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紅旭の虹  作者: 宗篤
最終章 天帰の章
392/417

子供騙し

「ここで言うのは、あまり・・・少しばかり他聞をはばかる話でありますし」

 そう言うとラヴィーニアは顎で有斗に後ろにある執務室外の廊下を指し示した。

 さすがに王の執務室に対して覗き込むような不届き者はいなかったが、騒ぎを聞きつけた女官や羽林の兵が来たのであろうか、廊下に大勢の人間が集まっている気配がする。

「わかった。場所を移動しよう。どこでならば話しても良いっていいんだ」

「そうですね・・・後宮の裏にある庭園へ参りましょうか」

 たしかに承香殿(しょうこうでん)より奥の殿舎は未だに倉庫としてだけしか用いられておらず、間には中庭が存在することもあいまって、まったくといっていいほど人気(ひとけ)が無い。密談をするにはもってこいであろう。

 だが、ここでだって人払いを行えば、十分に機密は守られるはずだ。

 有斗はふとそのことを思いついて、ラヴィーニアの言動を不思議に思ったが、なんだかんだ言ってここは内裏でも表側、声や騒ぎは内裏の外に漏れるし、人の出入りも激しく、秘密の話を行うのは向いていないかもしれないと思い直す。

 王を辞めることを決意したのだから、秘密が漏れようが、王の権威に都合が悪かろうが、そんなことは私人である有斗には一切係わり合いがないことで、もはや気にする必要はないはずなのだが、長い王様生活の末に、そういったことには極力、注意を払うといった習慣が身についていた。

 極めて生真面目な性格だからというよりは、有斗が基本、貧乏性なのであろう。

 承香殿までやってくると、そこでアエネアスはそこまでついてきた羽林の兵たちに庭園に入る全ての門を封鎖し守るように厳命して、確実に余人をシャットアウトする。

「さあ、ついたぞ。ここなら邪魔は入らない。弁明とやらを好きなだけしてみればいい。僕の信頼を裏切り、騙まし討ち同然の卑怯な方法でアリスディアの命を奪ったことを、僕にもっともらしく納得させられると思っているのならばな」

 話の内容によっては、というよりは何を話そうが、有斗はラヴィーニアを殺して、ついでに王を辞めるつもりだったのだが、ラヴィーニアに弁明とやらの機会だけは与えることにした。

 殺しても憎み足りない存在ではあるが、ここまでの有斗の天下統一に対して功績があったこともまた事実だ。その功績に免じて、最期に言い訳の機会を求めるというのならば、それだけは与えてやろうといった心積もりだったのだ。一寸の慈悲のつもりだった。

 敵意を剥き出しにして隠そうともしない有斗に対して、ラヴィーニアは一言も発せずに怪我で痛みの走る右手を手のひらを向けて、そっと前へと突き出した。

 どうやら後ろを見ろということらしい。

 有斗はしぶしぶ後方を振り返った。

 そこには二つの人物が逆光の中、影となって立っていた。大きな影と小柄な影、鎧を来た屈強そうな影とすっぽりと頭から編み笠を被った華奢な影。

 ラヴィーニアとグラウケネとアエネアス他、僅かな人数以外の出入りを禁止したはずなのに、そこに人影がいることに有斗は大いに不審を覚えた。

 鎧を着た屈強な男には大いに見覚えがあった。アリスディアを刺殺した張本人、アクトール・バイオスである。

 アクトールは朝廷の(のり)にしたがって、ラヴィーニアの命に従い、アリスディアに刑を執行しただけである。それは有斗とて分かっている。

 だからラヴィーニアのように王を辞める前に必ず殺してやるとまでは思わなかった。

 そこに怒りをぶつけるような小人にまで、有斗は落ちぶれてはいない。もちろん、内心では大いに怒っていて、顔も見たくはないというのが本音ではあるが。

 その横にいる編み笠を被った小汚い華奢な影が誰であるかは有斗は皆目見当がつかなかった。姿形から女性であることが辛うじて判別できるくらいだった。

 ・・・教団の関係者かなにかであるのかもしれないと有斗はふと思いつく。

 教団でアリスディアが果たしてきた役割を彼女の口から話させることによって、有斗に処刑は妥当だったとの判断をさせようということかもしれない。

 だが、アリスディアを処刑して、反論する口を封じてから一方的に話を行うやり方は汚いと断じざるを得ない。

 そもそもラヴィーニアの口からではなく、この二人の口からアリスディアを処刑することの是非を話させようというやり方も汚いのだ。もちろん、その方が有斗がより冷静に考えられるであろうという判断があることは分からないでもないけれども。

