尋ねごと
「な、なら、お金を払います!」
盗もうとしたのだから、こちらが一方的に悪かったとはいえ、なにしろ以前、問答無用で殺されかけたことがあるだけに、有斗は後々揉め事にならないようにと考えて、代金を支払うことで決着をつけようとする。
戦国の世は長く続き、比べて平和になった期間は短い。まだまだアメイジアのあちらこちらに戦国の世の気風、残骸のようなものは残っている。農民にとって収穫物は今でも貴重で大切なものであろう。それこそ命懸けで守る対象であるに違いない。
有斗はお金を出そうと財布を捜して体中をまさぐるが、それらしい物体がどこにも見つからない。
道すがらどこかでうっかり落としてしまったのかと一瞬焦るが、だがよくよく考えてみると、そもそも王城を出てくるときに財布を懐に入れた記憶が無かった。
有斗は未だ王であることから、今回の一件はラヴィーニアにしては珍しく気を利かせてくれて、公務に準じる外出というふうに処理してくれていたから、公費から必要な経費は支出されることになっていた。それにいつものように買い食いに街に出掛けるわけじゃないしと思って財布を持ってくるのを忘れていたようだ。
背に腹はかえられないとばかりに、有斗はくるりと振り返るとアエネアスに両手を合わせて頭を下げた。
「アエネアス、お金貨してくれない? 財布を持ってくるのを忘れちゃったみたいなんだ」
「はぁ? 有斗ってば財布も持ってないのに、お金を払うなんて言っちゃったのか?」
しかも手持ちのお金が無くて部下から借りるなんて、それでも王様かとアエネアスは呆れた。
もっとも王自身が財布を所持して買い物をすること自体がありえないことだ。本来ならば御付の者が支払いなど、一切の手配をするものである。
そこは現代っ子気質が抜け切れない有斗であるし、有斗の周りを固めていたアエネアスやアエティウスといったダルタロス勢も、そういった貴人の礼式や作法など何処吹く風の豪放磊落な性質の人物が多かったことから、有斗に指摘する者もおらず、王様業も長いのに、まったくといっていいほど、そういったことが身につかないままここまで来てしまった。
だから王が自分で財布を持つことの違和感を有斗もアエネアスもまったく感じていなかった。
「しょうがないなぁ・・・」
アエネアスは節部から預かってきた金子の中からいくらか取り出そうとする。
アエネアスだって羽林将軍というお偉いさんでダルタロス公爵家のご令嬢なんだから、綺麗に着飾って澄ました顔で王の傍に近侍し、従者にでも金銭監理などは任せておけばよいのだ。
すっかり王様とその親衛隊長という役柄が板についた二人だったが、根本的なところは南部にいた時と何一つ変化していなかった。
だがここでアエネアスは瓜の相場価格がいくらくらいなのか分からずにお金をいくら取り出せばいいのだろうとまごつくという、少しはお嬢様らしいところを見せた。といっても特別に可愛らしい仕草があったわけでもなく、有斗としては特に萌えはしなかったけれども。
そんなアエネアスの慌てる様子を初老の農民はにこにこと笑みを浮かべながら微笑ましげに見守っていた。
「いいっていいって。お金なんて要らないよ」
「でも丹精込めて作ったものじゃないですか。ただで貰うってわけにはいきませんよ」
実に殊勝な心がけというべきだが、労働に対して対価を払う、王たるもの民から余分な収奪はしないという道義的な側面からだけ、有斗はそれを行ったわけではなく、お金を払うことで心理的な安心を買いたいという思いのほうが強かったかもしれない。
「こっちの方の瓜は全部収穫したと思うこんでおって、生育が遅れていたのを少し残しておったのを忘れていたのさ。見ての通り形も悪いから売り物にもならんし、ただでかまわんよ。それに今年は天候にも恵まれて豊作だったでな。買ったとしても安いもんよ。気にせんでええ」
老人はそう言って有斗の手に瓜を押し付けるが、
「そうは言っても、ただで貰うのは気が引けます」と有斗は受け取ろうとしない。
すると老人も少し意固地になったのか、有斗の差し出すお金を頑として受け取ろうとしなかった。
少しの間、有斗とその老人との間でお金を渡す渡さないという押し問答が続いた。アエネアスは呆れ顔でその様子を路傍の石に座り込んで眺めるが、どうやらあえて仲裁しようなどという殊勝な気持ちは無いらしい。
セルノアとの思い出と二人三脚で歩く有斗は気にもならないし疲れもしないが、関係ないアエネアスにとっては、あちらに行ったかと思えば引き返して反対側に向かうような有斗の行動は気侭にも見える無秩序なもので、付き合って歩くのに疲れたので、二人が言い争っている少し休憩しようという腹積もりのようだった。
