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紅旭の虹  作者: 宗篤
最終章 天帰の章
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心を捉える二つの檻

 とはいえそこは根がヘタレな有斗である。いきなり面と向かって真正面から告白する勇気はなかなか持てなかった。

 早い話がいきなり告白したはいいが、上手く自分の気持ちを伝えられずに、断れらるだけでなく嫌われて、今の曖昧ではあるがそれなりに心地よい関係が壊れ、結果としてアエネアスを失うことが怖くて、現状から一歩踏み込むことを躊躇(ためら)ったのだ。

 そこでグラウケネから頂いた助言に従い、まずはアエネアスに対して有斗が好意を持っている。いや、好きであるということをそれとなく匂わせることからはじめてみることにした。

 そのような婉曲な手段をとらずとも充分に勝算ある戦いだと考えるグラウケネからしたらお笑いものの手法である。

 これがイスティエアで王師の並み居る将軍たちも尻込みしたカヒの大軍を前にして篭城策でなく城を打って出るという、大博打を打って出たあの王と本当に同一人物かと目を疑いたくなる惨状だった。

 そんなグラウケネの内心など知らない有斗は、グラウケネが呆れながら考えた、そのあまり良策とは言えない提言に喜んで飛びつき実行した。

 まずは積極的に話題を振って声をかけ、有斗もアエネアスに気があることをそれとなく伝え、アエネアスの気を()こうとしたのだ。

 だが突然いつもと違うその行動を向けられた方は、それをそう好意的には(とら)えなかったようである。

「なんなんだ今日の有斗の奴・・・終始ニヤニヤとして私を見つめて・・・いつもにも増して気持ちが悪いぞ・・・」

 アエネアスは有斗が何か悪いものでも食べたのではないかと疑い、厠に向かう間も始終首を振っていた。

 もしかしてどこか自分におかしな場所があるのだろうかと、確認のため庭園に出て、池の水面に移った自分の顔を眺めてみるが、どこにも異常は見られなかった。いつもの自分の顔である。

 いつにない有斗の異常な態度の理由が判明せず、アエネアスが首を捻りながら廊下を一人歩いていると前方から華やかな一団が軽やかな笑い声を立てて近づいてくる。

 セルウィリアが御付の女官たちとともにこちらへ向かって歩いてきたのだ。

 まるで後宮の主でもあるかのような、その傲然(ごうぜん)とした華やかな行進にアエネアスは不快を感じる。

 もっともアエネアスが不快を感じたのはセルウィリアが後宮の主気取りで王城を闊歩(かっぽ)していることではなく、有斗をアエネアスから奪おうとしていることに対してかもしれなかった。

 とはいえこのまま(きびす)を返して進路を変えたのでは、まるでアエネアスがセルウィリアの威勢に負けて逃げ出したかのような気分になる。

下腹にぐっと力を入れて気合を込め、アエネアスは負けずに胸を張って通り過ぎようとした。

 そんなアエネアスの姿を見るとセルウィリアは一歩前に出て、通り過ぎようとするアエネアスの前に立ち塞がった。

「少しお話したいことがあります」

 アエネアスは驚いた。何しろセルウィリアがアエネアスに声をかけたのである。執務室で有斗といる時でさえ、めったにアエネアスに話しかけないセルウィリアが、である。

「・・・私にかぁ?」

 その意外さに思わずアエネアスは言葉の語尾が上擦った。

「はい」

 セルウィリアはアエネアスに頼み込むようにして軽く頭を下げた。セルウィリア付きの女官たちは思わず顔を見合わせる。

 王という誰にも頭を下げる必要の無い存在ではもはやないとはいえ、それでもセルウィリアが有斗以外の人物に頭を下げるのは珍しいことであるからだ。

「わかった。用件は何だ。言ってみろ」

 どことなく(とげ)のある言葉にもセルウィリアは怯まなかった。

「アエネアス()()はわたくしが陛下と話しているとご不快なご様子ですね」

 喧嘩を売るなら買ってやるといった雰囲気の漂う言葉だった。だがアエネアスはこういうことが嫌いな性質(たち)ではない。真っ向勝負というわけか面白い、とアエネアスは闘争心を沸き立たせる。

