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紅旭の虹  作者: 宗篤
第三章 驚天の章
61/417

小さな敗北、されど大きな敗北。

 どうやら壷関から西京の左府まで事の次第をわざわざ告げた者がいたらしい。

 バアルが副将軍処刑の報告書を出すより前に、王都より急使が息を切らせて馬に乗って駆け込んできた。

 将軍府に入ってきた使者は王都より持参した書状をバアルに渡す。

 クィントゥス卿と将軍の間に軋轢(あつれき)ありと聞いた、クィントゥス卿は横着なところのある男だが、国家の為に大功を立てたこともある。是非今回だけは助けてやって欲しい。

 左府から直々の書簡だった。ご丁寧に姫陛下の添え状まで添えられていた。

「このためにわざわざ西京より?」

「はい」

 全身汗だくなその男は一切休まずに駆けて来たという。権勢盛んな左府の命令だ。取り入るチャンスとでも考えたのだろう。

 とは言え、一睡もせずに駆けて来たことを聞いたその瞬間だけ、バアルは息も荒いその男に少しだけ同情した。

「それはわざわざごくろうなことだ」

「ではクィントゥス卿の命はお助けくださるのですか?」

「それはできぬ」

「何故でございますか!? 左府様だけでなく陛下もこの通り助命を望んでいるのですぞ?」

「将軍というものは一度(ひとたび)兵符を預かれば、戦場において君命に従わぬことありと昔から言われることだ」

「ですから命令書ではなく嘆願書なのです。なにとぞ、陛下のお心をお()み取りください」

「と言われてもな。私も死人を冥府から呼び戻す術は心得ておらぬからな」

「は!?」

「既にクィントゥスは処刑した。二日前だ。来るのが遅かった、そう左府殿にはお伝え願おうか。ご苦労だったな。あははははははは」

 使者は昼夜駆けて来た苦労が水の泡と消え去ったことに呆然と立ち尽くした。


 その話は瞬く間に兵たちの話題をさらった。左府の(つら)を正面からひっぱたいたようなものなのだ。なんという剛腹(ごうふく)な男なのだろう。若いだけの名門貴族の甘ったれた小僧だと思ったが、なかなかどうして肝が座っている。


 一ヶ月後、バアルは三旅を引き連れて、訓練と偵察を兼ねて壷関を出発した。

 綱紀粛正はしたものの、高い塀の後ろに隠れているだけなのに、敵を自分たちの力で撃退したと思っている精鋭気分の兵士たちは正直、今すぐ使い物になるとは言えないレベルだった。

 敵地と言う緊張下で行軍することで、兵士たちに実際の戦闘でも訓練のときと同じような力を発揮できるようなるようになるだろう。そして新将軍が就任したことを示威し、関東を牽制することにもなる。さらには地形調査にもなる。バアルはこの辺りの地形をまったく知らない。壷関にある地図はとても使い物にならない古いものだった。自分の目で確認するしかない。後々のことを考て布陣や伏兵に適した地も探しておきたかった。

 軍を引き連れ出立したのはそういったもろもろの事情によるものだった。

 といっても直ぐに関東と対決しようというわけではない。

 今、関東は河北に遠征したばかり。朝廷の目は河北に向いている。それに立て続けの戦乱で糧食を大量に消費している、しばらくは兵を動かす余裕などないだろう。

 バアルとて直ぐの戦は避けたいのは同じ気持ちだ。一罰百戒の効果で兵に司令官との認識は叩き込むことに成功したが、まだまだ兵の心を掴んだとは言えない。なにより兵の錬度が不十分だ。

 関東と戦うのはまだまだ先のことになることだろう。


 鹿沢城が揺れる枯れススキの向こう側に見えてきた。

「将軍。まさか鹿沢城を攻めるおつもりで?」

 兵士たちは不安げだ。

「安心せよ。三旅では兵が足らぬ。今は無謀だ」

 鹿沢城の周囲の地形と城の構造を頭に叩き込む。

 思ったよりも堅固そうな城だ。だが攻略は不可能ではない、とバアルは見た。

 鹿沢城は湿原に面した一見攻めにくい堅城である。だが南面に広がるススキが生い茂った平野、ここなら兵を潜ませることは容易だ。敵を引きつけて挟撃する。いや、敵を城から引っ張り出し、叩きのめされて逃げる敵の退却兵に付け入って、一気に城に侵入するのが定石か。