「何をしとるんだて?」
そんな二人に横から声が投げかけられた。
有斗が振り向くと、そこには三十人ばかりの老若男女色取り取りの一団がいた。
壮年の男女、老人、子供から乳幼児まで。人間構成を考えると家族・・・それも複数の家族だろうか。村人総出といった雰囲気だ。
ただ、どういうわけか皆、結構な荷物を抱えていた。手に持てるような風呂敷包みだけでなく、背中に背負わなければもてないような大きな荷物も所持していた。
「おう!」と有斗と言い争っていた初老の農民が手を上げて挨拶するところを見ると、やはりこの近所の農民なのであろう。
初老の農民は有斗を指差して、困った奴だという風にしかめ顔を作って農民たちに説明を始めた。
「いや、この若い衆がな、あまりにも畑になっちょった瓜を物欲しげに見ておったもんだて、くれてやろうとしたら、どうしても金を払うなどと言い出して聞かないでの。頑固で困っとるのだわ」
老人の話に人々は明るい笑い声を立てた。
「ただでくれるというなら貰っておけばええではないか。何も遠慮することはねぇだ。いまどきの若い者にしては謙虚なことだて」
と有斗を褒める声もあれば、
「おまえさんもこの若いのが金を払うと言うとるのなら、素直に受け取っておけばええ。金は無くて困ることはあっても、あって困ることはねぇだ」
と老人の頑固さを笑う声もあった。
和やかな雰囲気だったが、有斗の目は彼らのその異様な風体に釘付けとなっていた。この人数にこの大荷物・・・まるで団体旅行だった。
平和になったのだから農民たちがちょっとした旅行に行くこと事態はおかしなことではない。戦国の世だって有斗が南部に落ち延びるときに同道したソラリア教の巡礼団のような例もある。
だが今は米の刈り入れという一年で最大の農繁期が近づいているのだ。それに夏は虫が常にも増して繁殖する季節だ。
農薬の無いこの世界では農民は毎日虫対策に追われている。放っておけば自分の畑の作物が食い荒らされるだけでなく、異常繁殖した虫が数を増やし、対策が追いつかなくなれば地域一帯・・・いや、国中で飢饉が発生するのだ。どう考えても今は一日でも田畑から離れるわけには行かないはず。
気になった有斗は自分には関係ないことと知りつつも、どうしても尋ねずにはいられなかった。
「家族総出の大人数、しかも手荷物というには余りにも大きな荷物を抱えて・・・皆様方はこんな時期にどこかへ旅行でもでかけられるんですか?」
有斗の疑問にも彼らは明るく明確に、そしてあっさりと返答する。
「ああ、王都に行くのさ」
その言葉に老人が更に付け加える。
「だからしばらく畑も留守にすることになる。だから瓜を放置しておいても仕方が無いからただでやるといったのさ」
彼らとの会話で彼らの目的だけでなく、ほんの数年前までは命のやり取りに発展するほどだった畑の作物をあっさりと他人に譲り渡す理由も明らかになった。
売り物にもならず、本人も特に食べる気も無く、そうそう日持ちのするものでもない。だからこのまま腐ってしまうよりはと、見ず知らずの有斗にでもくれてやろうという仏心を出したのであろう。
しかしそれは納得できるとしても、今度は別の疑問が有斗の頭に浮かび上がる。
「王都へ・・・? こんな時に?」
年に二度程ある大祭の時などは王都内だけでなく、周辺の村落からも大勢の人が訪れて王都は人で溢れかえるということはあるのだが、農繁期の今、当然そのような催し物の予定はまったく無い。
他に農民が王都に集団で行くということで考えられるものとしては陳情といったものがあるが、何も子供まで連れ立って行く必要は無いし、ましてやまるで引越しかと思わせるような、このような大荷物を抱えていく必要はないはずだ。
首を捻って考え込む有斗に奇異な視線が向けられた。
ただで物を貰えるというのに遠慮することや、赤の他人の行動に興味を示すなどの有斗の一般の農民には余り見られない奇特な行動に彼らの中の一人が不審を抱いたのだ。
そうして疑問の目でしげしげと相手を観察すると、それまで気にもしていなかったところが気になってくるものだ。
「お前さんがた、やけに立派な着物を着てなさるな」
それと同時に口調もそれまでのフランクなものから少しばかり形式ばったものへと変化した。
「随分身なりがよろしい。ひょっとして役人かなにかですかな?」
一身に浴びる視線に有斗は答えに詰まった。適当な嘘をついて誤魔化そうかとも一瞬、考える。
