表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
紅旭の虹  作者: 宗篤
第三章 驚天の章
63/417

小さな少女の救世主

 小さなアエネアスは城の中庭の隅っこにある井戸傍の洗い場で皿を一枚一枚洗っていた。

 今日はこれを全て終らせるまでは食事はもらえない。うず高く積まれたそれはいつ終るとも知れぬ量があった。

 だが他の使用人たちは、一人として手伝うことなく、座り込んでは井戸端会議に花を咲かせていた。

 疲労と空腹で頭がぼーっとする。

「・・・あっ!?」

 陶製の皿が砕ける音が響く。手がすべったのだ。

「このッ」

 木の棒が飛んできて彼女の背中を襲った。激痛が二度、三度と少女の身体を走る。

「すみません。お許しください。・・・お許しください!」

 小さな少女は頭を抱えて丸くなって(おび)えていた。無理もない。また罰が待っているのだから。

 小さな失敗で昨日は食事を全て取り上げられた。

 だがそれはまだいいほう。その前などは、みんなよってたかって(まり)ででもあるかのように彼女を蹴りつけた。

 泣き(わめ)き許しを請うても、彼らの嗜虐心(しぎゃくしん)を煽り、興奮を増すだけで暴力が止むことはなかった。声が()れはて、意識を失い動けなくなるまでそれは続いた。

 その時のあざはまだ体のあちこちに残っている。

 きっと、また・・・そうなる。


「待て」

 どこからか声がする。

 木の棒が飛んでこなくなった。どうしたというのだろう?

 そっと目を見開くと周囲を囲んでいた使用人たちが声の主に向かって、一斉に平伏していた。

「小さい子供ではないか許してやれ」

 そう言う声の主も、私とさほど年に違いがあるようには見られなかった。

 馬の影が見えた。そして馬乗した金の髪もあでやかな貴公子がいた。

 若くしてダルタロス家を継いだアエティウス・ダルタロス・セナ。

 父の部屋でいくたびか見かけたことはあったが、言葉を交わした記憶はなかった。私はいつも父の背中に恥ずかしがって隠れていた。

 馬上の視線は私の顔をふと通り過ぎた後、驚きを浮かべ再び戻ってきた。

「君は確か叔父上のところの・・・最近見かけないから母君のところにでも行ったとばかり思っていたが」

 優しい口調。父の死後こんな暖かみをもった言葉を聞いたことはなかった。忘れかけていた人の優しさを感じた。

「何故?ここで?」

 アエティウスは振り返って、後ろの家宰に問いただした。

「は・・・その・・・」

 人がよいだけで上り詰めただけの小市民的な家宰は、どう返答をすればいいか迷ったようで語尾を濁すしかなかった。

「そやつは娼婦の子だ」

 私の父の又従兄弟にあたるエンケラドゥスが、汚らしいものを見る冷たさを持った目で私を見る。

「ダルタロスの血が流れているのも怪しいものだぞ」

 私を(にら)みつけるように言った。

「おいてもらえるだけありがたいと思え」

「さ、参りますぞ若」

「・・・うっ」

 だがアエティウスは泣きそうにうつむく私を、じっと見つめ動かなかった。

「・・・この子は私が預かる」

「しかし・・・どこの馬の骨ともわからぬやつですぞ、それは」

 エンケラドゥスは苦味を浮かべ、困惑した顔で柔らかな表現だったがきっぱりと拒絶を示した。

「叔父上は父亡き後、幼少の私に代わって、ダルタロス家を支え続けた。その亡き叔父上が認めたのだ。きちんと処遇せねば黄泉の叔父上も悲しむだろう」

「しかし・・・!」

 アエティウスは二周りは違うエンケラドゥスに一歩も怯むことなく胸を張る。

「当主は私だ。私の命令が聞けないというのか?」

 エンケラドゥスは苦りきった顔をしたものの、それ以上言うことはなかった。

 ・・・それはまさに光だった。


 私を一族として(ぐう)してくれた。

 貴族の一員としての教育を受けさせていただいた。

 いくら感謝しても・・・・・・感謝しきれるものではない。


「そんな私だ。私と結婚したいという物好きがいるとするならば、どこぞの成り上がり貴族か金持ちの好色ジジイくらいだろうな。いちおう、こんな私でも名だたるダルタロスのご令嬢様ということになってはいるからな」

