南へと続く道、それは過去と向き合う道
次の日から三日間、セルウィリアは後涼殿にある自分の部屋から出てこなかった。
自分の気持ちが受け入れられなかったことが、誇り高いセルウィリアには耐えられなかったのだろうかと有斗は気を揉んだ。
万が一にも感情的になったセルウィリアが王位に就くことを拒否したら、有斗帰還後のアメイジアは大混乱に陥ることになってしまう。セルウィリアはそこまで愚かでも無責任でも無いと信じたいところではあるのだが・・・セルウィリアだって生身の一人の人間である。理性より感情が上回ってしまうことだって十分考えられる。
自分が選択した手段は人としては正しくても、王としては正しくなかったかもしれない。欲求に素直に応えて、押し倒したほうが良かったかなぁなどと、有斗は今更ながらに自分の欲望を肯定するようなことを考えていた。
気になることはそれだけではなかった。
セルウィリアがいないと機嫌がやたらいいはずなのに、何故か打ち沈んで口数も少ないアエネアスのことも有斗は少し心配だった。
だが四日目の朝、セルウィリアは有斗の執務室に戻って来てくれた。
「申し訳ありません、陛下。公務を放棄するような真似をしてしまって、ご迷惑をおかけしました。気持ちの整理をつける時間が必要だったのです。ですが、もう大丈夫です」
「その・・・ごめんね。いろいろと君を傷つけてしまって」
「いいえ。陛下が謝ることなどありませんわ。陛下は正しいことをおっしゃったのですから。わたくしの想いが届かなかったことは大変ショックでしたけれども・・・ですが、陛下を尊敬する気持ち・・・陛下を愛する気持ちに変わりはありません。その陛下にアメイジアのことを頼まれたのです。投げ出すことなどできはしません。他の人ではなくわたくしを御指名してくださったんですもの。むしろ誇りに思わなくては」
セルウィリアはそう言うと弱弱しく笑った。落ち込まないように自分を奮い立たせる意味もあるのだろうが、有斗を心配かけまいともしているのであろう。実にいじらしい。
自分が大変な時であっても、課された使命を放棄せず、相手に対して気遣いができるだけの精神力を持っているということだ。
セルウィリアがいてくれてよかった。有斗は本当にそう思った。
これで自分がいなくなったとしても、朝廷を支える巨大な柱が存在することになるだろう。再び戦国の世に時間の針が巻き戻ることはありえない。
再び有斗とセルウィリアの二人三脚で公務を行う日々が始まった。
ギクシャクしたところが無かったわけではないが、それが仕事に影響を及ぼすまでには至らなかった。
仕事における比重はセルウィリアの方が高くなっていき、有斗がすることは徐々に無くなっていった。
それはこの世界からの別離の日が近づいているということでもあった。
有斗はやり残したことが無いかを考える。
有斗は別れに際して特別に感謝を示しておかねばならない人々がいることに気付き、彼らを王都に集めることにした。
だがベルビオなどは親戚縁者への花嫁のお披露目もかねて、拝領したばかりの南部の自領統治のために帰還していて、王都に来るとしてもそれなりの時間が必要だった。
その他にも呼びたい人物がちらほら王都にいない。
有斗は彼らを待つその時間で、この世界を去る前にどうしてもしたかったこと、いや、しておかねばいけないことを実行しておくことを決意した。
「一日二日、王都を留守にしてもいいかな?」
有斗は通常業務を全てセルウィリアに任せて、王不在でもやっていけるかどうか、当人であるセルウィリアと事務方のトップである中書令ラヴィーニア双方に尋ねた。
「わたくしは構いませんけれども・・・」
セルウィリアはそう快諾してくれたが、ラヴィーニアは不承不承といった態度が見え隠れする。
「ええ・・・まぁ・・・セルウィリア様も、もう何の問題もなく公務をされておりますし・・・特に緊急を要する案件もございませんし、戦争時の、陛下が不在である時のように扱えばなんとかなりますから、かまわないといえばかまわないのですが・・・ですがこの国の王は依然として陛下です。お身に万が一のことがあったら一大事です。できれば外出は控えていただきたいところなのです。それと何処へ行って何をするおつもりなのですか?」
「・・・ん、ちょっとね・・・どうしても、もう一度だけ直接この目で確認しておかなくちゃいけない場所があるんだ」
有斗が両手を合わせて頼み込んでいるところを見て、珍しく仏心を出したアエネアスが助け舟を出した。
「いいじゃないか最後くらい有斗の好きにさせてやろうよ。警護のことなら私が面倒見るからさ」
すると今度はセルウィリアが不満げな顔をする。
「羽林大将もご一緒ですか・・・わたくしもそのご旅行にご一緒するというわけには参らないのでしょうか?」
「べ、別に遊びに行くんじゃないし、た、単なる私用なんだ。共の者が大勢付いてきて大事になっても困る。少人数で目立たぬように行きたいから、セルウィリアは遠慮してくれよ」
有斗は王としての公的な目的が無い以上、大事にしたくないと思って、そう言ってセルウィリアを宥めようとしたのだが、その態度はセルウィリアの不満をさらに増すだけだった。
「わたくしも陛下がこの世界を去る前に見たいというものを後学の為にも見とうございます。ぜひとも連れて行ってください」
セルウィリアはにっこりと笑って外面は温厚さを保ってはいたが、身体からは不機嫌オーラを滲み出させて、有斗に明確な拒否の言を吐かせぬだけの強い圧力をかける。
「こ、後学の為だとか、そういった役にはたたないと思うよ。ほ、本当に僕以外には何の意味の無い場所に行くだけなんだ」
