座したまま五道を塞ぐ
その日、朝議は紛糾した。
議題はもちろんマシニッサから、いやスクリボニウスから届けられた書簡についてだった。
「トゥエンク公自身が何も言ってこないことが気にくわん」
「そもそも現物でなく写しと言うことが腑に落ちん。ここに書かれていることが本物であると、誰が確信をもっていえるというのか?」
「贋物だと言うのか? 誰が何のために偽造したと?」
「例えばスクリボニウスという者が、トゥエンク公もしくはその側近を追い落とすために作ったとは考えられないだろうか?」
「つまりはこの書簡が偽物だと言うことか? 何か不信なところでもあるのですか?」
「いや、ない。だがこのような大事をさしたる証拠もなく信じろと言われても信じられぬ」
その後も延々と朝議は平行線を辿った。
彼らを責めるのは酷というものだろう。鹿沢城城守メテッルスの敗死が届いてからというもの、関東の朝廷では関西がこの時を狙って兵を動かした理由は何なのか、後任を誰にするかで連日揉めていたのだ。それに引き続いてのこの書簡だ。
朝廷は関西と戦ったことは幾度もある。河東から侵攻してきたカヒ家を撃退したこともある。
だが同時に両方を相手にするという前例のない事態を聞いてパニックを起こし思考停止したとしても誰が責められようか。
しかも始末の悪いことに彼らには、河北流賊の生き残り、南部諸候の一部、さらには朝廷の中の裏切り者という姿の見えない同盟者がいると、この書簡は言っているのだ。
どこから順番に攻めてくるのか、いつ攻めてくるのかもまだ分からない。
攻め込んできたからと言って、そこに全軍を投入すれば、きっと別のところから攻め込まれるに違いない。かといって個別に兵を別けて差し向ければ、今度はこちらが各個撃破の対象になりかねない。
僕にもまったくいい考えなど浮かぶはずもなかった。
「というわけで集まってもらったんだけど」
僕は自分の執務室にアリアボネ、アエティウスを呼びつけた。
僕、アエティウス、アリアボネ、アリスディア、アエネアス、都合五人だ。
「まず。この書簡。本物だと思うかい?」
マシニッサ宛のその書類はスクリボニウスが書き写したものだから偽物と言えば偽物だが、問題は内容の真贋だった。本物であれ、偽物であれ、それを朝廷に送ってきた意図を探らねばならない。
「そうでない、と言いたいところですが、恐らく事実でしょう」
そのアリアボネの言葉にアエティウスも頷いた。
「私も同感です」
「どうしてそう思うの?」
二人とも意見が一致した。確証でもあるのだろうか?
アエティウスがそう思った訳を話し始めた。
「まずスクリボニウスというのはマシニッサの腹心です。マシニッサの了解なくして独断で行動を起こしたとは考えにくいです」
「公卿たちの中にはマシニッサを貶めるための偽書簡じゃないかって言ってた人もいたよ?」
僕は先ほどの朝議の様子を思い出しながら言った。
「マシニッサが腹心の裏切り行為を看破できない程度の男であったら、今頃生きていませんよ。それに、望ましい噂が嘘だということは往々にしてよくあることですが、起こって欲しくない、嘘であってほしい悪い噂ほど十中八九、本当のことですからね」
「なるほど」
非科学的なことであったが、言われてみればそういうものかもしれない。妙な説得力があった。
「それに嘘の書類を送って誰が得をしますか? せいぜいスクリボニウスがマシニッサを失脚させるくらいですか? でももしそれでマシニッサが処分されたとしても、王に嘘をついたという事実は残る。スクリボニウスを待つのは処刑される未来ということになります。つまり誰も利益を享受する者がいない。それに対してこの書状が本物だとすると、マシニッサは陛下に貸しを作ることになります」
なるほど真偽を判断するのに損得で考える・・・か。たしかに本物と考えたほうが理に適ってる。
「アリアボネも同意見?」
「はい。それに廷臣の中に妙な動きが見られるのは事実です」
アリアボネはラヴィーニアから来た書簡のことは口にしなかった。王はラヴィーニアの名前すら聞くのもお嫌だろう。
それに、おそらくいち早くラヴィーニアがこの動きを知ったという背景には、関西かカヒ辺りの間者と接触があったと言うことだろう。だがそれをラヴィーニアはぼかして報告してきた。
