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紅旭の虹  作者: 宗篤
最終章 天帰の章
407/417

退位宣言

 とはいえ直ぐに元の世界に帰りますと仕事を全て投げ出して帰ってしまうというのでは、王として、いや人として余りにも責任感が無さ過ぎるというものである。

 それに魔術にはそれなりの下準備がいるとかで、今日思いついたからといって明日できるレベルのお手軽なものでは決して無いとのこと。怪しげな呪文を唱えたら、はいそれで終わりではなく、数カ月がかりでいろいろと準備しなければならないものなのだとか。

 というわけで有斗はその場にいた全ての者に緘口令(かんこうれい)を敷き、とりあえず通常業務を続ける傍らで、準備が整うまでに終わらせられない仕事の引継ぎをセルウィリアに行っていくことにした。

 国家が行う事業というものは概して数年がかりで対策を行わなければどうしようもないことばかりである。切りのいいところで仕事を終わらせて帰るというわけには行かないのだった。個人では不可能なことを集団で行うことのメリットを突き詰めて行った結果、生まれたのが国家である以上、当たり前とも言える。

 当初、有斗の行いは事業の概要やそれを行う意図や目的などをセルウィリアに説明する方に主眼が置かれていたが、一ヶ月が過ぎる頃には最終的に決断するのはセルウィリアで、有斗はあくまでフォロー役のような形でサポートするという主客転倒するような状態にまでなっていた。

「陛下、今まで亜相(あそう)が兼任することが多かった按察使(あぜち)ですが、王の目が行き届かない地方での不正を無くすという陛下のお考えに従って組織を拡充するという立派なお考えに対しても、何かと朝廷内では反対意見が多うございます。それでは按察使の権限が大きすぎ、他との釣り合いが取れないと申すのです。ですが彼らのいうことにも一理あるとわたくしは考えます。そこで王の直轄ではなく、三大臣をはじめとした公卿の下に属し、彼らの監督を受ける令外官ということで決着を図っては如何(いかに)と存じ上げ奉ります。これならば官吏からの反対も少なく、陛下の当初の意図も損なうことなく実現され、八方丸く収まることと思いますが」

 セルウィリアは有斗の顔色を伺いがちながら、そう提案した。

 按察使とは地方行政官の監督、監察を行う官職である。平たく言えば地方官の中に不正を行い、法を曲げ、私利私欲を図るような者がいないか監視する役である。

 いくら勤倹(きんけん)な王がいて、朝廷に賢臣が揃っていても、彼らの目は地方にまでは届きにくい。移動手段は徒歩が主であるため、現実に存在する物理的な距離が障害となって中央と地方の直接的な交流は無いのが実情だ。その上、ネットが無いどころか通信手段も限られている。情報だって極端に入ってこない。その為、現地では彼ら以上の上役がいないことになる中央からの出向官吏は、ややもすれば現地の官吏を下僕の如く扱ってその地方の王侯気取りとなる。しかも中央で出世の目がなくなった者などは私財を増やすことだけを露骨に考えて民に負担を強いるものだ。

 その様な行為は感情的、道義的な見地から許されることではないし、何よりも民の不満はその地方官への反感から、その恣意的(しいてき)な行為を見逃している朝廷と言う権力機構に対する不満に容易に昇華してしまいかねない。

 それを防止するための按察使である。

 不満が高じればちょっとした騒ぎをきっかけに暴動が生じるもの。暴動は鎮圧に失敗すれば騒乱になり、やがて政権を揺るがす大規模な反乱となるからである。

 つまり地方官の不正を見逃すことは些細なことに思えるかもしれないが、戦国の世へとつながる道の最初の一歩となりうる危険性を(はら)んでいるのだ。

 彼らに求められるものはそれだけではない。

 有斗は王領をアメイジア中央部に一極集中化した。それは一度(ひとたび)反乱が長期化したときにも中央政府にしっかりとした財政的、生産的基盤を確保するために必要なことであったが、そうすることで同時に地方の諸侯への監視の目が行き届かなくなる弊害が起こることを危惧していた。

 今までは諸侯領に隣接する王領の官吏等から得られていた諸侯の動静などが入らなくなるからである。

 つまり新たに諸侯を監視する者が必要であり、按察使にその役目を負わせようと思っていたのだ。

 その為、公卿の一員として中央の政治の重任を背負っている為になおざりになりがちな亜相の兼務を止めて専任の長官を置き、人員を増員して、しっかりとした組織を作ろうというのが有斗の考えだった。


