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紅旭の虹  作者: 宗篤
最終章 天帰の章
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望みを叶えることは幸福なのか残酷なのか

 長い睫毛に囲まれた(うる)んだ大きな瞳にきらきらと輝く星を宿しながら真っ直ぐに有斗を見つめるセルウィリアの目は、まるで魔力を持っているかのように有斗を惹きつける。

 少し震えながらも、じっと有斗のことを待つセルウィリアの肩に思わず有斗は手を伸ばした。

 手のひらから伝わる暖かく柔らかな感触に有斗は引き寄せて強く抱きしめたいという衝動に駆られる。

 カヒの騎兵の津波のような攻撃を遥かに上回るその強大な敵を有斗は心の中にある強い気持ちでなんとか振り切った。

「だめだ・・・それはできない」

「どうしてですか!? 将来を共にしたいと・・・陛下の永遠を(こいねが)ったわけではありませんではないですか!? ただ今宵、ささやかな時間をふたりで分かち合いたいと願っただけではありませんか! それすらも許されない・・・わたくしはそれほどまでに魅力のない女ですか?」

「魅力がないことはないよ。だって今、この一瞬も君を強く抱きしめてギュってしたいって気持ちが溢れて、抑えるのに苦労するほどなんだから」

「でしたら・・・!」

「でも・・・駄目なんだ。僕はアメイジアに生きる全ての人々に少しでも幸せになって欲しいと願ってる。当然、セルウィリアにも幸せになって欲しい」

 その有斗が口にした拒否の理由がセルウィリアには理解できずに怪訝な表情を浮かべた。

「おっしゃっていることがよく理解できないのですけれども・・・」

「僕が帰った後、セルウィリアは一人、この世界に残されてしまうんだよ? 僕と一夜を過ごしたって確実に子供ができる保証なんかあるわけがない。もし子供ができても死産するかもしれないし、若死にするかもしれない」

「例え子宝に恵まれなくても、陛下との思い出があればわたくしにはそれで十分・・・他に何もいりません!」

 セルウィリアは涙を浮かべて有斗の袖にすがりついて懇願する。有斗はそんなセルウィリアに困惑した目を向けた。

「・・・僕は王をしていて思ったんだけど、王という存在は本当に孤独だ。

皆が王の権威と権力を恐れ敬い(あが)(たてまつ)ると同時に、隙あらば利用しようとする。本当の顔を隠して上辺の顔を取り(つくろ)って接してくる。温顔を装い、甘言を弄して、不都合な真実を隠し、作り上げられた耳障りのいい嘘の報告を上げてくる。まるで隙あらば僕を騙そうとしているようにしか感じられない。王と家臣との関係は人間不信になりそうなくらいに酷いものだ。僕には幸いにしてアリアボネ、アリスディアやアエネアスや皆・・・もちろんセルウィリアもだよ、がいたから耐えられたけど、セルウィリアにはもう僕もバルカもいない。セルウィリアには公私共に支えてくれる良心を持った新たな伴侶が必要になると思うんだ」

「わたくしに見えるのは陛下だけ・・・! 陛下以外の男性など目に入りませぬ!!」

「そこまで言ってもらえるなんて、男としては嬉しいけれど・・・セルウィリアの気持ちは今はそうかもしれないけど・・・人は変わるものだよ。未来永劫そう思うとは限らないじゃないか。もしセルウィリアの心を惹きつける新たな人が現れたときに、子供の存在や僕との思い出が障害になるかもしれない。必要ない苦労を背負い込むことになる」

 そう、有斗のことが心の(くさび)となってこれから先、長いセルウィリアの未来を縛るようなことがあってはいけない。有斗はぼんやりと自分におけるセルノアのこと、アエネアスにおけるアエティウスのことを脳裏に浮かべつつそう思った。

「わたくしは変わらない・・・! どれだけ二人の距離が離れても、どれだけ時が過ぎ去っても、わたくしは陛下を・・・陛下だけを愛し続けます!!」

 有斗は一般的な人間の心の姿の話をしたつもりだったのだが、セルウィリアはそれを己の決意への侮辱と(とら)えたのか、少しばかり食って掛かるような口調で有斗に詰め寄った。

「・・・そんな孤独な人生を送っても、誰も褒めてくれない。きっと辛くて寂しいだけだよ・・・セルウィリアは若くて、綺麗で、性格もよくって、朱龍の宝玉とも(うた)われるアメイジア一の完璧な女性じゃないか。僕なんかよりも強くって、かっこよくて、頭もよくって、性格もいい男性がいくらでも見つかるよ」

「そんなことをおっしゃらずに! お願いです! 本気でなくても・・・陛下は一夜の遊びだとでも・・・(あやま)ちだとでも思って下さってかまいませんから!  わたくしに今晩一夜の時を・・・永遠の思い出を下さい・・・!!」

 もはや触れるか触れないかの位置まで近づいたセルウィリアの唇を避けるように有斗は赤らめた顔を逸らした。

「・・・セルウィリアはそれでもいいかもしれない。ひょっとしたら僕も・・・」

「・・・でしたら・・・!!」

 有斗の言葉に一瞬、喜びで顔を輝かせたセルウィリアだったが、返ってきた言葉は望んでいたものとは大分(おもむき)が違っていた。

「でもダメだよ。子供のことを考えたら、そんな無責任なことはできないよ。子供には親が必要だよ。父親は自分を置いて異世界に帰ったなんて知ったら、きっと深く傷つくと思う。捨てられたように感じると思う。そんな思いはさせたくないし、させるべきでもない。それに僕も永遠に子供に会えないのは辛い。僕の知らないところで苦労しているかと思うと、きっといてもたってもいられない」