 だが有斗のそんな考えとは違い、その二人もラヴィーニアと同じく口を開こうとはしなかった。

 ただ女のほうが王の御前で編み笠を被ったままでは非礼に当たるとでも思ったのか、顎に手を当てて編み笠を外し始めただけであった。


「あ・・・!!!」

 深く被った編み笠を外すと、そこによく見知った、綺麗な卵形のなだらかな曲線を描いた顎が現れる。

 有斗は大きく目を見開く。

 そこに現れたのは処刑されたはずの・・・死んだはずのアリスディアの顔だった。

「え・・・? アリスディア・・・!!? 死んだんじゃ・・・!!?」

 生きている。確かにアクトールの槍で絶命させられたその姿をこの目で見たのに・・・!

 替え玉・・・!? いや、そんなはずはない。あれは確かにアリスディアだった。どこからどう見てもアリスディア以外には見えなかった。腹部を刺されて内臓を切り刻まれ、最後は心臓への一突きで完全に絶命したのをこの目で見たのだ。

 有斗はいったい何が起きたのか理解できず、完全にパニックを起こしていた。

「ビックリなされました?」

 うろたえ、動転する有斗にアリスディアは笑った。それは教室の入り口に仕掛けた黒板消しのトラップに教師がまんまと引っかかった時に悪戯好きの生徒が見せるような笑いだった。

「で、でも、槍で突き刺されて死んだんじゃあ・・・だってアクトールが槍で腹を突き破ったところを僕は見たよ!?」

「腹の下に動物の内臓と血の入った袋を入れて、それをバイオス卿が槍で突き破って、出血したように見せかけたんです」

 アリスディアは笑って腹を(さす)りながら、怪我の無いことをアピールする。

「え・・・でもアリスディアの体がくの字になるほど槍が体深く刺さって・・・」

 槍は表面を切り裂いただけじゃなく、根元まで深々と体に食い込んで、アリスディアの体をくの字を描くくらい曲げさせたはずだ。あれで無事なわけがない。

 不思議に思った有斗がアクトールの方に向き直ると、アクトールは笑いながら槍の柄の中程を握ると右手をくるっと回転させた。

 すると回転しながら槍の穂先がするすると柄の中に入っていった。

「え・・・? まさかみんなで共謀して僕を(だま)した・・・?」

「騙したとは人聞きの悪い」

 ラヴィーニアが不満そうに抗弁した。

「陛下がなんとかアリスディアの命を助ける方法がないかと私に全権を(ゆだ)ねたのではないのですか? もうお忘れですか?」

「でも・・・何故、こんな手の込んだことを・・・何故!?」

「王の望むことを万民に王を失望させること無く、更には王の権威を傷つけることなく実行する。それこそが官吏のあるべき姿でありますので」

 そう言うと華麗にお辞儀するラヴィーニアを、有斗はまだぽかんと口を開けたマヌケな表情のまま呆然と見つめるだけしかできなかった。

 それを見てアクトールも、アリスディアも、グラウケネも笑った。アエネアスまでもが笑う。皆、裏の真実を知っていて、間抜けにも踊らされた有斗を笑ったのだ。途端に有斗はアリスディアが無事だった喜びよりも、自分だけを除け者にして物事が進められたことに猛烈に腹が立ってきた。

「・・・でも僕に黙ってやるなんて酷いよ! 僕がどれほどアリスディアが死んだと思って心を痛めたか! 少しくらい教えてくれたっていいじゃないか!!」

「陛下とアリスディアとの間には余人には絶ちがたい絆がある。百官いずれも知っています。陛下があそこまで錯乱してくれたから、誰もが本当に死んだと思ったのです。もし陛下がアリスディアが処刑されるのに平然としていたら、どう見ても怪しまれるではないですか」

「おまえは嘘をつくのが下手だからな」

 そう言うアエネアスだって演技は巧くないじゃないか、と有斗は反論したい気分になった。

 今、考えるとアリスディアが処刑されるというのにアエネアスは酷く落ち着いていた。あんな態度はありえない。アエネアスは誰よりも情熱の(ひと)なのだ。

 自らの立場も、朝廷の威信も何もかも考えず、アリスディアの命を救うために、たった一人でアクトールと王師を相手にして切りかかっていく。それこそがアエネアスが本来なら取る行動なのだから。