 だがその実現には大きな問題点があると朝臣たちは一斉に反対した。

 今までは通例的に亜相が兼任していることで彼らのものであったと言ってよい按察使という役職が、王直轄の新たな組織に組みなおされることに抵抗を示すという官僚的な悪癖がその裏に見え隠れしないところも無かったわけではないが、按察使に大きな権限が集まりすぎるということを彼らは問題視したのだ。

 例えば按察使になったものが、地方官の不正を見逃し相手の弱みを握っておいて、政敵となったときに追い落とす材料として使用したり、自派に引き込む材料にして徒党を組んだりすることも考えられる。

 地方官だけでなく諸侯に対しても同等だ。いや、現時点で地方に飛ばされているということは大した権限も持たないということでもある地方官よりも、直接的に武力と財力を握っている諸侯の方が遥かに問題であると言い切れる。

 もしいくつかの諸侯の弱みを握って傘下に組み入れることに成功すれば、それはもはや他の臣下では手が出せない巨大な権力を持った臣下の出来上がりということになる。

 いつの時代も王の一番の悩みは外敵や反乱などの目に見える敵では無く、内にいる強すぎる権臣なのである。

 一旦、権力が一人の臣下に集まりだすと、それを止める術はどのような組織にもほとんど残されていない。しかも人間は長いものに巻かれがちなものであることを考えると、加速度的にその臣下は力を増していき、最終的に王をも上回る権力を手に入れることとなるのだ。

 最終的には欲を満たすためにも己の身を守るためにも、その野心家は王権を転覆するしかなくなるのである。

 つまり、いかにして多くの臣下に均等になるように分散して権力を与え、一人の臣下に権力が集中しないような仕組みを作っておくか、それこそが王朝が長期安定するかどうかの鍵といってよい。

 無能な王が統治したときのことも考えて、しっかりとした土台作りを王朝のはじめに作っておかなければならない。

 これこそが王朝が長く続くかどうかは、基礎を作る最初の三代で決まると言われる所以(ゆえん)である。

 だからセルウィリアのその提案は有斗の当初の意図を生かしつつ、危険性を排除することにもなる良案であるように思えた。

「ああ、うん。それでいいんじゃないかな。更に付け加えるとするならば諸侯を監視する部門と地方官を監督する部門は別にするのも手かもしれないね」

 どうすべきか悩んでいた事案をセルウィリアがあっさりと片付けたことに感心してしまい、有斗はそう返答するのがやっとだった。

「長官を一人にせずに複数にするか・・・あるいは組織を完全に分けることも視野に入れておく必要があるかもしれませんね」

 そんな有斗の思い付き以上ではあるものの深く熟慮した結果ではない考えにも、セルウィリアはすぐさま細かい修正案を考え、提示してくる。

 元々が王となるべく育てられ、実際に一度は王位に付いたことがある分だけ、セルウィリアはややもすれば有斗よりも的確な判断を素早く下せる。

 それは自身が元の世界に帰った後も、つつがなく王朝は安定して存続していくということであり、有斗がいなくなったとしても戦国の世に戻らないであろうといった希望を抱かせるに足る喜ぶべきことであったが、同時に有斗としては自身のこの世界における存在意義が少しばかり失われたようで、寂しいことでもあった。

 そんな複雑な思いでもってセルウィリアを見つめていた有斗の視線に気付いたセルウィリアはその視線ににこりと笑みを返した。

「どうなされました、陛下。わたくしをじっとご覧になって」

「・・・やっぱりセルウィリアは凄いなと思って。短い時間で問題をたやすく最適解に導くことができる。僕よりよほど王としての素養はあるよ。これで安心して僕は帰ることができる」

 有斗からの思わぬ褒め言葉にセルウィリアは頬を赤く染めて、この上なく嬉しそうに笑みを浮かべた。

「そんな・・・誰もが終わらせることができなかった戦国の世を終わらせた陛下に比べたら、わたくしなど及ぶことは到底敵いますまい・・・でも、陛下に褒詞を頂くことができて光栄です。とても嬉しいですわ」

