情けを欲する
いくらセルウィリアの意見をそのまま採用することが多くなったからといっても、王位は依然として有斗のものである。
有斗が最終的な判断とその責任を負わねばならない存在である以上、お肌が荒れるからとか適当な理由を作って、後はセルウィリアに任せて早々に寝てしまうわけには行かないのだ。
というわけで引継ぎを必要としないような日々の通常業務を片付けるために、セルウィリアが退室した後にも仕事をしなければならない有斗は、ほとんどが翌日の子の刻(深夜零時)を回るころまで仕事であり、その日も寝室に入るころには有斗の意識は朦朧としていた。
寝台に横になって布団に包まると、有斗はすぐさま深い眠りに陥る。至福の時だった。
だがそんな有斗の随一の楽しみを邪魔する無粋な存在が気付かぬうちに忍び寄っていたのだ。
「陛下、陛下・・・起きてくださいまし・・・!」
睡眠中の有斗は己の身体が何者かによって揺すぶられるのを感じた。と同時に有斗の耳元で囁くような女の声が聞こえる。
なんか・・似たような展開がいつかどこかであったような気がすると有斗は起き切らない頭の中で記憶をかき回して探す。
もしそのとき有斗の脳裏に浮かんだ想像が現実と一致するならば、非常に悪くない展開であるが、又にしてもらいたいと有斗は願った。今日はとても疲れているのだ。
「またウェスタかい・・・? ゴメン、今日は眠いんだ。寝かしておくれよ・・・」
遠く越の地にいるはずのウェスタが王都にいるはずが無いことはそれほど考えずとも分かることではあるのだが、そこはウェスタのことだから、なんだかんだ理由をつけて王都に来ているのかも知れないなどと痺れたままの脳でぼんやりと現実と空想の整合性を取っていた。
それにこれが現実ではなく夢であるという可能性も捨てきれない。
だが次の瞬間。
ビシッ!!
有斗の頬に鋭い衝撃が走ると共に耳元で派手な音が鳴り響いた。
「どうしてそこでベルメット伯の名前が出てくるのですか!? まさかとは思いますが、過去に何かあったのではありませんよね!? それとも、わたくしのような清楚で可憐な淑女よりも、あのような下品でいやらしい女がお好みとかですの、陛下!!?」
次いで先程までの細声とは違う、大きな甲高い声が鳴り響き、有斗はびっくりして目が覚める。
「え? 何!? 何で僕、いきなり怒られてるんだ!?」
しかも何故だか左頬も痛い。有斗は右手で痛む左頬をさすりながら周囲を見渡す。
目の前には人影がうっすらと見える。そのか細さは女だ。いつぞやのウェスタと同じように有斗の寝台の上に座り込んでいるようだった。
月は高いのか窓から差し込む光は弱く、室内は仄暗くてよく姿が見えない。
「ウェスタ・・・・・・いや・・・ウェスタじゃないな・・・?」
有斗は月明かりにうっすらと透けるそのボディラインの輪郭で辛うじて相手をそう判断した。ウェスタはもう少し、こう・・・なんというかボリュームがあり肉感的だ。目の前の影はメリハリはあるものの線が細い。
「わたくしです! セルウィリアです! それよりも問題は 陛下とベルメット伯の間にいったい何があったのかです! 詳しくお話しください!」
影が一歩手前ににじり寄ると、セルウィリアの美麗な顔面が現れた。怒りに震えるその顔も可憐だった。可憐であるがゆえに怖さもひとしおである。
「な・・・ないよ! 何も無い! やましいことは一つもないよ!」
現実にウェスタの身体に指一本触れていない有斗としてはそう弁明するしかないのだが、その慌てぶりにどことなく信用できないものを感じたのか、セルウィリアは疑わしげな視線を有斗に向けたままだ。
「本当ですか?」
「本当! 本当だよ!!」
「・・・でしたらよろしいのですけれども・・・」
セルウィリアはそう口にしながらも、まだ半信半疑の瞳でふくれっつらのまま有斗を睨み付けていた。
「・・・あのような下劣な女、陛下のお好みではないとは思いますけれども、それでも殿方は欲望には勝てぬものと伺いますし・・・」
好みでないどころか、えっちな女の子はむしろ大好きですが何か、と有斗は下半身に忠実にそう思いもしたが、口にしようものなら事態を悪化させること確実だから、その言葉をゆっくりと喉の奥にしまいこんだ。
しかしここにいないからいいものの、本人が聞いたら激怒しそうなまでに大変な言われようである。有斗はウェスタにそっと同情した。
