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紅旭の虹  作者: 宗篤
第三章 驚天の章
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陰謀応酬

 関西では左府が女王に奏上する出兵の表を今ここに作らんとしていた。

 ふと、途中まで書きかけた筆を止めた。

「左府様、出兵する関西の将軍はどなたをお考えで?」

 左府の求めに応じて文章を書くのは名文家と名高い関西の中書令である。

「むろんワシだ」

「それは・・・いかがなものでありましょうか?」

「何か問題でもあるのか? 前例がないわけではあるまい」

「問題はございませんが、ふと思ったのです。左府様のこの策はまず最初に兵を挙げた者が一番損をするのではないか・・・と」

「わかっておる」

「しかしそれはこの盟約に参加した者全てがそう思っていると思うのですが・・・自分以外の誰かがまず攻めかかってくれないか・・・と」

「であろうな」

「でも、誰も兵を挙げなければこの策は自然消滅してしまいます。左府様の空前絶後の大功も泡と消えます。ということは盟主たる関西が損な役割を引き受けねばならないと愚考しますが・・・」

 左府は嫌な顔をした。

「それをワシにやれと? 冗談ではないぞ!」

 ま、ま、そう怒らずに私の話を聞いていただきたい、と中書令は左府を(なだ)める。

「それをバルカ卿にやっていただいてはいかがでしょう?」

「バアルに、だと? それこそ本末転倒の話だ。もし万が一あの小僧がまた武勲を立てたとしたら・・・」

 そこまで言うと左府は口ごもった。

 亜相、いや大臣になることは確実だ。きっとワシを押しのけて関西の政治の中心になるに違いない。ワシは左府とは名ばかりで実権は何も与えられぬであろう。

 それを防ぐためにこの策を立てたのだ。あいつに功を立てさせるためではない。

「果物を小刀で()いたとしましょう。果物を剥いたのは小刀でしょうか? それとも小刀を持っていた者でしょうか?」

 だがその抽象的な言い回しに、中書令が言わんとしたことを左府は一息で飲み込んだ。

「・・・なるほど」

「それに必ずしもバルカ卿が成功するとは限りますまい。関東は強兵で知られています。むざむざバアルに功を立てさせはしないでしょう。万が一成功しても、それは左府様が立てた策のおかげ、バルカ卿とて功を誇ってばかりはおられますまい。念のためにバルカ卿には今所持している壷関(こかん)の兵以外は、一兵たりとも与えなければ、なおよいかもしれません。さすれば河北、河東、南部と四方から包囲するという、必勝の形を作ったにも関わらず、敗北した将と言う汚名を着せることができます」

「そうすればバアルをおおっぴらに解任する口実ができるな・・・」

「ええ。左府殿はその後で大軍を率いて関東に攻めこめばいいのです」

「なるほど・・・その策、気に入ったぞ」

 できればバアルが関東の兵に討たれる形が理想だな、と左府は夢想した。

 バアルは女王のお気に入りだ。きっと悲嘆に暮れて、全軍をもってして関東を攻めることになるだろう。その時の主将は当然私だ。そのころには関東は四方から攻められて、もう国としての形をとどめておるまい。楽な戦になるはずだ。


