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紅旭の虹  作者: 宗篤
第三章 驚天の章
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包囲網を破れ!(Ⅰ)

 ザラルセン以外でも幾人かがその赤い旗を見つけたようだ。

「おい、あれは・・・?」

「まさか・・・カヒか!?」

 全軍に一斉に動揺が広がる。放ってはおけない。動揺したままでは戦う前から負けたも同然だ。

 浮き足立つ兵士たちにザラルセンは檄を飛ばす。

「落ち着け。敵にカヒの旗があるだけだ。偽装かもしれねぇぞ。それに例えあれが本物で、あの中にカヒの兵がいたとしても、敵全てがカヒの兵じゃねぇ。あそこにいるのは今まで俺たちが狩りたてていた奴なんだ。恐れるんじゃねぇぞ!」

 ザラルセンのその言葉は兵士を冷静にさせる魔法のような効果を表した。

「少数の兵ならカヒとて怖くない。俺たちで制圧してみせらぁ」

 兵たちの口に強気の言葉が戻る。

 それでも、とザラルセンは思う。いくらかはカヒの兵士もいるだろう。何せカヒの大菱旗があるのだから。

 カヒの当主カトレウスはこの戦国が生んだ偉大なる落とし子、生きながらにして伝説の世界に片足を踏み出している乱世の英雄だった。さすがに河北の小競り合いにわざわざ本人が出馬しているとは考えられないが、武将の一人二人は送っているかもしれない。

 常勝不敗で知られるカヒの騎馬軍団も脅威だが、将軍たちもカトレウスに負けず劣らずの猛将勇将ぞろいだ。これはやっかいなことになったかもしれないな、とザラルセンは心の中で舌打ちする。

 だが、同時に心の中に燃え上がるものも感じていた。敵が強ければ強いほど、それを破った勝利の価値は重いのである。

 ザラルセンは逆境にくじけることは無い、不撓不屈(ふとうふくつ)の精神を持った男なのである。


 輜重を守るため後方に五百の兵を置いてきた。ザラルセンの手持ちの兵は六千をきっている。幸い目の前に見える敵軍も同じ程度の数だ。

 たとえカヒの名将が相手にいようと、賊兵が主力だ。錬度、騎馬の数、将士の一体感、どれもこちらが勝っている。長年、苦楽を共にした俺の精鋭に敵うはずがない、ザラルセンはそう判断した。

 横に広く隊列を組む。敵もそれに合わせて横広に陣形を組み替えた。両方とも小細工なしの正当な布陣である。

 だが、それこそがザラルセンのもっとも恐れていたことだ。

 賊というのは、それが良いか悪いかは別問題として、世のしがらみを全て捨て、勝手気ままに生きる連中のことでもある。

 王だろうが諸侯だろうが彼らにとっては何ほどでもない。己が「こいつのためなら水火をも辞さない」と認めた人物にだけ従うのである。

 つまり、賊を(まと)め上げているということは・・・生易しい相手じゃ無さそうだな、とザラルセンは一人ごちる。

 馬弓兵の利点を生かすためにも、敵を引きつけて一斉射撃し、陣が乱れたところを騎馬の高速展開で敵を包囲、分断する、それがザラルセンの取ろうとした戦術だった。

 しかし相手もそれを警戒してか、近づこうとしない。

 (にら)み合って一刻が過ぎた。

「兄貴、これじゃあ、(らち)が明かねぇ」

「・・・しょうがねぇか」

 移動しながらの射撃は精度が落ちる。ザラルセンの部下といえども、それを易々と行えるものは少ない。多少、効果が薄くなるが、こちらから近づいて射撃してみるか。

「よし、矢頃まで近づく。隊列を崩すなよ」

 ザラルセンが片手を上げ、ゆっくり振り下ろすと、そろりそろりと騎馬で駆け出した。

 王師が使う鼓や(かね)を借りてくればよかったな、と今更ながら思った。王師は合図があれば一斉に陣を進退させられるが、ザラルセンの配下はそうはいかない。皆、ザラルセンや周りの者を見ることで、馬を進退させる。思うように隊列を維持したまま進軍できなかった。