「でも、なんでセルウィリアがここに・・・? それとも僕、寝ぼけて部屋を間違えたかな・・・?」
眠さと疲労で間違えてセルウィリアの寝台に潜り込んだのかと思い有斗は確認の為に四方を見渡すが、そこはやはり有斗の寝室であることに間違いは無いようだった。
そもそもここがセルウィリアの寝室ならば、寝台に入り込む時に違和感を感じるはず・・・いや、それよりも部屋に入る前に警備の兵に止められるはずだ。セルウィリアの部屋の前にも羽林の兵と女官が常時侍っているはずなのである。
もっとも王が後宮内の女官の部屋に勝手に入るという行為を見ても、彼らはそれを王の勘違いであると捉えず、別の意味と捉えて咎めだてせず素通しする可能性も無きにしも非ずではある。
だがここは間違いなく有斗の部屋だ。であるならばセルウィリアがここにいることのほうがおかしなことだと言える。
「・・・・・・・・・」
有斗のその疑問に口の中で小さな声でもごもごとセルウィリアは何事かを呟いて返答するが、夜の静寂の中であるにもかかわらず小さすぎて有斗には聞き取れない。
「なんだって?」
「・・・・・・です」
有斗の問いにセルウィリアは真っ赤になると俯いて視線を合わせずに何事かを呟くが、小さすぎてまた聞き取れない。
「・・・小さくて聞こえないんだけど」
困った有斗が聞き取ろうとして近づくと、意を決したセルウィリアが真っ赤になって叫んだ。
「・・・・・・夜這いです!」
「よ・・・よば・・・よば・・・夜這いぃ!!?」
思わず有斗の声も上ずってしまう。
ということはウェスタのように・・・
「まさか・・・天井を伝って!?」
あの埃だらけの天井裏を伝ってきたというのだろうか?
「それも考えていたんですが非力なわたくしには到底無理でした」
「そうだよなぁ・・・さすがにあれはセルウィリアには無理だよなぁ・・・」
実は有斗も天井裏に上って移動が可能かどうかちょっとばかり試したことがある。
セルウィリアや女官の部屋を覗きにいったわけではないぞ! 単に防犯上の対策を考えるためと好奇心からできるかどうか試したかっただけだ!
もっとも偶然にも女官が着替えているところを見かけたりとか、力尽きて落ちたところ、偶然にも女官の上に覆いかぶさる形になったりする素敵なイベントが起きやしないだろうかとか思わなかったわけではないので完全に無罪放免というわけにはいかないだろうが。
だがともかくも有斗の体力でもってしても清涼殿から脱出できなかったのだ。女の細腕では隣の後涼殿から清涼殿に来ることなど叶わないことであろう。
有斗が知る限り、この世界で一番脱いでも凄いんです系のキャラであるウェスタであるが、どうやらアエネアスに告ぐ体力系キャラでもあるようだった。
「ですから羽林と女官たちに頭を下げて陛下の寝室に入れてもらい、しばらくの間、近づかないで欲しいとお願いいたしました」
「え、それってつまり人払いをしたってこと!?」
「はい」
平然とした顔でセルウィリアは答えるが、それは結構重大な問題である。
警備の者が警護すべき王の傍から離れるということである。職務放棄ってことにならないのかなと有斗は思った。
とはいえ、もう公式に次代の王として定められたセルウィリアに頭を下げられてまで頼まれては、羽林の兵も女官もなかなかに断りにくいことも事実だ。
セルウィリアが有斗に対して好意を向けていることも後宮内では知らぬものなどいない事実だったし、害する可能性もないと判断したということであろう。目くじらを立てるほどのことではない。
「ですから今宵、ここで何が起きても外に漏れる心配はありません。どのような要求にも答える心の準備をしておりますので、さあ! どうぞ!!」
というとセルウィリアは両掌を胸の前で合わせて有斗の寝台に倒れこんだ。
だが胸の前で組んだ両手の指は少し震えていた。それは初めて行うことに対する緊張から来るものだけではないはずだ。
「・・・ちょっと待って、僕はそんな変態的な性癖は持ってはいないぞ」
ごく普通のノーマルな嗜好をしているはずだと有斗は抗議した。
「でも陛下は口に出すのもはばかられるような御趣味を持っておられると後宮で噂になってますし・・・」
・・・いったい僕の不名誉な噂をばらまいている不埒な輩はどこのどいつだろうと、有斗は一瞬、王の権限をフル動員して犯人を捕まえてやろうかと思った。
