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紅旭の虹  作者: 宗篤
第九章 疾駆の章
386/417

枉(ま)げられぬ思い

 今や逆風が敗色を彼らの頬に叩きつけていた。

「どうやらダメだったようだな」

 ディスケスは小さく呟く。

 先程までは一塊になっては落ち延びてくる部隊があった。

 柵から部隊を繰り出しては、その兵たちが逃げ延びる時間を稼いでやるたびに手勢は何十人かづつ数を減らしていた。

 だが、その姿ももうどこにも見当たらなかった。

 もはや柵の外は全てが敵だった。味方の旗は一枚もなかった。バルカの旗もカヒの旗も教団の旗も。味方の旗はすべて地に伏せ踏みにじられていた。


 だが、


 ディスケスは背後を振り返り、そこに確かに存在する九曜巴の大旌旗(せいき)を仰ぎ見てにこりと微笑んだ。


 だがオーギューガの旗だけは、まだ戦場に隆々とはためいている。


 デウカリオ隊を(ほふ)り、その後バルカ隊を片付けた王師の諸隊はいまや残された最後の獲物、すなわちディスケス隊に襲い掛かっていた。もはや視界に入るものは全て敵だった。五段に構えた柵はところどころ破壊され、敵に突破されてはそれを追い出すという一進一退の攻防が繰り広げられ、時間と共にディスケスの陣営地は縮小を余儀なくされていた。

 ディスケス隊は正面だけでなく側面からも攻撃を受け、今や隠すことの出来ない劣勢に立たされていた。

 背後に位置するカレア隊の残存部隊も激しい攻撃を受けていた。壊滅するのも時間の問題、いくら歯を食いしばろうとも耐えられない極限の苦戦に追いやられていた。

 が、全ての柵の内側、本営にまで足を踏み入れた敵兵は一人もいない。

 ディスケスはそれが満足だった。

 万余の軍に囲まれ、味方が全て壊滅してもなお最後まで戦場に踏みとどまる。これで武人としての面目も立ったのだ。

 オーギューガの力を天下に示すことが出来たのだ。

 眼前を埋め尽くす敵兵はまさに数の暴力、どこまでいっても途切れることはなかった。

 ベルビオの一角獣、ステロベの三つ首竜、そしてあれに見えるのは陥陣営の旗か。ディスケスは戦場を埋める色取り取りの旗を目を細めて眺める。

 不敗のガニメデの旗はいつもと違って乱れていたが、それもある。

 そして自分が無意識のうちに探していたものをようやく発見した。王の御座所をあらわす王旗。

 戦場に勢いよく(なび)(りゅう)の姿は王の健在を表している。それを確認してディスケスはそっと溜息を漏らした。

 やはりバルカでも届かなかったか。

 王師が立ち直ったことから、うすうすは感じてはいたが。

 だが、とディスケスは思う。

 たとえ失敗に終ったとしても、乱世を終わらした偉大な王の大軍と互角に渡り合い、一度(ひとたび)はそれを完全に押し返し、王に冷や汗をかかせたという事実は天地が滅びぬ限り未来永劫残るのだ。

 それでよいではないか。

 そう、それで十分だ。

 あとは死に方の問題だけだった。

 華々しく死にたいな、とディスケスは思った。

 このまま敵に囲まれて兵力をすり減らしていって襤褸(らんる)のようになって、気がつけば全滅していた、などといった消極的な死は性にあわない。

 もちろん逃亡や降伏などもってのほかだった。

 そう、打って出る。

「龍旗を揚げよ!」

 その言葉に周りを固めていた元オーギューガの家臣たちは一斉にざわめく。

 と同時にオーギューガの家臣でない者たちにもざわめきは広がった。

 その意味は戦に関わるものならば誰も知っているのだ。

 龍旗は戦国最強を(うた)われるオーギューガ家の象徴、魂の結晶。その旗が振られるとき、最後の一兵までが死ぬか、勝利するまで後退することは許されない。ただ前へ前へと突き進む。

 長い戦国を通じて五たびしか揚げられなかったという絶対無二の旗。

 重い荷物だったが持ってきてよかったと、ディスケスは心から思った。

 オーギューガの一門衆でもない、一武将にすぎない自分がオーギューガ家の旗を、それも龍旗を掲げることは不敬に当たるかもしれないが、戦国の最後を彩るこの大戦にオーギューガの魂であるこの旗がなかったとしたら、それこそ死んで先君にあわせる顔がない。