 中書令が家に帰ると、入り口近くにいた顔馴染みの商人が()み手をしながら近づいてきた。

「中書令様。ご首尾はいかがでしたか?」

「左府様には大層なお喜びでお褒めの言葉を頂戴した。いや、そなたを見直したぞ。金勘定だけでなく政治向きのこともできる男だったとはな」

 出兵となれば準備が要る。今から(まぐさ)、塩、米を大量に集めなければならない。

 その為に懇意(こんい)の商人たちに命じたのだが、セルギウスという商人は勘の鋭い男で、関東に攻め込むことをすぐ見抜いたのだ。

 ならば、とセルギウスは先の策を話し、これで左府様の歓心を買うのはいかがでしょう、と提案してきたのだ。

 尚書令はその言葉に先見の明があることを感じ、今日左府に提言してみたというわけだ。

 とはいえ、ここまで左府殿に褒めてもらえるとは思わなかった。やれやれ有難い、これで今後の政界遊泳も多少は楽になるというものだ。

 ま、あがってくれ、と中書令は旧友にでも対するような親しげな様子で商人の肩を抱き、部屋へと招いた。

「どうだ官につく気はないか? 今なら左府殿もきっと後押ししてくれるぞ」

「いえいえ手前が官吏などといった大層なものは務まりませぬ。それよりもこれからも御贔屓(ごひいき)にしていただいて、官の仕事などを回していただくほうが・・・」

「あはは。抜け目のないやつだ。よしよし任せてもらおうか。当然左府様出陣のための塩や秣の調達は全てそなたが担当することになるぞ。喜べ大儲けだ」

 官吏になれば収賄や役得で莫大な富を得るのは容易なのに、いったい欲があるのやらないのやら。

 だが同時にほっとしている自分がいることを中書令は感じていた。セルギウスが官吏になって競争相手になられては敵わないことを中書令もわかっているのだ。

 ならばセルギウスには自分の知恵袋になってもらって、代わりに官の仕事を与えたほうが双方にとって都合がいいし益があると言うものだ。

「これからもよろしく頼むよ」

 との中書令の差し出した手を掴むと、

「いえいえこちらこそよろしくお願いいたします」と、額を低く低く曲げて、セルギウスは叩頭(こうとう)する。

 セルギウスの曲げた身体を持ち上げるように立たせると、中書令は笑いかけた。

「ま、飲もう。今日は心行(こころゆ)くまで飲もうではないか!」


 中書令宅を出る頃には夜もとっぷり更けていた。

 美食と上質の酒を堪能(たんのう)し、お土産まで貰ったセルギウスは千鳥足(ちどりあし)で街路を歩く。ケチで有名な中書令にしては破格の扱いといえよう。それだけセルギウスの提示した策が気に入ったのだろう。これからの関西での商売は更にやりやすくなる。

 それに・・・とセルギウスは思う。

 なによりこれでアリアボネ様から(うけたまわ)った難しい任務を無事終えることが出来た。

 左府とバルカ卿の空隙を突き、少しでも出兵規模を小さくさせるという策謀だ。

 関東の朝廷にとって何よりの吉報となるに違いない。


 河北、征北の時に王師が拠点とした廃城は今や朝廷が河北を治める拠点となっていた。家が建てられ、井戸を復旧し、外壁を整える。王都から官吏が派遣され、道路を敷き直し、水路を復旧し、村が作られ、田畑を開墾する。河北は王朝の中に急速に組み込まれつつあった。

 とはいえ河北には長年の困窮で明日をも知れぬ何も所有せぬ民がいるだけだった。

 食料の給付、賊の退治、村民同士の争い、犯罪人の捕縛、水利争い、境界騒動。問題は山積していた。リュケネにのしかかった重責は計り知れない。


 だがリュケネの治世によって、河北は格段に安定した。

 少し融通の利かないところがあるが、それだけに法律に乗っ取って行う公平な政治は、長く無法の地に住んでいた河北の民に、自由を法によって押さえつけられる不自由さよりも、民も官も兵も一様に罰し賞される、その厳しさに好ましいものを感じさせたのだ。

 リュケネは賄賂や口利きも一切受け付けなかった。当然、朝廷から派遣された官吏や将士の中にいる私服を肥え太らそうとする者からの反発は大きかったが、王がリュケネのその政治手法を好ましいものとして捉えているようなので、いかんともしがたかった。


「なぁ。暇なんだけどよぉ。なんか、ぱーっと俺らが暴れられるような仕事はないのか?」

 政務を執るリュケネに、ザラルセンは机の上に仰向けに寝そべりながら訊ねた。

「ない」

 リュケネの答えは簡単明瞭だ。

 まったく毎日毎日懲りもせず、同じ要件でよく来る気になるな。答えは変わらないと言うのに。

 リュケネは頼むから仕事の邪魔だけはしないでくれよ、と心の中でぼやいた。

 ザラルセンに力を借りねばならないほどの用件があれば、こちらから出向く。仕事の邪魔だった。

 それにしてもザラルセンの不遜な態度は目があまるなどと王師下軍の兵は言う。ザラルセンやその配下には無頼の徒の集まりで、リュケネが眉を(ひそ)める行動を取ることも多いが、法に抵触するほどの行動を取ることはない。王師ほどではないが統一された意志の元できちんと行動する。

 無頼の(やから)ではあるが、多少の無礼は大目に見てやろう、リュケネはそう思った。


 宮廷からアリアボネの命令が来るより早く、河北では異変が起きていた。

 河北の東端の山岳に逃げ込んでいた賊が山を降りて、刈り入れの前に村々を荒らしまわったのだ。刈り入れ後ならともかく刈り入れの前に村々を襲ったとして何の益があろう。

 答えは明白。

 賊の背後に誰かがいる。それは河東か、越か、あるいは河北の諸侯か。

 だが幸いに河東、越との国境は三千メートル級の山々が(さえぎ)っている。一人二人の人間ならともかく、山を越えて軍が侵攻することなどできもしないことだった。背後に(うごめ)く者がいるとしても、兵力的にはたいした数ではあるまい。

