built to last
光球の中に入った有斗はあまりの眩しさと、その目に優しいとは言いかねる極彩色の色合いにそれ以上、目を開いていることができなかった。
閉じていた目をもう一度見開いたときには、そこには懐かしい光景が広がっていた。この世界に最後にいた場所、自分の部屋である。
高校生に上がったころに新調した机も、そろそろ厳しいと背もたれが寿命を訴えるのか悲鳴のような音をたてる椅子も、色々と他人には見せられない画像と動画がたっぷりと内蔵されているパソコンも、機種変したばかりだった新しいスマホも有斗が去ったころと寸分たがわぬ位置に存在していた。
まるで六年の歳月など幻だったかのように。
「帰って来たんだ・・・!」
平和で安全で豊かな日本に。喜びと懐かしさと共に一抹の寂しさを感じる。
なにはともあれ、有斗はこの世界の、日本の、それも勝手知ったる自分の部屋に転送されたことに安堵した。
色々と問題はあるだろうがまずは最初の懸念、つまり訳の分からない知らない場所、アフリカのサバンナや南米のジャングル、南極の氷原という次の瞬間に即死しかねない場所に転送されるのではないかといった不安から解き放たれただけでもありがたいことである。
この世界に残された有斗の魂の一部とやらを目印にして異世界間を繋ぐ門を開いたということであったから、同じ場所に戻ってくるのは当然といえば当然のことなのであるが、必ずしも全てが計算どおりにいくとは限らないのである。
といっても別の懸念、本当に有斗の肉体と精神が全て完全に一つのものとなったかは有斗には確認する術がなかったけれども。
とにかく実に六年ぶりの帰還である。有斗はもの珍しげに、そして懐かしさと共に部屋の中を観察した。
照明器具、スマホ、パソコン、テレビ、HDレコーダー・・・部屋中に溢れかえる電化製品はこの世界の豊かさと、科学の発達した現代世界へ帰ってきたことを同時に実感させる。
有斗はしばらく特に何をするわけでもなく、部屋にある全ての物を一つ一つ観察しては悦に入っていた。
あれほどアメイジアで見たかった漫画やラノベがずらりと本棚の端から端まで占拠しているのも嬉しかったし、アメイジアに行くまでは見るのも嫌で棚の端のほうに申し訳程度に陳列されている教科書、参考書ですら有斗には愛おしく感じられた。
階下から僅かにコトコトと小さな音が響いてくる。
時計を見ると午後四時を過ぎたところ。母親が晩御飯の支度でもしているものと思われた。
六年も家を空けていたのだ。さぞかし心配だっただろうし、迷惑をかけたに違いない。
何はともあれ一刻も早く自分の無事を知らせ、事情があるとはいえ、黙っていなくなったことを謝らなければいけない。
有斗は部屋を飛び出ると、階段を転げ落ちるようにして下り降り、階下へと向かった。
台所でたたずむ母親の後姿に声をかけようとして、口ごもった。
迷惑と心配をかけたからには正直に全てを話して、謝ると言うのが人としての筋と言うものであろう。だが馬鹿正直に家を出ていた六年間、異世界で王になってましたなんて言っても信じてくれないどころか、嘘をついたと思って馬鹿にされたと感じるに違いない。それどころか正気かどうか疑われて、精神病院に入れられるレベルであろう。
「あ・・・あの・・・」
有斗はまず何を話したらいいのか分からず、恐る恐る探るようにして声をかけた。
母親は声をかけても特に反応を示さなかった。
無理もない。家出同然に忽然と姿を消したのだ。きっと心配し、やがて怒り、最後には落胆し諦観したに違いない。もはや有斗のことは諦めるしかないと心の中で決着をつけたに違いない。その息子が突然帰って来たといっても、現実味がわかないのかもしれない。
・・・いや、連絡も取らなかったことで怒りを覚え、あえて無視しているのかもしれない。
「か、母さん、ただいま・・・」
有斗はもう一度、おずおずと声をかける。
すると有斗の母親はようやく有斗の声に反応を示した。だがそれは有斗が想像していたのとは違い、やけに淡々としたものだった。
「あら、有斗。またどこか出掛けていたの? 母さん気付かなかったわ」
「は!?」
六年も留守にしていたのに気付かなかった・・・だと!? なんて薄情な、酷い親なんだ!!