 それに低地だ、水攻めにするという手もあるな、好都合なことに近くに川もある、とバアルは今にも攻めたそうに(はや)る心を押さえつけながら城を眺める。

 三軍三万とはいわない。今ここに一軍一万の兵があればな。


 とは言え長居は無用。こちらから鹿沢城の姿が見えるということは、向こうからもこちらの姿を見ることができると言うことなのだ。

 馬首を(ひるがえ)し壷関へと帰還すべく軍を戻す。

 帰路は往路と違う道を遠回りして帰還する。

 道々の水場、陣を敷くに相応しい広大な野原、奇襲に向きそうな急峻な地形、そういったものをひとつひとつ確認しながら、ゆるりと馬を進ませるバアルに前方より急を告げる知らせが届いた。

「将軍! 前方に敵影!」

「敵だと・・・? 」

 まさか待ち伏せ・・・?

 いや、それはない。行きに使った道のほうが道幅も広く、なおかつ距離が短い。鹿沢城からこの道を通って帰るとは普通ならば考えない。また、我々がこの道を取ることを確認してから、鹿沢城から遠路迂回して立ちはだかったと考えるには、少しばかり計算が合わなかった。

 とすると、これは敵にとっても予期せぬ遭遇だということになる。

「数は?」

「およそ四旅です!」

 こちらより多いな。とはいえ彼我(ひが)の戦力差に絶望的な格差があるわけではない。

「急ぎ陣を魚燐に組み替えよ。急げ」

 バアルは兵がその場で陣形を組もうとしている間に、自ら先頭に立った。そこからは確かに敵影を見ることが出来た。敵もこちらを認めたらしく陣を横長に広げようとしている。その慌てぶりから察するに、敵も我々に遭遇するのは想定外の事態のようだった。

 周囲の地形は少々の木々はあるが、移動や戦闘に大きく影響を及ぼすほどの障害物は見られなかった。ということは数と数との正面からのぶつかり合いになるだろう。

「将軍、敵は数が多い、鶴翼で我等を包囲する気です! 先手を取られる前に先に攻撃し、戦の主導権を握りましょう!」

「そうだな・・・それが定石だ」

 だがその兵に振り返って言った言葉は、攻撃の合図ではなかった。

「しかし敵も当然そう考えるだろう。・・・そういうことさ」


 男はあごひげを手で(もてあそ)び、敵が魚燐に組む様をじっと監察する。内心で苛立っている時の彼の癖である。

 あごひげは口ひげと合わさり胸元まで伸び、暑苦しいことこのうえなかった。

 それが鹿沢城守メテッルスだ。五十がらみの厳つい外見を持った男である。

 鹿沢城は関東における関西の押さえ、城守に任じられている時点で無能な男ではない。なにより下軍と共にいち早く有斗に下るなど、機を見るに敏な男であった。


 メテッルスはかねてより懸案となっていた、鹿沢城南域にしばしば出没する山賊団の情報を掴んだため出兵したのだ。

 しかし壷関に不信な動きありとの報告を受けて、急ぎ反転し帰路に着いた。

 その時点では敵の戦力は不明だった。だが鹿沢城を攻めるのだ。三万以下と言うことはあるまい、と交戦を避けるように本道を迂回した。それが仇となりバアルらと鉢合わせしたのだ。

 だが、とメテッルスは思う。敵はわずか三旅だった。偵察か訓練かは知らないが、三旅程度なら軽くひねり潰してやる。

「何故、敵は動かん」

 それが先ほどからメテッルスを苛立たせていた。

 敵は三旅、背後には鹿沢城がある。後ろから襲われる危険性を考えたら、一秒でも早く目の前の我々を(ほふ)り、壷関に帰りたいところであろう。まぁ、それはこちらも当然同じ条件なのだが。