「これより死に戦に取り掛かる」

 再び、どよめきが男たちの上に降りかかった。

「手傷を負って引き上げた者も、まだ安全な場所まで落ち延びてはなかろう。彼らが落ち延びる時間を作ってやりたい。またこの中にも命が惜しくなったものもおろう。そういった者達はすぐに去ってくれてかまわない」

 ディスケスは死出の旅に行くという重苦しい雰囲気を振り払うかのように、大きく笑みを浮かべ、目を輝かせて力強く演説した。

「だがもし、もしもだ、晴れの戦場で討ち死にたいものがあればついてくるがいい。龍旗の眼前で前を向いて死のうではないか!」

 (とき)の声をあげて男たちは真っ黒な塊になって敵勢の中に駆け込んだ。

 オーギューガの旧臣だけでなく、その時までディスケス隊に残っていた大多数が龍旗に続いたという。

 その中にはデウカリオ隊やバルカ隊の残余の兵もいた。あの激戦を戦い抜き、せっかく生き延びたというのに、再び死地に向かっていこうというなどとは、実に物好きな連中だ、とディスケスは笑った。

 最初の激突は後の世に語り継がれる熾烈(しれつ)さだった。

 ディスケス隊は僅か十分で二百を超える兵を失ったが、王師はなんとこの一撃で四桁の死者を出し、百間(約百八十メートル)に渡って捲くり返された。

 勝ちに意気上がり、数に物を言わせて殺到していた王師の兵が、敗北を免れることのできぬ僅かな敵に押され返されたのである。

 それでも数に物を言わせた王師は左右からも槍を突き入れるが、そのたびにディスケス隊は幾度も手痛い反撃をし、百単位で死屍を積み上げる。

 ディスケス隊は万余の包囲をものともせず、体に刀が食い込んでも、槍が体を刺し貫こうとも、戦友が(たお)れてもまったく(ひる)むことなく、嫌な光を目に(とも)しながらじりじり、じりじりと前へ前へと進んでいた。

 その攻撃をまともに受けたのが正面に位置していたステロベだった。

「狂ってる」

 ステロベは舌打ちした。

 死兵となっているのだ。

 それはかまわない。どうぞお好きにといった気分だった。

 だが死ぬのなら、俺のところに来るな、どこか好きなところへ行って勝手に首でも(くく)ってくるがいい。まきこまれるこっちの身にもなれというものだ。

 戦の決着はついたのだ。ここから逆転することはもうありえない。と同時に戦功稼ぎもあらかた片付いたのである。

 のこりはディスケスの首を取ることだが、割に合わない速度でこちらの兵の首が飛んでいた。

 へたをすると首を取られるのはステロベ自身ということにもなりかねない。

「めんどうをかける」

 ぼやいたステロベだったが、退却しつつも、かろうじて陣形を維持していた。

 その巧緻な退却にディスケス隊の足が止まる。

 再び前後左右全ての方向から槍が襲い掛かった。

 ディスケス隊はそのたびに数を確実に減らしていった。

「いけい! 恐れるな、敵は手負いぞ! 王師の誇りにかけて討ち取るのだ!!」

 指揮官の声に応えるように王師の兵は勢いを増してディスケス隊へ襲い掛かる。

 しかしこれまでと同じくまたも、またも苦も無く跳ね返されてしまう。

 敵はもはや満身創痍(そうい)の疲労困憊(こんぱい)な兵士たちなのにである。

 だがそれを支えているのは一本の旗と一人の武将。

 そう、そのどちらかを倒しさえすればこの戦いは終わる。

 そして終に左方が崩れる。戦列が乱れ兵と兵の間に空隙が出来る。その間を割り入るように王師の兵は一本の剣となって突き進んだ。龍旗を、そしてその前で指揮をしているディスケスの胸を目指して。