 だが、そのことに一寸も思いも至らなかった。自分の馬鹿さ加減に有斗はほとほと呆れ果てた。

「これも計略です。子供だましですがね。・・・それなのに止めようとするのはまだしも、あたしの手を思いっきり噛んでくれちゃって」

 ラヴィーニアは包帯に巻かれた指をことさら有斗に見せ付けるように前に突き出した。

 包帯には大きく血がにじんでいた。そういえば先程からまったく指を曲げない。力いっぱい噛んだし、実は大怪我なのかもしれなかった。

「あ~あ、傷が残るなコレは」

「え・・・?」

「あたしに教団幹部の件についての後始末を任せられたのは陛下です。それともあたしをまだ信用してなかったんですか?」

「ご・・・ごめん! ・・・本当にゴメン!」

「いいんです。どうせあたしはいつもそういう損な役回りですからね」

 そんな扱いには慣れているとばかりにラヴィーニアはそっぽを向いてため息をついた。

「それに・・・これも絆です」

 ラヴィーニアは包帯を巻かれた左手を右手で包むように愛おしそうに触れる。

「ん?」

 有斗はラヴィーニアの言葉の意味がわからず、ぽかんと口を開けた。

「・・・・・・なんでもありません」


 ラヴィーニアの不思議な言動に首を捻りつつも、有斗はアリスディアの側に駆け寄った。

「でも・・・でも、何はともあれ生きていてくれて本当に良かった!!」

 有斗は嬉しさのあまり、思わずアリスディアの体を引き寄せ、強く抱きしめる。

「陛下・・・」

 アリスディアは有斗のその思いもがけない行動に顔を真っ赤にさせて(うつむ)いた。

 有斗はいつまで経ってもアリスディアを放そうとしなかった。それ程、アリスディアが生きていたことが嬉しかったのだ。

 その有斗にアリスディアが小さく抗議の声を上げる。

「陛下、痛いです」

 嬉しさのあまりに力加減を間違えていたようだ。有斗は慌てて両手を離してアリスディアを解放する。

「ご、ごめん。あまりにも嬉しくって、つい・・・痛かった? ごめんね」

「いえ、大丈夫です。それに私が痛いからというよりも、どちらかというと陛下ご自身の為に離れられたほうが良いような・・・」

 と言ってちらちらとアリスディアは有斗の左後ろを覗き見た。何がおかしいのか分からないが少し笑みが口元に見られた。

「有斗、どさくさに紛れて何を破廉恥なことをしている! アリスに触れるんじゃないッ!!」

 罵声に驚いた有斗が振り返ると、アエネアスが顔を真っ赤にして有斗に怒りを向けていた。

 再び、その場に明るい笑い声が響き渡った。


「これからアリスディアはどうなるの?」

 命は助かったものの、このままではアリスディアには居場所が無いのではないかと有斗は不安に思った。

「アリスディアには速やかに宮廷を出てもらわなければいけません。後宮では人目があります。いつまでも隠し通せませんからね。出来るだけ知っている人のいない遠くに行ってもらわねばなりません。なにせこの顔です。顔見知りに会えば、すぐばれてしまいます。教団の勢力の及ばなかった関西の僻地に行ってもらい、そこで元流人として屯田法に基づき新たな戸籍と田畑を支給することを考えております。名を変え、身分を隠し、ひっそりと余生を過ごしてもらうことになるでしょう」

 だがそこはラヴィーニア。今後のこともちゃんと考えてくれていた。実に頼りになる中書令だな、と先程まで八つ裂きにしようと考えていたことなど都合よく忘却の彼方へ追いやって、有斗はラヴィーニアのことを手放しで賞賛していた。