とはいえ、その思いは向こうのほうが大きいはずだ。鹿沢城と壷関では、鹿沢城のほうがここにより近いのだから。

 それに寡兵を補うには、堅牢な地に寄るか、初手を取ってひたすら押すのが兵法の常道なのである。平地に陣した以上、攻撃の火蓋は向こうが切るのが普通なのである。だが敵は早々に魚燐の陣形をとると、そこに留まったままだ。

「あの」

 年若い幕僚が、恐る恐るメテッルスに言葉をかける。

「なんだ」

 ぎろり、とメテッルスは鋭い視線を向けた。

「あれは魚燐の陣形ではなく方陣なのでは? ひょっとしたら待っているのでは?」

 方陣は守備に向く陣形だ。ただし移動には不向き。言われてみれば敵の陣形は魚燐にも方陣にも見える。

「何をだ?」

「援軍を」

「援軍!?」

 メテッルスはその若造を叱るようにどやしつけた。

「ありえぬ! この遭遇戦はあいつらにとっても予期せぬことのはず! それに鹿沢城から来る兵のほうが壷関から来る兵士より早く到着する。援軍を待つなど、どんなに敵将が愚かでも考えられぬ」

 だけれども、そう否定するメテッルスに対してその幕僚は食い下がった。

「でも・・・この動きはいろいろ不可思議です。何らかの手段で今日我々が城を出ることを知っていたとは考えられないでしょうか? 少数の兵を出し、我々を帰路につかせ、この地で前後から挟撃するのが敵の狙いだとしたら・・・?」

 一見とっぴょうしもない素人くさい考えだったが、この不可思議な事態を説明するにはかえって説得力のある考えに思えた。

「まさか城内に間者がいたということか・・・?」

 だとするとここで敗れると、次の敵の攻略目標は鹿沢城ということになる。

「まぁいい。余計なことを考えるのは後回しだ」

 そう、こちらのほうが兵力は多いのだ。敵が動かぬというなら、こちらから動くまでよ。目の前の敵をあっさり葬りさえすれば、敵に策略があろうとなかろうと同じ結果となる。

 メテッルスは腕を振り下ろす。

 (りゅう)(吹流しの旗)が一斉に棚引き、鼓が激しく打ち鳴らされた。

 突貫の声をあげ、兵たちは槍を握り一斉に走り出した。

 それをバアルは矢頃に入ると弓で迎え撃つ。

「弓を射よ」

 三旅の兵のうち弓を持つものは多くない。矢で弾幕を張り、敵を釘付けにすることなどは及びもつかない。一射だけするとすぐに撤収させ、近接武器に持ち替えさせた。

 だが今にも飛び出していきたそうな兵たちの手綱をバアルはまだ放さなかった。

 まだだ、まだ引き付ける。

 矢頃の外より敵は一気に走り続けている。鎧を着て、手には槍を持って。どんな老練な兵士でも息が上がり、戦列は乱れる。敵が眼前十メートルに迫って、敵兵の顔がはっきりわかる距離になってもまだバアルは突撃の合図をしようとしなかった。