私に恩を売るためだ。だけれどもそれでラヴィーニアが味方と考えるのは早計だ。関西なりカヒ家なりから来た書簡を直接私に送ってきているわけじゃないのだ。ラヴィーニアは勝ち馬に乗るべく二股かけている可能性だってあるのだから。
「わたくしは気付きませんでした・・・申し訳ありません」
アリスディアがしょげたように頭を下げる。
「あやまることはないよ」
「でも・・・中書と尚書で忙しいアリアボネよりも、上奏を掌る尚侍のわたくしのほうが朝臣と接する機会は多いのです。少しでも怪しげな動きがあったなら、それを把握するのはわたくしの務めであります」
「気にしたら駄目。私は少し妙な動きをしている人物に心当たりがあるだけで、それが一体何を意味し、どういう目的があるかなんて今日の朝会まで分からなかったのですから」
僕の脳裏にあの名前が黒い感情と共に浮かび上がる。それはラヴィーニアではないのか・・・?
だけれどもアリアボネがそこをぼかして言っている以上、僕が問いただしたとしても答えないだろう。お互いに不快な思いをするだけだ。
「ということはこの手紙の内容は信じてもよさそうだね」
僕は書簡を脇に追いやった。これからが本題だ。
「次に皆に聞きたい。これが事実なら僕らは四方を敵に囲まれている。いったいどうしたらいいのかな?」
その僕の問いに明快に答えたのはアエネアスだった。
「決まっている。全部叩き潰したらいい」
単純で分かりやすい。だけど現実はそんなに簡単じゃないだろう。
「・・・そうなんだけどさ。一斉に四方から襲い掛かってきたらどう対処すればいい?」
「一個ずつ潰していけば良い。各個撃破だ」
「その間は他の敵はどうするの?」
「放って置けばいい。現地には諸侯や駐留兵がいるのだ。我々が駆けつけてくるまでの間くらい持ちこたえてくれなければ困る」
確かにいるけれども、いつ来るかも分からない援軍を待ちつつ戦い続けるのは難しいんじゃないかな・・・
「・・・それでなんとかなるのかなぁ・・・」
「アエネアスの言うことは正しいと思いますよ。陛下」
アエネアスの意見に乗っかるような形でアエティウスは具申する。
「敵が目指すのは王都。兵を分散してそれぞれの敵に当たれば、どれか一つが敗れただけで、そこから一気に食い破られて王都まで進軍されてしまいます。旗色が悪くなれば裏切る諸候も出ることでしょう。ここはどこかひとつに戦力を集中し、ひとつひとつ撃退するしかありますまい」
「でも・・・その間、他の場所では被害が大きくなるんじゃ・・・」
「多少の犠牲はやむをえません」
「でも・・・」
僕はまだその意見に賛同できぬものを感じていた。
「それなら私にご提案が」
それまで一切発言を控えていたアリアボネが突然口を開く。僕たちは一斉にアリアボネに目を向ける。
「何かいい策があるの?」
「はい」
にっこりとアリアボネは笑みを浮かべた。
「我々は四方を敵に囲まれて、身動きが取れぬように思いますがそうではありません。まず敵は統一的な指揮をとる者がいない。孤軍に囲まれただけ、そう考えてよろしいでしょう。それではまず敵の戦力を見ていきましょう」
アリアボネは小脇に抱えていた地図をばさばさと僕の執務机の上に広げて、分かりやすいように指差しながら説明を始めた。
「関西は北辺に敵を抱えておりますが、壷関で守られている形である以上、最大で王師四軍全てを出すことも可能です。次に河北、陛下が賊を討ち平らげたとはいえ、未だ賊は各地に残存しております。その数二ないし三万。また地元諸候のなかにも朝廷のことを快く思っていない者も多い。そういった者達が集まると五万くらいに膨れ上がる可能性はあります。次に河東。河東のカヒは動員兵力は三万、支配下全てに動員をかければ七万とも号される大諸侯です。最後は南部。南部は様々な諸侯の思惑が絡み合う火薬庫。陛下を助けた諸侯といえども油断は禁物です。王が不利だと見るや裏切るものが出ることを覚悟しておいたほうがよろしいかと。とはいえ一万もいないでしょう」
「もちろん我々ダルタロスは別だ。決して裏切らないぞ」とアエネアスは云った。
合計すると、四足す三足す・・・ええと、二十万くらいになるんだけど・・・勝てる要素がまったく見当たらなくないか?