 だがそれはそれで寂しいものがある。王という身では僻地にいる人に会いに行くなどきっと出来ない相談だろう。

「・・・そうか」

 確かに王宮だけでなく王都の中に、いや、南部や畿内にいたら、いつその正体がばれて大騒ぎにならないとも限らない。

 これで二度と会えないと思うと有斗の心に寂しさが広がる。でも死んでしまった場合を考えれば、生きているだけで十分ではないかと思い直す。

 会えなくても、どこかで幸せに暮らしてくれるならば、それだけで十分ではないか。

「そ、そうだ!」

 有斗は自分がいいものを持っていたことを思い出して、慌てて懐に手を入れる。

「これ路銀にしてよ。少ないけれども」

 懐から取り出したのは財布だった。遠慮を見せるアリスディアに無理に押し付けるようにして手渡した。

 それは有斗が気晴らしの買い食いに使うお金だった。王を辞めて出て行くに当たって当座の生活資金が必要だろうと思って、執務室にあったものを懐に入れておいたものだ。

「ありがとうございます」

「もっとあればよかったんだけど・・・王様って言っても自由に使えるお金は少ないんだ。僕が何かを買うからお金を出してくれと頼んでも、節部の連中は何に使うんだ、それは本当に必要なものなのかってしつこいし、中書を通して正式な書類を出すか、少なくとも太政官の誰かを通してくれないと一文たりとも出せないとまでいつも言うんだよ」

「ふふふ、そうですね。それが決まりですもの」

 後宮の主であるアリスディアはもちろんそんな有斗の事情もよく理解している。と同時に、言葉とは裏腹に随分と重量感のあることが気になった。そっと袋の口を開けてみる。

「まぁ・・・」

 袋の中身を見てアリスディアは目を丸くした。そこにはアリスディアが想像もしていないほどのお金が入っていた。といっても一人の人間が何年間も働かずに暮らしていけるほどの大金ではさすがになかったが。

「これだけ貯めるのも大変だったでしょうに・・・宮中ではラヴィーニアが、後宮では私が見張っておりましたもの」

「そうなんだよ。実はね、僕の身の回りの品って僕の部屋に直接納入されるでしょ? あの納入業者と結託して水増し請求しておいて、お金を一部、僕の納入品のなかに入れてもらってたんだ」

 完全な違法行為、いわゆるキックバックである。臣下がそれをやったのがばれたら、間違いなく横領罪で牢獄行きだ。

「それは聞き捨てなりませんね。明日さっそく調査いたします」

 いかめつらしい顔を作ってラヴィーニアが宣言した。

「え、それは困る・・・街に出たとき、お菓子を買う金がなくなるじゃないか」

 有斗の狼狽ぶりに皆が顔を見合わせふきだした。明るい笑い顔が皆の顔に浮かんだ。それはかつてよく見た光景。そう、それは教団の乱が起きる前の有斗の執務室に溢れていた笑いだった。

 それは今も昔も変わらないものがあることを有斗に気付かせてくれた。

 アリスディアは今もやっぱり、有斗たちの仲間のアリスディアだったのだ。

 そのことに気付いた幸福感に包まれている有斗にアリスディアが声をかける。

「陛下・・・少しだけお話良いですか?」

「あ・・・うん」

 有斗の手を掴むと中庭を歩き出した。慌ててアエネアスが二歩遅れて続く。

 それを見るとアリスディアはアエネアスのほうに向き直った。

「アエネアス」

「なんだ?」

「お願い。陛下と二人きりにさせてくれないかしら」

 アリスディアの頼みならば何であろうと聞いてあげたいところであったが、アエネアスはそれは聞けない相談だった。

 万が一、アリスディアの心がまだ教団に囚われていて、有斗の殺害を企てていないとは限らないのだ。

「・・・だめだ」

「少しだけ離れてくれればいいから・・・陛下と二人で話しがしたいの」

 両手を合わせて、困ったように両眉を下げる。

 本当に心の底からの願いがある時にするアリスディアのその表情、長い付き合いでも数えるほどしか見たことが無いその表情にアエネアスは逆らうことが出来なかった。

「ね?」

「・・・」

 引き下がらないアリスディアにアエネアスはしぶしぶ妥協案を提示する。

「五歩下がる。それ以上はダメだ。私の剣が届かぬからな」

「ありがとうアエネアス」

 アリスディアはアエネアスが最大限譲歩するという配慮をしてくれたことに感謝して笑みを返した。


 有斗の手を引いたアリスディアは、中庭の丁度中央にある噴水まで来ると、そこで立ち止まる。

「陛下、この噴水覚えてますか?」

「・・・あれは舞踏会の時だったかな。君と月を見ていたことがある」

「ええ」

「確か、君は月を見て、自分の人生にも月のように輝く何かが訪れるのではないかと子供のころに思った、と言ったよね」

「嬉しい・・・覚えていてくださった」

「そして君はそれを見つけたと言った・・・それは・・・もしかして?」

 有斗の問いにアリスディアは悲しげに答えた。

「ええ、教団です」

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