 だが左方から今まさに襲い掛からんとした王師の剣は、ディスケスの心臓に届くことは無かった。

 その間に体を割りいれ、王師の先兵の足を止めた者がいたのだ。

 その者は剣を横に払い、体をぶつけ、歯を食いしばって二人の敵を切り倒し、一人の敵を組み討った。

 だがその代償は高くついた。敵と揉み合って倒れこんだ時に敵の手に握られていた刃が体を貫き、臓器を押しつぶして背中まで貫通したのだ。

「タラッサァ!!」

 果たしてその声が聞こえただろうか。タラッサは最期の力を振り絞り、組み敷いた敵の首に短刀を押し当て頚動脈を断ち切った。

 二人の体は押しつ押されつ切り結ぶ双方の兵に踏まれて見えなくなってしまった。


 だが四方を敵に囲まれたディスケスには悲しみに浸ることも許されない。万華鏡のようにくるくると千幻万化に表情を変える戦場では一瞬の指揮の空白も許されないのだ。

 悲しみを振り払ってディスケスは部隊の形状を整え直し前進を試みる。

 だが、なおも悲報が打ち続く。

「ナイアド卿討ち死に!」

 ・・・聞こえてくるのはもはや討死の知らせだけだった。

 いよいよ最期の時が近づいてきたのだ、とディスケスは思った。

 先程まで右側で兵を指揮し、崩れた右方を懸命に支えていたはずのデスピナの姿もこの乱戦で行方不明になっていた。

 もはやディスケス隊は極度の苦戦に陥っており、何処で誰が何をしているか、誰が死んだかと言うことを把握すら出来なくなっていた。

 誇り高きオーギューガの名だたる将士はもう幾人も残っていなかった。

 ディスケスの足は震え、手から握力が消え、槍を持つのもおぼつかない。

それでも彼は気力を振り絞って左方の破れをつくろい、再び陣を立て直した。

 まだだ。まだ終っていない。

 戦場には龍旗がまだ立っているのだ。その誇りにかけても前へ行かねばならぬ。

 一歩でも、たとえ半歩でも、前へ。

 ディスケスは疲れに萎えた手で血で(ぬめ)る槍を握りなおし、大きく叫び、もつれる足で突撃を再開する。

 兵士たちが彼に続いた。

 再び死の舞踊が戦場を鮮やかに舞った。

 だが四度目の突撃の後、(つい)にディスケス隊は崩れ落ちた。

 龍旗は倒れ、無残にも踏み破られていたという。

 死者たちの体は無数の槍傷があった、五体満足に残っている死体のほうが珍しかった。

 ・・・だが背中に傷を負ったものは一人もいなかったと伝う。


 ディスケス隊を殲滅すると、本陣に諸将が集まってきた。

 マシニッサ、ステロベ、プロイティデス、エレクトライ、ザラルセン、リュケネ、ベルビオ、ヒュベル、エテオクロス。

 バルカ隊と激戦を繰り広げて散っていた羽林の兵も戻って来た。そしてセルウィリアにアエネアスも傍らにいる。

 だが影が二つ足らない。

「アクトールとガニメデがいないけど?」

 有斗の疑問にエテオクロスが返答した。

「アクトール卿は戦場の後始末を」

「そっか」

「ガニメデ卿は・・・」

 そこまで言ってエテオクロスは言葉を濁した。

 いつまで待ってもその後の言葉を続けるものはなく、有斗は振り向いて諸将の顔を見た。

 みな目を伏せていた。有斗はそれだけで全てを察した。

 エテオクロスがガニメデの副官から聞いたという話をする。

 ガニメデがいかに戦の前から心を砕いていたか、そして混乱する諸将の中でただ一人全軍の崩壊を防ぐべく尽力したか。そして有斗を救うために死を覚悟して陣形を崩したことを。

 話を聞き終わると有斗は大きくよろめいた。アエネアスが慌てて手を差し伸べて支え、辛うじて倒れこむことだけは防げたほど、大きくショックを受けていた。

 有斗は大きくため息をつき、何かを否定するかのように首を二、三回左右に振った。

「朝廷で高位高官になることではなく、妻子と楽隠居するのが彼の望みだった」

 有斗は妻子に会った時のことを思い出した。あの小さな子供たちには父親がまだまだ必要な年だ。

「それを最後だからと無理を押して出馬してもらったのに・・・」

 つまり彼らから大切な父親を奪ったのは有斗ということになる。

「彼は命を落としたが、敗れたわけではない。最後まで不敗だった。彼は僕の命を救い、また壊走しようとした味方を踏みとどめさせたのだから。まさに『不敗のガニメデ』の名に相応しい立派な死に方だった」