 やがて一騎、二騎と駆け出し始めると止まらなくなった。

 速度を落とさなければ、と思ったその時、敵軍から矢が飛んできはじめる。数は多くないものの、やっかいだ。特にあの赤い旗周辺から飛んでくる矢の精度が馬鹿にならない。次々と先頭を走る騎馬が倒されていく。

 だが、まだザラルセンは射撃開始の指令を出してはいない。

 ザラルセンたちの使う弓は馬上で扱いやすいように基本小さくできている。つまり射程が短いのだ。まだ届かない。むろんザラルセンをはじめ幾人かは通常の弓も持ってはいるが数は少ない。射撃は数をそろえてこそ意味がある。

 全員が矢頃の距離に近づくまでは放つべきではない。

 仲間が射落とされてもザラルセンたちは前へ前へと進む。矢が一本二本当たっても即死することはない、それになんといってもザラルセンの突撃の足を止めるには敵が放った矢の絶対数が足らなかった。

 もうすぐ矢頃に入る。馬の足を緩めて射撃準備の合図をしたときだった。敵陣で一斉に喊声があがり、暫時(ざんじ)前進を始める。

「チッ! やっぱり待ってやがったか」

 この距離なら敵の主力である歩兵でもこちらに近づくのは容易だった。

 なによりこっちは静止状態じゃない。前懸かりの姿勢になっている。反転しようにも馬の足は止まらない。一旦反転の命令を命じようとしたが、ザラルセンの配下は精鋭といえども、それはあくまで「賊のレベル」としてはという形容詞がつくものでしかない。組織だって反転できるとは限らない。それならいっそこのまま前進したほうが危険は少ないとザラルセンは見た。

「ひるむな! 斉射の準備だ! 合図と共に二回斉射したら、そのまま前へ進み、敵を食い破れ! 後背に回りこめれば俺らの勝ちだ!!」


 馬上で弓を構えると、ザラルセンの合図で一斉に空に向けて放つ。

 五千の兵が放つ矢は空中に黒い面を出現させ、それが綺麗に地面に落ち敵を射抜く。ばたばたと倒れ伏す賊たち。隊列に穴が開いた。

 ザラルセンたちは弓から剣に持ち替えると、三つの偃月(えんげつ)の陣形に切り替え、各所に空いた隊列の穴目掛けて(きり)のように揉み込んだ。突破し、分断できればその小さな固まりを包囲し殲滅することが出来る。対してザラルセンたちが突破できなければ、周囲を囲まれている形になっているザラルセンたちはたちまち逆の立場になる。敗北は必死だ。

 激戦が始まった。

 互いに元々賊、互いの手の内は知りつくしている。

 隊列を組んでの一斉攻撃より個々での分散戦術が得意だ。両者とも隊列はあっという間に消滅し完全な乱戦になった。進むも退くもままならない、しかも隊が分断されてるだけ命令が届かない。だがザラルセンは苦境に耐え続けていた。

 味方も苦しいが、敵も苦しい。ここは先に諦めたほうが負ける。

 ザラルセンは矢を引き絞り、狙いを定めては次々と矢を放った。

 乱戦の中の五十メートル先の歩兵の頭すら兜ごと射抜いた。

 ザラルセンの五人張りの強弓は、敵地に上陸する歩兵を援護する、味方艦からの艦砲射撃のように味方を鼓舞する。何度も何度も頽勢(たいせい)を挽回した。

 しかし、なかなか敵陣を突き破り、決定的な勝利を得ることが出来ない。

 特に中央にいる部隊、どうやらカヒの将士が多数混じっているらしい、が防波堤の役割を果たしていた。その立派な鎧兜をつけているカヒの兵が、劣勢になるや駆けつけ超人的な働きで勢いを取り戻させる。