だが犯人を捜したところで事態が大きく変わるわけではないだろう。女官は概して口さがないものである。王は真実が広まるのを恐れて罰したのだなどと余計に不名誉な噂が広まりかねない。そんなことになったら実に不毛な話ではないか。
ため息をつくとセルウィリアに胸に浮かんだ疑問をぶつけてみた。
「・・・なんで突然、夜這いなんか思い立ったの?」
かなり鈍感な有斗もさすがにセルウィリアが自分を好いてくれることくらいは分かる。
もっともバアルと自分との間に身体を呈して立ちはだかり、その戯言が入らぬ状況下でセルウィリアの口から好きという言葉を聴いたのだ。それで理解していないとするならば、有斗はラノベにありがちな鈍感系主人公を通り越して、人間の感情を理解できない化け物か何かである。
とはいえ有斗にしてみれば、セルウィリアほどの完璧な美人が自分のことを好きになってくれているという事実に実感がわかず、男性は山ほどいるのに、何を好き好んで自分を選んだのだろうかなどと首を捻って考える有様であった。
しかし日本の一般常識とアメイジアの一般常識がかなり違うとはいっても、好きであるということが直ぐに夜這いという行動に結びつくようなわけではあるまい。
アエネアスなんかは『なんて非常識な奴』みたいな目で夜這いを行ったウェスタを見ていたことからもそれが窺い知ることができる。
しかもセルウィリアは王家の出だ。たしなみとか恥じらいとかその手のものを人一倍所持している女性のはずである。
今の今まで実行しなかったのだ。それに先程の恥じらいようを考えると、やはり尋常な手段ではないと考えるのが自然であろう。
「迷惑ですか?」
「迷惑だなんて、そんなまさか! ど、どちらかというと大歓迎だけど・・・」
鼻腔をくすぐるくらくらするような甘い香水の香りと、どうしても目に入るセルウィリアのしどけない肢体に有斗は理性が麻痺していくのを感じて、そう答えるのが精一杯だった。
「よかった!」
セルウィリアは有斗の返事に大輪の花のようにぱっと顔の表情を明るくする。そんな顔をされると思わず押し倒したくなると思いながらも、有斗は理性を振り絞って会話を続けた。
「でもセルウィリアはこんなことをするような女の子じゃないじゃないか」
「わたくしだって止むを得ないときは恥を忍んででも、どのような手段をも取りますわ。それだけ焦っているのです。だってもうすぐ陛下は元の世界に戻ってしまいますもの。その前にわたくしにお情けを頂きとうございます」
「お情けって・・・何故・・・?」
「陛下は国家という重荷を、それも天与の人の後を継いで国を治めるという重責をわたくしに背負わせて帰ろうとなさるのです。少しはわたくしのことを哀れだと思し召しになりませんか?」
そう言われてみればそうであるのだ。実態の有斗はともかくも世間一般には天与の人として特別な目で見られている王の後継者なのである。何かにつけて比較され、並みの王よりも厳しい目で見られるに違いない。
しかも戦国の世は終わった。敵対する者を滅ぼすなどの目に見えて分かりやすい成果はあげられない。こつこつと地味で着実な政治をするしかないが、往々にしてそれは評価されにくいものだ。成果よりも欠点ばかり目に付いて褒められることの少ないものである。セルウィリアは謂れなき非難に晒され、正当な評価を受けることなく、その重圧たるや今の有斗の比ではないに違いない。
「確かにそれに関しては本当に悪いと思っているよ。王を途中で投げ出して、セルウィリアに押し付けるような形になったことは申し訳ないと心から思っている」
「ならば、そのお詫びといってはなんですけれども・・・一夜の思い出が欲しいのです。そして世継ぎとなる子が欲しいのです」
「こ・・・子供!!?」
セルウィリアの中では、そこまで話は飛躍しているのかと有斗は思わず仰天した。
そんな有斗にセルウィリアは決断を迫るかのように身体をじりじりとにじり寄せる。
「陛下との間に子を為せば、世間もわたくしの王位継承を陛下の子が成人するまでの中継ぎとしてのものとして認識しましょうし、わたくしも陛下との思い出と、その子の成長を励みにどのような苦難にも挫けることなく最期まで治世を全うできると思うのです」
セルウィリアの吐息はもう有斗の口のほんの一寸前に存在した。
「それにわたくしは陛下のことを誰よりもお慕いもうしております・・・この気持ち、分かってくださいまし」