いや、違う、と有斗は思い直した。
子供がいなくなって六年も気付かないなんて、どう考えてもありえない。余り付き合いのないご近所さんだって六年もいなくなればどう考えても気付く。
これはつまりあえて有斗に対して無関心を装っている、それくらい怒っていることの現われであると有斗は捉えた。
だがしかし、実は有斗の考えは根本的なことから間違っていたのである。
「昼前に秋葉原に行って来て帰ったばかりじゃないの。別の用事でもあったの?」
・・・
・・・・・・
・・・・・・・・・!?
昼前に、秋葉原に行って、帰って来た、ばかり・・・だって!?
それは有斗とは随分、時間軸にずれが見られる認識だった。
有斗は振り返ると台所の壁に貼られたカレンダーをじっと凝視した。
そこに貼られていたカレンダーの年月は、有斗がアメイジアに召喚された日の年月と寸分狂いもないものだった。
「どういうことだ・・・? まさか・・・僕がアメイジアに行って直ぐの時間に戻ってきたということか・・・」
ようやく薄々ながらも有斗は自分がどのような状況に置かれているのかを理解し始めた。
有斗はアメイジアで六年間過ごし、日本へと戻ってきた。だが召喚されてから六年後の日本に戻ってきたのではなく、どうやら召喚された日と同じ日に戻ってきたようなのである。
つまり元の世界では有斗がいなかった時間はほとんど無かったということになるのであろう。それならば親のこの態度も、カレンダーの日時も説明が付く。
その時、混乱して思わず口から出た言葉になにかしらの異変を悟ったのか、有斗の母が怪訝な顔をして振り向いた。
そして不審者を見るような目つきで有斗を上から下まで眺め回した。
「何それ、変な格好。アニメのキャラなの? そういうのをする若い子もいるってるってテレビでは言ってたけど・・・確か、コスプレとかいうのじゃなかったかしら」
「・・・え?」
有斗は自身の格好をしげしげと改めて見つめなおした。有斗は未だ王服を着たままの姿だった。
向こうの世界では当たり前で違和感など無かったその衣装も、周囲が同じような格好であり、王城内という特殊な場所だったからこそ違和感がなかったのだ。現代世界の台所、それも狭い一般家庭の台所にいる姿としては大いに違和感を感じる格好である。
「あははははは。そ、そうなんだよ!」
有斗は作り笑いをして誤魔化しに入る。さっきまで異世界に行ってきて、そこで着ていた衣装だなんて言える筈も無い。
「本当にいい年してアニメなんて・・・あまり変な趣味ばかり増やさないでね」
そんな母親の声を背にしながら、有斗は先程下りてきたばかりの階段を慌てて駆け上った。
有斗は部屋に帰るとまずはスマホの電源を入れて日時を確認する。
そこに表示された日時は、やはり有斗が秋葉原に昼間、薄くて高い本を買いに行った日時───すなわち、アメイジアに無理やり召喚された日時とまったく同じだった。
ということはこちらの世界に戻ってきた有斗は何の支障もなく元の生活に戻れるということだ。これは喜ばしい情報である。
しかし、そうなると今度は別の心配が有斗の心に浮かび上がる。
「僕は本当にアメイジアに行っていたのか・・・?」
ただの白昼夢ではなかったかと心配にもなる。何故ならそれほどまでにアメイジアで有斗が経験したことは現実離れしすぎていたからだ。
そうなると今、現実に着ている有斗の王服は何なのかといった問題が出てこないわけでもないが、異世界に行くという夢を見、それらしい服を作って着るくらいにまで重篤な精神の病にかかっている可能性だって否定できない。現実世界に嫌気が差してラノベやアニメに夢中になるあまりに、ついに気が狂って現実と夢の区別が付かなくなったんじゃあ・・・