「言いたいことがあるなら、はっきり言えば?」

 セルウィリアの正面に向き直ると足を肩幅に開いて腕を組んだ。

「わかりました・・・少しお話しましょうか」

「・・・そうだな。それがいいかもしれないな」

 陰でこそこそやるのも、腹に一物溜めておくのもアエネアスの好むところではない。

 互いに洗いざらいぶちまけたほうがすっきりする。それが決定的な結末を迎えるにしても。アエネアスはセルウィリアのその提案に一も二も無く乗ることにする。

「では人気(ひとけ)の無いところに行きましょうか」

 アエネアスの言葉にそう言って頷くと、セルウィリアは背後でおろおろするばかりの女官たちに向かって振り返って告げる。

「貴女たちは付いてこなくていいですわ」

「・・・でも」

 セルウィリア付きの女官たちは顔を見合わせ困惑する。

 もし取っ組み合いの喧嘩にでもなればどうなるかは火を見るよりも明らかだ。戦場で男と五分の戦いを演じるアエネアス相手ではセルウィリアの細腕などでは対抗できるわけが無い。セルウィリアの身が心配なのだ。

「大丈夫です。わたくしのような非力な者に対して一方的に暴力を振るわれる・・・そこまで羽林大将は物の道理が分からぬ女人ではありませんよね?」

 それでもやっぱり少しは怖いのか、セルウィリアはアエネアスに尋ねる形で念を押し言質を取ろうとする。

「当たり前だ。私はそんなに暴力的な女ではないぞ」

 日頃の有斗への態度を棚に上げ、アエネアスは平然とそう言い切った。


 セルウィリアたちは二人無言で並んで歩いて、承香殿の後ろに広がる王宮の裏庭へと向かった。

 后妃のいない今現在、後宮の後ろ半分は未だ無人。承香殿は後宮の端ということになる。そこからも更に人目につきにくい木立の中へと二人は入っていった。ここならば他人に盗み聞きされることも無ければ、多少の騒ぎになっても人目にも付きにくい。

 もっともセルウィリア付きの女官たちが心配して、いざという時のために連れてきた羽林の兵たちと共にこっそりと遠くから監視はされていた。

 セルウィリアはアエネアスに向き直ると意外な一言から会話を始める。

「わたくしは陛下が好き」

 もう少し攻撃的な言葉が飛んでくると身構えていただけに、そのド直球の告白には、さすがのアエネアスも一瞬怯む。

「・・・だろうね。あんなに露骨に(こび)を売ってるのを見れば誰でもわかる。気付いてないのは鈍感なアイツだけだ。いや、気付いているのに気付いていない振りをしているだけかもしれないが。なにしろ女にちやほやされたくてし仕方がないようだからな。まったく発情期の犬猫のようなやつだ」

「それがご不満ですか?」

「不満だね。あいつはあの通り人がいいからお前に注意することすらできない。公務だというのに体をくっつけて媚びるお前にデレデレするあいつの姿を目にした廷臣たちはあいつを軽んじるだろう。淫婦にいいように操られてるってふうにさ」

「わたくしは陛下を操ったりしてない! わたくしはただ少しでも陛下のお役に立ちたい・・・と!」

「お前がどういう考えで動いているかが問題じゃないんだよ。周りがどう見るかを考えろ。きっと有斗がお前に篭絡されているのではと疑うに決まっている。四師の乱で多くの者が反乱に加わり、あれほど大事になったのは、あの腹黒が暗躍したからだけではなく、有斗が新法派に丸め込まれていると思い失望していたからだ。実際はそうであるかは関係ないんだ。そう思われたら王はおしまいなんだ。そうなれば官吏は王の言うことを聞かなくなり、独走を始める。そうなればせっかく築いたこれまでのことも砂上の楼閣のように崩れ去ってしまうんだ。あいつをお前のような王の欠格者にするわけにはいかない」

 王としてできることを行わず、戦国の世を終わらす努力を欠片もしてこなかったという過去は、そのことが有斗を失望させたというだけでなく、多くの人民に苦難を強いる原因にもなっていたことに気付いたセルウィリアにとっては今や痛恨の後悔ごとだ。

