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紅旭の虹  作者: 宗篤
第九章 疾駆の章
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命果てれども名は千載に

「大丈夫か!?」

 その慌てた声はアエネアスのものだ。立ちふさがった兵士を切り捨て、ようやく駆けつけたのだろう。

 だが・・・一足遅かった。全ての決着はもうついてしまった後なのだ。靴音は一つだけではない。続いて幾人かの兵靴の音も近づいてきた。

「・・・ッツ!?」

 一瞬、のちに静寂。

 ・・・セルウィリアはアエネアスに合わせる顔がなかった。

 あのとき居たのがアエネアスなら、優れた剣術の使い手の彼女なら陛下を逃がすことくらいできたに違いないのだ。すくなくとも盾となり、槍をその身に受けてでも陛下をお守りしただろう。

 わたくしは無力だ。

 無力なんだ。

 王宮の中に鎮座した女王という名のお飾りの人形であった時から変われたと思ってた。

 王の相談相手になり、朝廷を動かす助けとなれた。自分の意志で動く人間になれたと思っていた。自分の居場所を見つけたと思った。

 それは思い違いだったのだ。

 セルウィリアの言葉はバアルにとどかなかった。

 彼女に出来ることは今でも何もないままだったのだ。

 昔も今も変わりなく自分は無力な存在なんだ・・・と、セルウィリアは非情な現実に打ちのめされていた。

「おい」

 突然、アエネアスはこの深刻な事態に相応しくない、間の抜けた声を出した。

「何をしている」

 何をって・・・

 アエネアスが口にした言葉にセルウィリアは戸惑う。

 もっとも前からアエネアスのことは、よく分からない娘だとは思っていた。王に対する態度は不遜で傲岸、朝廷のしきたりや決まりを守らないこと(はなは)だしく、後宮の空気を乱す元だと思っていた。

 でもこの全てが終わった状況下においても、こんな分からぬことを口にするとは・・・あの娘はいったい何を言ってるんだろう?

 だがそれに(いら)えを返したのはセルウィリアではなかった。

「いや・・・その恐怖で腰が抜けて・・・」

 その声は・・・陛下のもの・・・!