「どうやら卿の力を借りねばならぬ時が来たようだ。背後に誰かがいるのであろう。とはいえ座して放置は出来ない。すまぬが背後を探りながらも賊を退治してくれ」

「まかせておけ」

 鴨居(かもい)どころか長押(なげし)にぶつけそうな七尺の巨大な身体を起き上がらせると、ザラルセンはリュケネの懸念を豪快に笑い飛ばした。

「盛夏までには必ず終らせてみせるさ」


 ザラルセンは東へ馬を向けた。

「いやはや王師になるとこうも違うものか」

 賊の頃は近づいただけで逃げ出し隠れた農民たちだったが、王師の旗を掲げる今、農作業の傍ら手を振ったり、中には(ひざまず)いて頭を下げるものもいる。

 賊の頃は明日の、いや今日の食料を得るためだけに汲々(きゅうきゅう)と日々を過ごしていた。それがまったく心配がない。無くなれば近場の役所に行けば出してくれる。

 国家や朝廷など堅苦しいものは今でも大嫌いなザラルセンであったが、部下の食料を集めるのはもっともっと嫌いだった。賊の頃は罪のない民を襲い食料を奪うことも多々あったのだ。それができないなら頭とはいえザラルセンは部下に殺されるのだから、仕方がないとも言えるがやはり本意ではなかった。

 だが今やそういった細々とした面倒なことは文官に任せていればいい。武器も馬も兵糧も勝手に整ってくれる。それでいて大好きな戦争が思う存分できるのである。給料も出る。

 飽きたら出て行くつもりだったザラルセンだが、こんなに楽であるなら、ずっと王師をやってやっても一向に構わないな、などど上から目線で傲慢に思う始末だった。


 越、河東と国境を隔てる広大な山脈が見えてくると、河北は景色を一変させる。

 比較的平坦部が多く、川が流れ、気候の安定した西半分と違い、山と丘に恵まれるものの、大河の水も大河に注ぎ込む川もないこの辺りは、大量の水分を必要とする稲ではなく乾燥に強い麦を植え、家畜を飼い民は暮らしている。一回賊を追い出して、村単位で植民した河北東部だが、あちこちで賊に襲われた傷跡が見て取れた。中には完全に壊滅した村もあるという。

 このまま放置していては王の威厳に関わる事態だろう。

 いや、まぁそれは所詮ザラルセンには他人事であるからどうでもよかった。

 ただこのまま何もせずに指をくわえて帰ったとしたら、ザラルセンの男が(すた)るというものだ。ザラルセンは面子(メンツ)とか自尊心(プライド)とか、そういった物が金や命よりも価値がある、そう考えている(おとこ)なのだ。


 ザラルセンは六千の兵を六つに分けて各地へ散っていかせた。

 各個撃破など恐れていなかった。そもそも敵は流賊の残党、百単位の賊がほとんど。それにザラルセン自慢の六千の兵は河北のなかでも北の出身者で構成されていた。六歳の頃には馬に乗り、十の頃には馬上で騎射が出来て当たり前、その中から選りすぐった男たちだ。万が一、多数の敵に遭遇したとしても馬に乗って逃げれば良いだけの話である。

 元賊だけあって、勝ち目がないなら逃げることを恥としない、王師には無い柔軟性が持ち味だ。そういう意味では賊退治をザラルセンに託したリュケネは目の付け所が違うと云えるだろう。

 一ヶ月経つころには、小規模な賊を退治しつつ、逃げる敵を東へ東へと追いやっていた。それは獲物を追い込む肉食獣のような動きだった。元が牧羊をしていた者が多い彼らには慣れた動きだったろう。

 敵と違い、騎兵ばかりのザラルセン隊は連携も器用にこなし、河北の東南の一角に敵を追い込むことに成功する。

 もはや逃げ場はない。降伏か全滅かの二択だ。

 ここで降伏されては興が冷める、それに自慢の強弓を振るうことなく終るのは不本意だった。できれば全滅のほうを選んでくれないかな、などと常識ある人が聞いたら憤慨するようなことを考える始末であった。

 やがて山に押し込まれることとなった賊は以前と違い、山の向こうに逃げ出さなかった。山裾の小高い丘に陣を敷いた。その数は五千に満たない。雑多な装備、騎馬も少ない。

 楽勝だな、覆滅(ふくめつ)するには一刻もかかるまい。久しぶりに強弓を使える喜びにザラルセンの筋肉は打ち震える。

 だがザラルセンの余裕もそこまでだった。

 ザラルセンは賊の中に妙なものがあることに気がついた。旗があるのだ。旗を持つ賊は無くは無いが、大変珍しい部類だ。

 草原に生きる者としてザラルセンの視力は発達している。手庇(てびさし)を作って、じっと(のぞ)き込む。

 そして、あっと息を呑む。嫌なものを目にした。大きな菱形に、赤い独特の紋章旗。


 この世界に生きる人間で王旗は知らないものがいてもおかしくないが、その旗を知らない愚か者は皆無といってよかった。


 大きな菱形の中に、四つの菱が収まっている紋章────カヒの旗、それもカヒ傘下の諸侯の旗ではなく、カヒ本家の大菱旗である。

後記


皆さんに一つ聞いても良いでしょうか?

感想とかくれる方はなぜかマシニッサさんは大人気、アエネアスは大不評。まぁそれはいいんです。印象に残ればこの先物語を紡ぐのに何の支障も無いわけで。なんですけど、アリアボネやアエティウスってどう映ってらっしゃるのですかね? 空気になったりしているんでしょうか?

少し不安が・・・(´・ω・`)

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