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紅旭の虹  作者: 宗篤
最終章 天帰の章
411/417

再び、瓜一つ

 とりあえず第一の目標とした宿場町に到着しても、有斗は馬車を止めずに足早に通り過ぎる。ここは素泊まりしただけ。セルノアとの思い出はたいして無いのである。

 それでも窓からちらりと見ずにはいられない。

 あの小さな宿場町は相変わらずの繁盛振りで猥雑な空気を(かも)し出していたが、そこにはかつて見られたような傭兵や用心棒などのならず者たちの姿は見えなかった。

 戦が終わったことで、そういった職業の需要がなくなったということ、そして王都の外でも治安が格段に安定しているということを(うかが)わせた。

 そして宿場町を過ぎると一転、見知らぬ風景が有斗の目を覆い尽くす。

 荒地を耕し、山を切り崩して作られた農地、真新しい家が立ち並び、有斗の記憶には全く無かった村がそこかしこにできていた。

 それもそのはず、王都に近いこの周辺は立地も良いことから、屯田法に従って真っ先に農地として切り開かれ、次々と流民に与えられることで、新たな村々が街道に沿って誕生していたのだ。

 道沿いは人家の見えないところでさえも綺麗に(あぜ)で区切られた田畑が広がる。田には青々とした稲穂が実り、畑には色とりどりの野菜が実っていた。

 南部へ逃げる途中見た、戦乱によって荒れ果て、人々から見捨てられ放棄されたような荒地はもはやどこにも無かった。

 その土地の変わり様はアメイジアの人々の心の変化と同調(シンクロ)して変化しているのではないだろうか。そうであったらいいのにという願望を多分に込めて、そんなことを有斗は考えた。


 あの時は何日もかけて歩いた長い長い道程も、馬車では僅か数時間で踏破していく。

 後宮の女官とひ弱な現代っ子、一日十キロ歩くか歩かないかの距離だったのだろう。

 逃亡者と王、徒歩と馬車、荒れ果てた原野と見渡す限りの耕作地、思い出と現実、それらが交錯し、喜びと悲しみ、そして恥ずかしさと誇り、いろいろな感情が有斗の中に湧き出て言葉にならなかった。

「あ・・・!」

 昼を過ぎた頃だったろうか、窓の外を流れていく景色に黒い色をした連山が映りこむようになる。畿内中央部を東西に横断する黒石山脈である。

 胸が苦しくなる。目指す目的地は近かった。

 外の景色に目を滑らせていた有斗の目がやがて一点で留まった。思わず息が止まりそうになった。

「と、止まって! 早く!!」

 御者が馬の足を止めるのも待たずに、動く馬車から転がるようにして有斗は地面へと走り降りる。

「待てよ! 有斗!! 急ぐなって!」

 アエネアスも慌てて馬車から飛び降り、その後ろに続いた。

 有斗が見たのは一軒の廃屋。

 当時は雑草の生い茂った野原の中にぽつんと打ち捨てられたように存在した廃屋も、今は周囲一面、畑に覆われていた。

 まるで周囲の発展から取り残されたかのように、その一角だけは区画整理されておらず、奇跡的に当時の面影を残していた。

 今は物置小屋としてでも使われているのか、多少修理されて小奇麗にこそなっていたが、朽ち具合といい、傍に立つ樫の大木といい、間違いなく有斗がセルノアと最後の夜を過ごしたあの廃屋だった。

 当時と同じく鍵はかかっていなかったが、引き戸を開けたそこは有斗の記憶の中にある光景と一致しなかった。

 崩れ落ちた天井から夜空が見え、物が何一つ無い完全なあばら家だったそこも、今は屋根も直され、中には農具だとか藁束だとか雑多な物が詰め込まれ、有斗とアエネアスが入ればそれ以上の人が入らぬほど、空間に余裕がなかった。小奇麗に掃除され積み重ねられているが、使わなくなった、もしくは直ぐには使わないが捨てるには惜しい程度のものが放り込まれているかんじだった。

 鍵がかかっていなかったのだから当然ではある。農家の物置ででもあるのだろう。

 当たり前といえば当たり前の変貌で、むしろこの戦国から太平へと目まぐるしく変化した時代の中で外観だけでも残されていたことのほうが奇跡に近かったのだが、何故だかは分からないが無条件で当時の姿そのままで残っていることを信じて疑わなかった有斗は呆然と立ち尽くすだけだった。

「ここがその・・・有斗が好きだった(ひと)・・・セルノアさんと最後に別れた場所か?」

「うん・・・ここでセルノアは山賊の目を惹き付けるためにあっちに走っていき、僕はそれに背を向けて逃げ込んだんだ。ここ以降、セルノアの形跡は跡形も無く消え去ってしまった・・・まるで元からセルノアという女性がこの世界にいなかったとでもいうようにね・・・」