 それを知らないアエネアスではあるまいに、あえてそれを持ち出してくる。セルウィリアのもっとも触れられたくない痛いところを突いてくる。

 そのやり口にはセルウィリアといえども腹が立たないわけがない。

「・・・それは、本当に陛下への忠心から出ている言葉ですか?」

 セルウィリアは華奢な見かけと違い、アエネアスに売られた喧嘩に黙って沈黙するなどということは無く反撃を開始する。

「うん? それ意外に何があるっていうんだ?」

「あなたも陛下のことは好きですよね?」

「・・・別に?」

 だけれどもセルウィリアの言葉を聞いてアエネアスの目には一瞬戸惑いの色が浮かんだことをセルウィリアは見逃さなかった。

「それがわたくしが陛下と一緒にいると不快な理由・・・わたくしを目の敵にする本当の理由では?」

「違うと言ってるだろう!」

 アエネアスは図星を突かれたからか、それとも誤解による執拗な口撃に飽き飽きしたのか怒りを露にした。

「で、何よ? 喧嘩なら買うぞ。いっとくがサキノーフの末だとか私には効かないぞ。一切関係ないからな」

 先程の暴力は振るわないと言った誓いをあっさりと打ち捨てて、アエネアスは右のこぶしを握ると、左の手のひらに叩きつける。パシッ、と小気味よい音が鳴り響いた。

 一瞬顔を青ざめさせるセルウィリア。だが、そこで逃げることなく辛うじて踏みとどまる。

「・・・解放してあげて。陛下を解放してあげて欲しいの」

「はぁあ?」

「陛下の心は二人の人物に囚われている。それが陛下が女性に手を出さない理由」

「そうかな? あいつは隙さえあれば始終、侍女の尻とか胸とか見てる気がするが」

「ちゃかさないでください。真面目なお話をしているのですから」

「わかったよ。で、あいつの心が誰に囚われているっていうんだ?」

「一人はセルノアという方、そしてもう一つは貴女よ。セルノアという方はもうこの世にいない、だからどうしようもない。でも人は良くも悪くも昔のことを忘れることができる。だから時が流れれば陛下の悲しみも薄れ行く、きっと心の傷も治る。でも貴女は生きているわ。そして今も陛下の直ぐ傍にいる。貴女を見るたびに陛下はこう思うわ。貴女からアエティウスを奪ってしまった。自分はどうやって償えばいいのだろうってね。それを陛下は引け目に感じている。罪悪感に囚われている。だから貴女が幸せにならない限り自分も幸せにならない、と心に秘めておいでなのだと思うの」

 それに有斗はアエネアスを好いておられるのではないかとセルウィリアは薄々思っていた。

 王たるものがその感情を露にしてはならないということを十分に承知しているのに、有斗が一切壁を作らず話しているのはアエネアスだけだからだ。

 悲しみも喜びも、遠慮せずに一番表しているのはアエネアスに対してだけなのだから。

 アエティウスのことがあるから遠慮して言い出せないけれども。

「その言葉をお前が言うか? 兄様はお前のせいで死んだんだぞ」

 アエネアスは余人はともかくもセルウィリアにだけはアエティウスのことを言われたくなかった。

「それは・・・わかっております。貴女には申し訳ないと思っています。慙愧(ざんき)の念に耐えません。でも・・・それでもあえて言わせて欲しいのです。国家には世継ぎが必要です。そして世継ぎを産むには伴侶が必要です。その為にはこの件は解決しておかなければいけないことなのです。それに陛下はこのアメイジアを平和にする為に粉骨砕身した。本来なら関係ない世界のために必要の無い労苦を背負い込み今も日々苦闘なされています。陛下だって・・・いやそんな陛下だからこそ、一人の人間として幸せになる権利があるとは思いませんか?」

「それはあいつに言うべきだな。とっとと結婚でも何なりして幸せになるといいさ。私は兄様のことであいつを縛り付けているつもりはない。私はもう誰も愛さない。でもそれは私が決めたことだ。あいつには関わりないことだ」

 そう言うとアエネアスはくるりとセルウィリアに背を向けて立ち去ろうとする。

「ずるい、逃げるのですか? そう思うのなら、貴女がそれを陛下に告げるべきよ!」

 足を止めようと叫んでアエネアスの背中に言葉をぶつけるが、アエネアスは一言も言葉を返そうとはしなかった。

「それとも、このあやふやな関係が壊れるのは嫌?」

 その言葉が核心をついていたのか、アエネアスはぴたりと足を止め振り返ると、セルウィリアをじっと見つめる。

「・・・関係ないね」

 それだけ言い放つと再び大股で歩を進め、その場を足早に離れる。


 そう・・・関係ないはずだ。あいつにとって私は・・・少しばかり付き合いの長い、只の・・・只の口の悪い親衛隊長に過ぎないんだから。


「兄様・・・」

 歩きながらアエネアスは口にしたその言葉の響きに愕然とする。

 なんと久しぶりに口に出すことか、と。

 そういえば最近、兄様のことを思い出したことなどなかった。

 しかも思い出させたのは、よりによってその死の原因の一端でもあるセルウィリアの口から発せられた言葉だということが針となってアエネアスの心に鈍く突き刺さる。

 あれほど悲しかったことなのに・・・あれほど敬愛していたのに・・・!

 アエネアスのアエティウスへの感謝と敬愛と親愛と思慕の情は決して嘘偽りなどではなかったはずなのに・・・!

 まるでアエティウスの存在など無かったかのように自分が浮かれた日々を過ごしていたことに気付き、アエネアスの心は千々に乱れた。

 ただただアエティウスに対して申し訳が無い、とアエネアスはそれだけを深く思った。


 わたしは・・・

 わたしは・・・・・・!


「解放・・・するのは私の役目なのかな・・・」

 アエネアスは天を見上げ、そう呟いた。

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