だが明らかに直ぐに看破されるような下手くそな嘘をつくよりは、核心を隠しながらも真実を話したほうが賢明であると判断した。
さすがに多少は地味めな着物に着替えてはいるものの、有斗やアエネアスの衣装は一般人が着れるような代物ではないのである。
しかもこのような鄙びた所では尚更目立つ。下手に誤魔化して更に余計な疑念を彼らの間に撒き散らし、何らかの騒ぎでも起こされては面倒なことになる。
とはいえ王であることを明かすというのも考え物だ。それこそどんな混乱が巻き起こるか分かったもんじゃないし、思わぬ危険に巻き込まれるかも分からない。
だいたい有斗を王だと言っても誰も信じてくれないに違いないのだ。
未だに新人の女官などの着任の挨拶を受けるたびに、その相手の顔に驚きとも失望ともつかぬ微妙な表情が浮かんでいるのを有斗は常に見出すのだ。
戦国の世を鎮めた生ける伝説である偉大な王ということで有斗の対外的評価はかつてないほど高まっているから、当然、それに相応しいだけの外見をしていると皆、有斗に期待してやってくるのだが、出てきたのがコレということで、その期待とのギャップに失望するのであろう。
その内心は十分に理解できるとしても、有斗としては大いに傷つくところが無かったわけではなかった。
王宮という特殊な場所でさえ、そんな有様なのだ。こんな道端で自分が王である事を告げても誰も信じないどころか、きっと狂人扱いされるだけに違いない。
「ええ、まあ・・・そんなところです」
だから取り様によってはどうとでも取れる微妙な返答になった。そんな曖昧な言葉にも関わらず、不思議なことに農民たちは一斉にざわめき活気付いた。
「見たことがないような立派な衣装だて。それにこの辺りでは見かけたことが無ぇ顔だ。中央のお役人に違いねぇ」
「道理でただでは物を受け取ろうとはしないだ。品のいい方だて。さぞかしお偉い方に違いあるめぇ」
などと当人たちを放っておいて自分たちだけで盛り上がってうえ、勝手に話を進めようとする。
「いや、その、そんなに偉いってわけじゃなくてですね・・・何かを期待されても困ります」
王である有斗より偉い役人などこのアメイジアにいるわけはないのだが、ややこしい問題に巻き込まれることを避けようと、有斗は彼らにそう釘を刺そうとした。
今は身分を隠しての旅行中でもあるし、些細な地方の問題に王が直接介入しても現場が混乱するだけで、手持ちの情報が少ない状況で有斗が正確な判断が下せるとはとても思えなかった。
民のことを考える身近な王、そういったものを庶民に見せるパフォーマンスとしてならば、身分を明かして農民たちの相談を解決することに価値がないわけではない。
しかし、まもなくアメイジアを去ることになる有斗に、今更そういった偽善を行ってまで人気を得る必要は見当たらないのだ。
もちろん、彼らが話したがっていることが役人の不正などとかであるのならば、王としては見逃す気は無かったけれども。
「それならちょうどええではないか。例の噂について聞こうではないか」
「それがええ。それがええ」
有斗にはまったく流れが見えない中で、彼らの間だけで話は次々と進んでいく。
彼らの取りまとめ役───口ぶりから察するに村長ででもあろうか───が、皆を代表して有斗に近づいた。
「聞きたいことがあるのですが、お尋ねしてもよろしいですかな?」
「まぁ・・・僕に判断できることでしたら構いませんけれども」
いったいどんな用件があるのかはまったく想像すら付かないし、余り係わり合いになるのもどうかとも思うのだが、彼らの話を聞かずに去ってしまうのも少し躊躇われたし、彼らがこのまま素直に有斗たちを解放してくれるとも限らない。
もちろん少し離れたところに羽林の兵が控えており、そもそもそこらの農民が束になって襲い掛かってもアエネアス一人で軽く捻れるだろう。それに今や有斗だってそこそこの剣の使い手なのである。数だけは一方的に多くても、荒事になってどうかなるのは目の前の農民たちのほうであろう。
だが彼らみたいなありふれた民こそがアメイジアに有斗がもたらした平和を享受すべき存在なのだ。
話を聞かずに揉め事になって彼らを傷つける可能性を考えたら、話を聞くくらい安いものだと有斗は判断した。
それに王であるということさえ気付かれなかったら、彼らも有斗に多くは求めないだろう。役人に話をしたということだけで少しは不満も和らぐかもしれない。
大事にはなるまいと有斗は軽く考え、渋々ながらもそう返事をした。
「お尋ねしたいのは陛下のことです」