 セルウィリアは驚きで顔を上げ、振り向いた。

 有斗は大木の下でへたへたと地面に腰を落として座り込んでいた。

 木には有斗の身長より少し高いところに槍が深々と刺さっていた。

 セルウィリアの見るところ、有斗には傷ひとつないようだった。

「兵の前でなんてザマだ。恥を知れ!」

「いや・・・でも凄い速度で飛んできたんだよ? こう・・・ビュッってかんじで」

 手を槍に見立てて顔の前をなんども往復させる。

「刺さったならともかく、かすりもしてないのに腰をぬかすやつがあるか!」

 アエネアスは有斗のわき腹を固い靴先で蹴った。

「いたい!」

 あっけにとられていたセルウィリアだったが、その戯画じみたやり取りでようやく我に返った。

「ご・・・ご無事で・・・」

 だが、そこから先は言葉にならなかった。

 あふれ出た感情が瞳の裏側から涙となって滴り落ちて、セルウィリアの視界に曇をかけた。

「あ~あ、泣いちゃったよ」

 立ったばかりの有斗をあんたのせいだとばかりにドンと肩をぶつけてセルウィリアのほうに追いやった。

 有斗は照れたような、気まずいものを見られたような、曖昧なはにかみを浮かべて近づいてきた。

「ええと・・・その・・・」

 何を言ったらいいか有斗にはまったく判断がつかなかった。ただ、どうやら大変セルウィリアに心配をかけてしまったことだけは確からしいことは分かった。

「ごめん。そして有難う。命を危険を(かえり)みずに、僕の為にバアルの前に立ち塞がってくれて」

「え・・・いえ・・・それくらい当然のことです。・・・それよりも、わたくし、もう・・・陛下が討たれてしまったかと・・・」

 セルウィリアは今の自分は酷い顔をしてるに違いないと思い、手で涙をぬぐって無理やり笑い、顔を整えた。

「あ、そっか」

 意地悪な顔をして笑ったアエネアスがセルウィリアを指差す。

「有斗が死んでなくて、ガッカリして泣いてたんだ? 有斗がいなくなれば、お前が女王に戻れるかもしれないもんねぇ」

「え・・・違・・・」

 困惑するセルウィリアに有斗は優しく微笑みかける。

「ごめん。心配かけて」

「え・・・いえ! そんな・・・!」

 セルウィリアは有斗からの気遣いに大いに恐縮した。

「本当に怪我はなかったのですか?」

 セルウィリアは有斗の傍によると、横腹を触って確認した。どこも切れてないことを確認するとようやく安堵の笑みがこぼれる。

 ほっとして顔をあげると有斗の顔がセルウィリアのすぐ目の前にあった。口づけを交わす恋人のような距離だった。

「あ・・・」

 そう気付くと、顔に血が上るのがセルウィリア自身でもわかるくらい熱くなった。

 有斗も同じことに思い至ったのか、それとも釣られてか、顔が朱に染まっていく。

「・・・そ、その」

 ゴホンゴホンとわざとらしくアエネアスが咳払いをした。

「あ~、そういうのは帰ってから好きなだけやってくれないかな? 戦場じゃまだ兵士たちが戦ってるんだよ」

 そうだったと、有斗とセルウィリアは慌てて気を取り直し、距離をとる。

「そ、それにしてもよかったですね」

「何が?」

「槍が外れるなんて」

 有斗とアエネアスは顔を見合わせた。

「違うよ、それは」

「だね」

 木に突き刺さった槍を引き抜くと、有斗はバアルが立っていた場所を槍の石突で指し示し、アエネアスに訊ねた。

「この距離だ。アエネアスなら外すかい?」

「まさか! 百回やっても百回とも当ててみせるさ!」

「つまりはそういうことさ」

「でも!」

「狙ってここに当てたのさ」

「そんな! バアルは陛下を殺しに来たのですよ! そんな訳が無いではありませんか!!」

「ここに来た時はきっと僕の首を狙ってた、と思うよ。・・・でもそれをしなかった」

「そんな・・・何故・・・?」

「君が言ったことを彼が聞いたから」

「あ・・・」

 そうか、バアルもわかったのだ。平和のために陛下が必要なことを、とセルウィリアは思い当たる。


 だから殺さなかった。


 ・・・わたくしの言った言葉を理解してくれたんだ。


 そして気付いた。


 バアルはやはり戦争を好む殺戮者ではなかった。

 立身出世の為に戦争を利用する利己主義者でもなかったのだ。平和な世に好んで乱を起こす平和の敵でもなかったのだ。

 世間に彼をそう見せてしまったのは、たぶんわたくしの責任。彼の起こした行動は全てわたくしのことを想ってしたことだ。そしてわたくしを立派な女王にすることが彼の望みだったのだから。


 セルウィリアは猛烈にバアルに謝りたい気持ちで一杯になった。

「今わかった・・・彼はわたくしを理解していないと思ってた。けど、それは違った。理解してなかったのはわたくしだった。彼はもうとっくの昔に理解してくれていたんだ」

 そう、セルウィリアはちっとも理解していなかったし、理解しようともしていなかったのだ。

「この槍はそれをわたくしに教えてくれた・・・そんなこともわからなかったなんて・・・こんなに忠良な人を臣下に持っていたのに、王宮から・・・わたくしから遠ざけて・・・それで誰もわかってくれないとか言って、自分の殻に閉じこもり、王としての勤めを放棄していただなんて・・・わたくしは本当に駄目な女王だった・・・」