 それが彼の望みであったかと聞かれれば、きっとそうではなかったであろうけれども。それでも少しは慰めになるに違いない。

「彼がいなければきっと今、僕の命はない」

 そう、ガニメデは有斗を救う身代わりとなって命を落としたのだ。

「彼は命を落としてまで勝利をもたらしてくれた。僕は彼にどう酬いればいいのだろう」

 有斗はそう嘆息すると、沈む準備を始めて傾きを見せる陽に目を細めた。


 戦は終った。

 戦につきものの喧騒や猥雑さは影を潜めて、祭が去った後のやりきれなさが訪れた。

 幾千もの死体が転がり、血のにおいでむせるほどだった。

 また死んで倒れてる者の中に恩賞に繋がる首はないかと死体を確認するもの、そして死体から武具を剥ぎ取り一儲けしようと企む不埒(ふらち)な戦場荒らしたちも現れていた。

 あたり一面には死体が連なるように倒れていた。

「ここかい?」

 有斗がアクトールに連れられて来た先には一人の老将が深手を負って体を横たえていた。

 老将はゆっくりと目を開けた。定まらない焦点で有斗を見ている。

「陛下だ」

 老将はその言葉に少し驚いたようだった。彼の主人のテイレシアは戦国という名の泥中に咲いた一輪の蓮のように可憐で孤高、凛とした清楚を感じさせる人物であった。宿敵であるカトレウスは巨大な(いわお)のような威厳を感じさせる戦国の申し子とも言うべき風格を持った人物であった。

 目の前の人のよさそうな、科挙に挑戦してはまだまだ未熟で何年も失敗している儒子のような少年がその二人を葬って乱世を征した覇王なのが信じられないのだ。

「陛下の御前である、ひざまずかないか」

「あ、いや。そのままで」

 有斗はそこから先は制止した。この傷ではもう座ることすらできないだろう。上半身を起こすことすら・・・どうだろうか。

 そう、おそらく助からない。

 だからこそ、やらなければいけないことがある、と有斗は思った。

 彼らが起こした戦争は有斗に向けられたものだ。

 ならばこの戦場で死んだ者は敵味方問わず、有斗にも一端の責任があるということもいえる。

 最初は官吏のあるまじき失態から始まり、それに付け込んだ教団の野心が燃え上がったということがあるにせよ、教団が兵を挙げ、王師相手にここまで戦えた理由は大勢の不満を持った軍人が世に(あぶ)れていたからだ。

 戦後の体制構築において軍人を軽んじ、多くの失業軍人を放ってきたのがこの反乱が起きた主因であろう。

 国庫に余裕が無かったとはいえ、彼らにも職を与え、暮らしていけるように積極的に何らかの配慮をすべきだった。

 だがまだ間に合うはず。

 もう二度とこんなことを起こさないため、残されたものたちを体制に組み込めば、きっと。

「失礼をいたした。初めてお目にかかります、陛下」

 傷口は深かったが、老将の口調はまだしっかりしていた。

「生きていてくれてよかった」

「悪運強く、こうして生き恥をさらしております」

「すばらしい戦いを見せてもらった。見事だったよ」

 有斗はそう言うと笑った。命を失う寸前のぎりぎりの戦いだっただけに、実に実感のこもった言葉だった。

「見事な働きだった」

 思わぬ褒詞(ほうし)に老将の頬はゆるんだ。

「どうだろう? これもなにかの縁だろう。僕に仕えてみる気はないか」

 この老将が有斗に下ればその象徴になるだろう。たとえ死ぬ前の一瞬のことであっても。

「この老いぼれを許すとおっしゃるか」

 有斗はこくりと頷いた。

 しばしの沈黙の後、老将は首を横に振った。

「ありがたき仰せなれど、お断りする」

「なぜかな?」

「もし私の願いが叶えられますなら、叛将(はんしょう)として処刑されることこそ我が望み」

「逆賊として死にたいって? なぜ?」

「ともにこの戦場で戦った兵士たちの誇りのために」

 ディスケスがここで(せつ)()げれば、この反乱は完全に悪だったと後世の人は思うだろう。

 確かにこの反乱に正義はすくないだろう。多くの兵が死に、民も死んだ。

 首謀した教団とやらは俗世にまみれ権力と金に取り付かれた妄執家の巣、天下に平和をもたらした王を殺して横から天下を奪い去ろうとしたのだ。

 それのどこに正義を見ればいいというのだ?