「・・・話だけ聞くと勝てる未来図が思い浮かばないんだけれど・・・」
だけれどもそんな不安顔の僕に、にっこりとその美しい顔に笑みを浮かべて、大丈夫ですと説明を続ける。
「まず河北、これは数こそ多いが所詮は陛下の威光に逃げ出した賊の残兵です。河北ではリュケネ殿が公平な政治を行い民心を掴んでいます。以前のように賊に加わる民が出ることはないでしょう。むしろ賊に立ち向かうために立ち上がってくれる者もいるはずです。その上、王師下軍、ザラルセン殿の私兵、アクトール殿ら諸候の軍があるので充分です」
ああそうか、後のことを考えて残しておいて来たんだった。アクトールやザラルセンは信頼できる武人だし、リュケネが手綱を握っていてくれるなら、無様な戦はしないだろう。安心だ。
「次にカヒ。常勝不敗をもって知られるカヒの兵は我々にとっても確かに恐ろしい。だがカヒ家が未だ戦国に覇を唱えられていないのは何故か? そう、山越の龍、オーギューガ家が立ち塞がり、その野望を食い止めているからです。この竜攘虎摶の戦いは二十年にわたって明確な勝敗は付いていない。つまりカヒ家はどうあろうとも全ての兵力を畿内に向けるようなことはできないということです。さらにオーギューガと連絡を取り、牽制してもらう。オーギューガの当主テイレシア殿は頼まれると嫌と言えない性格ですし、戦国屈指の理想家でもあります。この際、その人のよさを利用させていただきましょう。陛下が身を低くして腰を屈めて頼めば、否とは言いますまい。形式的には越とて関東の一部なのですから。もちろんそれなりの対価も必要かもしれませんが、カヒの足を止めてくれるのなら安い買い物と言えるでしょう」
「つまり・・・オーギューガとの交渉が上手く行けばカヒから軍は来ないってこと?」
「カヒの全軍をもってしてもオーギューガに一度たりとも戦場で勝利したことはないのです。オーギューガが立ち上がってくれれば、カヒ家は近畿侵攻などしている場合ではない。できたとしても一万に満たぬ数、あくまで包囲網に参加したという申し訳程度のものでしょう」
ということは王師一軍あれば防ぐことも可能だな。
「次に南部。ここは関西、もしくはカヒに呼応して立ち上がる諸侯こそあれ、自ら率先して立ち上がって兵を上げるほどの度胸のある諸候はいないでしょう。いざとなればダルタロス家の兵だけでもなんとかなります」
でもマシニッサがいるし・・・油断は危険かもしれない。
「最後は関西、ここが問題です。壷関と言う難攻不落の拠点を持つ。我々は鹿沢城を失うことを恐れねばなりません。あそこを失うと、南部と近畿との連絡を絶たれてしまいます。そうすれば勢いに乗った敵たちは一斉に我々に襲い掛かってくることでしょう。南部の諸候、例えばマシニッサ殿などが裏切りかねない事態になります。つまりここが今回の鍵となりうる。ですから鹿沢城に中軍と右軍を連れて陛下に入って頂きます。もちろん全南部諸侯にも召集をかけてみます。何かあれば王都から左軍も増援として出しますので、何としても関西を食い止めてください」
「わかった」
「それに関西とて一枚岩ではありません。朝廷の中には派閥があり、足の引っ張り合いがあります。私も硬軟使い分けて手を尽くしてみます。上手く行けば多少は兵を減らせるやも知れません」
「あとは朝臣の間にいるかもしれない裏切り者だね・・・」
