王都への帰還
だけど心配なことは他にもある。
・・・僕はちゃんと政治をすることができるのだろうか?
新法の時のようにまた多くの人たちに不満を抱かせるだけの結果しかもたらさないのではないだろうか。王都に近づくにつれ、そんな不安ばかり心に浮かんでくる。
「ねえ、アエティウス」
有斗はそんなある日、アエティウスに訊ねてみた。
「政治って結局なんなんだろう?」
「・・・そこからかよ」
アエネアスが横から口を挟む。
「そういうアエネアスは知ってるの?」
「え・・・ええ!? 私か? も、もちろん知っているとも! 馬鹿にするな!」
怪しいなぁ・・・なんで口ごもるんだよ。信じられないぞ。
「じゃあ、僕にちょっと教えてみてよ」
「そ、そうだな・・・」
と言ったきり口をつぐんだ。明らかに今考えてるのが透けて見える。
「そりゃあ、まぁ、アレだ。王は民を慈しみ、臣下を厳しく監督し、法と秩序を保って社会をよりよきものにする、じゃないかな」
へえ・・・思ったよりまともな答えだ。たぶん頭の中にあった、どっかで読んだ本かなんかから引っ張ってきたのだろうけど。
「違うさ。それは学者が説く理想の姿。空論だね」
アエティウスが否定した。
「え、違うの?」
「政治ってのはこういうことです」
と、テーブルに置かれていた、地元の長老が差し入れてくれたリンゴをひとつ手に取り、そして4つに割った。
「さて、このリンゴを三人で分けるにはどうしたらいいと思われますか?」
有斗はそんなにお腹が減っていなかった。
「・・いいよ、僕は遠慮するからアエネアスとアエティウスで食べてよ」
有斗がそう言うとアエティウスが苦笑した。
「そう言われると困るな。とりあえず、ふりだけでいいですから、欲しがってることにしてもらえませんか?」
「あ・・・これも説明なんだね。わかった」
リンゴを見ると考えるまでもない。小学生でも出来る分数の問題だ。
「だとすると・・・そのうちの一個を更に三つに割って三人が一つずつ貰うってのが普通じゃないかな?」
それが誰からも文句がでない方法だと思う。
「そうですね。何も条件がない場合はそれでよろしいと思います」
「条件があるときとは?」
「例えばこのリンゴを切ったのは私です。だから私には他の人よりより多くリンゴを食べる権利があると言い出したとすると?」
「いや・・・わかるけどさ、たかが切ったくらいでそんなに権利を主張されても」
アエティウスの出した例はあまりにもおかしかったので、有斗は笑いをこらえるのに必死だった。
「じゃあ例えばこのリンゴの所有者がアエネアスであった場合はどうです?アエネアスがリンゴを私たちより多く欲しがった場合は?」
「え・・・兄様、まさか私がそんな食い意地の張った意地汚い女だと思っていたのですか?」
「例えの話だよ。例えの」
「ああ、よかった」
アエティウスの前では本当にアエネアスは大人しいよな。まるで借りてきた猫みたいだ。有斗の前では獰猛な虎みたいだけれど。
「話の腰を折られた格好になりましたが、その場合だとアエネアスが言うことはどうだと思われますか?」
「うん・・・そうだね。リンゴの持ち主だとすると僕等は分けてもらってるのだから、アエネアスが半分で僕等が四分の一でもしかたないかな」
「そう、そこなのです。各人のそれぞれの理由を聞き、全員が納得できるように調整する。それが政治です」
「え・・・でもさリンゴを他人にあげたくない人や、逆に全部欲しがる人が出た時はもめるんじゃないの?」
あるいはリンゴと違って分割できないものだって世の中にはあるだろう。
「そのとおり」
「ある人には説得で、またある人には法律をもって従ってもらう、どうしても調整がつかなければ武力をもって言うことを聞かせる。硬軟使い分けることにより、社会にあるあらゆるものを国や民に再分配する。それが政治です」
「え・・・そうなの?」
「政治とは単になる利益調停であるに過ぎない。例えば陛下が制定した新法を思い出してください。あれも政治のひとつですよね? 実施にあたって各種の問題を起こしたことは事実ですが、基本理念だけを考えてみればいいのです。例えば冗官の整理、あれは必要のない官吏を国庫の負担になるからという理由で廃止する法律です。つまり冗官である官吏から職を取り上げ、国庫に予算と言う形で再配分する。そういうことではなかったですか?」