その危険性に思い当たり、有斗は顔を蒼白にした。
「アメイジアに行った、何か確かな証は・・・!?」
有斗は体をまさぐって何かアメイジアに繋がるものはないかと探し回るが、特に何も見つからずに焦りだけが募った。
やがて何かに思い当たると服の前を大きくはだけさせる。そしてそこに確実に存在するものを見て、大きく安堵すると共に、アメイジアに行ったという記憶が嘘のものでないことを痛感した。
「夢じゃなかったんだ・・・」
有斗が見つめる腹部には、アメイジアに行かなければ付くことのなかった刀傷があった。
教団の暗殺者に刺されて数日間、生死の境をさまよった、あの傷だ。
四師の乱とセルノアの死にショックを受けた有斗は、それ以来、外貌の変化がない。アメイジアでは年をとらなくなったのだ。その傷こそ、六年前と今とで有斗が違うことを表すたった一つの証拠だった。
ならば、アメイジアに行ったことは嘘ではなくて現実で、アメイジアで有斗が行ったことは幻なんかではなかったのである。
有斗はその時になってようやくアメイジアのことを思い出すだけの心のゆとりを持てた。
嬉しいこと、楽しいことばかりじゃなかった。
悲しいことも多かった。大変なこともあった。逃げ出したい苦難も多かった。逃げ出したことすらあった。
人を傷つけたことだってある。他人に傷つけられたこともある。
でも・・・
でもみんな眩しすぎる思い出。
きっと死ぬまで忘れることはない。
目を瞑って感慨に耽る有斗にどこかで聞いたことのある声が背中越しに投げかけられる。
「へぇ・・・ここが有斗がいた世界かぁ。部屋だけでも・・・アメイジアとだいぶ違う。ずいぶん変わってるところなんだねぇ」
振り返ると、赤い服を着た、赤い髪の、赤い瞳を持った有斗のよく知っている少女が物珍しそうにキョロキョロと有斗の部屋の中を見回していた。
「え!? ・・・なんで!?」
有斗はぽかんと口を開けて間抜けな面を晒した。
場所はアメイジア、時は再び有斗が消え去った後へと巻き戻る。
有斗の姿が消えていった光球から目を逸らそうとしないアエネアスにセルウィリアは近づいた。
「あの方は一緒に来てくれとさえ言わなかったわね」
セルウィリアの呼びかけにもアエネアスは力の無い目を光球に向けたまま身動き一つしなかった。
「・・・・・・」
「貴女の心が那辺にあるか、ただそれだけが知りたかった・・・か」
セルウィリアはそう言うと、何かを否定するかのように首を横に二度三度と振る。そしてぽつりと呟いた。
「妬けますわね」
セルウィリアの突然のその言葉にアエネアスは思わず振り向く。
「え?」
「世界中の富を独占し、世界中から美姫を集めて後宮を満たし、世界中の珍味を食して王宮を傾けるほどの贅を尽くし、気に入らない者を廷尉に致し、気が合う者だけを重用し、思うが侭の生き方をしたとしたら、後世の史家はあの方のことを暴君と書くかしら?」
アエネアスの応えを待つことなく、セルウィリアは自ら首を振ることで己の言葉を否定し、話をさらにその先へと続けた。
「いいえ、違う。百年に及んだ乱世に終止符を打った偉大なる英傑とあの方を称えるでしょうね。でもあの方はそんな豪奢には一切、目も向けなかった・・・そして、それはこう言い変えることができるのではないかしら? どんな物であろうが、あの人の心をこの世界に縛り付けることはできなかった、と。結局のところ、あの人を今までアメイジアに縛り付けていたのは一人の少女との約束。この世界を平和にするという聖なる誓い。その約束をかなえた今、あの方がここに留まる理由が無い。だから、あの方はこの世界から去ることになったのだとわたくしは想うの。召喚の儀が不完全だったからではなく、アメイジアが平和になり、あの方がここにもう自分がいる必要がない、と気付いてしまったから帰らなければならなくなった。わたくしはそう思うの。まさに天からわたくしたちに下された天与の人・・・そうは思わない?」