 そんな二人の様子を部屋の片隅で両手で頬杖を付いてアエネアスは複雑な思いで見守っていた。

「・・・・・・」

 セルウィリアに行う引き継ぎ作業は国家の大事に関わる。すなわちアメイジアに生きる全ての人々の運命を左右する重みを持っている。

 今の有斗の邪魔はできないことはアエネアスであっても理解できる。

 二人の遣り取りを邪魔することなく、ただ無言で見守ることだけが今のアエネアスにできる全てだった。


 そして諸々の物事にある程度の目処が付いたところで、有斗はようやく己の意を公にすることにした。

 王位をセルウィリアに譲って、有斗は元いた世界に帰還する。諸臣は新王の下、引き続き一致団結して政務に当たり、太平の世の安定に向けて邁進(まいしん)して欲しい。

 朝議で有斗がそう告げた途端、大極殿(だいごくでん)はしんと静まり返った。

 何事にも勤倹な有斗と違って、特権意識の高い中央の官吏は、一般の人民を支配されるべき愚かな者と考えて馬鹿にするだけでなく、隙あらば職権を利して不正を行おうと企む者が後を絶たない。

 彼らは選ばれた人間である、他よりも圧倒的に賢く、自身の思いついた考えが一番正しいとさえ考える高慢なところがある。

 そんな彼らではあるが、王としての有斗の存在感は一種特別なものがあった。

 何故なら、その彼らが逆さになって考えてみても、どうしても終わらせることができぬと考えていた戦国の世を終わらせるという奇跡を目の前で実際に有斗が起こすところを見てきたからだ。

 有斗はあいも変わらず昔の学生のころとなんら変わりの無い平凡な学生であると自分のことを思っているのだが、朝廷の官吏の考えでは末端の下官にいたるまで、有斗は紛うことなき天与の人、人を超越した特別な存在であったのだ。

 そんな王に仕えることができる誇り、同じ時間を共有することができる幸運を彼らは大いに感じていた。

 だからこそ、その王の口から退位して元の世界に戻ると言われたことに、まるで有斗が彼らを捨てて行くかのように感じてしまったのだ。

「陛下、なにとぞお考え直しを!」

「陛下、我らにとって陛下と仰げる人はこの世に一人しかおりませぬ! 苦難を耐えしのいで戦国の世を共に終わらせたではありませんか! どうか帰還などという言葉は口に出さずに、このまま王としてアメイジアに君臨していただきたい!」

「不甲斐ない我らに愛想を付かしてお戻りになろうと決意されたのでしょうが、どうかもう一度我らに機会をお与え下さい。至らぬところもございましょうが、我らは誠心誠意全身全霊をもってお仕えする所存であります」

「陛下、我らをお見捨てにならないでください!」

 あちこちで同時に有斗に退位の決断を撤回することを求める声が上がった。

 退位に対して惜しまれる声。それが心からの本音であるか、権力者に対する単なるお追従であるかどうかまでは神ならぬ身の有斗には分からなかったが、例え追従であったとしても有斗は嬉しかった。

 剣を持って追われた四師の乱の時と比べれば、少なくとも慰留の声をかけてくれる程度には朝臣たちも自分を評価してくれていることを実感できたからである。

「ありがとう。だが僕の我侭を許してほしい。僕は重篤な病で、このままでは死んでしまう。助かるには元の世界に帰るしかないんだ。君たちやアメイジアを見捨てて、王という重責を投げ出して逃げ帰るわけじゃないんだ。むしろ僕が命あるうちに、しっかりと確実に次の王、セルウィリアに王位を継承することで、権力の確実で安定的な移行を行っておきたいんだよ。かつて東西の王朝に分裂し、王位をめぐって戦国の世が始まったようなことだけは避けなければならない」

「病に(おか)されていた陛下に気付かずに、政務を続けさせ無理を押し付けていたこと、まことに臣下にあるまじき非礼、お詫び申し上げます。ですが陛下はまだお若い。静養すれば病などいくらでも回復いたしましょう。その後に子を為し、後継者を作られるべきかと思います。退位するといった極論はお考え直し下さい」

 喧騒の中、臣下を代表して朝廷の調整役でもある温厚な右府がこの場を収めようと一歩前に出て有斗にそう提言し腰を折った。

 その右府の言葉に返答したのは有斗ではなかった。

「陛下を呼んだ召喚の儀に失敗があり、陛下はこのままではいずれ衰弱し崩御なさる。しかも正確なことが分からない分、一刻の予断も許されない状況です。御子が成長するまで・・・いや、誕生するまでその命が持つかどうか分からないと申し上げておきます」