「その為に陛下に王都から出ていただくのです。面従腹背して朝廷に潜伏している者は、陛下が王都にいる間は動き出さないでしょう。陛下がいなくなれば動き出す、そういうものです。それを私が誅滅します。左軍と羽林、金吾、武衛の兵がおりますれば何の心配もございません」
あっという間に五方の敵への対処法が示された。
それもこの執務室の椅子に座ったままで、一兵も動かす前に全ての方策を決めてしまった。
アリアボネがいるってことは本当に心強いなぁ・・・
だけど僕には分からないことがある。軽く首を捻った。
「だけどわからない」
「何がでしょうか?」
僕の問いにアエティウスが問い返す。
「関西も河東のカヒ家も何で急に僕に敵意を向けたんだろう?」
「恨み・・・ですかね」
アエティウスの言葉に僕は不満を露にした。
「ここまで恨まれることを僕はした記憶がないんだけどな・・・」
「いいえ。陛下は充分恨みを買うだけのことをしでかしましたよ」
「え? ほんと!? な、なに!?」
僕は仰天した。僕が知らぬ間に、誰かの恨みになるようなことをしていたというのだろうか?
「陛下は天授の儀で呼び出されるや、あっという間に畿内、南部、河北を手に入れられた」
「うん・・・でも彼らと戦ったことも、彼らの土地を荒らしたこともないよ?」
そう、自分から動いて戦ったこともない。今のところ敵が先に攻撃してきた場合のみだ。
「戦国を何年もかけて猫の額ほどの土地を争ってきた彼らにしてみれば、陛下の瞬く間の成功は充分妬ましいはずです。長年血みどろの戦いをし、多くの者を失った苦労に比べて、陛下の成功は苦労によってでなく、運が良かっただけとさえ思うでしょう。人間誰しも努力でなく、運の良さだけで他人が多くのものを手に入れたら、よほどの人物でない限り嫉妬をします」
「僕だって大事な人を亡くしている。新法派だってもういない・・・楽をして今の地位にいるわけじゃないよ」
ぼそりと不満を口にする。
「それは存じております。だけど彼らの立場に立ってお考えください。もし陛下が彼らと同じように努力した結果、今のものを手に入れたとすると、どういうことになります?」
「どうって・・・努力しても手に入らなかったんだから仕方がない、と思うしかないんじゃないかな」
「陛下が一瞬で成し遂げたことが、長年かけても彼らに出来なかった、つまり彼らは自身が陛下にはるかに劣っていると認めることになるのですよ? 彼らとて一国の重臣や君主です。自負するものがありましょう。それを認めるわけにはいかない」
「あ・・・そうか」
そういう負の感情の結果なら僕にもわかる。なにせ向こうでは運動の得意な奴、成績のいい奴やモテまくる奴にジェラシー全開だったからね!
・・・言ってて悲しくなってきた。
「陛下より自身が劣っているかもしれないという劣等感。それをなくすためにも陛下を倒すしかない、彼らは無意識のうちにそう考えたのでしょう。嫉妬の対象を消してしまわない限り、彼らの自己の能力にたいする嫌疑感は無くならないでしょうから」
そうか・・・一国の指導者といえども、僕と同じ人間、感情の生き物なんだな。
今まで王とか首相のような偉い人っていうのは、僕みたいな一般人とはどこか違う人種の人間だと思っていたところがある。
だから自分が王に祭り上げられることに抵抗を感じていた。
でも彼らも僕と同じように嫉妬したりする只の人間だというのならば、僕だってきっと必ず、王と言う仕事を務めることができるに違いない。