 敵が5メートルを切ってようやくバアルは動いた。

「今だ、槍を構えて敵に襲い掛かれ! 一切、横には構うな。前の敵だけを殲滅せよ!」

 兵たちは一斉に槍を構えなおして敵と激突した。

 敵を目の前にして、槍を振るうことを許されず、ただ恐怖に耐えていただけに、その恐怖感から解放された関西の将士は大声をあげ、荒れ狂う旋風となって敵に突き刺さった。

 長い距離を走らされたメテッルスの兵は息が上がっていた。その槍を支えきれずに吹き飛ばされる。

 ただでさえ乱れていた戦列が穴だらけになる。鶴翼の陣形で布陣しただけに、メテッルスの前方の陣はバアルのそれに比べて格段の薄さである。

 たちまちのうちに今来た道を逆走するはめになる。

「ええい! 退くな! 包囲せよ! 足が止まりさえすれば敵は四方から攻撃を受けて腰砕けになる!! ここが踏ん張りどころだ!」

 現に鶴翼の両翼にあたる左右に展開した兵はまもなく包囲を開始するのだ。ここだ、ここで踏みとどまりさえ出来れば包囲網は完成する。勝利は目前だ。

 だがバアルが見せた兵の進退は狡知を極めていた。一瞬だけ攻撃を抑え、わざと逃げられるだけの時間を与える。

 ここでバアルが危惧すべきことは、敵に包囲されること。

 陣形が乱れているのに関わらず、敵が立ち塞がり続けているというのは、後ろを見せると死に繋がるからだ。そこでわざと攻撃を控えることで、逃げ出す余裕を敵に与えたのだ。その瞬間、一斉に敵兵は後ろを向き逃げ出した。

 バアルは再び突撃の合図をし、包囲される前に抜け出そうと前へ前へと進んだ。

 先程よりも速度を増してメテッルスの本陣目掛けて突き進む。

 敵が敗走するということは、バアル隊の前面の障害物が一つ減るということを意味するのだから。


「退くなあァ!」

 メテッルスは大声で兵たちに怒鳴った。

「退いたら終る! 踏みとどまり持ちこたえるんだ!!」

 だが敗走した味方の波に飲み込まれ、揉まれるようにメテッルスの本陣も後ろへと流されていた。

 メテッルスの一縷(いちる)の望みを託した包囲陣が完成するより早く、バアルの兵たちは包囲網を抜け出すことに成功した。

 と、同時にバアルはメテッルスの本陣に雪崩(なだ)れるように兵を押し込んだ。

 既に味方によってズタズタに切り裂かれた本陣は、その猛攻を支える術がなかった。

 メテッルスもその津波の中に飲み込まれるようにして首を献じることとなった。

「鹿沢城主メテッルスを討ち取ったぞ!」

 ひとりの武者が大声でそう宣言すると、メテッルス隊はたちまち崩れさり、我先に逃走を始めた。

 その逃げる敵を後ろから、バアルの兵たちは好きなだけ思うがまま槍を突き入れる。だが一方的な虐殺はまもなく打ち切られた。

「鹿沢城から敵が出てくるやも知れぬ。今日の勝利はここまでとし、急ぎ壷関へと戻ることにする」

 バアルは隊列を整えなおすと悠々と壷関へと帰還した。


 戦で火照った身体を冷やすように吹く、晩秋の風が心地よい。

 今日は勝ったとはいえ、実に予期せぬ戦闘だった。バアルが徹頭徹尾理詰めでたてた戦略や戦術にそったものではない。それゆえ不安定な要素が多すぎた。勝ったのは幸運に恵まれていたに過ぎない。敵が持久戦を挑んできたら、生者と死者はところを換えていたであろう。

 だが勝利は勝利。これからの戦略にも変更があることだろう。

 関西も関東も、だ。

 関西はこの勝利をどう外交的に使うことになるのか。

 また関東にとってはこの敗北は大きなものになる。初めて王の軍隊が破れたということになるのだから。この敗北をどう処理するかによって関東の王の器量が見えてくるかも知れぬ。

「さて異世界から来たという関東の偽王はどうでるかな?」

 バアルは沈む夕日を見ながらまだ見ぬ敵に思いを巡らす。とかく関東の実情は関西には届かない。商人によってわずかにもたらされる情報だけと言ってよい。

 南部から羽ばたいた王の動きは目を見張る。特に王師三軍を南部諸候で破ったという話は特筆ものだ。

 下軍が王に味方したとも、南部諸候だけで破ったとも言われるが、確かなことは王師の精鋭を寄せ集めの軍で破ったということだ。

 並みの戦闘とは思えない。きっと、とんでもない奇術が展開されたに違いない。細部が伝わってこないのが残念なくらいだった。

 王か、少なくとも側近に軍事手腕に優れた者がいることは紛れもない事実。気をつけねばならない。

 だが、バアルとて兵家の門をくぐり、七経無双と若くして呼ばれた身、おさおさそこらの兵学者には劣らぬ自信があった。

 関東の王とやらがサキノーフ様と同じ天与の人だというのなら、是非その実力を見せてもらおうではないか。

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