 明らかに落ち込んだ声で、途切れ途切れに寂しそうに呟く有斗の顔を見て、アエネアスは胸が痛むのを感じた。

「・・・気に病むな。彼女は彼女の責務を果たしたんだ。確かに有斗は有斗の為に犠牲になった彼女に対して責務を背負ったかもしれない。でもその代わりとして有斗は血の吐くような苦労を重ねて、アメイジアに平和をもたらした・・・彼女に課せられた義務を果たしたんだ。彼女の願いを叶えた・・・見事に彼女の敵をとったんだ」

「天与の人・・・か」

 有斗はアエネアスの励ましの言葉にも励まされた様子を見せずに溜息をついた。

「みんなは僕のことを偉大な王だって言う。天与の人だって言うけれども、それは嘘だ。僕は昔も今も平凡なそのへんに転がっているただの人さ」

「そこまで自分を卑下すると却って嫌味に聞こえるぞ? 有斗は誰にも為しえなかったことをしたじゃないか。アメイジアを平和にするっていう大事を。兄様にもカトレウスにもあの関西の王女にだってできなかったことをだぞ。胸を張って、誇りに思っていい」

「僕がそれを為しえたのは、多くの人がそれを願って僕に協力してくれたからさ。僕が大したことをしたわけじゃない。もし神様がいて、この乱世に生きる人々を哀れんで、救世主を下されたのだとしたら、それはきっと僕じゃない」

「・・・お前以外に誰が?」

「それはこの夏の空のように青い髪をしていた、あの少女───」

 有斗が見上げた夏空は高く、高く、何処までも高く深い青色を湛えていた。そう、あの少女の髪の色のように。

「この世界で初めて会った人。僕の全てを受け入れてくれて、僕を信じてくれ、そして僕を逃がすためにあらゆることをしてくれ、そして全ての痕跡を消していなくなってしまった幻の(ひと)

 セルノア・アヴィス───

「彼女こそがこの世界にとって天与の人だったのだと思う」

 廃屋の上に広がる蒼天を見上げて遠い目をする有斗を見て、有斗にとってはセルノアという女性の存在はとてつもなく大きい存在であり、そしてきっと一生忘れることは無いんだろうなとアエネアスはそう思った。


 近くから手ごろな石を持ってくると樫の木の根元に備え付け、王宮から持ってきた花束をそこに手向(たむ)けた。

 有斗はそれで自分の心に決着をつけたつもりだったが、その後も未練がましく街道沿いを散策し、ひとつくらいどこかにセルノアの思い出の欠片が一つでもありはしないかと探し回った。通りがかりの地元の人間を捕まえては、昔、青い髪の少女を見なかったか尋ねて回った。

 だがやはり(かんば)しい答えなど返ってくるはずも無い。もう五年も経つのだし、それに有斗が王都に戻った後、調査もしたのだから当然であった。

 特に意味も無く歩く羽目になった警護の羽林の兵はいい迷惑である。彼らは有斗と違い、不意の襲撃に備えて周囲を警戒しなければならない以上、有斗のようにただ気ままに歩き回るだけというわけにはいかないのだ。

 そんな彼らの中で一番大変な思いをしなければならないのはアエネアスだったけれども、有斗の気持ちを(おもんばか)ってか、一言も文句を言わずに付いてきていた。

 半日歩き回ったのだけれども、有斗の願いとは裏腹に、どこにもセルノアのことを知る人も、セルノアを思い出させるようなものもありはしなかった。

 さらに翌日も無駄に一日費やし、諦めて帰ろうとしたその時だった。

 有斗はなんだか少し見覚えのある場所へと辿り着く。おぼろげな記憶の中を探りまわっていた有斗はその正体に気付いたとき、思わず声を上げた。

「あ・・・!!」

「どうした?」

「ここは・・・・・・」

 山から谷へと勢いよく水が流れる細い、幅一メートルも無いであろう用水路。それがカテリナ街道と交差する場所に、おそらく村落へでも続いているのであろう細い脇道が分かれる三股路があり、小さな地蔵が少し傾いた年代物の地蔵小屋の中に安置されている。

 あの頃と違って最近作られたであろう色褪せていない赤い前掛けをしており、お供え物もきちんと備えられてあった。

 そこは空腹に耐えかねた有斗が思わず畑泥棒を働こうとして、複数の農民に襲い掛かられ命を落としかけた場所である。

 畑には今年も丸い楕円形のような黄緑色の実がなっていた。大きなキュウリのように見えるそれが、有斗は今は瓜であることを知っている。

 少しばかり盛りを過ぎたのか瓜の葉は一部が枯れかけ、実はもうほとんど残っていなかった。残った実も熟しすぎたのか、へたの方には少しばかりの割れ目が見える。

 その熟れた実をじっと見つめる有斗を不思議そうにアエネアスは眺めた。

「・・・どうした。じっと瓜をそんなに見つめて。そんなに珍しいものでもないだろう? アメイジアなら、どこにでもある果物だぞ? ははぁ・・・分かった。腹が減ったのか? だけど畑泥棒はダメだぞ。ガマンするんだ」