 有斗は(うつむ)くセルウィリアの肩に慰めるように、そっと手をおいた。

「でも、それに気付いた。君はもう変わったんだよ。彼が変わったように」

「陛下・・・ッ・・・」


 そこは戦場の空白地帯だった。

 小さな木々が寄り集まった木立。

 向こう側が見えるがゆえ、そこに倒れ()し動かない男のことなど誰も気にも留めない。

 教団の傭兵たちは逃げるのに手一杯。そして王師は動くそれらを狩り立てるのに手一杯であった。

 あれからどれくらいの時が経ったろうか。

 王の陣にたどり着くまで共に戦った戦士たちも、その後、体勢を整え反撃に移った王師の前にひとり、またひとりと討ち取られていった。

 その混乱の中で傷を負い、馬を失い、バアルが最後にたどり着いたのがこの場所だ。

 もう彼の周りには誰一人いなかった。

 バアルは体力を使い果たし動くこともできず、ゆっくりと死に向かっていた。

「満足したか?」

 彼の周りには動くものは何もなかった。でもどこからかその声は響いてきた。

 どこかで聞いた声だ、と彼は思った。懸命に思い出そうとするが思い出せない。

「戦国を彩る大戦で戦場を思うがまま駆けるのが夢だと言っていたな」

 女の冷たい声は色気をまったく感じさせない。

「ああ・・・十分に駆けたよ。戦国最後の、そして最高の戦の中で晴れやかに・・・」

「約束を覚えてるか?」

 彼はそれでようやっと声の主がわかった。

 声が集まり彼の前にぼんやりと影となって現れた。陰気な顔をした一人の女が姿を現した。

「・・・ああ」

「首をもらう約束だったな」

「・・・だったな。持って行くがいい。もう俺には必要ないものだ」

 影はその刹那、息を呑む。

「何を言うか! まだ戦争は続いているぞ! それに言ったではないか。勝敗は兵家の常、生きている限り負けではない、と!」

 女の声はおかしなことに動揺して震えていた。

 妙なやつだ。自分から俺の首を貰うと広言したくせに。その時が来たのに何故慌てる必要があるというのだ。

「いいや、もう終った。完膚なきまでに負けた。俺と王との戦いは決着がついたのだ」

「・・・」

 それでも影は首を切ろうとはしなかった。残忍酷薄で知られた忍びにしては妙なことだ。

「おまえの今までの人生は終ったんだ。もうお前が若き日に望んだことはなにひとつ叶わなかった」

「ああ・・・そうだな」

「だがお前は生きている。もし・・・もしもだが・・・お前がまだ生きる気があるというのなら、その首を私に預けて別の人生を歩んでみることができる。王の追求の届かない、遠い遠い地に渡り新しい生を始めてみないか?」

 それは意外な提案。

 きっと彼女にも自分が何故こんな馬鹿げたことをいいだしたのかわかってなかったに違いない。

 声には動揺と戸惑いの感がありありと表れていた。

「・・・ありがとう。だが、もし俺のことを少しでも想ってくれているのなら」

 一呼吸おいてバアルは彼女の思ってもいなかった一言を口に出した。

「やっぱり俺の首を持っていってくれ」

「・・・なぜ!?」

 悲鳴のような声があがった。

「私が捕らわれることもなく、また死体も見つからなかったら、きっと小さな伝説が生まれる。徹頭徹尾、王の前に立ちはだかりそして消えた男がいたという伝説だ」

「そんなものがなんになる! 死んだら何もかも終わりなんだよ!」

「まあ聞け」

 バアルは影にとつとつと語りだした。

「王のしたことは素晴らしいことだ。何せ、この乱世に平安をもたらしたのだからな。だがどんな体制にも部外者は出る、俺たちみたいな、な。そしてどんな素晴らしい体制でもいつかは矛盾を抱えて崩壊する。不死の人間がいないように不滅の国家もないのだから」

 偉大な王もいずれ死に、幾代もの王をも経て、国家は年老いて、やがて倒れる。

「だが体制に逆らう側に回った者たちは最初は小さくか弱い存在なんだ」

 そう、倒壊間近であっても国家は個人に比べれば遥かに巨大で、そして力強い。それに逆らうには勇気がいる。何事にも挫けない、とてつもなく巨大な勇気が。

 だが勇気を持ち続けることは難しい。難事が襲い掛かるたびに、彼らの心を(つい)ばみ、(むしば)んでいくことだろう。

 その時に俺の存在が意味あるものと成るかもしれない。

「その者たちは、かつて今彼らが相対している巨大権力を作った偉大な王に、最期まで立ち向かった男がいたことを知るだろう。きっとそれは暗闇に差した光のように輝くに違いない。俺が生きることにもし意味があったのだとしたら、きっとその光になることなんだ。だが、そのためには俺が最期まで輝き続けなければいけない。俺が生きて王の前に屈したら、いや死体となって王に葬られたりした日には、それは俺の伝説でなく、敵将にも礼を尽くす偉大な王という伝説にすりかわってしまうだろう。そうなったら彼らは何を頼りにして行動すればいい?」

 彼らは恐る恐る手探りで権力に反抗する心の寄る辺を探して地を這うしかないだろう。

 だが、もし俺が伝説の中の存在となれば、きっと・・・

「俺の死体が発見されてはいけない」

 もちろん、それは難しいことに違いない。なにしろ人々の目の前には生きる伝説である天与の人がいるのである。その光に隠れてバアルのことなど誰も(かえり)みないことも大いに考えられた。バアルの存在が人口に膾炙(かいしゃ)する機会もそうそうあるとは思えない。

 だがバアルが幻のように忽然(こつぜん)と戦場から消え去れば、きっと人々はその行方に思いを巡らせ、口々に騒ぎ立てるだろう。さまざまな話が想像をもって語られ、それはいつしか伝説になるに違いない。

「だから、頼む。俺の首を誰にも見つからないどこかに持っていってくれ」

「死んじゃうんだよ?」

「そうだな・・・でもその時、俺の名は伝説の中で不死の存在となって生き続けることだろう」

 そう、バアルの名は伝説の中で千載(せんざい)に残るのだ。

「・・・・・・」

「頼む」

「・・・くっ」

 彼女は顔をしかめ、ゆっくりと利き手を振り下ろした。


 ドスッ・・・!!


 重いものが落ちる音が響き、大地に赤黒いしみが少し、また少しと広がっていく。


 ひゅおおおおおおおお。


 一陣の風が木立の中を吹き抜けていった。

 後には首のない、誰ともわからぬ無名兵士の死体が転がっているだけ。


 卯の刻、戦場に立っていた最後の赤獅子の旗が倒れ落ちた。

 風は海から陸へとゆるゆると吹きだす。凪は終った。

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