 長い乱戦となった。徐々に時間が経つにつれ包囲されている形であるザラルセンたちのなかに手負いの者が増える。

 近距離では得意の弓もままならない。対して敵は近接武器に熟練していた。

 中央突破を謀ったのが仇となったか。

 とはいえここでザラルセンが勇を(くじ)くことがあっては、大事な部下が幾人も死んでしまう。

 敵が賊であるにも関わらず、ここまで粘性を持った戦が出来るのは兜も鎧も黒く光っているカヒの武人たちがいるからだ。

 ならば、と自慢の大弓を取り出し、残り少なくなった矢を大事に番える。

 距離、およそ七十メートル、しかもザラルセンは馬上、相手も馬上で叱咤(しった)激励のため移動している。

 間には双方の兵。身体に当てるだけなら余裕だが、それでは敵に打撃を与えることにならない。狙うはその中で兵に指示を出している一際立派な鎧の主、しかもその頭、楽な的では決してなかった。深く深く息を整え、無心にその一点だけ見つめ、矢を放つ。

 (うな)りを上げて矢は一点目指して羽ばたいた。


 矢は間違いなく的に当たった。大きく体勢を崩し、落馬する。だが当たった瞬間、相手は顔を背けたようにも見えた。

「やった・・・か?」

 馬の周りに即座に兵が集まるのが見えた。数人がかりで倒れた武将を馬の上に引っ張りあげる。ということはどうやら生きているということか。

 だがそれでもこの一瞬を逃すわけには行かない。疲れている部下を叱咤し、馬を立たせると、これまでと向きを変えて斜めに突破を計った。なんといってもザラルセンの傍にいる兵こそザラルセン隊の主柱。これが最後のチャンスだ。

 これで突破できなければ、もう打つ手は無い。


 賊は突然向きを変えた攻撃に戸惑った。さらに彼らに混乱を与えたのは、命令を与えていたカヒの将軍が矢に当たって倒れこんだことだった。

 それを見た瞬間にザラルセン隊が突っ込んできたのだ。その後の光景を見たものがいなかった。

 彼らにはそれが敵将を討ち取った余波を持って攻撃してきたかに見えた。

 だがザラルセンの突撃をギリギリのところで支えきった。このままでは力を出し切ったザラルセンらはまもなく全ての力を失い限界に到達するであろう。

 だが、そうはならなかった。

 ザラルセンの攻勢を耐えてきた敵から力が突如消え去ったのである。

 何だ!?

 次の瞬間、多くの矢が現れると、ザラルセン達の頭上を越えて、敵に次々と突き刺さる。前の敵も、横の敵も、回りこんできた後ろの敵も、一斉に動揺し攻撃の手を緩めた。

 その一瞬をザラルセンは見逃さなかった。ザラルセンを先頭にし、もう一度勇躍鋭進した。

 今度は先ほどと違い、ザラルセンの前にずるずると後退し、やがて耐え切れず突破される。遂に押し勝ったのだ。

 ザラルセンは斜めに抜け出した。こうなれば敵は大きく二分され、攻守は逆転する。

 そこでようやく一息ついたザラルセンは顔を向け、敵が大きく動揺した理由を知ろうとした。ザラルセンたちの後方に後詰が現れていた。旗が風になびいていた。王旗ではない。

 アクトールら河北諸候の旗だった。

「チッ、アクトールかよ」

 助かったのにも関わらず、ザラルセンは渋い顔を作る。

 とはいえ、これで勝利はもはや疑いなしだった。

 ザラルセンは分断し二つになった敵のうち、数が少ないほうを選ぶと、回り込んでの包囲を狙った。アクトールも後方から挟撃するような形で支援する。逃げ道を失うことを恐れた賊は、我先にと逃げだす。ザラルセンも限界に来ていたが、賊たちも長時間の乱戦で心身ともに疲れきっていたのだ。