それは少しばかりセルウィリアの贔屓目が過ぎるというものではないかとアエネアスは思ったが、その言葉になにがしかの説得力を感じることもまた事実だった。
「それ程の人がこの世界からあえて持ち出そうとした、そこまでして欲しいと思った、この世界でただ一つ、金銀よりも、どんな宝玉よりも価値あるものが、たった一人の少女の心だなんて・・・」
有斗はアエネアスに来てくれとまでは言わなかった。それはすなわち告白の返事の可否だけでも抱いて元の世界に戻りたいという意思の表れだったのだろうとセルウィリアは思う。
乱世を終わらせたことに対する報酬としては、なんて小さな、僅かばかりのものなのであろうか、とセルウィリアは思った。
だが、それこそが有斗にとってどんな宝物よりも、どんな褒詞よりも欲しかったものであったという事実に悔しさを感じ、そしてその有斗の気持ちに応えなかったアエネアスに多少の苛立ちを感じていた。
「悔しい」
セルウィリアは眉を寄せ、目を閉じ、下唇を噛み締めてその悔しさを顔一杯で表現した。
「どうしてそれが貴女だったんだろう」
そして少しばかりの自嘲と共に悲しげに呟く。
「どうしてそれがわたくしじゃないんだろう」
「・・・・・・」
セルウィリアは涙を指で振り払って、まっすぐアエネアスを見つめた。
「どうするの? あの人は貴女に打ち明けたのよ。もてる限りの勇気を出して。きっとこの世界を救うとただ一人で決心した時のように。で、それを聞いて貴女はどうするの?」
「どうするって・・・もう、どうしようもない・・・」
もしあのまま引き止めたとしても、帰らなければ有斗は死んでしまっていた。引き止められるわけがない。そして有斗はもう行ってしまったのだ。もう二度とアメイジアに連れ戻すことは出来ない。
「おっと、これはいけない。忘れてた」
突然、セルウィリアとアエネアスの会話にラヴィーニアが大きな声を出して割り込んだ。
「不測の事態が起こった時のために、世界を超える為の鍵はもうひとつ用意していたんだった」
ラヴィーニアは懐から大きく輝く赤い石を取り出した。有斗に渡したものと寸分違わぬ、世界を超えるために必要な鍵を。
「もうすぐ世界を超える扉は閉じる。行くなら今だぞ」
そしてそれをアエネアスに向かって突き出した。
「この世界に来た陛下と同じように失敗する可能性もある。文献どおりならこれを持って同じ門を潜れば陛下と同じ世界に行くことができるはずだ。だが例え同じ世界に行けたとしても、陛下とは離れ離れになるかもしれないし、同じように術式に不備があって、今度はあんたが陛下と同じように命に関わることになるかもしれない。だが向こうにアメイジアから人が行ったということはないようだ。つまり、おそらく召還の儀は向こう側には存在しない。失敗した場合、待ち受けているのは確実な死だ」
そう、この召喚の儀はラヴィーニアにとってもまだまだ未知の部分が多い。不確定要素が多すぎる。同じ手順を用いたからといって、アエネアスが有斗と同じ場所にいけるとは決して言い切れない。
だが確実に間違いなく揺ぎ無い真実が今、この場所にたった一つだけ存在する。
「だがもし、陛下と同じ世界、同じ時代に行くとしたら、今しかない。もう一度ゲートを開いても同じ世界、同じ時に繋がることは・・・おそらく二度とない」
今が最初の、そして最後の機会なのである。
行くべきか行かざるべきか・・・アエネアスはラヴィーニアが差し出した手の上に鎮座する赤い宝玉をじっと見つめたまま固まって動かなかった。