 中書令ラヴィーニアがそう言ったことで場は一斉に静まり返った。

 有斗の執務室で有斗と差し向かうときはあれほどまでに傲岸で不遜な顔を見せるラヴィーニアだが、朝会では極めて大人しく、発言も控えがちで、議論も流れに任せ、よほどのことが無い限り議論を主導するようなることをしようとはしない。

 それはただでさえ有斗の懐刀であると見られている中書令が朝会まで主導して、思うが(まま)に権力を振るっていると思われて、他の官吏、とりわけ公卿からの反発を買って議会を空転させないようにというラヴィーニアなりの処世術の一つであるのだ。

 そのラヴィーニアがあえて議論の流れをさえぎってまで発言したことで、ようやく廷臣たちは事態の深刻さを理解したのだ。

「アメイジアにはセルウィリアという立派な後継者もいる。朝廷には君たちのような多くの賢臣もいる。アメイジアを覆いつくしていた戦国の陰惨な瘴気は吹き払われた。もう僕が必要になる事態が起きることなんて決して無いさ」

 有斗は深刻な顔で呆然と立ち尽くす朝臣たちにそう言って笑いかけた。


「王という至尊の地位を惜しげもなく捨てられるなんて・・・本当に陛下は私欲の無いお方です」

 その日の午後、引き継ぎ作業を有斗と行っている中、セルウィリアは半分は感心で、半分は溜息でそう言った。

 王の地位がそれほどいいものかどうかは大いに議論の余地があると有斗などは思うし、それに欲が無いわけでもないんだけどな、と有斗はセルウィリアの胸元にちらちらと遠慮がちに視線を滑らせる。

「陛下、代わりといってはなんですが、欲しい物はございますか?」

「欲しい物?」

 突然の方向転換とも思えるセルウィリアの質問に有斗は戸惑う。言葉の意味は分かるが意図がいまいち分からない。

 もっとも欲しい物ならば有斗には数限りなくあった。具体的に切実なのは睡眠時間である。もっともそれは帰ったらたっぷりと取る予定だった。

「例えば金銀などはどこへ行っても同じだけの価値を有する貴重な物だと思います。あれば何かと便利だと思います。ですから持ち帰られてはいかがでしょうか? あるいは宝石などでもよろしいかもしれません。(かさ)張らなくて持ち運びに不自由しませんし。陛下が元の世界に戻るに当たって、王宮の庫から持ち出されても誰もとがめだてはしないと思います」

 よしんばとがめだてするような臣下がいたとしても、それは脳内では具体的にラヴィーニアの姿が浮かんでいたが、そこは新しい王である自分が何とか上手く話をまとめてみせる、次代の王としてアメイジアに生きる全ての者の有斗に対する感謝の気持ちを表すのだといった使命感みたいなものをセルウィリアは抱いていた。

 宝石などは大きなものは目の玉が飛び出るほどの高額なものだ。金だってグラム数千円はするということを有斗は聞いたことがあった。

 どちらであっても自分の体重分くらい持ち出せば一生遊んで暮らせるかもしれないな、と有斗は思わずセルウィリアの提案に前向きになる。

 だが、ぐらっと私欲によろめきかけた心を有斗は辛うじてここまで(つちか)ってきた王としての精神で支えた。

「いや・・・それはこの世界の人々が税として国家に収めたものが形を変えたものだ。贅沢しろと僕に贈ってくれたものじゃない。僕が持って帰るいわれの無いものだよ」

「ですが・・・! アメイジアに生きる全ての者は陛下に感謝しています。その気持ちと思って受け取ってください。それに国家が所有する富からすれば、その程度の量、ほんのささやかなものです。少しばかり持って帰ったとしても誰も陛下を責めたりはいたしません!」

「いや、国家の為・・・アメイジアに生きる人々の為にそれは使って欲しい。僕が持ち帰れるような金額じゃ大きな事業ができる金額じゃないかもしれないけど、少しであってもきっと何かはできるはず・・・幾人かを救うことができるはずだからさ」

 感謝の気持ちを示そうとした己の手を振り払われたことに戸惑いの顔を浮かべるセルウィリアに、有斗は優しく微笑んだ。

 少しばかり格好をつけすぎた気もするし、手にしたはずのものを考えると随分と惜しい気もしたけれども、それよりも正しいことをしたという清清(すがすが)しい気持ちに有斗は包まれていた。

後記

久しぶりの更新になってしまい申しわけありません!

信長が・・・創造が・・・ゲフンゲフン

ですがもう飽きたので大丈夫です!

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