 もはや勝敗は決した。潰走が始まった。ザラルセンはもう一度気力を奮い立たせて、追撃に移った。

 たちまち賊は大混乱に陥る。ザラルセン隊は執拗(しつよう)に追いすがり、蹴散らした。もう二度と河北に入らないよう、体に恐怖を刻み込んでいるのだ。

 だが敵の中にいたカヒの旗を掲げた一団にぶちあたると、そこで足が止まった。いい様にあしらわれ、逆に叩き返された。ザラルセンと彼らとでは役者が違うようだった。

 それでもなおザラルセンは追いすがろうとした。だがザラルセンは気力も体力も充分だったが、配下の者が限界を訴えていた。泣く泣く追撃を諦める。

 それにしても、とザラルセンはカヒの大菱旗を思い出し、少し震えた。

 今日の敵は以前戦った王師と同じくらいの力量を見せていた。河北の諸候が来なかったら・・・俺の首は無かっただろう。

 この間まで賊だった連中だ。ザラルセンより遥かに劣る連中だ。だが今日はザラルセンたちと同じ、いや、それを上回る奮戦ぶりだ。

 指揮官がカヒの将に変わっただけでここまで強くなるとは、とザラルセンは(うな)った。

 カヒのカトレウスに率いられた常勝無敗の騎馬軍団とやらは、どれほど強いのだろうか・・・?


 しかしアクトールらは何をしていたのだ、とザラルセンは不満を持った。

 もし河北諸侯が先の追撃に歩調を合わしてくれたなら、みすみす取り逃がしたりはしなかった。

 追撃を諦め、戦場になった丘に戻ると、アクトールら河北諸候は兜を脱いで兵を休めていた。

「何故追撃をしなかった!」

 鋭い剣幕で今にも突っかかって来そうなザラルセンにアクトールは一切(ひる)まない。

「我らは昼夜を問わぬ強行軍でここまで来たのだ。もう追撃する余裕はない」

 それは事実だ。

 ザラルセンを派兵して二週間後、リュケネの元に王都から勅命が届いた。

 四方の敵が一斉に動き出したとのこと。背後には関西やカヒがいるらしい。

 ということは位置関係を考えると、賊の後ろにはカヒがいることになる。カヒがどれほどの兵を河北に割り振ったかはリュケネにも分からなかったが、軽く見るわけにも行かない。

 少ない兵かもしれないし、多いのかもしれない。

 唯一つ言えることは、長びかせたらカヒの大軍が援軍としてやってくるやもしれないということだ。それは是非避けたい。

 そこでこのままザラルセンを放置したら不味かろうと、リュケネが河北の諸侯に働きかけ、ザラルセンを支援させようと急行させたのだった。

 ザラルセンだけでは苦戦する、との配慮だけではない。

 一刻も早く、河北の敵を殲滅して王師下軍をどこにでも出兵できるようにしておきたいのだ。

 その為に昼夜兼行で駆けて来たのだ。軍はここに辿り着き、ザラルセンを支援するのが手一杯であった。


 アクトールは追撃をしなかったことを一切悪びれようとはしなかった。

 それどころか

「それから貴公、そろそろ、その口調を直したらどうだ? 王師の格が墜ちる」

 と、ザラルセンに注意までする始末だった。

「ケッ!」

 地に唾を吐き捨て、気にくわないとばかりに、ザラルセンは立ち去った。

 どうもいけすかないとザラルセンは思う。

 リュケネも堅苦しいが、その堅苦しさには寛容(かんよう)がある。命令はするが、ザラルセンの行動に対して、ひとつひとつ取り上げて注意したりはしない。壁を越えて心の中にまで入ってくるようなことは言わない。そこがアクトールとは違う。

 どうもすかしているというか、気取っているというか。とにかくザラルセンはアクトールが苦手だった。

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