騎馬が近づくと、まず矢を放ったのはカヒのほうだった。カヒの名高い騎馬軍団は、騎乗しながら弓を放つことができる。王師にもそれができる者もいるが、その数は少ない。

 とはいえ数に圧倒的な差があった。王師の騎兵が圧倒的に優勢である。

 やがて長駆し、騎兵に遅れていた王師の歩兵が投入されると、更に戦況は傾いた。

 とはいえ劣勢を跳ね返そうと、戦いのさなか河岸についた船から出てきたカヒの兵の中には馬も鎧も置いたまま武器だけを手にするや、王師に向かって突撃する剛の者が後を絶たない。

 やがて段々、王師の勢いがそがれてきた。

 さすがに圧倒的優位な態勢で始まった戦だ。いまだ流れは王師のものだ。

 だが頽勢(たいせい)のなかでも懸命に奮戦するカヒの兵士たちを打ち破るまでにはなっていなかった。

「数でも上回っているのに押し切れぬとは!」

 王師一万に対して、カヒの兵は八千に満たない。上陸しきってない兵を引くと五千に届くかどうかであろう。

 繰り返し何度も突撃するが、惜しいところまでであと一息が押し切れない。

「精強をもって知られる王師左軍の名に恥じよ!」

 兵を叱咤(しった)し再び隊伍の崩れているところ目掛けて突き刺さる。

 王師は未だ全ての箇所で優勢を示していた。一旦跳ね返されるも、大きく後退することはない。

 中でもヒュベルの旅隊の働きは凄まじかった。ヒュベルが十文字槍を左右に振るだけで敵の首は面白いように宙を飛んだ。

 カヒの兵といえども人間だ。そうやって怯んだ隙に、列が途切れたところを狙ってヒュベルは馬を割り込ませる。

 だがそれでも敵はいまだ河岸に踏みとどまっていた。

 強い。とエテオクロスは舌を巻く。

 こんな状態になっても、兵を踏みとどまらせるだけの信頼を抱かせることなど並みの将にできることではない。王師でもおそらくいないであろう。感嘆する思いだ。

 続々と上陸するカヒの兵は小さな船を河から持ち上げると、それを積み重ね仮設の柵代わりとする。

 押し込まれ続けていたカヒの兵だが、船の仮柵で持ちこたえることで一息つき、隊列を組みなおすことに成功した。

 戦闘は王師優勢であるにも関わらず、決定的な一撃を加えることが出来ず、膠着(こうちゃく)状態に陥っていた。

 エテオクロスは天空を見上げ驚く。太陽の位置からすると、開戦してからすでに一刻は軽く過ぎ去っている。


 王師の勢いが()がれてきた。もうすぐ兵勢が逆転し、陰は陽に、陽は陰へと逆転する。

「これで親方様にもいい報告が出来る」

 カヒの名高い四天王の一人であるデウカリオはやれやれと大きく息を吐き出した。

 栄誉ある先遣隊の指揮を任されたとは言え、王師の強襲には正直驚かされた。

 細心の注意を払って準備をしてきたのだ。畿内には邪魔が入ることなく、容易く渡河できるものとばかり考えていた。

 それに王師がこんなにも速やかに派遣されたことも想定外だ。いつも後手後手に回る今までの朝廷のではありえないことだ。これも召喚の儀で呼び出されたという新王とやらの手腕だろうか。

 王師もカヒも手負いの兵が増え、距離を取り息を整える者が増える。干戈の音もまばらになる。

 当たり前であるがどんな兵であれ、長時間守ることよりも、長時間攻め続けるほうが疲労は蓄積される。

 こちらのほうが、まだ戦えるはずだ。

 そう思ったデウカリオは疲れた兵を叱咤し、ここで初めて逆襲に移る。

 疲労困憊(こんぱい)していた王師はその突然の反撃に支える術を持たず、少しずつ崩れはじめる。

「蹴散らしてやれ!」

 そう檄を飛ばすデウカリオだが、思ったほど押し切れない。まるで空気を押しているような手ごたえ、うまくはぐらかされている。敵は押されているというより、むしろ隊列を崩さず整然と退いている。さすがは王師だ。

 特に先ほどからを隊列の前面に立って八面六臂(はちめんろっぴ)の活躍をする将にたいしては、感嘆の念を抱かざるを得ない。

 よき獲物かな、と名のある武将から雑兵までが、蜂が蜜に群がるようにその身に集まってくるのをいとも容易く撃退する。長時間の戦闘にカヒの将士は疲れているにしても、敵だって疲れている。それにも関わらずその男と五合と打ち合える者すらいない。その驚異的な働きの前に、一度崩れかけた王師は再び整然と隊伍をなした。

 西の空を眺めたデウカリオは、

「やめた」と言い、引き(がね)を鳴らさせる。思い切りよく追撃を諦めたのだ。

 もうすぐ日が落ちる。見知らぬ土地での夜間の追撃は危険が多い。地形が一切分からないのだ。敵の奇策に(はま)ることだってあるかもしれない。

 我らの務めは本隊が渡る前の下準備、橋頭堡(きょうとうほ)の確保である。今日はそれを果たしたことで満足するべきだ。

 敵を殲滅するのは次の楽しみに取っておくとしよう。


 王師は整然とベネクス城に撤退する。

 目的の緒戦での勝利は得られなかったが、敵に王師手強しとの印象を植え付けることはできたはずだ。

 すぐに防備の準備を急いだ。敵は恐らく二、三日中には来襲するに違いない。食料、石、木材。篭城に必要と思われるあらゆる物資を搬入する。

 河北や南部の余剰戦力が投入されるまではこの一軍だけで、カヒの五万とも七万とも言われる大兵を防がなくてはならないのだ。

 最悪の場合、援軍が来るのは関西の軍を破った後になるかもしれない。

 一年、いや半年やそこらは持ちこたえなければ、王の期待には添えない。だが、不可能ごとではないはずだとエテオクロスは思う。

 たとえここが左軍全将士の墓標となっても、必ずそれをやり遂げてみせる。


 しかし三日経っても四日経ってもカヒの先遣部隊が現れる様子がなかった。

 迂回して王都に向かったかと、ひやりとした嫌な悪寒がエテオクロスを襲う。今は四方に敵を抱えて派兵している最中、だが軍事力の真空地帯が一つだけある。そう、畿内中央部だ。もし迂回し王都を強襲されてはひとたまりもない。

 エテオクロスは慌てて偵騎を四方へと走らせた。だが畿内はもとより河岸にもカヒの兵は影も形もなかった。

 カヒの兵はオーギューガの兵が芳野(よしの)に進軍したとの報を受け、すでに退却したということだった。

 アリアボネが差し向けた外交使者は、見事にその困難な使いを全うしたらしい。

 エテオクロスは大きく息を吐く。

 助かった、それが『陥陣営』とまで称される彼の嘘偽らぬ心だった。

 カヒの軍は強い。ありえない強さだった。だがあれはカヒのほんの一部分にしか過ぎない。あれでこの強さなら、カヒの当主や四天王が率いるとされる、名高い五色備えはどれほどの強さを持つのであろうか。

 だが、まあ危機は去った。とにかくこれで一息つくことができる。

 エテオクロスは疲れていた。今日は枕を高くしてぐっすり寝よう、と思った。

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