猫をかぶる。
有斗は大内裏を中書に向けて歩いていた。
アリアボネに相談したいことがあったのだ。
有斗の代わりとなって官僚を統制するアリアボネは急がしいし、病気のこともあるから動くのも大変かと思い、用がある場合はなるべく有斗が直々に出向くようにしている。
尚書と中書の体制をアリアボネが作るまでは、有斗にも仕事が回って来ないので、実は有斗自身が暇をもてあましているのだ。
その有斗の一歩後ろには子犬のようにぴったりとアエネアスが警護の為に張り付いている。
子犬ならいいんだよ。可愛いしさ。撫で回してやると尻尾を振ったり、ぺろぺろ舐めてきたりして可愛い。
だけど実際は後ろにいるのは狂犬アエネアスだもんなぁ。やることといったら、噛みつくばかりだ。・・・本当になんとかならないかなぁ・・・コレ。
中書省に向かう途中、武部省の前で有斗はがっちりとした背の高い影を見つけた。
「あ、ヒュベルだ」
その顔には見覚えがあった。青野原でベルビオ、アエネアス、アエティウス三人と互角に渡り合ったあの戦いぶりは記憶に新しいところである。普通に同時に複数人と戦うだけでもすごいけれども、戦ったのがあの三人だもんな。
有斗が声をあげたことでヒュベルのほうも気付いたらしく、小走りで目の前まで来て跪礼する。
「陛下、お目にかかれて光栄です」
「ありがとう。ヒュベル将軍・・・でいいよね」
「陛下に名前を覚えていただけるとは光栄の極み」
「確か昇進したよね? おめでとう」
エテオクロスが左軍の将軍に昇格したので、空いた第一旅長に任じる書類に判子を押した記憶がある。
「左軍の副将、第一旅長を拝命いたしました」
「君みたいに強い人が左軍にいることは心強い。これからもよろしく頼むよ」
「はっ」と、再び僕に一礼する。
顔を上げたヒュベルは有斗を、いや、有斗の後ろのほうをじっと見ていた。アエネアスを見てるのかな?
青野原で戦った中にアエネアスもいたし、武挙でも一緒だったっていうし。
「やっぱりそうだ」
アエネアスの方を見るとヒュベルがにこりと微笑んだ。
「覚えていますか? 二年前の武挙の決勝戦で戦ったヒュベルです」
それに対してアエネアスは有斗が見たこともないようなハニカミを、その顔に柔らかに浮かべていた。
有斗はその顔を見て驚愕する。
え・・・お前、誰だ!? さっきまで僕の後ろにいた歩く人間凶器、霊長類最狂の女ことアエネアスさんはどこに行った? こんなのは僕の知っているアエネアスじゃない!
「忘れるはずがありません」
は? 『ありません』・・・だと・・・?
「覚えていてくださいましたか」
「それはもう・・・」
え? 何? 何なの、その言葉遣いは? いつもとだいぶ違うんじゃないかな!? しかも何もじもじしているの?
アエネアスのあまりもの豹変ぶりに、有斗は空いた口が塞がらなかった。
「実は青野原の時、ヒュベル殿と対戦した三人の中に私もいたのです」
「ああ、やはりあの青龍戟の使い手は貴女でしたか。小柄なのに技量があり難敵だと思っていたのです。赤い鎧兜でダルタロスだったから、もしかしたらとは思っていたのですが」
「秘かに武挙の借りを取り返そうと思っていたのですが、ヒュベル殿はさらに腕前を上げていました。完敗です」
「いや、あくまで私に運がついていただけです。さすがの腕前。まさにダルタロスの赤き薔薇です」
ヒュベルがそうい言うと、アエネアスは顔を真っ赤にしてうろたえた。
「ああっ・・・それはおっしゃらないで!」
「ダルタロスの赤き薔薇?」
なんだその厨2が考えたみたいな異名は? 重力を自在に操ったりすんのか?
有斗が不思議な顔で見たことに気付いたか、ヒュベルは
「アエネアス殿は武挙で勝ち名乗りを上げる時に、ご自身でそう名乗っていたのです。若くして腕が立ち、女ですから注目の的だったのですよ。しかも美人だ。武挙の後、南部に帰られると聞き、少なくない王師の若い兵士が残念がったとか」
と、説明を入れてくれた。・・・まぁ見かけはアエネアスも美少女だからな。そう思うのも無理はない。だが本性を知ったら、きっと全員王師に残らなかったことを神様に感謝するに違いない。
「それは若気の至りで・・・本当に恥ずかしいので、その話題についてはこれ以上は勘弁してください!」
アエネアスは両手を合わせてヒュベルにひたすらその話題を避けるよう頼み込む。
しかし・・・それは爆笑ものだな。ひょっとして武挙で二番目になったのって『ダルタロスの赤き薔薇だ!』とか名乗って、相手が爆笑している隙に卑怯にも倒したとかいう落ちじゃないだろうな! だってこれから命を懸けた戦いをしようと気構えている瞬間に、そんなことを言われたら、僕ならば確実に笑いが止まらない自信があるぞ。
しかしこれは実に愉快な話だ! アエネアスを攻撃する口実を見つけた僕は、更にその話題を広げていこうとした。
「うわっ・・・厨二くさい! なんだよ、アエネアス、恥ずかしグエアッ!」
だがアエネアスは有斗の企みに気付いたか、みぞおちに高速でエルボーを叩き込んだ。有斗は崩れ落ちた。
ちょ・・・ちょっとは手加減しろ・・・! マジで息ができないだろうが・・・!
「陛下ッ・・・! 大丈夫ですか」
「大丈夫ですよ。これくらいいつものことです。このボンク・・・陛下はたまに突然変なことを言い出したり、お腹が痛くなったりする病気なんです。たぶん脳がいかれてるんだと思うんですけれども。オホホ」
王のことを心配するヒュベルに対して、アエネアスはというと、これ以上余計なことを話すなよということを示すために、有斗の横腹を力いっぱいぎゅうぎゅう抓っていた。
痛い・・・! 痛いってば!!
でもあれだな、この態度。分かりやすいなぁ・・・アエティウスといいヒュベルといい、アエネアスの好きなタイプって、強くて顔がカッコイイことなんだろうな。
良くも悪くもアエネアスは隠し事ができないタイプのようだ。これは数少ないアエネアスのいいところだな。
とすると有斗に接する態度からすると、有斗のことは相当嫌いなはずだ!
・・・いや、僕にとっていいところかコレ?
有斗は作り笑顔で淑女を演じているアエネアスに複雑な顔を向けた。