「お嬢!」
戸惑いを見せ決断を下せないアエネアスにたまりかねたベルビオが叫んだ。
魔術で形成された光球、異世界へと通じる門は有斗が通過したことで不安定になり、今も目の前で徐々にその輝度を下げ、小さくなりつつあった。
このままではアエネアスは残された最後のチャンスを選択することなく逃してしまう。
「ここで行かなかったら、一生悔やみますぜ? それでいいんですかい!?」
「でも私・・・」
アエネアスは躊躇を見せる。アエネアスだって有斗のことが好きだ。
だが向こうはどんなところか見当も付かない見知らぬ土地であり、それも行ったら二度と帰れぬ不帰の旅となるのである。
友人知人・・・全ての繋がりと思い出をアメイジアに置いていかなければならないのだ。もう二度とアエティウスの墓に参ることだってできない。
それにアエエナスには責任を持たねばならない人々がいる。アエネアスがダルタロス公を継ぎ、その家に仕えるのを心待ちにしている者が大勢いるのである。
それら全てを置き去りにして、自身の感情を優先させていいものかどうか判断に迷った。
だがアエネアスの内心の苦衷はベルビオにだって分かっている。
「ダルタロスのことなら心配いらねぇ! 俺たちがきちんと守って見せますぜ!」
ベルビオの言葉がアエネアスを後押しする。だがそれでもアエネアスの足が動くことはない。アエネアスの足を動かすにはもう一押し、何かが必要だった。
ベルビオの言葉が終わるのを待っていたかのように、続いて凛とした声が響き渡る。アエネアスの背中を押す最後の一言となるために。
「ああしておけば良かったと、一生を後悔して過ごすことになっても、貴女はそれで平気なのかしら?」
それは意外なことにセルウィリアの声だった。
セルウィリアの目には羨望の色が映りこんでいた。
アメイジアでたった一人、有斗に選ばれた女人、自身には許されなかった選択を持つことを許されたアエネアスに対する嫉視だった。
だがセルウィリアの心には嫉妬以外の感情も湧き上がっていた。
自身が愛した人がそれを望むなら、それが愛した人の幸せであるならば、叶えてあげたいと思ったのだ。
その感情が言葉となってアエネアスの背中を押した。
「ありがとう・・・!」
アエネアスはベルビオやセルウィリアの気持ちが嬉しかった。
ベルビオだってアエネアスとの別れが辛くないはずはないだろうし、セルウィリアなどは自身の目の前で意中の人が他の女性に告白するところを目にしたのだ。プライドはズタズタに切り裂かれたに違いない。本当は有斗のところにアエネアスを送りたくなどないだろう。だけど有斗のために・・・そしてアエネアスのためを思って、こうして忠告してくれているのだ。
その誠心にアエネアスも応えなければいけない、そう思った。
「私、行くね」
アエネアスはラヴィーニアの手から赤い宝玉をひったくるように掻っ攫うと、徐々に輝きを減じる光球向けて走り出した。
「さよなら」
振り返りもせずに言うと、石を握り締めてアエネアスは徐々にその姿を狭めていく光輪の中に飛び込んだ。
光の中に己の体が沈んでいくのを感じながら、アエネアスは最後にもう一度だけ後ろを振り返って、皆の顔を、アメイジアの風景を目に焼き付ける。
そして心の中で呟いた。
さよならみんな。さよなら兄様。そしてさよならこの世界。
さようなら、そして今までありがとう・・・
もう二度とその目で見ることも無い。
でもアエネアスには不思議と悲しみはなかった。恐怖はなかった。
だってアメイジアにもう有斗はいない。そしてこれから行くところに有斗がいるのだから。
それが全て。それだけが全て。
いま
わたしはアイツに会いに行く・・・!