「子供じゃないんだしさぁ・・・畑になっているものを勝手に取って食べたりしないよ」

 ろくに食事もできず、気持ち的にもドン底に喘いでいたあの頃ならばともかくとして。

「どうかな~? 有斗は食い物に意地汚いからなぁ? 城を出て街に出たときは、いつも食べ物ばかり買い込んでいるじゃないか」

 有斗の見るところ宮中でベルビオの次に食い意地の張っているアエネアスにだけはそんなことは言われたくなかった。

「そんなことはアエネアスに言われたくないよ! いっつも膳司が僕の為に用意してくれているおやつをほとんど独りで食べているじゃないか!!」

「失敬な奴だな! 私は確保した自分の分だけを食べてるだけだぞ! 買ってきたものを一人で全部こっそりと食べる、卑しい有斗に言われたくない!」

 アエネアスはそう有斗に抗弁するが、あれはそもそも有斗の為に用意されたもので、本来はアエネアスの食べる分は含まれてないはずだし、もし一歩譲ってアエネアスが食べる分も含まれているとしても、アエネアスは明らかに食べすぎである。

 何せ用意されたお菓子や果物の七割はアエネアスの腹に消えていっているのである。

 それに有斗はいつでも好きな時に王都に出て、好きなものを食べることができるアエネアスと違うのだから、たまの外出の時に買ってきたものくらい一人で食べたっていいじゃないかというのが有斗の言い分だった。

「あれは僕のお金で買っているんだから、僕一人で全部食べたっていいだろ!!」

 有斗とアエネアスはまるで子供のようにおやつのことを巡って真剣に喧嘩を始めた。


 王と羽林大将の突然の口論に他の御付の者はどうすればいいのかわからず、オロオロするだけだった。喧嘩の理由がくだらないことであるだけに上手い仲裁方法がなかなか考えられないのあろう。

「これこれ若いの、こんなところで痴話喧嘩なんぞするもんじゃない」

 そんな中、初老の、見るからに農民風の男が街道の脇にある畑の奥からのそりと姿を現して、おせっかいにも二人の仲裁を買って出た。

 真昼間から道の真ん中で大きな声で言い争いをしている二人を見かねて親切心から仲裁しようと考えたのか、あるいは取っ組み合いの喧嘩でも始まって畑の作物を荒らされでもしたら敵わないとでも感じたのか、そのどちらかであろう。

 だがその認識には当事者である二人ともが大いに不満を抱いた。

「痴話げんかじゃありません」

「痴話げんかじゃないッ!!」

 良かれと思って仲裁に入ろうとしたのに、同時に二人から理不尽な怒りの矛先を向けられて怒るかと思いきや、その初老の男はにこにこと二人に笑みを返した。

「声を揃えて言うほどのことかね。それにしても息があっとる。実に仲のいい恋人同士じゃ。いやあ若いというのはいいことだ。うらやましいことだて」

「こ・・・こいび・・・」

 アエネアスは思いもよらない呼称で呼ばれたことに真っ赤になってうろたえる。対して有斗は冷静であった。

「恋人でもないですよ」

 初老の男はハハハと、再び声を出して笑った。

「いい年齢の若い男女がこんな素晴らしい天気の日に働きもせずに、何の目的も無く二人で散策して時間が潰せる。それをもったいないと思うことも無い。そんな仲の男女のことを恋人というんじゃよ」

「別にぶらぶらしてるってわけじゃないんだけどな・・・」

 とはいえ自身の目的や王であることをばらすわけにもいかない、有斗は語尾を濁して誤魔化すしかなかった。

「まぁ事情は知らんが仲直りしなされ。痴話喧嘩は犬も食わないと昔から言うからの」

 それは夫婦喧嘩じゃなかったかな・・・でも夫婦でもないんだがなと有斗は思ったが、これ以上、事態をややこしくするのも何なので、(さか)しくも黙っておくことにした。

 それを肯定と捉えたのか、初老の農民はうんうんと頷くと自分の畑へと戻り、先程、有斗が見つめていた瓜に近づいた。

「さっきからこれについて揉めていたようじゃが、これが欲しいのかの?」

 畑に残されている例の瓜を指差して、そう尋ねた。

「あ、いや・・・それは」

 瓜を盗もうとして襲われた挙句に、村人総出で狩り出されたかつてのトラウマが(よみがえ)り、有斗は慌てて否定する。また泥棒呼ばわりされて命を狙われる羽目になるのは願い下げであった。

「ちょっと待っとれよ」

 そんな有斗の杞憂など気にすることもなく、初老の農民は瓜を(つる)からあっさりともぐ。

「ほれ。腹が減ると気が立って怒りっぽくなるものだて。これでも食ろうて落ち着きなさい」

 初老の農民はにこにこと笑みを浮かべたまま、押し付けるようにして、有斗の手とアエネアスの手それぞれに、瓜を一つずつ握らせた。

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