対処に困ってしどろもどろになる有斗を見てラヴィーニアが助け舟を出した。
「二人同時に城外に出て、もし万が一、何かあったらいかがなさいますか? セルウィリア様には絶対に王城にいてもらいます」
国家としての安全保障という、真正面から否定できない理由を出されては、王としての厳格な教育を受けてきただけにセルウィリアにはそれ以上我侭を言うことはできなかった。
「ええ、どうせ陛下は羽林将軍とお二人で楽しく旅をなさることばかり考えておられるのでしょうね。わたくしなど単なるお邪魔なのでしょう。わたくしは王都で独り寂しく枕を涙でぬらすことにします! どうぞお二方で楽しくご旅行をしてくればいいんですわ!」
「じ、邪魔だなんて、そんなわけないじゃないか、馬鹿だな、セルウィリアは・・・それに他の羽林の兵も何人かは連れて行くし、王城から少し距離はあるけど、すぐに行って帰ってこれる距離だよ。単なる観光旅行とかじゃないってば」
有斗はセルウィリアが機嫌を直すようにと言い訳をずらずらと並べて見せるが、セルウィリアにはもっともらしい言葉を取ってつけて並べただけの誠意の無い言葉にしか聞こえなかった。
「知りません!!」
セルウィリアはぷいと顔を有斗から背けた。
翌日、準備を済ませると、お忍びでよく使った黒塗りの馬車一台で有斗はひっそりと王宮から抜け出た。
通例では、王城内という比較的安全な場所であっても、前後に警護の馬車が付かず離れず同行するものだ。
だが有斗は王城から離れた郊外の、人気の無い街道を通ることになるから馬車数台では人目について困ると言い張って、この一台だけで行動することを主張した。
もちろん安全面の問題から、アエネアスもセルウィリアもラヴィーニアもグラウケネも、つまり有斗以外の全員がそれに反対する。
そこで少し離れて商隊に偽装した馬車一行を追尾させ、健脚自慢の者を旅人に扮して前後に配し、有斗の馬車にはアエネアスの他に、羽林きっての腕自慢の人間ばかりが乗り込むという警備体制を取ることでなんとか手を打ってもらった。
「ところで有斗、どこへ行くんだ? やっぱり兄様やアリアボネの墓参りか? 元の世界へ戻っちゃったら、もう二度と来れないもんな」
アエネアスは公用ではなく私用であると言ったこと、アエネアスの知る限りでは有斗が王城以外で過ごした場所が限られること、そして自分だけがついていくことになったことなどから、有斗が行くべき場所はそこ以外ありえないと決め付けてかかっているようであった。
「墓参りは帰る前日にするつもりだよ。あそこは王城からそう距離があるわけじゃない。半日あれば往復できるからね。今日、これから向かうところはそこじゃない。もう少し遠いところなんだ」
「ふうん」
大好きな兄様と親友の墓参りじゃなかったためか、アエネアスは途端に興味をなくしたようだった。
その代わりといってはなんだが、御者を務める羽林の兵(といっても彼はそこそこ高い地位にいるのだが)が、おずおずと有斗に声をかけた。
「ところでへ・・・いえ、ご主人様。どこへ向かえばよろしいのでしょうか」
そう言えば行き先をまだ告げていなかったことに有斗はようやく気が付いた。だが説明しようとして口篭る。簡単に説明できる場所じゃないし、その風景は目に焼きついているが、しっかりとした場所を覚えているわけではなかった。
「とりあえず南海道へと向けて王都を出て欲しい」
風景を見ながら探していくしかないと有斗は漠然とした指示を出した。
「南海道を南進して鹿沢城方面へと向かえばよろしいということですか?」
御者をする羽林の兵は首を傾げながらそう尋ね返す。
「南海道を少し進むと南部へと抜ける脇街道があると思う。確か・・・カテリナ街道だったかな。そこを南進して欲しい。しばらく行くと小さな宿場町があると思う。まずはそこへと向かって欲しい。徒歩で半日ほどの距離だったと思う」
「わかりました」
御者は有斗の指示に従って、馬に鞭をあて馬車を動かし始めた。有斗の予想と違い、南海道だけでなく脇街道であるカテリナ街道も人が多く、これならば護衛を減らすことも無かったなどとアエネアスはぶつくさ文句を言った。
平和になって商活動や各地の交流が活発になり、脇街道といえども交通量が格段に増えているようだった。
疾走する馬車の窓から有斗は首を突き出して外の景色を眺めていた。そんな有斗が物珍しいのか、道行く人たちは逆に有斗をじろじろと見る。
「なんだ有斗、恥ずかしい奴だな、窓から顔を出すなんて。子供じゃあるまいし、みっともないぞ」
「外の景色を見たいんだからいいじゃないか」
口を尖らせて子供のような言い訳をする有斗に一瞬だけ眉を顰めるアエネアスだったが、急に興味をなくしたかのように独りで納得し、持ってきたお菓子をボリボリと音を立てて食べ始めた。
「・・・まぁ、いいか。いい年こいて窓から首を出して景色を眺めているような奴が、まともな大人であるとは誰も思わないだろう。ましてや王だなんて逆に誰も思いつかないだろうしな。警備の必要が薄れるってもんだ」
有斗はそんなアエネアスの放言など右から左へと聞き流して、一心不乱に流れていく景色に目を凝らしていた。
あの道端の大きな木も、戦火で焼け落ちた廃屋も・・・目に入る様々な物にやはり見覚えがある。というよりも記憶にしっかりと残っていた。
一度しか通ったことの無い道だったが、有斗にはアメイジアの他のどの道よりもその道の事をよく知っていた。
何度も何度も夢に見た道だ。
そう、この道は四師の乱でセルノアと共に南部へと逃れるために落ち延びた道だった。