 だがあいつらとここでこうして死んでいった戦友(とも)は違う。

 戦場には生活の糧、生きる誇り、存在意義といった彼らが人として生きていくのにかかせない物があったのだ。それを取り上げるだけ取り上げて、何一つ返さなかった権に罪が無いといえるだろうか。いやある。きっとあるはずだ。そういったものを取り返そうとする心が寄り集まってこの戦になったはずだ。

 だからそれを否定するような行動は彼にできるはずもなかった。

「私が膝を屈せば、その者たちに死んで合わせる顔がありません」


 有斗は老将をじっと見つめた。老将の瞳は澄んだ湖のごとくどこまでも深かった。

 あらゆる厚遇であれ、拷問であれ、彼の決意を変えることは出来ないだろう。

 それは、どうやら反乱を起こした者たちは有斗を永遠に許してくれないらしいということでもあった。

 視線を外すと、有斗は深く溜息をついた。

「希望を叶えよう」

「・・・ありがたき幸せ」

「だが処刑は傷が治ってからにする。首を切る寸前に刑場で倒れられでもしたら僕の面子がたたない」

「それは・・・」

 口ごもるディスケス。彼もわかっている、傷は治らない。あと半日ももたないであろうことを。王の言葉は彼を処刑場で見世物にしないということだ。その温情にすがっていいものか悩む。

「それくらいは僕の望みを聞いてくれてもいいとおもうんだけど?」

 再びしばしの沈黙。そして・・・

「御意」

 老将は重々しく呟いた。

「さよなら。もう二度と会うこともないだろう」

 もう有斗にできることはない。

 有斗は逃げるようにその場を後にする。


 結局のところ、なんと言い訳しようとも、有斗はまたも失敗したのだ。

 四師の乱の時の様に、反乱が起きてたくさんの犠牲者が出て初めて、間違っていることに気付くなんて。

「ごめん・・・セルノア・・・」

 結局、僕はなれなかった・・・いい王様に。

「・・・」

 アエネアスは一瞬声をかけようとしたが躊躇(ためら)い、目を伏せる。

 有斗はそんなアエネアスになんでもないよとばかりに笑いかけた。

「さあ、戦は終わりだ。やれやれ、これでもう安心。二度と戦乱の世が来ることはない」

 暗い気持ちを振り払うためにわざと明るく振舞い、おどけてみせる。

「後は後始末をするだけ。教団幹部を捕らえ、教団を解体し、教徒たちを呪縛から解き放って元の民に戻すだけ。もう何の障害も無い」


 こうして教団の戦闘部隊は壊滅した。こうなれば王師と朝廷を妨げる何の障害もあるはずはない。教団の抵抗は多少あるかもしれないが、おそらく微々たるものに過ぎないだろう。

 だけど大敵を退けたというのに有斗の心の中では、なにかもやもやした厄介なものが立ちはだかろうとしているのを感じていた。

 それはアリスディアにまもなく会うことになるという予感と無関係では無かった。

 アリスディアはこうなってもなお、有斗の心の中では大切な人の一人であった。一番、苦しい時期を共に支えるように過ごしたのだ、無理もない。

 少し甘い考えかもしれないが、何らかの止むを得ない事情で教団に手を貸さねばならなかっただけで、本心は今も有斗の味方なのではないかなどと虫のいい考えを抱いていた。もちろん、それは一切根拠の無い、有斗の願望に過ぎないことは有斗とて重々承知であるけれども。

 だからそれを含めて、アリスディアには聞かなければいけないことがたくさんある。

 教団のこと。そして有斗に仕えていた間、どこまでが演技で、どこまでが本心だったのか。なによりも・・・最初の反乱にどの程度関与し、そしてどの程度関与しなかったのかを。

 有斗はその答のほうがよっぽど重大で、もしそれが有斗の願望と違ったときのことを考えると途方にくれ、陰鬱な気持ちに包まれた。


 [第九章 完]

 世界が停滞し混迷し沈黙し、多くの人がどうすればいいのかさえすら分からずに立ち止まるような苦難の時に、時として世界が一人の人間の姿をとって現れたのかと思われるような歴史的偉人が誕生する。

 彼は世界の次にあるべき姿を民衆に指し示し、世界は彼が指差した方向に向けて変革し、突き進んでいく。

 もちろん、その道程には多くの障害が待ち受けている。行く道は辛く、苦しく、果てしなく長いものとなる。その志半(こころざしなか)ばで命を落とすことも少なくない。

 しかも、長く果てしない戦いを終えても、その者に安息の日々が訪れることは決してない。

 天が与えた使命を果たした以上、その者は天に帰らねばならないのだ。

 それが天が人に与えたもうた悲しき運命さだめ


 次回 最終章 天帰の章


 天与の人の伝説はその時、終わりを告げる。

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