目を焼き尽くすかのような光の嵐の先に、アエネアスの目は僅かな光の切れ目、そこに広がる異世界の風景、そしてその中にある見慣れた背中を捉えていた。
アエネアスは有斗の部屋の天井を見上げて言った。
「閉じちゃったね。アメイジアとこことを繋ぐ門」
先程まで開いていたアメイジアと有斗の部屋とを繋げる門は消え、そこには何の変哲もない普通の天井が広がっているだけだった。
それはアエネアスとアメイジアとの間にある全ての繋がりが断ち切られたということなのだが、アエネアスはそれほどまで悲しんでいないようだった。むしろどこか楽しげにすら感じられた。
「これでもう私は二度とアメイジアに帰ることができなくなったというわけだ」
「アエネアス!!?」
未だ事情が飲み込めない様子で目を白黒させるばかりの有斗を見て、アエネアスはおかしそうに笑った。
「来たよ、有斗」
「え・・・どうして?」
有斗の問いにアエネアスは何を分かりきったことをとばかりに微笑んだ。
「有斗のことが好きだから・・・有斗と別れたくなかったから・・・有斗のことを失いたくなかったから」
有斗もアエネアスと別れたくなかった。だがアエネアスにはアエネアスの生活がある。思い出も、しがらみも、繋がりも全てアメイジアにあるのだ。それを全て断ち切ってまで来てくれとはとても言えなかった。
だってアメイジアの人々が有斗に用意してくれたような王位のような、何かしらの価値があるものを有斗はアエネアスの為に用意してやることなど出来ないのだから。
でもアエネアスは有斗が何も用意しなくとも来てくれた。それら全てを捨てて来てくれたのだ。
「アエネアス!」
全てを悟った有斗はアエネアスを引き寄せ、強く強く抱きしめる。
「い・・・痛いよ、有斗」
「ご、ごめん」
力を緩めた有斗の背にアエネアスの手がそっと回りこみ、有斗の体を優しく包み込んだ。
二人は互いの存在を確認しあうように抱き合って離れようとはしなかった。
有斗の耳元でアエネアスが囁く。
「有斗・・・言っておきたいことがあるんだ」
「な・・・なに?」
「私はこの世界のことを何も知らない。この世界では私は異邦人だ。しかも有斗と違って世界を救うような天与の人であるわけでもない。ただの一人の女だ。知識も無い。財産も無い。なんの力もない」
確かにアエネアスほどの見事な赤毛の女性は珍しい。だけどそれ以外は選ばれた存在ではなく、ごくありふれた存在だ。少し皮肉屋で、ガサツで、食いしん坊で、力持ちかもしれないけれども、それは人の個性の範囲内の誤差である。
「だけど・・・これだけは言える。この世界のどの女よりも私は有斗の素晴らしいところを知っている。だから有斗が好きだ。その想いはこの世界のどんな女にだって負けはしない」
そう言うと体をいったん離して、有斗の目を覗き込み返事を待つ。
「・・・うん。分かってる」
有斗は耳朶まで真っ赤になる。女性免疫の少ない有斗にとって面と向かって褒められ、好きだといわれることほど照れるものはない。それがアエネアスなら意外性もあいまって尚更であった。
「だから・・・世界が私を選んだのではなくても・・・有斗は私を選んで欲しい」
「僕も誰よりもアエネアスが好きだ。好きなんだよ」
有斗の言葉にアエネアスは顔を輝かせて飛び掛るようにして抱きついた。アエネアスが馬鹿力であることもあって、その勢いで二人は床に倒れこんだ。
有斗は後頭部を思い切り床にぶつける。
「いてて・・・」
「あははははははは」
何がおかしいのかアエネアスは笑った。有斗も釣られて笑みを浮かべる。やがてアエネアスは真面目な顔を作ると、有斗と寄り添い、額と額をぴたりとくっつけた。
「末永くお願いいたします」
いつになくしおらしいアエネアスに有斗は勝手が違った感がして戸惑いつつも、これまで感じたことのない幸福感に包まれていた。
あとがき
これにて有斗君の長い旅路は終わりを迎えることになりました。
アメイジアという一つの大きな世界を救い、小さな世界であるアエネアスという一人の女性を得たという結末は、まずまずの幸せな結末といえるのではないでしょうか。
それにしても長かった・・・作者にしても当初の予定(100万字)を遥かに超え、何故かその二倍以上に膨れ上がるという想定外の長旅になりました。アエティウスが死んだところが折り返し地点のはずだったんですが・・・どうしてこうなった。
ともかくも読者の皆様方が貴重な時間を割いて読んで下さったこと、大変ありがたく、そして嬉しく思っています。
この物語を読むことが少しは皆様方の日々の無聊を慰めることにでもなっていれば良いとおもうのですが・・・いかがでしたでしょうか?
最後にここでお願いがあります。もし楽しかったと思われたなら五点を、それなりの暇つぶしにでもなったと思われたのでしたら三点を、読んで損した!であるならば一点くらいの気楽な気持ちで結構ですのでポイントを選んで「評価する」ボタンを押していただけたら幸いです。(*_ _)
それではまた別の作品でも皆様方とお会いできることを願って。