「ああ・・・そう言われれば、確かにそうかも」
「貧民の救済とかも同じです。国が持つ予算と言う名の金を取り出し、飢えた貧民たちの食料の給付、耕作地の分配などとして再配分する。そうではありませんでしたか?」
「うん。その通りだ」
そうか政治とは確かにアエティウスの言うとおりだ。
「政治と言うものはわかったけど、いい政治って一体なんなんだろう・・・」
「誰もが平等に犠牲を払い、そして誰もが平等に利益を受け取ることでしょうね」
言葉で言うと簡単なことだけど・・・
「なんか・・・難しいね。誰かが納得しても、他の人が納得しないこともあるだろうし」
「それはそうですよ。古代から王たちはそれを探し続けたけれども、誰一人その答えを見つけることは出来なかった。そしてきっと未来永劫、我々人間は答えを探し続ける・・・それが政治ってものですよ」
そうか・・・あいまいだけど何となく分かった。
きっと、それは誰かに教えてもらうものじゃないのだろう。アエティウスの考えが間違っているというわけじゃない。アエティウスの言は正しい。だけどアエティウスの言だけが全てであるというわけじゃない気がする。
それは有斗がきっと王である間ずっと考え、捜し求めなきゃいけないことなのだ。
それが王として他を統治する者に課せられた使命というものなのだろう。有斗はそう思った。
一週間後、王都にようやく到着する。抵抗はない。
はやばやと朝臣たちからは王の寛大な慈悲を願うとの書簡が山ほど送られて、有斗を苦笑させた。
朝臣はどうやら自分たちの命が助かれば、王都に住む市民などは、どうなってもいいらしい。
とはいえ叛乱の首謀者は全員死んだ。官僚が全て朝廷からいなくなると国家は立ち行かなくなるし、有斗が生まれ変わったということを示すためにも、そうするべきだとのアリアボネの意見を思い出した。
だから結局、その虫のいい要求を有斗は認めることにした。
王都には軍隊は凱旋式以外は入れないのが慣例。
だが南部諸侯には勝ったのだから、勝利者として凱旋式のように派手に入場したいとの意見が多々あった。
南部諸侯は中央の朝廷に対して勝ったということを、王都の住人や故郷の人たちに見せ付けたいのだ。
それは南部で生まれたもの全ての悲願。四百有余年にわたる憎しみと悲しみを晴らしたいのだ。
しかしアリアボネは市民を刺激するのは良くないとそれに反対した。だけど羽林、金吾、武衛の兵がどうでるかわからない以上、護衛の為にも兵は必要だとのアエティウスの意見も頷ける内容である。そこで南部諸候から千名ほど精鋭を選び、入城することになった。
なるべく王都に住む市民に脅威を与えぬようにして、南部諸侯も満足させる道はこれしかない。
ようはこういうことなんだろうな・・・政治って。それぞれの意見を聞き、落としどころを探る、それが政治。
凱旋将軍みたいに有斗たちは街路をゆっくりと王城へ向けて歩を進める。
市民たちは皆不安げな顔で有斗のことを見上げていた。
無理もない。有斗は叛乱を起こされた王である。政治手腕は拙いと思われているのだろう。
また、叛乱を起こされたことを恨みに思って、有斗が朝廷を粛清し混乱を招くのではとも思っているだろう。
これからどうなって行くのか、きっと皆、不安だけを持っているに違いない。
そういった民を相手に政治をしていくのは、きっと根気のいる作業なんだろうな、と有斗は心の中でそっと溜め息をついた。
王城の表門。
そこまでたどり着いた有斗は、もう一刻も早く、あの部屋に向かいたい気持ちで一杯で、馬が止まるよりも前に馬車から降りて走り出していた。
「おい、まてよ。まだ歯向かう者だっているかもしれないんだから、うかつに私から離れるな」
そうアエネアスが有斗を押しとどめようとしたらしいが、既に走り出していた有斗の耳には届かなかった。
有斗の足は一目散にあの場所に向かっていた。
気だけが前へ前へと進んでいく、足が追いつかない。
朝殿の横の天子門をくぐり、右近陣座の横の回廊を奥へ進み、内宮の門を抜け後涼殿、清涼殿を抜ける。
ほんのわずかの間しかいなかったのに、体は正確に道順を覚えていた。
有斗を見て後宮の女官は一斉に叩頭する。
見知った顔もあり、見知らぬ顔もあった。あの時、裏切った顔もきっとあっただろう。