「確かに父親がいないことは悲しいことかもしれません。ですが父親が戦国の世を鎮めた天与の人だと知れば、きっと誇りに思うはず・・・! いないことなんて、なんら問題になりません!」

「親が偉大であろうがなかろうが、そんなことは子供にはきっと関係ないよ。傍にいて成長を見守り、困ったときに道を示す。そんななにげないことの方がむしろ大切なんだ」

「わたくしが代わりに陛下の分まで我が子に愛情を注ぎます! 父親がいない寂しさなど決して感じさせません!! ですから・・・そのような悲しいことを言わずにわたくしの願いを聞いて下さい!」

「だから・・・元の世界に帰ると決まった今、セルウィリアに手を出すわけには行かないんだ。ごめん・・・セルウィリアの気持ちはとっても嬉しいけど、受け取るわけには行かないんだ。本当にごめん」

 どんなに迫っても、どんなに懇願しても有斗が決意を変えそうにないと気付いたセルウィリアは遂に感情を爆発させる。

「酷いです、陛下! わたくしだって陛下が幸せにしたいとその口でおっしゃったアメイジアの民の一人のはずです。でしたらわたくしのささやかな願いを叶えてくれたっていいではありませんか・・・! わたくしの幸せは天与の人である陛下の傍にいることだったのに・・・! 決して王になることなんかじゃなかったですのに・・・! 酷い! 酷すぎます!! 陛下は王位という重荷だけわたくしに背負わせて違う世界に去っていこうとなさる! 陛下は残酷です!!」

 泣きながら拳で有斗の胸を叩き続けるセルウィリアをどうすれば納得させることができるのか、そして慰めることができるのか分からず、有斗はただ黙って為すがままにされているだけであった。


 セルウィリアと有斗のそんな遣り取りを、アエネアスは有斗の寝室の扉の向こう側で立ち尽くして聞いていた。

 セルウィリアが警備を人払いしてくれたおかげでアエネアスも容易に深夜の有斗の寝室近くまで忍び込むことができたのだ。

 アエネアスもセルウィリアと同じ考えを抱くにいたり、偶然にも同じこの日に実行しようとして大内裏内に潜んでいたのだ。

「子供には親が必要か・・・」

 アエネアスはそう呟くと胸に走る鈍い痛みと共に薄暗い廊下の天井を見上げた。

 その言葉は産みの母親に捨てられ、育ての父親に先立たれて、多感な時期に親を持つことのなかったアエネアスの心に何よりも大きく突き刺さった。心が震えた。

 もし有斗と結ばれて子供を授かることができれば、確かにそれを望んだアエネアスは満足するに違いない。

 だが産まれてくる子供にとってはどうだろうか?

 有斗は戦国を終わらせた名君であり、子供にとっては誇りに思うに足る人物である。アエネアスだって子供を為せばダルタロス公になることはほぼ決まりだ。母子家庭であっても経済的になんら困窮する要素は無い。公爵家の生まれともなれば、この世界においてはむしろ屈指の恵まれた家庭環境といえるだろう。

 それでも片方の親がいないという事実は多感な子供の心に大きな影を落とすに違いない。

 不慮の事故などで死亡するなど仕方が無い状態ならともかくも、子供のことを思えばそういった手段は取るべきではないかもしれないともアエネアスは思った。

 アエネアスは子供を残して去らねばならない有斗の気持ちも、産まれてくる子供の気持ちも考えずに、自分の気持ちだけで動いていたことがただ恥ずかしかった。

 アエネアスはそっと足音を立てずに有斗の寝室を後にする。

 俯くように歩くその姿はどこか寂しげだった。


 泣き伏すセルウィリアをなだめすかしてようやく部屋に返すことに成功し、有斗は貴重な睡眠時間を再開することができた。

 といっても騒動で眠気もすっかりどこかへすっ飛んでいってしまい、なかなか寝つけずに布団に入っただけだった。

「ああ・・・っ! 失敗したぁ!!!」

 身体に圧し掛かる疲労はあるものの、眠れずにもぞもぞと布団の上で寝返りを打ちながら先程の出来事を脳内で反芻(はんすう)していた有斗だったが、突然がばっと寝床から跳ね起きて叫びだした。

「よく考えたら・・・僕は物凄いもったいないことをしたんじゃないか!? セルウィリアレベルの女の子なんてなかなかお目にかかれないぞ!? 向こうの世界に帰ったら、僕程度じゃ話すことすらできやしない! きっと話しかけても無視される!! そんな子とHできる機会なんてありえないんじゃないか!? いや、よく考えなくても絶対にそうだ!! 確実に失敗した!!」

 億単位の金を持ち帰らないことを決意したことをさほど後悔しなかった有斗だったが、この瞬間、先程の決断を心底後悔していた。

「子供を作らなければいいんじゃないか! 中に出さないからって言って、泣きながら土下座して足にすがり付いてお願いしたら、一回くらいやらしてくれないかな!? かなぁ!!?」

 何なら入れなくってもかまいやしない、せめて胸だけでも揉ませてくれないかなぁなどと、有斗は頭をがんがんと壁に打ち付け涙を流しながら後悔していた。

 その姿をセルウィリアが見たら、百年の恋でさえ醒めてしまったかもしれない。

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