 アエネアスは自嘲(じちょう)げに(つぶや)く。

「でも、もし兄様が私にどこかに嫁げというのなら、私は喜んで嫁ぐ。相手がどんなに醜くとも、相手が人間のクズのようなやつでも、私は笑って嫁ぎ、誠心誠意尽くすだろう」

 誕生日を指折り数える子供のように、アエネアスはアエティウスの役に立てるそんな日が来ることを待ちわびていた。

「それがあの人が望んだことならば・・・あの人の未来に繋がるのなら、それだけでいい。それが私の望みなのだから」

 宙を見上げたアエネアスの横顔は、いままで見たことがないアエネアスの顔だった。純然と輝いていた。・・・なんだこんな顔もできるんじゃないか。

「そっか・・・君は本当にアエティウスのことが好きなんだね」

アエティウスのことを話すアエネアスは本当に生き生きとしている。僕に憎まれ口を叩く姿とは大違いだった。

「ば・・・馬鹿を言うな!兄様と私が釣り合うわけなかろう!」

「でも」と、僕はアエネアスと話すときのアエティウスの表情を思い浮かべつつ言った。

「きっとそんなことをしても喜ばないと思うよ。だって君を見る彼の目はいつもとても優しい。彼も君に幸せになって欲しいと思ってるよ。きっと君がアエティウスに幸せになって欲しいという想いと同じくらいにね」

「・・・」

 僕の言葉にアエネアスは下唇をかんで口を真一文字にした。頬は真っ赤だった。

「ふ・・・・・・」

 アエネアスは大きく息を吸い込むと肺の中の全呼気を使って叫んだ。

「ふざけるな!」

 そして僕の頭にチョップを叩きつけた。

「え? 僕いいこと言わなかった?」

 我ながら物凄くいいことを言った気がするんだけど。それもドヤ顔するレベルの。ここまで怒られる理由がわからない。

「気に入らない!」

「え・・・?」

「人の心の中を勝手に想像して、(のぞ)いたかのように言うことが気に入らない! 私の心は私自身のものだ! 貴様に決めつけられるいわれなどない!」

 アエネアスは紅玉のように顔を真っ赤にして叫んだ。


 それきりアエネアスは僕とは口を利かず、いったりきたり部屋の中をウロウロしていた。普段の僕よりも落ち着きがない。

 たまに頭を抱えては溜め息とともに、『よりによって、なんでこんなやつに話してしまったんだ』とか、『我が人生における一生の不覚』とかぶつぶつ独り言を言っていた。

「・・・アエネアス」

「なんだまだあるのか?」

「アエティウスが望めば・・・って言ったよね」

「二言はない」

「それが僕でも?」

「・・・」

 アエネアスは信じられないものを聞いたとばかりに目を大きくまんまるに開いた。

「お、おまえアリスだけに飽き足らず、私の体までもね、狙っていたのか!?」

 次の瞬間、バックステップで一瞬のうちに僕から3メートルは離れた。バランスを崩すことなく一瞬のうちに後ろ向きに跳べるなんて、信じられない運動性能だ。

 胸を手で隠すような仕草をするアエネアスはいつもの冷たいかんじとちがい、ちょっと女の子らしく可愛いかった。

「いや、たとえ話だよ。たとえ」

「例えだとしても気持ちの悪い例えをするな! 縁起でもない!!」

 縁起でもないんだ・・・と、僕は複雑な気持ちになった。

「まぁ・・・それが兄様の望みなら、な。百歩譲っておまえが泣いて土下座したら、考えてやらなくもない」

「え・・・?」

 土下座しないとダメなのか?

 眉を寄せて抗議するような顔をした僕に、アエネアスはさらに追い討ちをかける。

「いっておくが考えるだけだぞ!?」

 しかも考えるだけかよ。

 僕って・・・完全に嫌われている? うすうす感じてはいたが。

 あ、そうだ念のため、あいつのことも聞いてみよう。

「・・・じゃあマシニッサでも?」

 その言葉を聴くと、アエネアスの顔は幽霊を見たかのように蒼白になった。

「くっ・・・そ・・・それが兄様の願いなら・・・くっ・・・」

 頭を抱えてよろめく。

「即日自決してもいいなら・・・なんとか・・・くぅ・・・!」

 おいおい言うこと変わってるじゃないか。どんなやつでも尽くすんじゃなかったのかよ。

 ・・・しかしここまで嫌われるなんてマシニッサって相当なんだな、と思う。まぁあのエピソードを聞かされたら誰だって近寄りたくはないけれど。

 そして、どうやら僕はそこまでは嫌われてはいないらしい。

 喜んでいいやら悲しんでいいやらわからないが。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