だが今はそんなことはどうでもよかった。
ただただ、心が急いていた。
そして終に探していた扉を見つけた。
偶然通りかかった女官が慌てて開けようとするが、有斗はそれすらも待ちきれなく自分で扉を押し開けた。
そこは・・・廃墟だった。
兵火に荒らされ、壊れ、炭と化し、壁は崩れ落ちていた。カーテンやカーペットは燃えて灰になり、ごく一部だけがかろうじて部屋の隅に残っている。飾られていた絵や調度品は持ち去られたのか、何一つ残っていなかった。ただ煤ですっかり汚れていたが、あの大きい机だけはいつもの位置に鎮座していた。
それ以外の往時の面影は一切無かった。
「・・・・・・」
有斗はずっと思っていた。
そこにセルノアとの思い出の一旦でもあるのではないかと思っていたのだ。
だがそこにはもう何もなかった。
有斗は失ったものの大きさをまた思い知った。
もうこの城にもセルノアという女がいたしるしは残ってない・・・
有斗はそのことが凄く、そう凄く悲しかった。
「・・・お前の部屋か?」
ふと気がつくと、アエネアスが後ろに立っていた。
「・・・うん」
王の執務室、そして有斗の居室だった・・・
「これが僕のしたことの結果さ」
その言葉に対するアエネアスの言葉は辛辣だ。
「ざまぁないな」
「・・・そうだね」
いつのまにかアリスディア、アリアボネ、アエティウスもこの部屋に勢ぞろいしていた。
皆、走ってきたのか息が荒い。
「これが僕の正体さ。かって絢爛と輝いていた王室、今は廃墟」
有斗はなかばやけになったように両手を広げて自虐する言葉を吐く。
「伝説の王として呼び出され、その後、捨てられた空っぽの僕と同じさ」
「悔いているのでしょう?」
アエティウスが有斗の肩に手を置いた。
「ここからはじめればいいのです。壊れたものは直せばいい。無くしたものはまた作ればいい」
「・・・僕に出来るかな」
ここまで来ても有斗には迷いがある。昔の有斗は新法派を盲信していた。寄りかかっていた。それと同じように、南部の諸候を今の有斗は重用しているだけじゃないか、アエティウスやアリアボネに寄りかかることで、精神的に依存しているだけなんじゃないかって。
結局、自分は何かに依存しないと王としてやっていけない、そういう王の資格のなどない人間じゃないのかって。
そして、いつかまた間違いを犯して反乱を起こされるのではないだろうか、と。
そう、たまに考えることがある。
「やれやれ、椅子ひとつ探すのに、こんなに手間取るなんて」
アエネアスが壊れていない椅子を隣の部屋から引っ張り出すと、アリアボネに座るよう薦めた。
「この部屋を綺麗にするのは、空から始めるよりも困難だな」
アエネアスは呆れながら、周りを見てつぶやく。
そうマイナスからの出発だ。
「だけど不可能なことじゃない」
そのアエティウスの励ましに、アエネアスが珍しく僕を勇気付けるように言った。
「やってみる価値はあるぞ。お前にしかできないことだ」
「・・・うん」
そう有斗には傍に居てくれる人がいる。励ましてくれ、こんな人間でも期待してくれる人がいる。
そうさ、こんなに嬉しいことはない。
彼等と一緒なら、自分のようなヘタレにでも何かできるんじゃないかって、有斗にはそう思えた。
自分たちの前途には眩いばかりの未来がある。そう信じていた。
その時の有斗は前だけを見つめ、遥か高い天空だけを見上げていたのだ。
きっと、ここにいる人たちと偉大なことを成し遂げて見せる。あてどのない期待に、ただ胸を膨らませていた。
有斗はまだ何かを得ることが、何かを失うことであるということだとは知らなかった。
まだ本当に失うことの悲しみを知らなかった。
そう、幸せな夢のような時間の中にいるということに、有斗はその時は気付きもしなかった。
[第二章 完]
有斗は叛乱を起こした四臣を退け、玉座へと復する。いよいよ飾り物の王から本物の王への第一歩を踏み出したのだ。
だがその動きを苦々しく思う男たちがアメイジアには存在していた。
人並み外れて成功するということは素晴らしいことだ。だがそれは同時に他人から嫉妬と反感を買うことでもあるのである。
彼らは結託し、裏で繋がり有斗の追い落としを画策する。
次回 第三章 驚天の章
有斗は果たして彼らが有斗の周りに張り巡らした巨大な鎖を打ち破ることが出来るのであろうか?